4.飲み会
週末。
会社近くにある、営業部行きつけの居酒屋で忘年会は開かれた。
会社の飲み会は申請すれば一人5000円まで補助が出る。営業部は忘年会にまとめて申請を出すのか慣例になっていた。
そして、くじ引きで当たった私と、1年目の男の子が今回の幹事だったから休むわけにはいかなかった。
会も始まって一時間もすれば、みんな酔いが回ってきて好き勝手なところに移動して飲み食いし、おしゃべりをし始める。
私は後輩の松本さんと沖さん、先輩の北山
さんと四人で女同士固まって飲んでいた。
男性陣は彰と総務の彼女の話題で持ちきりだった。
どちらから口説いたのかとか、いつから付き合っているのかとか、どんなデートをするのかとか、どこに惚れたのかとか。
酒の回った男性社員たちの質の悪い、少しHな質問も飛び交っていた。大声で彰をからかうように話しているから、離れた私たちの所まで会話が聞こえてくる。
ほんっっっとに、聞きたくもない!
彰も私がいるせいか、あまり語らない。
その代わりになぜか同期の男性社員が答えている。
つまり、その同期には私と付き合っていたことは言わなかったくせに、今の彼女の話はしていたんだな。胸糞悪い!内緒にすると決めたことだったけど、イラっとする。
私はハイボールをグイッとあおった。
「男ってバカですよね」
と一緒テーブルを囲んでいた松本さんがぽそりとつぶやいた。
私たち3人はうんうんと相槌を打つ。打ちまくる。
「中村さんの彼女、どんな子か知ってます?」
松本さんの問いに3人は思い思いに印象を答える。
「え?総務のかわいい子でしょ?」
「男どもが『かわいいかわいい』って言われてる子」
「ちょっと計算上手っぽい子」
「まあ、実際に関わったことがないからわかんないんだけどね」
少し間を空け、松本さんが
「私、あの人に彼氏とられたんです」
と小声で言った。
「えー!」
「えー!」
「えー!」
松本さんのカミングアウトに3人は声を上げた。
「自分で言うのもどうかと思うんですけど、私、自分のこと結構可愛いと思うんですよ」
松本さんは枝豆をぽそりぽそりと食べながら、話し続ける。
「実際に美容とか服装とかダイエットとかいろいろ頑張ったんですよね。その元彼がすごくかっこいい人だったから、私も横に並ぶからには努力しようって」
「ラブラブだと思っていたのに、好きな子が出てたって、私はフラれたんです。
しかも、好きな子ってあの総務の女ですよ。言いたかった~。『その女、カップルクラッシャーだよ』って」
「え?どういうこと?」
「カップルクラッシャーって、実際に耳にするとは思ってもみなかったんだけど」
「大学の女子の間では有名だったんですよ。でも、男子には言えないわけですよ。言ったところで、かわいい子の悪口を言う性格の悪い女だと思われるのがおちだし。女の僻みとしかとられないし。
でも、みんな言ってました。『狙うのは美男美女カップル』って。イケメンの彼氏が欲しいだけじゃなくて、可愛い女の子の彼氏を奪うことが楽しいんですよ、きっと」
「・・・こわっ、その子・・・」
先輩が呟いた。
「中村さん、彼女いたんですね。私知りませんでした」
「まあ、中村さん見た目もかっこいいし、優しいから、彼女がいてもおかしくないんですけどね」
話題が彰と元カノ・・・つまり私の話になり、ドキリとしてしまう。
平静を装って黙ってハイボールを飲む。
「中村さんでも、あの女の毒牙にやられるのかと思うと残念でなりません」
「倖さん、こういう話苦手でした?なんか、すみません」
「ううん。そんなことないけど、ちょっと驚いちゃって」
まさか別れた後に、原因となった女性のこんな話を知ることになるとは思ってもみなかった。
そんなカップルクラッシャーとか言われるような女に彰は惚れたのか?
そんな同性に嫌われるような女の方が彰はいいのか?
フラれた自分自身とまだ引きずっているこの感情が情けなくなってくる。
私はいつもより早いペースでハイボールをお代わりしていた。
*
「倖~」
彰に絡んでいた同期が酎ハイを片手にこちらにやってきた。
「倖~、飲んでるか~?」
「うん。飲んでるよ」
酔っ払いだからと適当に返事をする。
「中村も彼女できたしさ~、倖にも長いこと付き合ってる彼氏いるだろ~」
「うわっ。何絡み酒してんですか!」
「そうそう!ちょっともう飲み過ぎですよ!」
「あ。この焼き鳥食べます?はい、あーん」
一緒に飲んでいた女性陣が慌てて話を逸らす。
「あーん、おいひい~。とうとう俺にもモテ期到来?・・・あれ?倖、指輪は?」
「あ、ばか!」
北山さんが慌てる。
「え?指輪?」
「ずっと右手の薬指に指輪してただろ」
「もう、飲み過ぎ!ほら、あっちで呼ばれてますよ」
沖さんが向こうに追いやろうとしている。
「違うから!彼氏に貰った指輪じゃない」
「「「え?!」」」
一緒に飲んでいた女性陣が一斉に振り返った。
「あの指輪は初めて貰ったボーナスで買った、自分へのご褒美だったの。最近痩せて指輪が弛くなってしまったから、落としたくなくて外したの」
「え?てっきり、彼氏と別れたのかと思ってたよぉ」
でもそれを言わない同僚たちの優しさがありがたい。
それと同時に言っちゃう同期のバカさ加減に笑えて来る。
「ああ。でも、彼とは別れたから」
他愛もないことのようにさらっと言ってやる。
だって彰も聞いているはずだから。
彰にまだ未練があるなんて、彰にはばれたくない。
彰も他の営業部の何人かもこちらに目を向けている。
「まじかー!倖、でも、まあ、あれだ!俺がいる!」
同期はなんと言ったらいいのかわからないのだろう、あからさまに目が泳いでいる。
「あははは!なに動揺してんのよ。別れて結構たつし、もうなんとも思ってないから変にうろたえないでよ」
と笑う。
「よし、倖。今日はのむぞー!独り者同士のむぞー!」
*
しばらく飲んでいると、飲み過ぎた同期の男が私の肩を組んできた。
「倖、寂しいもん同士、付き合うか?」
「寂しくないし」
「強がらなくていいぞ」
「強がってないし。近いから。離れてよ」
隣に座って退かしても退かしてもしつこく肩を組んでくる同期の腕を押しやる。しかし、へらへらした笑い方をされた。
イラついた私は彼の顔を睨み付ける。
「寂しいのは好きな人の隣に自分がいれないことだよ。私の隣に好きな人がいないことだよ。
その人でないなら、だれがいたって、いなくたって同じだよ。だから、離れて!」
遠くに行ってくれるように、思い切り腕を押す。
すると、同期のへらついた顔が驚いた顔になった。
「うわっ!冗談だよ、冗談!ごめん、倖。泣くなよお」
同期が慌てている。
同僚の子たちが同期を怒っている。
「ごめん、ごめんよお」
先程までところっと態度をかえておろおろと謝る同期を見つめる。
なんなんだ、こいつ?
と思いつつ、飲み過ぎたのか?頭が回らない。
こめかみに手を当てて少し押さえる。
視界がぼやけてきた。
ポン。
ふと頭に何かが当たった。
見上げると、大きな手が私の頭をポンポンと、優しく撫でていた。
手の主を見ると、それは前野君だった。
どうして、頭をなでられているのだろう?と小首を傾げる。
「どうしたの?」
と尋ねると、前野君は少し困ったように微笑んで、私の頬を掌で優しく擦った。
「泣いてるから」
「え」
私は自分が泣いていることに気が付いた。
「なにこれ?」
目からぼろぼろと無意識に溢れている涙に自分でも驚く。
「私、泣いてる?」
「うん。ぼろ泣きしてる」
「どうして?」
「ん?」
今度は背中を優しく摩った。
あ・・・。これ、知ってる。
前にクリスマスツリーを見ているときに背中をさすられたな、と思い出す。
「今、私、すごく悲しい気分なんだ。もうね、すごく悲しいなって思ったの。だから泣いちゃってるのかな」
「他人事みたいだよ」
「私のことなんだよね」
「うん、そうだね」
松本さんたちにおしぼりをもらって濡れた手や顔を拭いた。
「私、私・・・・ふええ」
俯き、両手で顔を覆って泣いてしまった。
とめどなく溢れてくる涙を止めることはできそうにない。
彰は私の隣にはもういない。
泣いている私の隣に来てくれることもない。
ああ。
本当に終わったのだと、私の胸がぎゅうっと締め付けられる痛み。
前野君はしゃがんで、泣いている私の背中を優しく擦り続けていた。
私はその温かさにまた涙が溢れてくるのだった。
泣きつかれるまで泣いたあと、前野君に取っ捕まって、二次会のカラオケ屋さんに連れていかれた。
**
二次会は若手組と年配組に別れて移動となった。
私が連れて行かれたのは若手組のカラオケボックス。
ついてしばらくした私はトイレの鏡の前で固まった。
鏡に映る自分の顔を見て、
「うわぁ・・・」
と呟き、赤くなった頬を摩る。
目は充血し、少し腫れている。
まあ、一次会でたくさん泣いてるし、お酒も呑んでるから、こうなっても仕方ないか。
薄暗いカラオケボックスの室内の上、みんなが酔っ払っているのだから、このくらい気にする人もいないだろう。
まして、一次会で泣きまくったことはほとんどの人が知っている。
恥ずかしいが、お酒の席のことだ。きっと週明けにはみんなすっかり忘れてくれているはず!
自分自身に言い訳をして、部屋に戻ろうと廊下へ出た。
少し行ったの壁に、彰が寄りかかって立っていた。
うわ、ヤダなあ。
スマホをいじる彰の前を通らないと部屋には戻れない。
目の前を通り辛くて立ち止まっていると、彰が顔を上げた。
私をじっと見ている。
鞄もコートもスマホも財布も鍵も全部、部屋にある。
手にあるのはポーチだけ。
逃げ出すわけにもいかない。
意を決して、彰の前を通り過ぎることにした。
緊張する。
手と足が一緒に出ないことだけを気にして一歩一歩歩く。
すれ違う瞬間。
「智花」
「!」
呼び止められて、足が止まる。
今、『智花』って言った?
『智花』って言ったよね?
今まで一度も会社で名前で呼ばれることはなかった。
もちろん、飲み会でもなかった。
それが今、ここで。このタイミングで『智花』と呼ぶ?
「大丈夫か?」
「何が?」
彰は私を見ている。
私は彰を見ることなく、まっすぐに前を見つめている。
「さっき、泣いてただろ?」
「あき・・・中村さんのために泣いたわけじゃないから」
「ああ。分かってる。ごめん」
「謝らないで!」
平気なふりができなくて走って部屋に戻った。
呑んでいたジーマの残りを呷った。
「ふー---!」
口の端を手の甲で拭く。
「どしたの?」
北山さんに心配され、
「悔しい!」
「え?」
「わかんないけど!!なんか!もう!いろいろと悔しいっ!!」
「よし!飲もう!」
「歌おう!」
と、そこからはなぜか失恋ソングをみんなにガンガンに歌われた。
私も一緒になって失恋ソングを歌った。
もう、何もかもが嫌だ!
心配してくる彰も。
彰が会社の飲み会で名前を呼んでくることも。
彰が彼女の名前を呼ぶことも。
彼女がカップルクラッシャーなことも。
歌っている私を見ている彰の顔が何か言いたげなところも。
別れて4か月もたつのにまだ未練たらたらな自分自身も。
クリスマスツリーも。
失恋ソングも。
なにもかもが・・・
「だいっきらいだー--------!」
マイク越しに思いっきり叫んだあたりで私は記憶を失った。
***
翌朝。
いや、翌昼。
目が覚めた私は自分のマンションのベットの中でちゃんと眠っていた。
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