破壊

 アンリは、その宝石に取りすがった。

 魔力を辿り、その構造を把握する。式の構成の複雑さに、思わず舌を巻いた。


(さすがにただじゃ壊させてくれないか。だけど)


 この理論の大元を考案したのは、アンリだ。解けなくてどうする。

 挑発するように、舌なめずりをした。自らの知識と経験をもとに、組み立てられた魔術式を分解していく。


 両手の掌で握りしめて、傷口を押し付けた。べっとりと血をつけて、魔力の触媒にする。

 ほんの少しだけ残っている、体内の魔力をかき集めた。それを使って式を操作して、宝石の、魔力を貯める機能を壊すのだ。そうすれば、ここに転がっている人々の肉体へ、魂を返すことができる。


(ここ)


 アンリの頭の中で、かちりとはまる何かがあった。難しい問題が解けた快感で、ふっと思考が楽になる。

 ためらいなく魔力を操作し、回路の一部を作動させた。呪文の詠唱はいらない。


(ここの、エーテル変換機能を無効化。魂を魔力へ変換するのは、これでできなくなった)


 次。


(魔力を貯めておく、この式を書き換える。解を反転させて、魔力を放出させる)


 次。


(宝石にかかっている、最後のストッパーを外す。これで、全部)


 ふへ、とアンリの唇から笑みが漏れた。喉からあたたかいものがせぐりあげてきて、吐き出すと血だった。鼻からも、生温かい何かが垂れている。

 自分の中の、大切な何もかもを絞り出して、アンリは、ベレットのたくらみを止めるのだ。


 渾身の力で、宝石を振り上げる。


「ざまあ、みろ……っ!」


 かつん、と音が鳴った。

 ベレットとレオナードがこちらを見る。二人の顔が驚愕に染まった後、宝石から真っ白な光が放たれた。

 風と光が、狭い部屋に吹き荒れる。しばらくの後、あちこちからうめき声が聞こえた。

 使用人たちが、息を吹き返したのだ。


「は、はは……!」


 アンリは笑った。ほっとして、勝ち誇って、嬉しくて笑った。


(何かをなしとげるって、こんなに、気持ちいいんだ)


 ずるりと身体から力が抜ける。地面へ身体が崩れ落ち、床へ四肢が広がる。どんどん体温が奪われていくのを感じた。喉からは力ない咳が漏れて、そのたびにぬめった熱い液体が床とアンリの間に広がる。


(さむい。しぬのかも……)


 アンリ、とベレットが自分を呼んでいる。身体を起こされて、温かい手が、アンリの掌を包んだ。

 その掌越しに、鈍痛を感じる。

 レオナードの声がした。


「接続、命脈励起。根源に至り、エーテルへと辿りつかん。回路解放、検索開始」


 じんわりと、魔力が流れ込んでくる。レオナードが手を通じて魔力を流し込んでいるようだった。


「探知完了。接続開始。我が生命の源を彼の者へ注がん」


 泣きそうな声で「アンリ」と呼ばれる。それが嬉しくて、ふにゃりと唇が歪んだ。


「もう、いいん、ですよ、……ぼく、あなたにあえて、よかった」


 もう片方の手から、知らない魔力が流し込まれる。だけどそれは身体によくなじんで、全然痛くなくて、とても温かかった。


「アンリ……!」


 ベレットの声だ。掌に、濡れた何かが押し付けられる。


「おとうさん、ないて、るの……」


 うわごとのように言えば、ベレットの「いいや」という掠れた声が聞こえた。


「お前を、お前をこんな目に遭わせるつもりは、なかった」


 後悔にまみれた声色に、アンリはとろりと目を開ける。その間にも、どんどん体温は失われつつあった。

 揺れる視界に、父と、好きな人がいる。

 それだけで、悪くない最期なんじゃないかな、と思えた。


「ねむい」


 また目を閉じるアンリに、「寝るな」とベレットが声をかける。疑いようもなく涙に濡れた声に、ほんの少しだけ罪悪感を覚えた。


 そして唇に、濡れた、温かい何かが押し付けられる。


「んむ」


 なんとか目を開けると、なぜかすぐそこにレオナードの顔があった。唇から甘い何かが注がれていて、それを無意識に吸う。


(あったかい)


 それは、濃厚な魔力だった。アンリは必死に舌を動かして、それを啜った。


(おいしい……)


 んく、んく、と喉を鳴らして、アンリはそれに夢中になった。

 頭の後ろに手が回されて、もっとレオナードの顔が近づく。


「はへ……」


 だんだん、死の淵から引きあげられていく。

 それと同じくらいのはやさで、頭がふわふわしてきた。


「ん、ふ」


 アンリは、目の前のあたたかな身体にしがみついた。気づけば、身体は芯からぽかぽかと火照っている。


(なんだろ、これ……)


 レオナードに抱きしめられていることと、口がぼんやり気持ちよくて、おいしいことの因果関係が、今のアンリには分からない。ただ身体が熱っぽくなって、心地よくて、もっとほしかった。

 アンリの口元から、それが離れる。次いでレオナードの身体も離れそうになったので、「やだ」とアンリはすがりついた。気づけば、腕を動かせるほどにまで回復している。


「もっと」


 ごく、と生唾を飲み込む音が聞こえた。アンリの首筋にレオナードが顔を埋める。鎖骨のあたりで深く息を吸い込まれて、アンリの産毛が逆立った。あ、と甘い声が、喉から込み上げる。レオナードが「アンリ」と、自分を呼んで。


 そして、ベレットの叫び声が響いた。


「息子から離れろ、このけだものが!」


 あたたかいものが、アンリから引きはがされる。

 惜しくて手を伸ばすと、そこにはすかすかの空気しかなかった。


「なんでぇ」


 さみしくて、涙がまたぽろぽろとあふれだす。レオナードとベレットはというと、再び向かい合って、醜い殴り合いをしていた。


「アンリになんてことをするんだ! このけだものめ……!」

「必要な措置だった。あのまま死なせろと!?」

「魔力供給には感謝しているが、だからといってなぁ! あ、あんな淫らな真似をする必要はなかっただろうが! なんだあの接吻は!」

「アンリだって十八歳だ、貴様の許可などなくてもこういうことをしてもいいんだぞ!」


 体格のいい男たちが、掴みあっている。アンリはそれすら悲しくて、泣きじゃくった。


「何をしている!」


 そこに、やっと警備員たちが追いつく。

 彼らはまず、床に転がってうめく人々を目にした。

 その異様な光景の中で、いい年をして年若い王族へ拳を振るう重臣と、彼へなりふり構わず抵抗する、ぼろぼろの年若い王族がいる。その奥では、白髪の青年がぐずぐずと泣いていた。


 そんな地獄の中で、アンリは意識を失った。






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完結まであと少しですが、よければ最後までお付き合いください。

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