アンリ、見つける
アンリが魔力を追ってたどり着いたのは、暗くて何も見えない部屋だった。
近くにあったランプに火を点けて、そこに広がる光景に、言葉を失う。
頼りない光に照らされた室内には、何人もの人間が折り重なって倒れていた。ぴくりとも動かない彼らの首筋に手を当てると、弱いながらも脈はある。だけど、生気がまるでなかった。
眠っているというより、死んでいるといった方が、現状に近いように思える。
そしてアンリは、彼らの顔すべてに、見覚えがあった。
「うちで働いてる、……」
ベレット侯爵家の使用人ばかりが、そこに物言わぬ身体で転がっていた。アンリの呼吸が、知らず浅くなった。
「魂を抜いたのか」
死霊魔術の亜種だ。生きた人間の魂を抜きとり、閉じ込めることで、魔力源として使用する。
たいていの場合、魂を閉じ込めた器を破壊することによって息を吹き返すとされている、が。
(それにしたって、最悪だな。人の命を奪って、また多くの人を殺そうだなんて)
アンリは歯を食いしばりつつ、歩みを進めた。
人々の中心には、拳ほどもある一つの宝石が置かれている。色合いからして、サファイアだろうか。
母と、アンリの瞳と同じ色の、青色に輝く宝石。
「本当に、悪趣味だな。あの人」
アンリはふらつく身体をなんとか支えて、一歩一歩、宝石へと近づいていく。
アンリの耳に、靴音が聞こえた。ぴく、と指先が震える。嫌な予感。
「はやかったな」
どくん、と心臓が嫌な音を立てた。振り向けば、苦笑を浮かべたベレットが立っている。
まるで幼児がいたずらをしたのを咎めるように、彼はやわらかい言葉で、「いけないよ」と言った。
「ここにいては危ない。ほら、こちらへ来なさい」
ベレットの言葉と同時に、ゆらりと使用人たちが立ち上がる。アンリが咄嗟に応戦しようとしても、身体の力が抜けてしまって、動けない。
「死霊魔術師だったのか。あなたは」
立つのもやっとのアンリを見て、ベレットは心苦しそうに眉をひそめた。
「ああ、そんなに傷だらけになってしまって。おいで。痛かっただろう」
「くるってる」
アンリはそう吐き捨てて、なおもアクアマリンのもとへ向かおうとした。しかし魂を抜かれた使用人たちが、次々とアンリへと腕を、脚を絡ませる。身体を引き倒され、うめくアンリの手足を彼らが掴んだ。
意志のない彼らにベレットのもとへ引きずられていく。アンリはうめいて、ベレットを見上げた。
彼はアンリへ腕を伸ばし、抱き寄せる。
「こっちへおいで。お前はちいさい頃も頑固だったな。転んでも、痛くないといって、我慢して……」
ベレットを、血塗れの掌で押しのける。だけどアンリの血で汚れるのも厭わず、ベレットは「痛いだろう」とその傷をそっとハンカチで包んだ。
「魔力も随分と抜けてしまっている。どんな無茶をしたんだ。しばらくそこで休んでいなさい」
だめだ。だけど、もう力が抜けて動けない。最後の気力で立ち上がろうとしても、一度座り込んでしまえば、もう立てなかった。
「う、うう」
悔しい。涙を流すアンリに、「もう心配することはない」とベレットが見当違いのことを言う。彼は「しばらく眠るといい」と、アンリをあやす手つきで撫でた。
「ちが、う、ちがう……!」
今更父親面をされても、気持ち悪いだけだ。悔しさで力を振り絞っても、あっけなく阻まれる。
アンリは、無力だ。何もできない。
あと一歩だったのに。
このままでは、みんなが死んでしまう。それを止めにきたのに、自分は、なんて無力なんだろう。
アンリの胸に、暗くて重たい虚ろな感情が満ちた。母が死んだときとよく似た、絶望。
それでも、とアンリはあがいた。少しでも宝石へ近寄ろうと、這いつくばってでも、動こうとして。
遠くから規則正しい、だけど荒っぽい足音が聞こえる。誰かがこちらへ走ってきているようだった。
ベレットがアンリを離して立ち上がる。ステッキに仕込んだ剣を抜き、構えた。
扉から躍り出たのは、レオナードだった。式典用に着込んでいたらしい礼服はすっかり乱れ、整えられた髪の毛もぐちゃぐちゃになっている。
だけど誰より恋しく思った、その人だった。
都合のいい幻覚を見ているようで、アンリは茫然と、その姿を見る。
「ベレット侯爵。そこをどいてくれ」
「おや、殿下。驚かれないのですね」
落ち着き払ったベレットの声に、レオナードは「そうだ」と荒っぽい口調で答える。
「それよりも、ずっと大切なことがある」
レオナードは、躊躇わずに部屋へと押し入った。使用人たちがレオナードの前へ立ちふさがるが、彼は旋風で彼らをなぎ倒す。
ベレットは、剣を構えなおした。
「息子との団らんを邪魔されては、私も腹の虫がおさまりません」
アンリは、うまく息を吐けなかった。レオナードは驚いたように目を見開き「息子」と呟いている。
「そうです」
ベレットは目を細め、その剣に炎をまとわせた。
「あなたのおじいさまがいたぶった女性と、私の間に生まれた子です」
そして、剣が振りかざされた。丸腰のレオナードは、その凶刃を避けるので精一杯だ。狭い室内で人を避けながら逃げ回るレオナードに、使用人たちの身体に剣が当たるのも構わず攻撃するベレット。
炎と風で牽制するのが精いっぱいのレオナードに、ベレットがうつろな笑い声をあげる。
「は……! あの男の孫が、こんなに弱いとは」
次第に、その声色は、興奮でどんどん高くなる。
「貴様はあの男によく似ている。その紫の瞳と金髪が、どれほど憎かったか……!」
レオナードが息をのむ気配がした。その動きが少しだけにぶり、その隙を見てベレットがさらに猛攻を仕掛ける。
アンリは床に這いつくばりながら、拳を握りしめた。
ベレットは我を失っている。レオナードは劣勢だが、なんとか持ちこたえてくれるだろうと、アンリは信じていた。アンリは信じてばかりだ。だけどそれは、愚かだからではない。
アンリが認めた人は、好きになった人は、そんなやわではないからだ。
だからやるなら、今しかない。
必死に這いつくばって、腕を伸ばす。渾身の力を込めて、サファイアを目指した。転がっている物言わぬ身体を踏み越えて、時に蹴飛ばして、口の中で「ごめんなさい」と呟く。
そしてやっと、そこへと辿りついた。ランプの明かりを反射するそれに、やっと手がかかった。
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