重たい男
ジョンは、よくやってくれた。
もつれそうな脚を動かして、アンリを地下へと運ぶ。しかし追っ手の攻撃が、ジョンへ当たり始めていた。
「お前、先に行け」
ジョンは怒鳴って、アンリを乱暴に降ろした。途端にアンリは石床の上に崩れ落ちて、潰れたカエルのような声を上げる。
アンリはなんとか立ち上がり、「きみはどうするんだ」と尋ねた。
ナイフを鞘から抜いたジョンは、振り返りもせず叫ぶ。からからに掠れていて、喉を張り裂くばかりの声だった。
「足手まといなんだよ!」
アンリは唇を噛んだ。だけど、という反駁が喉元へ込み上げる。彼をここまで連れてきたのは、アンリだ。
だけど。ここに残ることを決めたのは、ジョン自身だ。
アンリは反駁を飲み下し、ふらふらと立ち上がる。
「分かった……!」
アンリは必死に力を振り絞り、走り出した。ジョンはその足音を聞きながら、ナイフを構え直す。
「俺って、本当に馬鹿な奴だな」
ジョンにとって、アンリは嫉妬の対象だった。弱くて無能なのに、ベレットから強い愛情を注がれている、特別な存在。ジョンはといえば、みなしごだったのを拾われて、強くならなければ屋敷へ置いてもらえなかったというのに。
ずっと、ベレットは絶対的な存在だった。彼に従っていれば、あたたかな食事と寝床があった。褒めてもらえた。崇高な使命への協力を求められて、自分はすごい存在なのだと思えた。
だからあの時、ベレットに殺されかけて、ジョンの世界はあっという間に崩れた。
アンリへこの話を持ち掛けたのも、最初は嫉妬だったのだ。ベレットがアンリへ持たせようとしている栄光とやらを、壊してやろうと思っていただけだ。自分の後先なんか、どうでもよかった。
だけどよりにもよって、アンリは、無条件にジョンを信じた。
そしてその信頼が、どうも自分は、喉から手が出るほどほしかったらしい。
襲いかかる攻撃をいなし、潰し、追っ手を阻む。断末魔のような声を上げながら、アンリを追う足元に縋りついて引き倒した。
腕が痛む。まだ完全には治っていなかったから、また変な折れ方をしたかもしれない。
(馬鹿だな、俺)
惚れているわけではない。ジョンは女の子が好きだ。アンリとキスやそれ以上のことをするだなんて、考えるだけで吐き気がする。
だからなおの事、自分が馬鹿に見えた。
(あいつのことなんて、嫌いなのに)
きっとアンリも、自分のことが嫌いだろう。
でも、と、頭の片隅でもしもを考えてみる。
もしも最初から、変に見下したり、馬鹿にしなければ、最初からアンリは親しく接してくれたのだろうか。
そうしたら友達とか、まともで、あたたかい関係になれたのだろうか。
誰かが放った拳が、ジョンのこめかみへと当たる。くらりと世界が揺れて、たたらを踏んだジョンの身体へ、次々と重みが加わった。
床へ倒れ伏したジョンは拘束され、かすむ視界で走り去っていく追っ手を見た。
「まっ、て、くれ……」
必死に這いつくばるジョンの耳に、振動が伝わる。それは一人分の足音だった。
途端に、自分へのしかかっている人々の動揺を感じた。
(走っている。体格のいい、男。仕立てのいい革靴を履いている)
ジョンの胸の中で、心臓が強く脈打った。
何か、決定的なことが起ころうとしている予感がした。
「殿下。なぜこちらに?」
「泥棒猫の顔を見にきた」
底冷えのする声が聞こえて、ふっと重圧が消える。そして首根っこを掴まれて、ジョンはその輝かんばかりのかんばせと対面した。
紫の瞳が、きんいろの前髪の奥で、不穏に光っている。それを惚けたまま眺めていると、それは不快そうにすがめられた。
「お前、アンリをどこへやった。どうしてここに来た。アンリは俺へ会いにきたんじゃないのか」
「は? 何言って……」
「アンリが俺を殺しにきてくれたんじゃないかって、期待したんだぞ。そしたらあの子の弱みを握って、一生側に置けたのに」
「は……?」
見たところ、まだ幼さの残る顔立ちをしている。その幼気とすら言える唇から、次々と不穏な言葉が紡がれて、ジョンの背筋に冷たいものが走った。
「い、いや。アンリはあっちに……」
ジョンが奥を指さすと、レオナードはそちらを向いた。あの、と、ジョンは彼へ恐る恐る声をかける。
「俺、あんたらの事情は知らないけど。たぶん、アンリは、あんたのことを助けにきたんじゃないかと、思う」
怪訝な顔をしたレオナードに、ジョンはこれまでのことを話した。
ベレット侯爵のたくらみ。アンリのしようとしていること。
アンリの出自については、話すか迷って、胸の内へ留めておいた。こういうのは、本人が話すべきことだ。
すべてを聞いて、レオナードが「そうか」と呟く。その声色が随分と、じっとり濡れた喜びを孕んでいたので、ジョンは悪寒を覚えた。
そもそも、ベレット侯爵家は、それなりに王家と関係の深い臣下のはずだ。その裏切りを知って平然とできる神経がまず、凡人のジョンには分からない。ましてや、喜ぶだなんて。
「……ていうか、あんた、こんなところにいていい人間なわけ」
「よくない。俺もアンリを追って逃げるか」
滅茶苦茶なことを言いながら、王子様は立ち上がった。その姿はよく見ると、埃や泥で汚れてしまっている。
なんだか立派な礼装を着ているが、そんなことはどうでもいいらしい。
殿下、とみんな慌てているが、そんなことは意にも介さず彼は走り出した。
「殿下ーッ!」
「バカ弟! 止まりなさい!」
背後から二人組の怒声が聞こえてくるが、そんなことはお構いなしにレオナードは突き進む。
ジョンは身の置き所がなくて、ただひたすらに小さくなっていた。レオナードは迷いなく走り続けているが、あてはあるのだろうか。
彼の後ろ姿がどんどん加速していく。アンリはいろんな意味で重たい男に、かなりの勢いで惚れられているらしい。
(あいつ、なんかしたんだろうな。かわいそうに)
ジョンは生まれてはじめて、アンリへ同情した。
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