「あった」
「お前たち、止まれ!」
背後から怒声が聞こえる。時間がない、とアンリとジョンは走り出した。
追っ手を掻い潜りながら、ホールの天井や床、壁を探る。突き出される拳を避け、視線を巡らせ、異変を探した。
「ない!」
アンリは焦りに呻きながら、あちこちを駆けずり回った。ジョンは床に這いつくばるアンリを庇いながら、「しっかりしてくれ」と怒鳴る。
片腕を満足に動かせないながらも、彼は善戦してくれている。あとはアンリが、魔法陣を見つけるだけなのに。
「ごめん」
アンリはジョンへ伸びる警備員の腕をはたき落して足を払いつつ、さらに建物の奥へと向かった。ジョンも並走する。
「なんで奥へ行くんだ?」
「ここで魔法陣が見つからなかったから!」
半ばやけくそになっているのを見抜いたのか、ジョンは困り果てた声で「本当に頼むぞ」とぼやいている。
「お前、魔術に詳しいんだろ。なんか専門知識とか、そういうのでパーッと見つけられないのか!」
「理屈は省くけど、どこにあるかも分からない魔法陣の発見は、かなりの量の魔力がないと無理……」
魔法陣を発見するためには、魔力を注いで陣を励起状態にする必要がある。
簡単に言えば、あちこちへ魔力をばらまく必要があるのだ。当然ながら、アンリにそんな魔力はない。
「お前に期待した俺が馬鹿だった!」
罵りつつも、ジョンは追っ手を迎撃してくれている。こうなったら、とアンリは顔を上げる。
「作戦変更だ。ジョン、十分だけ時間を稼いでほしい」
「は? お前って石粉からパンを作れって言うタイプ?」
皮肉な口調で言いつつ、ジョンがアンリたちへ向けられる火球をはたき落した。
アンリは曲がり角へジョンを引き込み、ほんの一瞬の余裕を稼ぐ。懐から、ベレットに贈られたナイフを取り出した。
それを、ジョンの掌へと置く。
「はい。これ。発動させるには『マグノリア』って言って」
ジョンは、ありとあらゆる罵倒を我慢した顔をした。そのまま角から現れた追っ手を殴り飛ばし、濁った怒声で「マグノリア」と叫ぶ。
それなりに渡り合えているようで、相手方が応援を呼ぶ声がした。
あとはジョンが、持ちこたえてくれることを信じるだけだ。アンリは右耳のピアスを外し、ためらいのない手つきで床を強く擦った。白銀が、石を引っかいて嫌な音を立てる。
これではピアスは台無しになってしまう。それでも、今、ここに魔法陣を書くのだ。
魔力の通っていない、未作動の魔法陣を目視確認で見つけられなければ、アンリにそれ以上のことはほぼ不可能だ。だけど魔法陣の動力源となる、魔力の塊の発見であればまだ、可能性はある。
それにベレットの言動から察するに、爆破作戦は大規模なものだ。であれば、用意されている魔力の量も、それなりのものだろう。
「あーあ」
アンリの目から、涙があふれる。
母の形見の大切なピアスは、石の床と擦れて、どんどん傷ついて削れていく。
渾身の力で、尖った装飾の先端を押し付けて、円を描いて。
やわらかい宝石は、石床と擦れて白いすり傷がついた。このピアスはもう、宝飾品としての価値を失ったのだろう。
だけど、アンリはやってやるのだ。ここで止まるわけにはいかない。
三分で、アンリは全てを書ききった。持っていた予備のナイフで掌を切り、床へ血を落とす。少ない魔力でも、こうすれば多少はマシだろうから。
ふ、と息を吸い込み、吐いた。
「接続……命脈励起。根源に至り、エーテルへと辿りつかん。回路解放」
アンリの掌の傷が、じわりと熱くなる。魔力を吸われる感覚に眩暈を覚えながら、アンリは呪文を唱えた。
ベレットは、アンリの理論を応用したと言っていた。ならば魔法陣に使う魔力はきっと、エーテルか――すぐにエーテルへ変換できる形式で、貯蔵されている。
「……我が血と魂を
ふ、ふ、と呼吸が荒くなる。瞳孔が開き、焦点がおぼつかなくなっていく。アンリの身体から熱が失われ、しかし、意志は決して衰えない。
わずかな手がかりを探り、その場所を探す。細い糸を辿るように、アンリは魔力の痕跡を辿った。
それは、講堂の入り口から運び込まれたようだった。舞台裏へと移り、倉庫へ搬入された。その後、講堂の地下にある舞台装置の近くに安置されている。
そして爆発的に、魔力が増えた。あふれんばかりの力を、そこに感じた。
「あった」
アンリの鼻から、とろりと赤い血が流れる。それを掌で拭い、「あった!」とアンリは叫んだ。
震える脚を叱咤して立ち上がりつつ、「ジョン」と相棒を呼ぶ。
「魔力源を見つけた。地下に行くぞ!」
「このわがまま坊ちゃんが……ッ」
ジョンは苦々しく呟きながら、アンリを担いで走り出した。アンリは最後の力を振り絞って、最も近い追っ手へナイフを投げる。それは相手の肩口をわずかにかすめただけだった。
「無理すんな」
ジョンはそう言うが、彼も病み上がりだ。
それでも、二人は止まれない。アンリとジョンはもつれるように、地下へと飛び込んだ。
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