侵入・再会

 アンリはジョンを先導し、迷いのない足取りで講堂へ向かった。


 人通りの少ない通路をたどり、森を通れば、石造の大きな建物へとたどりつく。


「ここだ」


 アンリは入り口を示す。そこには警備員が立っており、簡単には入れそうにない。

 もう少し整った身なりであれば使用人とでもごまかせたかもしれないが、今の二人は泥や埃で薄汚れている。


「強行突破するか?」


 尋ねるジョンに、アンリは唇を噛んだ。それしかない。


「ああ。ジョン、援護を……」


 そのとき、背後で落ち葉を踏む音が聞こえた。

 二人が振り返ると、そこには呆然とした面持ちのレオナードが立っていた。

 アンリは、思わず息を呑む。快活な印象はそれほどなく、ただ疲れた表情ばかりが目に焼き付いた。


「レオナード殿下!」


 ついで、中年の男と、学園の制服を着た女子が走ってくる。

 レオナードの紫色の瞳は、ひたすらにアンリを捉えていた。


(どうしてここに)


 動揺で、鼓動が一気に速くなる。レオナードが「アンリ」と呟く。その目に強い光が奔り、アンリの背筋に、ぞくりと得体の知れない興奮が走った。


「一旦逃げるぞ」


 ジョンが無事な腕で、アンリの手を引く。そこでやっと我に返ったアンリは、頷いて彼へ続こうとした。


「誰だ、その男は」


 レオナードが、不機嫌な声とともに指を鳴らす。途端に炎の渦が巻き起こり、ジョンを襲った。


「ジョン!」


 アンリは慌ててジョンの上に覆い被さり、庇う。そこでやっと侍従らしき二人が追いついた。女子が「おやめください」とレオナードを止める。中年の男がアンリたちの前に立ちはだかり、あっという間に二人を拘束した。


「不審者として通報します」

「アンリは残せ。もう一人はどうでもいい」

「殿下。二人ともです」

「アンリは残せ」


 侍従たちとレオナードの会話に、アンリは眉をひそめた。はたして、レオナードは、こんな人だっただろうか。


「あの、殿下」


 口を開いた瞬間、男がアンリを無理やり跪かせる。頭を無理やり地面へつけられ、くらりと世界が揺れた。レオナードが怒鳴る。


「酷いことをするな!」

「殿下、どうかご理解ください。彼らは侵入者なのですよ」


 大変なことになってしまった。

 アンリが途方に暮れていると、再び足音がした。


「おや、皆様。どうかされたのですか」


 ベレットの声だ。焦りや緊張や怒りを通り越して、アンリの頭は真っ白になる。


「なんでもない。ベレット侯爵の気にすることではない」

「いえいえ、王族の身辺を守るのも臣下のつとめ。その不審者の処理は、私にお任せください」


 どうしよう。パニックになるアンリをよそに、侍従の男は「それでは」と、ベレットの護衛たちを見やる。


「彼らの処分はお任せします」


 護衛たちが、アンリを取り囲む。だめだ、とカラカラの思考で思った。

 この後、アンリが殺されることもないだろう。だけど、ジョンは違うのだろう。

 ジョンは、きっと命懸けでこの作戦にのってくれている。


 アンリはもがいた。アンリへのしかかる力はどんどん強くなり、身動きが取れなくなっていく。


「こ、の……!」


 それでも。アンリは最後の足掻きとばかりに、目の前の腕に噛みついた。途端に、頭に強い衝撃を感じた。地面に叩きつけられ、小石で額を切ったのかじんじん痛む。

 その瞬間だ。轟音を立てて火柱が噴き上がり、アンリたちを押さえつけていた力が弱まる。


「アンリから離れろ」


 次いで、強風が吹き荒れる。それは鎌が草を刈るように護衛たちを吹き飛ばし、アンリの背中に、あたたかいものが触れた。

 アンリ以外の誰も彼もが倒れ、動けないらしい。ベレットですら例外ではなかった。

 講堂の中にいた人々も、何事かと集まってくる。この異様な雰囲気に、誰もが圧倒されていた。

 恐る恐る、アンリは顔を上げた。今にも泣き出しそうな顔のレオナードが、そこにいた。


「アンリ」


 震える声で、倒れる人々の真ん中で、レオナードが言った。彼はアンリの背中を撫でさすり、「怪我はないか」といたわる。

 やっとの思いで身体を起こしたアンリの頬を、彼の指が撫でた。

 はやく、この手を振り解かなければ。そう思うのに、レオナードの紫の瞳から逃れられない。

 捕食者を前にして、被捕食者は無力なのだと、アンリは呆然と思った。


「会いたかった」


 傷ついて、疲れ切った瞳でレオナードは言う。アンリは戸惑いつつ、じりじりと後ずさった。


「逃げるな」


 その割に、彼がアンリの身体を捕まえることはない。

 アンリが自らの前から逃げないことを、試している。アンリはそう直感した。

 あんなに自信に満ちあふれていた人が、こんな風に人を試すほど、弱るだなんて。

 アンリの唇が震える。歓喜とよく似た後悔が、その胸を震わせた。


「レオナード殿下。僕も、会いたかった」


 本音をこぼせば、彼の目が見開かれる。やっともとの輝きを取り戻しかけた瞳に、アンリは頷いた。

 アンリは、レオナードのことが好きだ。会いたかった。無事でいてほしい。

 だから尚更、彼を死なせるわけには、いかなかった。


「僕、行きますね」


 立ち上がり、その勢いで駆け出す。ジョンを拾い上げ、やっとの思いで担いだ。


「アンリ……!」


 悲痛な叫び声に、しかしアンリは振り返らなかった。人ごみを掻き分け、講堂へと侵入する。


「お前、イカれてる……」


 呆れた声で言うジョンに、「ありがとう」と皮肉で返した。


「で、魔法陣を探すのか?」

「それもそうだけど、もう一つあるよ」


 アンリはジョンをおろす。怪訝な顔をするジョンに、アンリは言った。


「魔法陣は、魔力なしでは動かない。したがって、僕たちがこれからとる行動は二つ」


 指を二本立てたアンリに、察したジョンは「先に言え」と苦く笑った。


「まず、魔法陣を探して、作動しないように壊す。それがだめだったときは、動力源を探して、壊す」

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