魔法大会
魔法大会は、学校の集会場で開かれている。
見た目は重苦しい石造りの建築物だが、中に入るとドーム天井が高くて息苦しさを感じさせない。
建物の奥に大きなステージがあり、その正面には観客席が設けられている。学年末のダンスパーティーではこの観客席が撤去され、大きなダンスホールになるらしい。
学園祭のために飾り付けられた会場へと入ると、既に生徒たちによる発表が行われていた。ちょうどステージに立っている生徒たちは魔術研究会に所属しているらしく、実演というより研究発表に近い発表を行っていた。
「すごい」
アンリは目を輝かせ、息をのんでそれを見つめる。レオナードはつまらなさそうに壇上を一瞥した後、アンリの横顔を見つめる。
それに気づきもせず、アンリはずっと壇上を見つめた。発表を終えて舞台袖へとはけていく生徒たちを見送っていると、ふと来賓席が用意されていることに気づく。どこかレオナードの面影のある男性が座っていた。隣には、豪奢に着飾った女性もいる。
(あれは、もしかしなくても)
アンリがぼんやり彼らを見つめていると、「アンリ」とレオナードが呼ぶ。
「そんなに面白いのか」
「いや、面白いというか」
するり、とアンリの肘の辺りにレオナードの手が伸びる。薄い皮膚に指の感触があって、思わずびくりと身体が震えた。身体的な接触には、きっといつまでたっても慣れない予感がする。
「俺には、さっきの発表がよく分からなかった。解説してくれ」
「それはもう、もちろんです」
アンリは嬉々として研究発表の解説をぺらぺらと喋る。気づけば次第に身振り手振りも大きくなっていった。レオナードはそれを、蕩けるような優しい瞳で見つめる。
「すごくはしゃいでる」
レオナードはそう言って、アンリの手を掴んだ。はっと我に返るアンリに、「次の組が始まるぞ」と彼はうっそり目を細めた。
「静かにしよう」
そしてレオナードはアンリの手を握って、自身の腿の上に置いた。アンリの身体がかっと熱くなり「すみません」と口走る。
「し、しずかにしなくちゃですよね」
手を引き抜こうとしても、彼の力が強くてどうにもならない。戸惑うアンリをよそに、次の団体が舞台へと上がった。
(集中なんて、できるわけない)
どこを触ってもレオナードの太腿だ。逃げるようにレオナードの手に触れると、そのまま指が絡められる。
さすがのアンリも気づいた。こんな距離感は、きっと健全じゃない。
「あの、殿下」
「うん」
気のない返事をするレオナードは、ますますアンリの手を握る力を強める。その手は熱くて、少しじっとりしていた。
(よく分からないけど、十六歳と十八歳って、こういうことをしてもいいのかな)
アンリが頭を悩ませていると、ふと視線を感じた。目だけを動かしてそちらを見やれば、来賓席の男女がこちらを見ている。
二人とも驚いたように目を丸くして、こちらを見つめていた。アンリの顔がさっと青ざめる。
「レオナード殿下、見られています」
「見せつけてやれ」
「あなたのご両親ですよね、あそこのご夫婦は」
「いいんだ。ここにいろ」
小声で言い争いながら、ちらちらと来賓席を見る。
国王は側仕えを呼び寄せ、何か言っている。女性は、こちらを一直線に見つめていた。何も「いい」要素はない。
「ダメです。僕、ここを出ます」
焦ってアンリが立ち上がろうとすると、レオナードが「待て」と手を引く。まるで馬の手綱のようにアンリの腕を引っ張って、「行くな」と強張った低い声で言った。
「ここにいろ。いい子だから」
それにアンリは、無性に腹が立った。
まるで動物への躾をするみたいな言い方で、聞き分けのない獣を手なずけるような仕草で、接しないでほしい。
「僕は犬や馬ではありません」
強引に、アンリは席を立とうとする。
そのときだ。視界の端に、金属のきらめきが映った。
(ナイフだ)
席の間を抜けて、男が歩いている。その懐へと隠されているが、わずかに刃の部分がのぞいていた。そしてその人影は、来賓席へと向かっていた。
反射で、アンリはレオナードの手を強引に振り払った。振り向きもせずに観客席を走り、ざわめきも気にせずに彼を追う。
(間に合ってくれ……!)
久しぶりの全力疾走でも、身体はついてくる。アンリを注意する教師の声が飛んできたが、なぜか耳に入らなかった。
アンリは暗殺者だ。王族を殺すために拾われて育てられた。
だけど人を殺したいなんて思ってないし、人が目の前で死ぬところなんて見たくない。
それにあの人たちはきっと、レオナードの大事な人だ。
護衛たちが動くのが見える。アンリに気づくことくらい、本職の騎士たちが気づかないわけがない。
だけどアンリの身体は動いてしまった。どうしてか、レオナードのことが頭に浮かんでいた。
(ああ、そっか。自分の力で、彼を守りたいのか)
ふっと、アンリの胸の中に、なにかがぴたりと嵌まった。なんて無駄なことだろう。彼はアンリなんかが守る必要なんてない。
(僕は、彼が大事なのかも)
ナイフを持った男がとうとう刃を抜く。そこへ込められた魔力に、ぞわり、とアンリの皮膚が粟立った。
それは大規模な攻撃魔法を、たった一言で起動させる武器だ。
騎士たちもそれに気づき、咄嗟に防御陣を張る。だけどそれでは、守られるのは国王夫妻だけだ。
ここにいる観客たちや、――レオナードは、無事でいられるのだろうか。
「この……!」
アンリは強く床を蹴り、男の前へと躍り出た。彼の前でナイフを抜き、構える。
集会場の中は、アンリの持つ刃物にハチの巣をつついたような大騒ぎになった。男はアンリが一歩踏み込むよりはやく、何事かを唱える。
魔力の流れが、ずっとずっと遅く感じた。火属性の魔力が解放され、風属性によって煽りを受けて広がる。爆発させる魔法だ、とアンリは悟った。
それから、これまでを全部台無しにしてでも、アンリはレオナードを守りたかった。
ナイフを握り、防御魔法発動のための言葉を口にする。
「マグノリア」
アンリの持つナイフから、まばゆい光が放たれる。それは男の持つナイフから魔力を奪い、まばゆい光へと変えていった。会場に白い風が吹き荒れ、アンリは半ば茫然としながら、観客席を振り返る。
「……もっと、かっこいい言葉にしておけばよかったかな」
ぽつりと呟く。逃げ惑う人々の中に、レオナードの姿は、見つけられなかった。
最後に、ひとめくらい姿を見ておきたかったのに。
「さようなら」
アンリはもう、ここにはいられない。どうせだったら、全部終わらせてしまおう。ここで近衛騎士たちに捕まって、全部自白しよう。それで侯爵の陰謀も全部、洗いざらい話して、レオナードの人生から消えよう。
それがアンリにできる、レオナードへの精一杯だと思うから。
アンリはナイフを捨て、近衛騎士に向かって手を挙げる。戸惑う騎士たちが、アンリへと歩み寄ろうとしたときだ。
「間抜けなウスノロ。何を勝手にやってる」
アンリの下腹部に、衝撃が加わった。
同じくベレット侯爵家の暗殺者である、伝令の者だ。アンリを抱えて逃げながら、転移魔法の魔法陣を広げる。
「やらかしてくれたな」
苦々しい声色の彼に、「僕なりに一矢報いただけだ」と呟く。
そうして大混乱のさ中に、アンリはレオナードの前から姿を消した。
「アンリ!」
遠くから、彼の悲痛な叫びが聞こえた気がする。振り返ろうとしながらも、アンリはまぶたの重みに耐えきれず、目を閉じた。
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