学園祭

 こうして練習の日々は過ぎ、とうとう学園祭当日がやってきた。

 アンリはいつものように起き出して、身支度を整える。同じクラスの生徒たちは朝早くに集まっているようだが、アンリに関係のあることではない。

 そしてレオナードにも関係のあることではないらしく、彼はアンリより先に図書室の中にいた。


「おはようございます」

「ああ。おはよう」


 レオナードはにやりと笑う。どうやら、かなり機嫌がいいらしい。


「何かいいことでもあったんですか?」

「お前が、朝いちばんに俺のところへ来た」

「またまた」


 わはは、とアンリが笑ってみせれば、レオナードは妙にじっとりとした目つきで微笑む。その目がなんだか怖くて、もっと見ていたいようで、アンリはどぎまぎと目を逸らした。


「……そのぅ、魔術大会の、僕たちの出番は」

「日没後だ。だから、それまでは二人で回ろう」


 それは果たして、許されることなのだろうか。アンリが目を瞬かせていると、レオナードが手を引く。


「俺が、アンリと回りたいんだ。文句でもあるのか」

「僕はない、ですけど」


 口ごもるアンリに構わず、レオナードはぐいぐいと手首を引っ張って外へ出る。


「お、おつきの人、とかはいないんですか? こんな人ごみです、あなたに何かあったら」

「どうせ遠目で見ているんだ、気にするな」


 ええー、とアンリは間抜けな声を漏らす。レオナードは愉快だと言わんばかりに目を細め、「楽しみにしていたんだ」と笑う。


「行くぞ」


 そう言われて、アンリは反論のために言葉を用意するのを諦めた。

 レオナードがアンリの手首を引っ張っていた手はするりと下へ滑って、アンリの指にレオナードの指が絡む。


「はぐれるといけない」


 彼が言うと、不思議と言い訳に聞こえなかった。それくらい堂々と話している彼の頬が赤らんでいるのを見て、アンリは思わずへらりと口元をゆるめる。


「なんですか。そんなかわいいことをして」

「は、は?」


 レオナードはあっけにとられた顔をした後、悔しそうに顔を歪める。アンリが失言を悟る前に、彼は自らのスラックスのポケットにつないだ手を突っ込んだ。


「行くぞ」


 距離が急に近づいたようで、アンリは「わ」と驚きの声を上げる。レオナードはそれを放って、ずんずんと歩みを進めていった。


 学園祭は、楽しかった。各クラスやクラブの出し物や、屋台、同好の士による演劇。アンリが思わず、自分の立場も忘れて楽しんでしまうくらい。

 二人は、昼食を食べるのも忘れて遊び惚けた。

 やがて太陽が少し傾きはじめ、やっとアンリは空腹に気づく。レオナードに引かれるままだった手を握り直し、引っ張った。


「ご飯を食べましょう。そういえば、何も食べていません」


 手を引っ張られたレオナードはぱっと顔を上げ、ぎこちなく頷いた。心なしか、その頬は赤い。


「じゃあ、あそこのサンドイッチを――」


 二人で買い食いをして、腹を満たす。こんなこと生まれて初めてなのに、隣にいるのは暗殺対象で、この国の王子で、それから。


「アンリ、口の端についてる」


 レオナードが、指の背でアンリの唇の端を拭う。思わず固まるアンリに、レオナードが心底おかしそうに笑った。


(こんな時間が、ずっと続けばいいのに)


 アンリは惚けたように、その笑顔を見つめていた。食事を終えて、また二人で歩き出す。今度は手を繋がなかった。

 手がもの寂しくて、アンリは指と指を絡ませる。


「……魔術大会の会場に、もう向かっておきますか」

「はやすぎないか?」


 アンリは首を横に振る。人混みの中を二人で歩くのも悪くなかった。楽しかった。

 だけどずっと、アンリは視線を受けていた。それがどうにも居心地悪くて、へらりと微笑む。


「座ってのんびりしたいし、他の発表も見たいんです」


 レオナードは「でも」と食い下がり、未練ありげにアンリを見つめた。


「まだ回ってないところもある」

「来年があるじゃないですか」


 そうか、とレオナードは頷いた。心なしか、彼の周りの温度が下がった気がする。

 アンリはぎこちなく頷き、視線を逸らす。


「来年が、ありますよ」


 うん、とアンリは頷いて、真っ先に会場へ向かって歩き出した。レオナードの物言いたげな重たい視線は、見ないふりをする。


(なんだか最近、レオナード殿下の様子がおかしい)


 アンリは、ちらりとレオナードを見上げた。ぱちり、と視線が合う。彼は難しい顔をして眉間に皺を寄せ、アンリを見つめていた。


「な、にか、ありましたか」


 どもりながら尋ねると、「いや」とレオナードは首を横に振る。


「……行くぞ」


 彼はぶっきらぼうに言って、アンリの手首を掴んだ。どうやらアンリはレオナードの機嫌を損ねたらしいが、レオナードはまだアンリと一緒に行動するつもりらしい。

 腹の底に、レオナードのくれたものが積もっていく。じんわりと身体が温まって、同じくらい、胸の中ががらんどうになったように切ない。


「はい」


 それでもせめて、彼と手を繋いでいたかった。アンリが手首を握る手に指で触れると、逃げたがっていると勘違いしたのか、さらに力が強くなる。


「逃げませんよ」


 アンリが言っても、レオナードは聞かなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る