特訓開始

 アンリとレオナードの、練習の日々が始まった。いつも通り旧図書室に集まり、昨日の魔法陣を再び広げる。


「き、昨日は、魔法陣について詳細に言えなかったので、説明します」


 微妙にどもりながらアンリが言う。レオナードは大人しく頷き、魔法陣を見下ろした。


「外の円が魔力感知で、内側に進むほどエーテルへの変換が進むんだったか」

「はい、そうです」


 アンリは頷き、掌をぺたんと紙へとつけた。すう、と息を吸い込み、目を閉じる。


「水よ。我が手に満ちて、大地を潤せ」


 短い詠唱の後、紙がびっしょりと濡れていく。くらりと世界が眩むのをこらえて、アンリは魔法陣を指さした。


「今、円の外周に水を使って変化を与えました。見ていてください」


 水を吸い込んで、魔法陣がほのかに光る。みるみるうちに水の染みが消えていった。おお、とレオナードが感嘆の声を上げる。


「すごいじゃないか」

「はい」


 アンリは得意げに床に座り込み、「ただ、問題があって」と顔を曇らせる。レオナードは「なんだ」と、しゃがみこんで視線を合わせた。


「……地味なんです」


 声を絞り出すアンリに、レオナードが重々しく頷いた。


「……そう、だな」


 アンリは床に行儀悪くあぐらをかき、肘を膝についた。そうなんですよね~、と間の抜けた声を出す。


「で、ちょっと考えたんです。派手に見せる方法」


 砕けた口調のアンリに、レオナードが目を瞬かせた。アンリはおずおずと、彼に問いかける。


「殿下は、僕と手を繋ぐの、嫌ですか」

「イッ、や、嫌ではない」


 裏返った声を出すレオナードの返事を「そうですか」と聞き流し、アンリは魔法陣を指さした。


「殿下の出した炎を、僕が直接エーテルに変換して白い光に変えたら、すごく見栄えがいいと思うんですよね。だけど僕が火元素を直接操作するのは難しいし、殿下の身体を触媒として使いたいんです」

「触媒」

「手を繋いで、直接殿下と僕にパスを結ぶんです。そうすれば、僕にも火元素の操作がある程度はできます」

「繋ぐ」


 鸚鵡返しをするだけのレオナードを前に、アンリの頭に「不敬罪」の単語はなかった。


「ということで、僕に殿下の身体を貸してください」

「へ、へ~……」


 レオナードの顔が赤く染まり、唇がくにゃりと歪んでいる。あれ、とアンリは、今に至ってようやく顔を上げた。


「すみません。嫌でしたか」

「嫌じゃない。全然嫌ではない」


 食い気味にレオナードが応える。よかった~、とアンリは呑気に喜んだ。これで、アンリの中では万事解決である。


「じゃあ、まずパスを結ぶ練習から始めましょう」


 よいしょ、とアンリは立ち上がった。そのまま濡れた手をハンカチで拭き、「はい」と無造作にレオナードへと差し出す。その男にしては小さな掌を、レオナードはじっと見つめていた。


「繋ぎましょうよ」


 早く自分の考えた魔術理論を実証したいアンリは、そんなことお構いなしに急かす。レオナードはアンリの掌と顔に何度か視線を往復させた後、ゆっくりと彼の手を握った。


「行きますよ」


 アンリは目を瞑り、レオナードの魔力の流れを辿る。じっとりと二人の掌が、どちらのものともしれない汗で濡れていった。


「適当に、何か燃やしてください」

「さっきから雑すぎないか?」

「いいですから。人差し指の先に、ろうそくの火くらいの大きさでいいので灯して」

「うん……」


 若干釈然としないレオナードだが、言われるがままに左手へ魔力を通す。すぐに小さな火が灯り、アンリはその熱に意識を集中させた。


 もちろん屋内で火遊びをすることは大変危険な行為であり、二人を監視しているレオナードの従者は、今すぐこの部屋に飛び込むべきか判断を迷っていた。


「……接続」


 アンリがぽつりと、小さく呟く。


「命脈励起。根源に至り、エーテルへと辿りつかん。回路解放、検索開始」


 二人の掌の間に、熱が生じる。灼けるようなそれに、二人はお互いの手を握る力を強くした。


「探知完了。接続開始。我が生命の源を彼の者へ注ぎ、彼の者の根源を我へと注がん」


 アンリの額に汗が滲む。瞳孔は開き、唇にはうっすらと笑みを浮かべていた。

 楽しい、楽しい、楽しい! アンリが組み立てた理論通りに魔力が巡り、形になっていく。脳内に、暴力的なまでの喜びがあふれる。


「逆行開始」


 神経を突き刺すような痛みが、レオナードを襲った。同時にアンリも骨が痺れるような鈍痛を感じたが、二人はそれに構わず続ける。レオナードは痛みに顔を顰めながら、アンリの獰猛な顔を見つめていた。


(綺麗だ)


「つかまえた」


 アンリが、拙い口調で言う。そのまま、指が食い込むほど強く、レオナードの手を握り込んだ。


「炎よ、猛き熱よ。汝の力は我が掌中にあり、我が掌中は根源に繋がらん」


 声を低くして、歌うようにアンリは言った。レオナードの目が、アンリの顔へと釘付けになる。


 青い瞳の瞳孔は開ききり、牙を剥くように笑っていた。その頬は興奮で赤く染まり、額には汗が滲んでいる。レオナードより小さな手は、万力のような力でレオナードの手を握っていた。


(きれいだ)


「熱は光に、光は力に。有より出でて、無の胎内へと回帰せよ――!」


 アンリが詠唱を終える。その瞬間、レオナードの指を炎が掠める。

 途端に、それは白い光になって散っていった。白々と消えていく炎に、アンリの顔がぱっと明るくなる。


「できた」


 痺れる指を剥がすように離し、アンリは笑う。その笑みはいつもよりずっと険しく、愛嬌のかけらもない。ただ欲をむき出しにしたはしたなさと、獰猛さがあった。

 レオナードはその顔を見ると胸が高鳴って、目が離せない。


「できた、な」


 ふう、と額の汗を拭うアンリを、ぼんやりとレオナードは見つめる。アンリはしばらく掌をひらひらとさせて、「それで、本題なんですが」と切り出した。


「これを、人の身長くらい大きな火柱でやりたいんですよね。それくらい大きな炎であれば、遠くからも見えるでしょうし」

「え」


 レオナードの間抜けな返事に、アンリはにっこりと笑った。


「もちろん、練習しますから。これくらいのものをすぐにできたなら、僕たちはきっと筋がいいです」


 あんなに痛かったのに? レオナードの背中が、ぞわりと冷えた。


「どんどん効率を上げていきましょう。明日もやりましょうね、こういうのは慣れも大事なので」

「慣れ」

「接続すればするほど同調性が高まるので、やればやるほどいいです。たくさんしましょう」

「たくさん……」


 途方に暮れているレオナードに、理論の実証成功にはしゃぐアンリは気づかない。


「がんばりましょうね!」


 だけど好きな子にこう言われて、十六歳の男の子が、抵抗できるだろうか。


「…………そうだな!」


 レオナードは見栄を張りたかったので、抗えなかった。

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