将来の話とあなたの側

 季節は移り変わり、本格的な夏がやってきた。

 友人たちは自分たちの進路に向けて、懸命な努力をしている。三人で話す昼休みにも、二人は教科書を開いていた。


「僕は学校を卒業したら、銀行で働くんだ」

「私は実家の商家で、親の手伝いね」 


 堅実に将来へ向けて努力している二人を前に、意味もない焦りが募る。アンリは「そうなんだね」と、意味もなく何度も頷いた。


「もう将来が決まってるのに、勉強していて、えらいね」

「アンリは、将来どうするの?」

「実家を継ぐよ」


 表向きはこう言いつつも、そんな気はさらさらない。そもそも継ぐべき実家なんてものはない。

 アンリは、将来のことを、何も考えていなかった。


 うなだれながら、アンリは旧図書室の扉を開けた。先にやって来ていたレオナードは、読んでいた本を閉じる。


「何かあったのか?」


 アンリは腕組みをして、うんうん唸った。その様子を、レオナードはただ見守っている。


「……僕は、将来のことを、何も考えていないんだと思って。自分が少し、情けないんです」


 訥々と語るアンリに、レオナードは「そうか」と本を置く。アンリはもそもそと机に荷物を置き、レオナードと向かい合って席に座った。


「君は将来、どんな風に生きていきたいんだ?」


 アンリは思わず、まじまじとレオナードを見つめた。まさか、彼が自分に、そんなことを尋ねるなんて。


「……自由に、生きていきたいです」


 ぽつりと、本音をこぼす。レオナードは「自由か」と呟いて、両肘を机についた。


「魔術を仕事にしないのか?」

「そりゃあ、したいです。だから今のところ、将来の目標は魔術師とか、魔道具技師とか……」


 アンリがなんとかそう答えると、レオナードはきゅうと目を細めて笑った。


「いいな。俺も混ぜてくれ」


 その言葉に、アンリは面食らって目を丸くする。そわそわと胸が騒いだ。


「いい、ですよ」


 どうしたらいいのか分からなくなって、うつむく。顔が熱かった。どうせ自分の自意識過剰なのに、恥ずかしい。


「いいのか?」


 レオナードの声が低くひそめられ、アンリの耳をくすぐる。首筋を触られたあの日から、レオナードは少し様子がおかしかった。


「アンリ」


 彼に熱っぽく名前を呼ばれるたびに、頭がぼんやりして、胸がいっぱいになる。

 幼い子どもの口約束より軽い、こんな夢物語で、そんなに真剣な声を出さないでほしい。

 レオナードは、アンリに向かって手を伸ばす。頬を彼の指の腹がなぞり、その感触に、背筋から腰の辺りが痺れた。


「真っ赤になりやすいんだな」


 呟くレオナードに、また顔が熱くなる。なんとか焦りを誤魔化したくて、「母と一緒なんです」と口走っていた。


「彼女も、真っ赤になりやすくて。あと、身体もあまり強くなくて」


 焦って、関係ないことをべらべらと喋ってしまう。恥ずかしくて、ぎゅっと目を瞑った。


「僕とそっくりだったんですけど、身体の頑丈さだけは違ったみたいです。真冬はよく風邪を引くから、僕を湯たんぽにして寝ていました。僕は体温が高いから、ちょうどよかったみたいで」

「確かに、熱いな」


 からかうような言葉に、きゅうと喉の奥が狭くなる。


「僕を湯たんぽにしながら、昔の話を、よくしてくれました」


 こんな深いことまで、話すべきではない。だけど、アンリは止まれなかった。


「昔、高貴なお方にお仕えしていたらしくて、当時の話をよくしていました」

「ふうん」

「使用人棟の庭にマグノリアが咲いていて、綺麗だったとか。よく遊びにいらっしゃったお客様が、犬を連れてきていたから、一緒に遊んだとか……」


 どうか、この口を塞いでほしい。内心涙目のアンリを前に、レオナードが笑った。指がするりとアンリの頬を撫で、離れる。


「そうなんだな。きっと、ご母堂も楽しい思い出だったんだろう」

「はい……」


 なんとか、止まった。アンリはふうと息を吐く。彼はアンリをじっと見つめていた。その熱心な視線に、ふと動きを止める。


「何か?」


 アンリが尋ねると、彼は「いや」と首を横に振った。


「お前は俺の、二つ上なんだよなと思って」

「はは……」


 年の割に幼稚である自覚は、ある。目を逸らすアンリの横顔を、レオナードは熱心に見つめていた。


「そういえば、秋の学園祭の話をしたいんだが」

「なんですか? それ」


 きょとんと目を瞬かせるアンリに、レオナードは「知らないのか」と足を組んで、背もたれに身体を預ける。


「秋に開催される、生徒主体の催しだ」


 彼曰く、以下の通りのイベントである。


「事前に学校側へ申請し、各学生団体が出し物をする。演劇や合唱の発表をするクラスも多い。ここは王立学校なのもあって、王族が観覧するのが毎年のことだ。今年は、国王陛下もいらっしゃる予定だな」

「そうなんですね」


 アンリは頷く。そういえば、と手を叩いた。


「言われてみれば、たしかに、みんな放課後に集まっています」


 友人二人とも何も言わず、図書室へ向かっていたから、知らなかった。

 レオナードは「そうだろうな」と腕組みをして、にやりと笑った。アンリを試すような目で見て、意地悪く尋ねる。


「お前は、そちらに行かなくていいのか?」

「いいです。殿下と過ごす方が、ずっといい」


 その言葉に、レオナードの目が、一瞬揺れた。ふうん、と彼は鼻を鳴らし、笑みを引っ込めてそっぽを向く。

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