僕は絡まれていただけ

 アンリの学校生活は、アンリにとっては順調に進んでいた。

 侯爵家からは暗殺計画の進行をせっつかれていたが、適当にはぐらかしている。アンリはすっかり、外の生活を楽しんでいた。


「あの白髪頭、生意気だよな」

「最近ちょっと成績がよくなってきたからって」

「本当に身の程を知らない、図々しい奴だ」


 陰口を叩かれても、アンリは聞き流している。レオナードの指導のおかげもあり、成績はかなり上昇した。


「それでは本日の、魔術学の講義をはじめます」


 この授業では、アンリはいつも教壇のすぐ前に座っていた。教師はたびたびアンリ個人に質問を投げかけ、アンリはその全てに答える。

 その様子を、後ろの席の生徒たちは、概ね嘲笑まじりに見ていた。進路を選ぶ上で、ほとんど役に立たない選択授業を真面目に受講するアンリを、彼らは馬鹿にしている。

 そんなことはどうでもいいくらい、アンリは授業が楽しい。学ぶ楽しさに、毎日が天国みたいだとすら思う。


 授業後。アンリが教師とひとしきり雑談して教室を出ると、廊下で三人の男子生徒が待ち構えていた。


「おい、そこの平民」


 彼らはアンリよりも背が高く、逞しい身体つきをしていた。そびえ立つ彼らに、アンリは目を眇めて睨み上げる。


「なに?」


 彼らはいらだちで顔を歪めた。そのうちの一人がアンリの腕を掴み、「こっちへ来い」と引きずりはじめる。


 抵抗するのも面倒くさくて、アンリは彼らに連れられるまま歩いた。人気のない裏庭へ連れてこられて、建物の壁に向かって突き放される。彼らは壁を後ろにしたアンリを取り囲み、威圧的に見下ろした。


「お前、レオナード殿下には謝罪したのか」

「もう謝るべきことは謝ったけど?」


 ふー……と、一番背の高い男が深く息を吐いた。他の二人は呆れたように顔を見合わせ、首を横に振る。


「殿下のお時間を奪っているだろう。図々しい」

「まるで分かってないんだな。せめて謝れよ、貴重なお時間を奪いやがって」


 ごちゃごちゃごちゃごちゃ。彼らはまるで見当違いな怒りをアンリにぶつけてくる。アンリは、青い空を見上げた。この状況を言葉や行動でどうにかできるような処世術は、知らない。


「殿下の時間の使い方は、君たちが勝手に決めつけない方がいいよ」

「なんだと、この野郎」


 ヒートアップした男子たちの一人が、アンリの胸倉をつかむ。彼がそのまま上へと引っ張ると、アンリの踵は軽々と浮いた。

 どうしようかなあ。アンリがまた青い空を見上げていると、その生徒はぐらぐらとアンリをゆさぶる。


「オラ、なんとか言えよ腰抜け。脅されたら黙り込むのか? ひょろひょろなよなよしやがって」

「ひょろひょろなよなよしてなかったらいいの?」


 揚げ足をとろうとするアンリの言葉に、生徒たちは馬鹿にした笑いを浮かべる。けたけた笑う男子たちはアンリを見下ろし、胸倉を掴んでいた生徒がアンリを突き放した。

 その瞬間、アンリは身体をすばやく屈める。壁に身体が当たる前に踵を強く押しあて、彼らの足元の隙間に焦点を当てる。

 全身をバネにして壁を強く蹴りだし、身体を射出した。体勢を低くしたまま彼らの脚の間を抜け、走り出す。


「は」


 男子たちは皆、呆気にとられていた。それを意にも介さず、アンリは加速する。背後から怒声が追ってくるのに、薄っすら笑いが漏れた。

 ちょっとからかってやろうと少し減速すれば、みるみる彼らはアンリに追いつく。


「このヒョロガリ……!」


 激昂した彼らは、アンリに殴り掛かろうと拳を振りかぶる。それをひょいと避け、蹴りを入れようとする一人の膝を横に流して転がした。

 拳を振りかぶった生徒はむきになって突っ込んできたので、ぎりぎりで避けて、アンリの背後にあった木にぶつけてやる。

 たった一人残った、一番逞しい生徒は、転がった手下たちを前に真っ赤になって震えている。アンリは彼を見据え、にやりと笑った。


「ひょろひょろなよなよしてる奴にやられて、悔しいね」


 べ、と舌を出す。無言で殴り掛かってきた生徒の拳を受けようとした瞬間、鋭い声が凛と響いた。


「何をしている!」


 冷徹な目で、場を睥睨するレオナードが、木々の向こうに立っていた。彼は転がった生徒たちと、まだ立っているアンリたちへ視線を走らせる。


「で、殿下、これは」


 うろたえる生徒をよそに、レオナードはアンリたちに歩み寄ってきた。こいつ、おべっかを売っている相手に今から怒られるのか。かわいそうに。心にもないことをアンリは思った。


「こっちに来い」


 しかしレオナードは、アンリの腕を掴んだ。そのまま強く引かれ、アンリはたたらを踏む。


「はい?」


 アンリがきょとんとレオナードを見上げると、彼は冷えた瞳でアンリを見下ろした。いつもとまるで別人のような態度に、アンリは思わずたじろぐ。


「貴様を呼んでいる。来い」


 冷たい声で、レオナードはアンリを呼んだ。その姿が、放課後優しく話してくれる彼の姿と繋がらなくて、アンリは戸惑う。恐る恐る口を開いて、彼の様子を窺った。


「でも、僕……」

「言い訳は聞かん」

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