散々な学校生活だけど王子だけが優しい
翌朝。教室へ入ったアンリが真っ先に浴びたのは、クラスメイトたちからの冷たい視線だった。
(そりゃあそうだろう。みんなの人気者に、あんな態度を取ったんだから)
アンリは澄ました顔で席につく。周りの学生たちは声をひそめ、アンリに無遠慮な視線を突き刺した。
「あれがレオナード殿下に無礼を働いた……」
「殿下の誘いを『興味がない』って断ったらしいぞ」
「ふうん。礼儀知らずっていうか、常識がないんだな」
多少、噂に尾ひれがついているらしい。アンリは却って開き直って本を開いた。既に考えられないほど非常識なことを何回もしでかしているので、もう何も怖いものはない。
こうして、アンリの学校生活は始まった。
教師陣の、真面目に受講しているアンリに対するコメントは以下の通りである。
「歴史学の補修です。初等学校の生徒と同じくらいか、あちらの方がまだ物を知っています」
「礼儀作法が一通り見に着いているのは分かりましたが、まだ十分とは言えません」
「あまりにも古典作品への造詣が浅い。今までどんな教育を受けてきた?」
アンリは、とても凹んだ。周りにはより一層馬鹿にされるようになり、踏んだり蹴ったりだ。
対してレオナードは非常に成績優秀で、教師陣からも生徒たちからも称賛が絶えないらしい。噂に興味のないアンリにまで、彼の評判が聞こえてくる。
(これまで魔術以外のことを全然学んでこなかったんだから、できなくて当たり前だ)
それでも情けないし、悔しい。アンリは唇を噛んで、ページをめくった。
補習や再試験の山を乗り越えた後は、あの旧図書室で自習をするのが、アンリの日課になっている。他の生徒たちは新しく、設備の綺麗な新築の図書室の方に行っているらしい。こちらは人が来ず、邪魔も入らないので快適だ。
「やあ、アンリ。お邪魔するよ」
たった一人、なぜかやってくるレオナードを除いて。
アンリがちらりと彼を見上げると、彼はにこやかな表情で、アンリの向かい側に座った。
「今日は、何をやっているんだ?」
「歴史学の復習です」
ぼそぼそと答えるアンリに、レオナードは「そうなんだ」と自分の荷物を広げだした。どうやら、彼もここで自習するつもりらしい。
「安心して。彼らには、自室で自習するって行ってきたから。ここには来ないよ」
こういう気遣いのできるところで、人間としての格が違うと思い知らされる。アンリが「ありがとうございます」と小声で呟くと、レオナードは身体を前に乗り出した。
「分からないところがあったら、聞いて」
アンリは首を横に振り、悲痛な声で言った。
「全部、分からないので、聞きようもないです……」
自分の方が年上なのに。アンリは少し、情けない気持ちになった。アンリの様子にレオナードは苦笑して、「じゃあ、教科書の最初からやろうか」と自分の教科書を開く。
「まずは、建国の章からやっていこう」
そうして、レオナードの授業が始まった。彼の説明は分かりやすく、親切。ほぼ初学者のアンリでも、難なくついていくことができた。
建国から百年程度までの歴史を解説したところで、レオナードはぱたんと本を閉じる。あれ、とアンリが彼を見ると、「今日はここまで」と、彼は教科書をしまった。
「一度にたくさん詰め込んでも、忘れてしまうだろうから。明日、また教えるよ」
それで、と、彼は行儀悪く両肘をついて頬杖をついた。
「君の話が聞きたいな」
「僕ですか」
戸惑うアンリに、レオナードは微笑みかける。その笑みがあまりにもハンサムなので、アンリは少し見惚れてしまった。
「例えば、そのピアスとか」
レオナードが、アンリの耳たぶを指さす。ああ、と、アンリはピアスを押さえた。
「それ、女物だよね。デザインも、結構前の流行りじゃないかな」
「母のものだったので」
アンリはピアスを外し、掌に乗せた。銀色のチェーンで繋がった青い宝石が、連なって光る。
「何か物語がありそうだな、と思ったんだ」
そう言われると、アンリにとって何の変哲もないピアスでも、何か素敵なものに見えてくる。そうですね、と頷いた。
「母がいつも身に着けていたんです。それを昔、我儘を言って譲ってもらって」
「欲しかったの?」
はい、とアンリは頷く。耳たぶを軽く引っ張った。母が亡くなる少し前に、恋しくて泣いているアンリを慰めるために、母はこれをくれた。
「十歳くらいのときに穴を開けて、それからずっと使っています」
そうなんだね、とレオナードはしげしげとピアスを観察している。一級の宝飾品や高級品を見慣れている彼の目に、この母の形見は、どう映っているのだろうか。
「……母は、このピアスを大切にしていました」
アンリがぽつりと呟くと、レオナードはアンリの顔へと視線を向ける。
「だけど、譲ってくれたんだ?」
懐かしくて、アンリは小さく笑った。母はアンリに優しくて、アンリを大切にしてくれた。
それこそ、彼女の宝物を譲ってくれるくらい。
「若い頃の母が、大切な人から贈られたものらしくて。今度は私があなたに譲る番、と言ってくれました」
アンリは、じっとピアスを見つめる。レオナードの目が一瞬眇められ、冷徹に光った。
「……素敵なお母さんだね」
再びアンリが顔を上げると、柔和な笑みを浮かべたレオナードがいた。アンリが少し嬉しくなって頷くと、彼はゆっくり本を鞄へとしまう。
「そういえば、アンリの実家は何をしているの?」
「毛織物商です」
あらかじめ決められている設定を、アンリは口にした。レオナードはとん、と机の天板を人差し指で叩く。
「どの地方の? 山間の方なら国産の羊毛、港の方なら輸入品だけど
「は、い。そうですね」
アンリははにかんで見せるが、内心冷や汗をかいていた。
地理的な話は、アンリが苦手とするものだ。興味が全く湧かなくて、覚えられない。
その辺りの設定も決まっていた気がする。が、当然、覚えてなどいない。
「や、山の方です。羊の毛の、絨毯を中心に扱っています。僕はあんまり、真面目に勉強してないので、詳しいことは分からないんですけど」
「魔術ばっかりやってたんだ?」
「はい」
なんとか話を逸らせそうで、ほっと息をつく。
その後も、レオナードはアンリの話を聞きたがった。アンリは、喜んで話した。人と会話することがこんなに楽しいのだと、生まれて初めて知った。
すっかり話し込んで、気づけば夕飯時になっていた。寮の鐘が遠くで鳴り、はっとアンリは顔を上げる。
「すみません、僕ばっかり」
慌てて頭を下げると、「大丈夫だよ」とレオナードは鷹揚に笑った。
「また話そうね」
そうして、彼は立ち上がる。しばらく立ったままの彼をぼんやり見つめていたが、自分を待っていると気づいて、アンリは慌てて荷物をまとめた。
「焦らなくていい」
レオナードはそう言ってくれる。アンリはどうしたらいいのか分からなくて、小さく笑った。
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