アンリの早口オタク語り

「風と火を上手く使えば、気温の調整もできます。部屋を暖めるのとか、すごく簡単でしょうね」

「下げるのは、難しいのか?」


 首を傾げるレオナードに、「はい」とアンリは前のめりになる。


「すでに自然界へと放出された元素の持つ力を、再びもとの場所へ戻すことはできません。一度溶けた氷を削ったり溶かしたりはできても、もう一度そのままの形で凍らせるのは、型がないとできないでしょう?」


 ふん……? とレオナードは、不可解そうに首を反対側に傾げる。この上なくはしゃいでいるアンリはそれに気づかず、「だけど型があればできるんです」と一息に続けた。


「完全に同じ形や状態ではなくても、『これと同じ条件に戻す』ということはできます」

「つまり?」

「先に基準となる状態を設定しておいて、それが変わったら、元の状態に戻すことはできるんです。そのためにエーテル基準で通常環境を設定し、どの元素によって変更が加えられても、元に戻るようにします」


 ほー……と、感心したようにレオナードが頷く。それにますます気分をよくして、アンリは行儀悪く、ソファの上に片膝を乗り上げた。


「実際にお見せしましょう。ここにハンカチがあります」


 アンリはポケットから、シンプルな白いハンカチを取り出した。それをひらひらとレオナードの前で振る。


「これをちょっと焦がしてください」


 目を丸くするレオナードに「はやく」とハンカチを押し付ける。彼は目を細め、薄く微笑んだ。


「……いいよ」


 彼はハンカチを掴み、指先に炎を起こした。白い布の一部が黒焦げになる。


「ちょっと焦がしすぎだけど、いいです」


 完全に王族に対する礼儀を忘れたアンリは、いそいそとハンカチを膝の上に広げた。


「実は僕、このハンカチに魔術をかけていたんです」


 ふふん、と得意げに笑う。


「さっき話した、状態保存の魔術です。今からエーテルを介して、ハンカチの状態が戻っていきます」


 そう言って、アンリはぱちんと指を鳴らす。じわじわと黒焦げの部分が白く光り、染みひとつない布地へと戻っていく。レオナードは、ほう、と感嘆の声を上げた。


「すごい……」

「でしょう」


 対して、アンリの顔色はみるみる悪くなっていく。ふらりと背もたれに倒れたアンリに、レオナードは慌てて身体を支えた。


「大丈夫か?」

「いつものことなので、大丈夫です。僕、魔力が少なくて」


 へらへらと笑うアンリに、レオナードは眉間に皺を寄せた。ハンカチを畳む。少し焦げた部分が残ってしまったが、まだ使えるだろう。


「だけど、便利でしょう。こうすれば、ハンカチの洗濯の手間が減らせるかな、って」


 えへ、と笑みを見せると、彼は呆れたように目を細めた。


「そういう魔道具でも開発したらどうだ?」

「複雑な機能を持たせるのは、難しいですよ。よくあるのは魔道具同士のパスを繋いだ位置特定機能とか、単純な魔力貯蔵機能とかじゃないですか」


 アンリはすっかり浮かれていた。くふくふ笑いながらソファに身体を沈めて目を閉じると、温かいものが額に触れる。

 目を開けると、レオナードがアンリの額に手を当てていた。幼少期ぶりに感じる他人の肌の感触に、アンリは目を瞬かせる。


「何をしているんですか?」

「熱を測っている。随分顔が赤かったから」


 ああ、と頷いて、アンリは視線を遠くへ向けた。途端に、熱の籠っていた世界がぱちんと弾ける。

 狭まっていた視野が広がり、ああ、とまた間の抜けた声が漏れた。

 王族に対して常軌を逸した態度を取っていたと、やっと自覚が追い付く。やらかした。


「えっと……」


 アンリはもそもそと身体を起こし、ソファから降りた。両ひざをつき、罪人のようにうなだれる。


「大変なご無礼をいたしました」

「いや、大丈夫だよ」


 ほら、立って。レオナードが促す。なんていい人なんだ、とアンリの目に涙があふれかけた。

 こんなよくできた少年を殺そうだなんて、やっぱり侯爵はおかしい。その前に、この国の法律にアンリが殺されるかもしれないが。


「僕、同年代とこういう風に話すの、初めてで」


 ぽつりと呟いたアンリに、レオナードが動きを止める。彼はソファから降りてゆっくりと床に膝をつき、アンリの肩にそっと手を添えた。

 その温かさに目をあげると、彼は目を細め、「それで?」と、続きを促すように微笑んでいる。それで、とアンリはこくりと頷いた。


「あなたが話を聞いてくれるのが嬉しくて、つい、大変失礼な振る舞いを犯してしまいました」

「いいよ。許す」


 レオナードは寛大にアンリを許し、鷹揚に微笑んだ。アンリはその表情になぜか胸がいっぱいになって、また俯く。顔が、耳まで熱い。


「あなたが許してくれても、周りは許しませんよ」


 ぽつりと呟くと、彼は「俺が全てだろう」ときょとんとする。その振る舞いにやっと、目の前の彼が王族であることが、腑に落ちた。彼はただの少年ではない。


「そうですね」


 へらりと笑って、アンリは立ち上がる。急に、カッと身体が熱くなった。羞恥心で揺れる視線をごまかすように、足早に本棚へと向かう。


「み、みんな、あなたを探しています」


 どうすればいつも通りに振る舞えるのか分からなくて、アンリは俯く。自分なんかが調子に乗って、図々しい。


「行ってください……」


 背後で彼が立ち上がる気配がした。そして彼は一歩一歩、アンリに近づく。振り向くと、思ったより近くに彼が迫っていた。


「また」


 彼はそう言って、アンリの顔をじっと見つめた。思わず息を止めたアンリに端正な微笑みを返し、レオナードは立ち去る。

 その背中が扉の向こうに消えるのに、アンリはただ見惚れていた。


 広い図書室でたった一人になったアンリは、へたへたとしゃがみこんで蹲る。最後まで、彼の前で大失態を犯してしまった事実に、一頻り悶えた。


 自己嫌悪と後悔をなんとか心の底に押し込んだ頃には、すっかり日が落ちかけていた。くしゅん、とくしゃみをして、空を見上げる。宵の明星が強く輝いて、空の端の方が白く明るくて、なんだか訳の分からない感傷が胸に満ちた。


「日が、長くなったな」


 ぽつりと呟いて、アンリは寮に向かって歩き出した。

 寮では個室が与えられ、アンリはふかふかのベッドで眠った。温かいシャワーを浴びたせいか、夢も見ないほど深い眠りだった。

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