王子との遭遇
生まれてはじめて綺麗に髪を整えてもらい、身体を手入れされる。何日もかけて丹念に磨き上げられ、アンリはすっかり良家の子息といった風体になった。
しかし、平凡な容姿なのは変わらない。
(やっぱり、母さんにそっくりだ)
自分の顔をしげしげと眺める。栗色の髪と青い瞳だった母親に瓜二つのアンリでも、髪だけは真っ白だ。
十六年前の政変では、ベレットが当時の国王を弑逆した。暗君の暴虐に耐えかねた彼が義勇のために立ち上がった、というのが世間で人気の英雄譚。
だけど、実際は違う。
ベレットの恋人である使用人――アンリの母だ――が当時の王に孕まされ、それに逆上した彼が反乱を起こしたのだ。その後、暗君の落胤としてアンリが生まれ、今に至る。
(いつもメイドたちが話していたけど、本当に、酷い話だ……)
他人事のように思って、アンリはため息をつく。
母は優しく気丈な人で、アンリを深く愛してくれた。そのおかげでアンリはなんとか、自分を人間だと認識できている。少し顔を傾げるたびに、形見のピアスにぶらさがった青い石が揺れて、くすぐったい。自分たち親子の瞳と同じ色の石を、指で弾いた。
(こうなったら、思い切り新生活を楽しんでやる)
楽しい学校生活を送って、ベレットにその様を見せつけるのだ。それがきっとささやかな復讐になる、つもりでいる。
(絶対に楽しい生活を送ってやる。僕の人生を奪う奴の言いなりになんて、なってやるもんか)
今回アンリが編入する王立学校は表向き、身分の平等を掲げていた。平民から王族までが入学可能で、アンリは平民として編入することになっている。
侯爵家の人々はアンリに最低限の知識を叩き込み、あっという間に始業式がやってきた。
アンリを乗せた馬車は校門の前で止まり、放り出すように降ろして去っていった。後は勝手にやれ、ということだろう。
「それなら、こっちも好きにやってやる」
アンリには叩き込まれた暗殺の技術が(一応)あり、魔術への探求心だってある。ベレットの命令なんか無視して、どこかで死んだふりをして逃げればいいんじゃないだろうか。彼の手の届かない、遠い外国にでも行くのが理想だ。
「学校、楽しみだな」
アンリはきゅっと口の端を上げて、ネクタイを締め直し、ジャケットを羽織り直す。意気揚々と、色とりどりの花やツタで飾られた校門をくぐった。
開放的な青空に、土や花のやわらかいにおい。人の声のざわめき。外の世界は、新しい刺激に満ちていた。
「たくさん、勉強しよう」
一年しか通えないけれど、友達だってできるかもしれない。他にも恋とか、娯楽とか、楽しいことがあるはずだ。
途端に、誰かとぶつかる。アンリの顔面が誰かのたくましい身体に当たり、咄嗟に力を受け流してぽいんとバウンドした。よろけたアンリを、その誰かが受け止める。
「大丈夫か?」
「レオナード王子……!」
思わず口から、その人の名前が飛び出す。金髪に紫の瞳の、端正な顔立ちの彼。
「そうだ」
彼は、初対面の人間に素性を知られているのに慣れた様子だった。アンリの身体が、焦りで嫌な汗をかく。
「君は随分、うっかりしているんだな」
人とまともに接し慣れていないアンリは、きょどきょどと視線をさ迷わせる。
「ああ、はい。うっかりしています」
「無礼だぞ!」
アンリの自己申告に、誰かが声を上げる。僕もそう思う、とアンリは内心同意した。
「レオナード殿下になんてことを……!」
「謝れ!」
「この無礼者!」
どうやら彼は外国から戻ってきたばかりに関わらず、かなり人望が厚いらしい。次々とヒートアップした罵声が飛んでくる。アンリが感情を消して黙り込んでいると、レオナードがその肩を抱いた。
「君たち、静かに!」
その一喝で、辺りはしんと静まり返る。彼の行動に動揺するアンリに、彼は「すまなかった」と謝罪の言葉を向けた。
真っすぐな紫の瞳に見据えられ、アンリとしては、居心地が最悪である。
「俺も、君をからかうようなことを言ってしまった。君に対しての礼を欠いていた」
「い、いや……」
いいです、構いません、大丈夫です。パニックの頭でどれが適切なのかぐるぐる考えている間に、彼はアンリの手を取った。
「ぜひ、謝罪をさせてくれ。よければ、今晩の食事をともにとらないか?」
アンリは、首を横に振った。ほとんど反射だった。
「大丈夫です!」
レオナードは目を丸くして、「え」と間抜けに呟いた。同時に、群衆からも怒りや不満の声が上がる。
「なんてことを言うんだ!」
「殿下の心遣いを何だと思っている!」
「無礼者! 恥を知れ!」
あまりの剣幕の彼らに、アンリは逃げることを決めた。咄嗟にレオナードの手を振り解き、脱兎の勢いで走り出す。どこまで逃げればいいかは分からないが、ひとまず人気のないところに行きたい。
怒声を上げながら取り巻きたちも走り出し、アンリはまず、彼らから逃げきる必要があった。
「散々だ……!」
アンリはぼやきながら、まだ足を踏み入れたことのない敷地へと走り出す。どうやら、学校生活の初日は大失敗らしい。
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