魔術オタクの暗殺者は年下執着王子に溺愛される
鳥羽ミワ
暗殺なんてするつもりないです
アンリは毎朝、差し込む日差しで目が覚める。部屋にある唯一の窓は嵌め殺しだから、いつも空気は澱んで埃っぽかった。
あくびをして、やせぎすの身体で大きく伸びをする。寝ぐせがついたままの白いくせっ毛は放置し、のんびり服を着替え、隠し場所から魔導書を引き出した。
「パン、そろそろ食べ切らないと」
机の引き出しからパンを取り出し、それを食べながら本を読むのが日課だ。
すっかり硬くなったそれを噛みちぎりながら、しばしの間、安らかな時間を過ごす。
「起きなさい、アンリ! 閣下がお待ちだよ!」
階下から、突き上げるような大声が響いた。慌てて本を閉じて、階段を駆け下りて向かう。腕組みをした中年のメイドが、「遅かったね」と思い切り顔を顰めた。
「まぁ、品のないこと。相変わらず、老人みたいでみっともない頭をして」
アンリは、うなだれるフリだけをした。彼女は嫌そうな口ぶりで、くどくどとなおも続ける。
「また魔術の本でも読んでいたんでしょう。大して魔力もないくせに、生意気だこと」
ちらりと目線だけ向けると、彼女はそっぽを向くところだった。
「閣下も、何を考えていらっしゃるやら。救国の英雄が、こんな無能を傍に置くだなんて!」
王族たちの暗殺だよ。
アンリは口の中で言葉を噛み潰し、「閣下には感謝しております」と慇懃に言った。母の形見の青いピアスを弄ると、「行儀が悪い」とまた叱責される。
アンリは、今年で十八歳になった青年だ。一番古い記憶は、この屋敷の主であるベレット侯爵に鞭うたれながら、暗器を握らされたときの痛みと混乱だった。
ベレットは十六年前、暴君と呼ばれていた当時の王を倒している。その功績により、この国を救った英雄として慕われていた。
そしてなぜか今、王族の暗殺をたくらんでいる。手駒の一つとして暗殺用に育てられたのが、私生児として母親もろとも引き取られたアンリだ。
(小さい頃から「英才教育」をされても、大した力は身につかなかったけど)
一通りの格闘能力と隠密能力はあっても、魔力がからきしであるアンリの戦闘能力は低い。何よりもまず、アンリにはやる気がなかった。
(くだらない。なんで、わざわざ出来の悪い僕を使おうとするんだ)
どすどすと前を歩くメイドの後ろ姿から目を逸らし、窓の外を見る。もうすぐ冬の明ける空は、淡い色合いに光っていた。
(そろそろ、母さんに供える花も新しくしなくちゃ。好きだったマグノリアが咲いたら、庭から拝借しよう)
上の空でつらつらと考えているうちに、侯爵の執務室の前へと到着した。
出迎えた執事は、アンリのぼさぼさの髪に顔を顰める。
「身支度も整えずに来たのか。母親に似て、礼儀知らずなことだ」
吐き捨てるような言葉に反抗せず、ただ目礼をする。メイドは執事にアンリを引き渡し、そそくさと去っていった。
執事は美しい所作で扉を開ける。アンリは大人しく付き従い、部屋の扉をくぐった。
部屋に入れば、中年のベレット侯爵はペンを走らせる手を止める。両手を組んでアンリを見据えれば、彼の背後にある大きな窓から、光が差し込んだ。
プラチナブロンドが、陽の光に輝く。
「来たか。早かったな」
「ええ。閣下の与えてくださる衣服が粗末なものばかりなので、身支度に時間をかけられません」
ベレットは喉を鳴らして笑い、執事は冷え冷えとした視線をアンリに向けた。アンリは震える脚をごまかすように、彼の執務机の前へと進む。
「何の御用で、僕を呼ばれたのでしょうか」
その言葉に、ベレットはゆったりと椅子の背もたれに身体を預けた。ゆったりとしたリズムで、人差し指で机の天板を叩く。
「レオナード王子が、留学先から、この国へと戻ってくる」
その言葉に、アンリは目を見開いた。
現王の末子であるレオナードは、生まれた直後に起こった政変のために外国へ避難していた。そのまま留学を続けており、彼がこの国で長く過ごしている印象はない。確か、今年で十六歳になるはずだ。
素晴らしい人物との評判で、アンリも姿絵を見たことがある。金髪に紫の瞳が印象的な、凛々しく端正な顔立ちの少年だった。
その彼が、こちらへやって来る。
ベレットはペンを持ち、指先で弄ぶようにくるくると回した。ペンに施された彫金のマグノリアが、きらりと光る。
「奴は王立の公共学校に入学することが決まっている。学内は人の目が行き届かないところも多く、王宮に比べて警戒が弱まるだろう」
嫌な予感で、背中にじっとりと汗をかいた。意識的に背筋を伸ばすアンリを真っすぐに見つめ、侯爵は淡々とした口調で命令をくだした。
「アンリ。お前も王立学校に編入し、レオナードを殺せ」
とうとうこの日が来たか、とアンリもベレットを見つめる。彼の視線は冷酷で残忍なようでいて、いつもどこか鋭さがない。
これのどこが、かつて暴君を倒した、救国の英雄なのだろう。
彼は白い封筒を差し出す。赤い封蝋がされていた。
「お前の編入に関する資料だ。それを読んで準備しろ。他はすべて、私がやる」
アンリは封筒を受け取り、「はい」と口先だけで返事をした。ベレットはのっそりと立ち上がり、アンリを見下ろす。彼の影がアンリにおりて、視界が少し暗く変わった。
大きな手が、机越しにアンリの華奢な肩に伸びる。節くれだった指が揺れるピアスに触れ、チェーンがちりりと音を立てた。置かれた指はゆっくりと、肉へと強く食い込んでいく。痛みに思わず小さく息をのむアンリの顔を、侯爵が覗き込んだ。
「お前は、このために生きてきたのだ」
首を縦に振ることも、横に振ることもしなかった。ただ、あらんかぎりの気力でベレットを見つめかえし、恨めしい目線を向ける。
「……あなたにとってそうなのであれば、きっとそうなのでしょう」
そのままアンリは、執事に部屋を摘まみだされた。そのまま待ち構えていた使用人たちに捕まり、あれよあれよと身支度に奔走する羽目になった。
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