償いの新事業

 ある日、俺はリヒターに頼み、バリオンを呼び出した。

 場所は俺の事務所。バリオンは、ヨレヨレのシャツに無精ひげを生やし、生気を失った目をしていた。

 来たというか、連れてこられたのか、リヒターもいる。


「……なんだい、ようやく死ねると思ったんだが」


 これが、ざまあの末路なのか。

 ざまあされ、すべて失った人間。実際に見ると、あまりの憐れさに悲しくなってくる。

 生を諦め、何もかもどうでもいいのか、バリオンはもうかつての面影がない。

 やせ細り、今にも死にそうなくらい弱っていた。


「今更、何の用だい……ボクはもう死にたいんだ」

「…………」

「ははは、その目、憐れんでいるね。いいさ、どうせもう、失う物はないんだ。ん……キミ、サンドローネの従者じゃないか。ははは、見てくれよ、彼女が憎んだボクの憐れな最後を。彼女に伝えてくれ、キミの憎んだ元婚約者は、名前も、貴族としての価値も、愛した妻も、生まれる子供も失い、惨めに野垂れ死にしたとね」

「…………」

「ああ、早く死にたい……」


 俺は、考えていたことがあった……だが、さすがにこんな状態のバリオンに、任せることができるだろうか。

 バリオンはもう、生きることに執着していない。

 すると、事務所のドアが開き、サンドローネが入ってきた。


「リヒター……コソコソしていると思ったら」

「お、お嬢……その、これは」

「……バリオンね」


 サンドローネが来た。

 ボロ雑巾のようなバリオンを見て、冷酷な瞳を向ける。

 バリオンは、濁った眼で笑った。


「やあサンドローネ。元気かい」

「あなた、トイレ掃除はどうしたの? こんなところでヒマしているのかしら?」

「……ははは。何も知らない、か。本当に、ボクはもうどうでもいいみたいだ」

「何を言って……?」

「サンドローネ、俺が説明する」


 俺は、サンドローネに全て説明した。

 十年の掃除という契約はとうに破棄され、実家を除名されスラム街で生活していること、妻と離婚し、生まれる子供とも会えないこと。絶望し、野垂れ死にを選んだこと。

 それを聞いて、サンドローネは目を見開く。


「契約を破棄ね。十年、トイレ掃除をさせるという約束を反故にして、簡単に切り捨てるなんて」

「……サンドローネ。憐れまないでくれ。ははは、もうどうでもいい。妻も子供もいなくなった。もう、生きていても仕方ない……もう、疲れた」

「バリオン、あなた……それでも貴族なのかしら。私を公衆の面前で婚約破棄に追い込んだ時のあなたは、もっと生き生きしていたわ」

「…………」


 バリオンは、何も言わなかった。

 そして、サンドローネに言う。


「ボクを憐れと思うなら……キミの手で殺してくれないか? キミは、ボクを憎んでいただろう」

「……本気で言ってるの?」

「ああ。もういい、きみはボクのように絶望したことがないんだろう。ボクの心なんて理解できないだろうね……」

「…………」


 サンドローネは、歯を食いしばった。

 何か言える立場ではないのだ。

 バリオンに罰を与えたのはサンドローネだ。だがその後、バリオンがどうなったかなんて考えもしなかったし、除名され、離縁させられ、子供とも会えないなんて考えてもなかっただろう。

 十年反省すればいい。そのころにはペリドット商会も建て直し、バリオンも落ち着き、もしかしたら事業の共同経営もできるかも……と、考えていたのかもな。

 だが、こうしてバリオンは捨てられ、生きる気力を失い、放っておいたら死んでしまうだろう。

 さすがのサンドローネも、そこまで考えていなかったはずだ。

 俺はバリオンに言う。


「バリオン。お前が人生に絶望して死ぬのは勝手だ。だけどな……死ぬ前にやることはある」

「……え?」


 そう言うと、居住スペースのある方のドアが開き、ティガーさん、リュコスさん、ルナールさん、そしてクロハちゃんとリーサちゃんが出てきた。


「お前の商会と提携していた、チーグル商会の方々だ」

「……チーグル商会」

「今、この人たちは危機にある。お前のせいでな」

「…………」


 バリオンは、顔を伏せた。

 俺は見た……バリオンは歯を食いしばり、申し訳なさそうにしているのを。

 まだ、バリオンは死んではいない。

 そして、俺が何かを言う前に、バリオンは立ち上がった。


「……申し訳、ございませんでした」


 バリオンは、頭を下げた。

 ティガーさんに向かって、深々と。

 これには驚いた。俺が言う前に、バリオンは自分で頭を下げたのだ。

 ティガーさんも驚き、俺を見てワタワタしている。


「バリオン。お前にはまだ、やることがあるだろ」

「……何をすればいいんだい。死ぬ前に、迷惑をかけた商会たちに、謝罪して回ればいいのかい?」

「そうじゃない。こうして危機を感じている商会は、他にもいくつかある。しかも、全員が獣人だ」


 偶然かどうか知らんが、調べてみて驚いた。

 苦労している商会は全て、獣人の商会だった。

 みんな、ティガーさんの知り合いだ。人のいい獣人たちだけが上手く商会を立て直せず、苦労している。中には廃業を決意しているところも多かった。


「バリオン。お前さ……もう一度、商会をやらないか? 苦労している獣人の商会を全て集めて、共同で事業をするんだよ」

「……ボクが?」

「ああ。商会といっても、物を売ったり作ったりするんじゃない。ティガーさんや、苦労している商会の人たちとも話して、一つの事業をすることにした」

「……え?」


 俺は、用意していた魔道具を出す。

 手持ちの大きな筒で、スイッチを入れると大きな音がした。


「な、なんだそれは?」

「名付けて『魔導掃除機』だ。このスイッチを入れると、先の部分からゴミを吸引する魔道具で、掃除に使うために俺が作った」


 そう、掃除機だ。

 他にも、床を磨くポリッシャー洗浄機や、風を吹き出すエアダスター魔道具なども見せる。

 見せた魔道具は、全部掃除用具だ。


「俺が提案するのは、『掃除を専門とする商会』だ」

「……掃除?」

「ああ。獣人はパワーもあるし、重たい机とか棚とか軽々持ち上げられるだろ? 物を売るんじゃなくて、倉庫とか、事務所とか、トイレとか店とか、商会の草むしりとか……とにかく、『掃除という労働』を売るんだよ」


 つまり、清掃を仕事にする。

 屋内では掃除をメインに、屋外の草刈りや、農作業の手伝いなどしてもいい。

 獣人たちのパワー、そして体力を活かすのに、これほどタメになる仕事はない。


「お前には、商会長になって、宣伝や仕事を取ることをやってもらいたい。金の計算とか、派遣先の取りまとめとか得意だろ?」

「…………ボクじゃなくていいだろ。それこそ、ボクにそんな資格」

「お前しかいないんだよ。な、ティガーさん」

「きょ、恐縮です……実はその、私たち獣人は力や体力こそありますが……その、あまり計算など得意ではなくて」


 リヒターが調べたところ、外部の人間を雇って事務作業をさせていたのだが、収支報告書が間違っていたり、改ざんされていた痕跡があったとか。

 

「バリオン。お前が真に責任を感じているなら、この人たちを助けてやってほしい」

「…………」


 すると、ティガーさんも頭を下げた。


「お願いします。どうか……私たちを助けてください」

「……すべてはボクの責任です。それでも、ボクに任せたいと?」

「はい。それと、責任はあなただけじゃありません……物を売った時点で、私も共犯です。皆、私と同じ気持ちですよ」


 困っている獣人はみんな、ティガーさんみたいな責任感のある人だった。

 バリオンは俺を見て言う。


「……いいのかな、ボクで」

「お前しかいないだろ」

「……やるよ。やらせてくれ、この命ある限り、彼らのために尽くすよ」

「よし決まり。さて、忙しくなるぞ。その前に……お前はまず着替え、あとメシだ。住むところとかも」

「それは、私がやるわ」


 と、サンドローネが前に出た。


「バリオン。あなたを許すつもりはないし、あなたの決意もどうでもいい。でも、あなたは十分な報いを受けた。少しだけ、手を貸してあげる」

「……サンドローネ」

「リヒター、衣食住の手配。それと、ティガーさんとやら、あなたは困窮している獣人の商会の代表を全て集めてアレキサンドライト商会へ来て。迅速に」

「は、はい。恐縮です……」

「ゲントク。あとは私がやる。それと……その掃除魔道具の仕様書、全部渡しなさいね」

「お、おお……」


 サンドローネは出て行った。

 リヒターはバリオンを連れて行き、ティガーさんと奥さん二人も出て行った。

 残されたのは、俺とスノウさんとユキちゃん。


「ふう……なんとかなったか」

「ゲントクさん、すごいですね……まさか、困窮している商会をまとめて救うアイデアを出すなんて」

「いやあ、バリオンが掃除してるのを見て思ったんですよ。清掃会社とかあればいいのになとか……それに、バリオンの掃除、すごく丁寧だったんで」

「にゃあ。クロハ、リーサのおうち、だいじょうぶなの?」

「ああ、きっと大丈夫。さて……今日は仕事する気分じゃないな。スノウさんとユキちゃん、どっかでメシでも食いますか」

「あら、いいですね」

「にゃあー」


 これからどうなるかは、しばらく様子見……バリオン、今度こそしっかりやれよ。

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