インモラル・ステンドグラス

紫鳥コウ

インモラル・ステンドグラス

 駅から延びる道を歩いていくと国道に突き当たる。そこを越えると一気に辺りはうす暗くなる。しばらくすると、神社の横に廃校となった小学校が見えてくる。

 創立百周年……だっただろうか。そのときに盛大なイベントが開かれたのを覚えている。そのことを彼女も覚えていた。しかし、何周年の記念なのかということは、はっきりしないと言っていた。

 優芽ゆめの家に着くまでには、もう少し歩くとのことだった。さらに山の方へと進んでいく。あの山の奥には村落が三つあって、大雪になると、村民はこちらにあるもうひとつの家へと、一時的に引っ越すのだと教えてくれた。ぼくたちがあの学校へかよっていたときに、あの村落からひとりは登校してきていただろうか。そうしたことも思いだせない。

 農業高校の前にある彼女の家には、優芽とその両親が住んでいる。兄は都会で結婚して、そのまま帰ってこなくなったらしい。

 優芽は、駅の裏手にあるセレモニーホールで働いていて、そこでいまの彼氏に巡り会うことができたのだと言っていた。そして、レスになっているのだという。

「宇宙葬というのがあってね、骨の一部を宇宙へくの」

「海に撒くのと同じように?」

「詳しいことは分からないけど、たくさんのお金がかかるのよ」

 茶柱が寝ているお茶を飲み干すと、優芽は人さし指を口元で立てた。耳をますと、なんの音もしなかった。先ほど、学校からチャイムが聞こえてきたのを思いだした。

「大丈夫、昼寝をしているみたい」

 こちらへもたれかかろうとしてくる優芽を押し倒した。それにこたえてくる彼女もまた情熱的だった。

 朝の陽の光が山脈の稜線りょうせんを走っていく。そういう風景が思いだされた。不思議と、背徳感はなかった。

 帰り道、廃校となった小学校まで送ってくれた優芽に口づけをして、駅へ帰っていく。

 朝に、妻に言ったウソの用事の内容を考えると、のんびりと電車を待っているわけにはいかなかった。駅へ向かいながら、タクシーを呼ぶために電話をかけた。


 やはり何周年の記念だったかは覚えていない。生徒たちは、思い思いの絵柄をステンドグラスで表現させられ、記念日当日には、学校の窓にそれらがめこまれてライトアップされた。

 正直、なんの感動もなかった。作っていたときのあの苦労はなんだったのか。そんなことさえ思った。

 その光景を一望できるのは、道路に面した神社の隅で、もちろんそこは混み合っており、夏希なつきはそれを嫌がっていた。

 それでも夏希は僕の隣を離れることはなく、不満そうな表情を浮かべながらも、たくさんのステンドグラスが一斉にきらめいているのを眺めていた。

 当日は境内けいだいで縁日が開かれていて、僕たちは、そのために神社に来たも同然だった。型抜きに射的に輪投げに……僕ばかりが楽しんでいたのに、夏希はどこまでもついてきた。

 途中から、彼女を振り払うために、わざと素っ気ない態度を取っていた。だけど別れるときになると、夏希のことが妙に愛おしく思えていた。

 それからは、夏希の好きなひとは誰かということを気にするようになった。スポーツマンの浩二やムードメーカーの大輝の名前を挙げるクラスメイトもいたが、夏希はそれを否定し続けていたし、それを聞いている同級生が、夏希のことを好きなのだということも分かっていた。

 彼女が口を割ることは、一度もなかった。


 水産高校に進学したときに彼女ができた。彼女とは、初めてのことをいくつも経験した。だけど、関係が長く続いたわけではなかった。

 別れるきっかけのひとつになった、幼稚な口げんかは、僕の評判を下げるものだった。ほとんどが、彼女の誇張こちょうであるという弁疏べんそは、なぜか通らなかった。

 そんな僕に告白をしてくれたのが夏希だった。その後、別々の大学に進学したのに不思議と関係は続き、そういうところに運命を感じたのか、僕から結婚の話を切り出した。

 しかし永久とこしえの愛を誓ってから三年も経つころには、レスになった。

 そして同窓会の日の夜、誰もいない校舎裏で優芽としてしまった。


 優芽の家へ通いはじめてから半年が経った。仕事場で知り合った彼氏は、別の女性の元へ行ってしまったらしい。彼女は清々しそうに、そううそぶいた。僕はといえば、見かけは幸福な家庭を持っている一方で、夏希とのレスに悩み続けていた。

 ベランダから花火が見えるのだと優芽は言った。適当な用事をこしらえて、優芽の家へ行くと、それと前後して、山際から花火が打ち上がった。ぬるい風が、汗のにじんだ皮膚の上にからみつく。

 そういえば、あの山の中腹には墓地がある。僕の先祖は眠っていない。しかしあの夏、僕は夏希との初めてを、そこで済ませたのだ。もう無鉄砲さを持ち合わせていない。冒涜ぼうとくと背徳を肩に乗せてまで、快楽を貪りたいと思う歳でもない。

 しかしあのときは、そういう愛の形に熱狂していた。ふたりでなら、なんでもできるという自信があった。

「綺麗ではないけれど、風情だけはあるでしょう」

「山火事にならなければいいけど」

「あれは海の方で打ち上がっているのだから、そんな心配はバカらしいわ」

「だけど、人生にはときおり、遠近が変わってしまうようなことが……」

 それ以上の言葉を口にすることはできなかった。妻を捨てる。そういう考えが頭をもたげそうになってしまったから。

「線香花火を買ってきたの。これが終わったら、庭でしましょうよ」

 僕は、それにはなにも応えず、次々に山際から開花していく花火を、黙って眺めていた。


 妻の先祖が眠る集合墓地に行った。墓経はかぎょうの日だったから。

 盆ともなると、普段は見ない顔を見ることもある。しかし軽く会釈をしただけで、深く話し込むことはなかった。早朝の微風そよかぜが、墓石の間をうように漂っている。

 僕たちもお坊さんの姿を探したが、みな別の家の墓の前で経を唱えていた。すると妻がふとこんなことを言いだした。

「あそこの中井さんのお墓のあたりで、したのを覚えてる?」

 そこには、草を刈ったり、柄杓ひしゃくで墓石を洗ったりしている人びとがいる。

「こんなときに、そんなことを言うものじゃないよ」

 僕は手の空いているお坊さんを探しながら、そう言い捨てた。すると夏希は、「ごめんなさい」と言って、くすくすと笑った。

「なかなか、来てくれるひとはいないね。ちょっと暑くなってきたし……参ったなあ」

 そう言いながら、反対のところを探そうと振り向いたとき、まず僕の視界に映じたのは、目に涙を浮かべている夏希だった。



 〈了〉

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