第12話 日常
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学校のある平日は昼と放課後に勉強会を行い、週末は勉強会とは別にユウトの家に集まるのがルーティーンとなった。
勉強会への参加者は、主催側の五人を除いて十人を超えた。今の一学年は、一クラス約二十人の三クラス制で、二十人の内四名から六名が貴族や家門出身、残りが一般領民出身者という内訳だ。概算で四十五名が一般領民出身者で、その内の十人程度を引き込めたとなると、彼らの予想を超えていることは想像に易い。
考慮すべき点は、参加者の全員が毎回参加している訳ではないという所にある。
学生達は、まだ二十歳にもなっていない子供だ。エーデルシックザールというエリート校に通おうとも、毎日毎日そこまでの熱量を維持できるのは難しい。ユウトがこの勉強会をやろうとした本当の目的を共有しているのは主催側の一部のみであり、他の者は単なる勉強会という認識だ。その差は明確な一線を画すに至っている。
ユウト達はこの解決のために、より自分達が結果を残さなければと思い、日夜欠かさずに努力を重ねている。
だが、彼らの想像していない別の問題が存在することが、その日浮き彫りとなった。
「……………」
「……………」
「……………おっきいね……。」
「……………うん………。」
とある週末、ユウトの家へ初めて赴いたライネとセシリアは、住所通りの目的地へ辿り着くと唖然としてしまった。
勉強会へ参加することが定着した二人は、週末にユウトの家へ遊びに来ないかと誘われた。ユウトといつも仲良くしているナギト達が、よくユウトの家へ出入りしているだろうことは、同じクラスの者は薄々気が付いている。それくらい、ユウト、ナギト、リクト、アリス、ハックの五人はいつも一緒にいるのだ。
勉強会メンバーに、普段から友人がいない二人は居心地の良さを実感しており、断る理由もなく誘いを快諾したのだった。
当然、ユウトは一人暮らしだとばかり考えていた為、もうちょっとこじんまりとした自宅を想像していた。確かに元とはいえ七家門。豪華な家ではあろうと考えていたが、まさかここまで広大だとは思いもしなかった。
時間に遅れるのは失礼だと思い早めに来訪した二人だったが、想定以上に早く到着してしまった。
約束の時間は午前十時。しかし今は午前九時十五分。早過ぎるのも失礼じゃないだろうかと正門近くでオロオロと話している二人だったが、
「ライネさん! セシリアさん!」
遠くからアリスの声が聞こえた。
ユウトの家の方からだ。
漆黒で質素な正門を隔て、別荘の建物との間にある道を手を振りながらアリスが走ってくる。
とその時、正門の施錠が解除されて、キィと小さな音と共に正門が少しだけ開いた。
見た目に反して電子ロックとは。
「早かったね、二人とも。」
「え、ええ。アリスさんも。」
緊張でガチガチの二人を他所にハイテンションなアリスは、早速二人を中に招いた。
「あ、あの………ユウト君は?」
「中にいるよ。」
「あ、そうじゃなくて…………」
「?」
アリスはライネの意図を汲み取れなかった。
不自然すぎる絵面だ。
何せ、今の状況を切り取ると、まるでアリスの家に遊びに来たみたいじゃないか。
敷地を突き抜ける風が、壮大に広がる芝生を撫でた後、彼女達の体を煽って空彼方へと駆け抜ける。急激に都市化が進むフシミ領で、ここまで澄んだ風を感じられる場所は少ない。不安も興奮も、振り返ってみれば全て思い出の一欠片に過ぎない。
アリスが大きな玄関を開けると、美しい大人の女性が二人、粛々と立っていた。
「ようこそ、カイヅカ邸へ。」
服装は控えめでシンプルな柄だったが、お辞儀一つ一つの所作、声質、雰囲気が、どことなく上品なメイドのイメージに直結した。
そして何より、綺麗だった。
どちらの女性も瑞々しい透き通るような白い肌。スラッとしてボディライン。長い黒髪。整った顔立ち。特に若い方の女性は、芸能人顔負けの美しさだった。
同じ女性の二人ですら、その清廉さについ見惚れてしまっていた。
「こちら、カオルさんとカエデさん。ユウト君のご家族です。」
お互い初めましてと挨拶を交わす。
ご家族と聞くと、確かカイヅカ家は全員火事で死亡したとされてるから、義理の家族かもしれないと考えたが、立ち入った話なため聞くのははばかられた。
「今日はいつもより楽しそうですね、アリスさん。」
「はい、カエデさん!」
「男達だけでむさ苦しかったものね?」
「そんなんじゃないですよカオルさん。」
ユウトの家にお邪魔する機会が増えたアリス達は、すっかりカオルやカエデと仲良くなっていた。
アリスとカエデが会話に耽る中、カオルがゆっくりと玄関に立ち尽くす二人に近付いた。
「お二人共、お名前は?」
「わ、私は、ライネ・コンスタンスです。いきなりお邪魔して、申し訳ございません。」
「…………セシリア……プラスコーズ……です。」
何もかもが驚きの連続で心臓がバクバクと跳ね打つ二人に対し、カオルは優しく微笑みながら言葉をかける。
「ライネさんにセシリアさん。どうかここではリラックスして、気楽に過ごしてね。ここでは身分も立場も関係ない。あなた達はみんな同級生なんだから、お互いに遠慮はしちゃダメ。分かった?」
その言葉には、嘘偽りのないカオルの慈しみが籠っていた。
二人は頷くと、靴を脱いで居間へ案内された。
「みんな、連れてきたよ。」
居間へ入ると、ナギト、リクト、ハックの三人がテーブルにノートや教科書を広げて話し合っていた。
「あ、おはよう。二人とも!」
元気よく挨拶したのはリクトだった。リクトは持ち前の明るさから、新しい参加者に真っ先に声を掛けたりする。実はリクトなりの考えがあり、ユウトやナギトは親しみやすい性格にせよやはり溝は存在し、彼らと話す前に自分が掛け持った方が入りやすいと踏んでいた。これには、ユウトもナギトも随分と助けられていた。
荷物は好きなところに置いてね、とアリスに言われるままに席へ着いた。
皆が手を止め、代わりにナギトがコホンと喉の調子を確かめながらその場に立った。
「では改めて。ようこそ、我々の勉強会へ。ライネ・コンスタンスさん、セシリア・プラスコーズさん。二人を歓迎します。」
ハックとリクト、アリスがささやかながらに拍手を送る。
と、ナギトは次の言葉を振り絞ろうとしているのかしばし固まった。
怪訝そうに隣に座っていたハックがナギトの顔を覗き込むと、決して固まっているのではなく、何やら思いついたようだった。
「よく思えば………これは私が言っていいのでしょうか?」
急に真面目な事を真面目な顔で吐露した。
これには飛び入り参加の二人を除いた古参勢もかくりと肩を落とした。
「ナギト君、それは………」
「だって、ここは私の家でもなく、そもそもこの勉強会の発起者は彼であって。なのに私がこんなことを言うと、あらぬ誤解を招くのではないかと。」
実はちょっと抜けている所があるナギトであった。
確かにそう言われてみると、発起者かどうかはともかく、クラスメイトのリビングに案内されて、ようこそと言ってきたのが同じくこの家にやって来たクラスメイトだったら、構図としておかしくないだろうか。そこは普通、家に住む本人が言うべき言葉だろう。
「まあさておき、勉強会には何回も参加してもらっている二人です。週末に律儀に集まっているとはいえ、そんなに仰々しい集まりではないです。一応、午前中は勉強、午後はトレーニングが中心となっていますが、まあ基本自由です。途中で帰ったり抜けたりするのも自由です。理由は特に聞きません。勉強もフルでやってもらわなくても、みんなで気楽に楽しみましょう、という感じです。初めのうちは雰囲気に慣れてもらう為に、みんなで足並みを揃えてやりましょう。アリスさん、その辺任せてもいいですか?」
「わかりました。大丈夫です。」
ナギトが座ると、男連中は再び問題についてあれやこれやと話し始めた。
「最近はね、特に伸び悩んでた数学を中心的に取り組んでてね。学校の教材は個々人でできるとして、全体としてはこの参考書に取り組んでるの。」
アリスは紙の束を机の上に出した。それは印刷された数学の問題集だった。
「この間渡したプリントは覚えてる? サイトとかが載ってたものなんだけれど。」
「う、うん。」
ライネとセシリアはカバンの中から念の為持ってきたプリントを取り出そうとしたが、
「ううん、出さなくていいわ。あのサイトにはナギト君が持ってる参考書とか問題集とかが載ってて、この紙の束はそれを一部印刷したものなの。二人の分も用意してこようか?」
「……うん。とりあえず。」
ライネもセシリアもまだこの場の雰囲気を掴めていない。ナギトの言った様に、まずは彼らと同じようにやってみるのが一番だ。
「じゃあ印刷しに行こっか。近くの部屋で出来るんだ。」
アリスが立って先導しようとした時、ライネは思っていた疑問を投げかける。
「あの、ユウト君はいないんですか?」
この家に来てから、この家に住むユウトの姿を一度も見ていない。
「ん〜そういえば。私が出る前から外にいたんだけど、まだ帰ってきてないみたい。じゃあライネさん。ユウト君の様子見に行ってもらえる?」
「うん。…………え?」
つい話の流れで頷いてしまったが、拍子抜けた声が漏れてしまった。
「こっちは二人いれば人手足りるし、場所はあっちから外に出られるから。」
断りづらい雰囲気となってしまったが、まだこの家に慣れていない。ここは人手が余ろうとついていって、その後みんなで様子を見に行くのはどうだろうか。
うん、これがいい。
「あの………」
(ってもう行っちゃった………)
ライネの葛藤に目もくれず、二人は会話しながら向こうへ歩いてしまっていた。
虚しい独り言となったセリフを飲み込み、うなだれながらリビングへ戻る。
念の為ユウトがいる場所を尋ねたが、いち早く気付いたハックが笑顔で頷いたため、足取りそのままアリスの言っていた方へ向かった。
リビングを突き抜けて廊下に出て、更に進むと外への出入口があった。縁側のように開けた場所だった。外へ目を向けると、草原に一人、ポツンとユウトが立っているのが見えた。
声をかけようと思ったが、意外と距離が遠い。
靴を持ってこようかと思ったが、近くにサンダルが置いてあったため、少し考えた後、サンダルに足を通して外へ出た。
草や土の匂いが強い。アンジェシカ領にいた頃では有り得ない光景だ。
遠くからだと気が付かなかったが、ユウトは右手に棒状の何かを持っていた。
その時、強い横風がライネを襲った。驚いてついキャッと小さく声が漏れたが、既に手を伸ばせば届く距離まで近付いていたユウトは微動だにしなかった。目を瞑って集中しているようだった。
自分の髪が視界を遮るようにバサバサと風に煽られるが、ライネはそんなこと気にもとめずユウトを見ていた。
(…………)
言い表しようのない、神秘性。人のカタチをして人とは異なる、人を逸脱した雰囲気。自然に溶け込むような無機質感。
ライネは見惚れていた。
ユウトが、どこか全体的に輝いているように見えた。体のラインに沿うように白く光る何かを纏っているような。
目の錯覚かもしれない。白昼夢だろうか。最近は確かに疲れ気味だ。寝不足なのかもしれない。
そんな考え事をしながら、自分の体は無意識の内にユウトへ手を伸ばしていた。
ユウトの肩に触れようとした時、突然ユウトの体が動いた。
ライネに分かったのは、伸ばした右手の手首を掴まれて引っ張られたこと。それに付随して体が自分でもよく分からない方へ回転したこと。そして、途中で『ん?』と間の抜けたユウトの声が聞こえたことだった。
「…………………ライネ………さん?」
「…………あ、…………あの……………はい?」
気が付くと、目の前の至近距離にユウトの顔があった。
一旦落ち着こうと思考を放棄してみるが、ダメだった。
どうして自分は、ユウトに抱きかかえられているのだろうか?
傍から見た構図は、まるで転びそうになった女の子を華麗に助けて抱き寄せる男の子だった。
「ごめん。痛い所はない?」
「…………はい………」
ユウトの長い前髪が自分のおでこに触れそうだった。
心臓の鼓動が高速に脈打つ。体温が急激に上昇しているのを感じる。
「大丈夫? 一人で立てる?」
「……あ、………はい。」
ユウトに支えられながら、両の足をしっかりと大地につけ、自分の二本足で立ってみせた。
とはいえ、ライネはそれこそ正に白昼夢に襲われたかのようにボーッとしていた。
「ごめん。つい反射的に、てっきりナギト君とばかり。」
途中でん? と声を出したのは、ナギトだと思っていた体があまりにも華奢で軽かったからだ。
「いつウチに来たんだい?」
「……ついさっきです。」
「ごめんね。出迎えもしないで。」
ユウトは一つ深呼吸を挟むと、スタスタと家の方角へ歩き始めた。
ライネも後を追う。
「ユウト君はここで何をしていたんですか?」
「ちょっと考え事。」
考え事を庭のど真ん中でするなんて不思議だなと思っていると、つい視線はユウトの右手に集中してしまう。
視線に気付いたユウトは、ニコッと笑ってこう言った。
「魔法使いみたいでしょ。」
この言葉に、ライネはどう答えていいか分からなかった。
*
しばらく皆で勉強に励むと、カオルとカエデが昼食を運んできた。
「そろそろ昼食ですよ。」
「よっしゃ〜!」
真っ先に立ち上がって二人の手伝いを始めたのはリクトだった。長時間の集中にまだ慣れていないリクトにとって、昼休憩とおやつこそ至高。何にも変え難い重大事項なのだ。
「遠慮しないでいいのよ。沢山お食べ。」
カオルの言葉は、萎縮してしまっているライネとセシリアに向けたものだった。
ありがとうございます、と何度もお辞儀する二人だったが、みんなが想像以上にガッツリ食べ始めるものだから、ついつい美味しい料理に手が止まらなかった。
「やっぱカオルさんとカエデさんの料理は最高っす!」
「本当にリクト君は嬉しそうに食べるわね〜。」
「うっす!」
満面の笑みで頬張る姿は、料理を作る側にとってはこれ以上ない光景だろう。
「お口に合いますか?」
ライネとセシリアに声を掛けるカエデ。
「はい! とても美味しいです。」
「私も、とっても美味しいです!」
「ふふふ、それは良かった。」
全てを包み込んでくれるようなお姉さん。こんな姉が私にも欲しかったと、つい本音が零れそうになったライネ。
ふと隣を見ると、セシリアが食卓を囲むみんなを見て微かに笑った。
「こうやって大勢のクラスメイトとご飯を一緒にするの、とても新鮮な気持ちです。」
「セシリア………」
普段からライネ以外とは会話も交わさないセシリアが自分から話をするのは、とても珍しいことだった。
(確かに悪くない、かな。)
既に諦めていた青春が目の前に広がっていると、そこは居心地が良く清々しい想いだった。
「私は普段家から出ることが少ないから、あなた達のような可愛い女の子と触れ合えて楽しいわよ。」
カエデの眼差しも、セシリアに似ていた。
孤立を忘れさせる団欒。
孤独ではなかった。孤立を嫌悪していてもなかった。
それでも、この人の温もりは大切で大事な事なんだと再認識させてくれる。
その事が、ただ嬉しいのだ。
カエデは願っている。
今この瞬間、確かにユウトは全ての責任と枷から遠くかけ離れた場所にいる。将来の責務も、不安も、重圧も、何もかもを忘れて笑い合う空間がここにある。
だから、カエデは願う。
この日常が、いつかユウトの日常になりますように。
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