第10話 レーゾンデートル

                21



 背中の中ほどまで伸びた真っ直ぐな黒髪。黒縁の大きなメガネ。気温も高くなってきたというのに、極端に肌の露出が少ない服装。

 清楚な雰囲気の彼女だが、本来の性格は勝気で元気溌剌はつらつな女の子だ。小学生の時は短髪で、成長期が早かったことから周りの男の子達よりも背が高く、よく男の子達に混じってサッカーをやっていた。密かに想いを寄せていた男の子にそういう目で見られないと言われたショックから髪を伸ばしているなどとは、誰にも言えない秘密であった。

 彼女の名前は、ライネ・コンスタンス。ユウトの同級生である。

 アンジェシカ領出身であり、領地では一般家庭という部類だが、現界で見れば充分に富裕層と言える家庭だ。

 幼い頃から文武双方に長け、学級の委員長や生徒会活動にも精力的な明るい少女だった。

 しかし、昔を知る友人が今の彼女を見れば、その風変わりから驚くに違いない。

 今ではすっかり大人しく友人もほとんどいない、かつての学校生活とは真逆のスタイルを通していた。

 その大きな理由は、彼女の家庭環境の変化があった。

 中学の頃、就業中の事故で父が死んだ。アンジェシカ領は弱肉強食の険しい社会であり、使えないと分かったら容赦なく切り捨てられる。労災もロクに降りず、挙句には企業は全ての責任を彼女の父に擦り付けた。多額の借金を背負うこととなった幸せな家庭は一気に転落し、まるで後を追うように母親も事故で他界した。

 悲しみよりも目まぐるしく変化する周囲の環境に耐えられない彼女は、母方の祖父母に引き取られた。祖父母は非常に面倒見がよく三人はすぐに打ち解け、それ以降暫くは平穏な日々を過ごしたが、エーデルシックザールへの入学が決まった日に祖父が倒れた。

 祖父はそれ以降足を悪くし、介護生活を余儀なくされた。祖父母を残し一人フシミ領へ向かうことが出来なかった彼女は、家族三人でフシミ領へ移り住むことにした。

 学校のある都市の郊外に小さな家を借り受け、祖父の介護を手伝いながら学校へ通っている。自分のことで精一杯な彼女は、授業を黙々と受けて真っ直ぐ家へ帰る生活を繰り返していた。当然友人と呼べる存在は今の所一人しかいない。かつての元気な女の子の影はどこにもなかった。

 高い入学金及びその後の授業料を払ってくれている祖父母と両親の遺産を無駄にしまいと、あらゆる娯楽を廃した生活を自らに強いた彼女が、つい気になって仕方のないことが、一つある。

「……………」

 教科書を抱えて歩く廊下。学生全体に向けた連絡事項を貼る掲示板に、ひと月前一枚の張り紙が掲示された。

『一年生にお知らせ  勉強会を開催します!!

 場所は八階の音楽室。時間は昼休憩時と放課後の数時間。

 参加は自由! 途中入室・退室も自由!

 基本的には自主勉です! 分からないことがあったらみんなで考えましょう!

 目指せ成績上位!!良かったら 遊びに来てね!!』

 富裕層が通う格式高いエリート校にそぐわない、ポップで明るい色を基調としたポスター。一般高校での部活勧誘のような軽い調子で、威圧感は全くない。

 はっきり言って浮いている。上級生や他の人達もみんな馬鹿にしていた。

 そこに興味を持つ人が一定数いるのは、やはり最後の一文によるところが大きい。

『主催者 : カイヅカ・ユウト、ナギト・メーク』

「………………………。」

 ライネ自身、気付いていない。

 何日もこうやってポスターの前で立ち尽くしていることに。



                  *



 そうやって変わらない数日が経った。

 進展があったのは、ライネの唯一の友人と言える存在、セシリア・プラスコーズのこの一言だった。

「私ね、昨日行ってきたんだ。」

「ホント!?」

 つい大きな声を出してしまった。廊下を歩く学生の視線が集まる。

「……ご、ごめん。」

「ううん。ライネさん、いつもポスターを見ると考え込んじゃうから。私も気になってたし、一度見に行ってみたんだ。」

 ライネは赤面した。自分が他所から見ても分かるくらいあからさま気になっていたのか。

「そ、それで、どうだったの?」

「それはね……………ンフフフ。教えない。」

 カクッと膝から落ちそうになった。普段は寡黙でおとなしい性格の彼女が、そんな小洒落た意地悪を繰り出してこようとは、完全に想定外だ。

「ちょっと〜教えてくれたっていいじゃない。」

「いーや。だから………」

 隣を歩くセシリアを肩で小突いても、彼女の意思は曲がらなかった。だが、それは決して教えたくないという意味ではなかった。

 むしろその逆。

「今日、一緒に見に行こう。」

 


                 *



 そういう訳で昼食後、二人は音楽室へと足を運んだ。

 ポスターの時間通りなら、勉強会は昼食の時間を考慮していないため、最初から参加している人は食べながらやっていることになる。初めて参加するというのに最初からいる度胸もなく、昼食をとった後に来たのだ。

 (音楽室って行ったことないけど、広いのかな。そもそも音楽室を使ってもいいんだろうか。流石にみんな静かにやってるのかな。)

 セシリアが隣にいてくれるから緊張はしていないものの、色々と考えてしまう。その様子を嬉しそうに眺める彼女にライネは気付かない。

 音楽室が近くなると、予想に反して活気に満ちた賑わいが廊下に漏れていた。

 驚きなのが、音楽室の扉は開け放たれていた。オープンになった入口から中を除くと、十人以上の学生が自由に喋っていた。黙々と机に向かう人もいれば、ご飯を食べながら教科書を眺める人、ホワイトボードを使いながら雑談している人もいる。

「初めはこれを主催してる五人以外、人が集まらなかったらしいんだけど、この間の月末試験で成績を伸ばしたでしょう? それで段々と人が増えてるって昨日話してたんだ。」

 ライネも記憶に残っている。

 主催者の五人というのは、カイヅカ・ユウトとナギト・メークに加えて、タナカ・リクト、アリス・ルージュ、サイアド・ハックのことを指す。この五人は、午前の講義が終わると一目散に教室を出ていき、午後の講義が終わるとこれまた一目散に教室を出ていった。ユウトの周りにいる人は決まっており、ポスターの件もあって彼ら五人が噂の勉強会をやっているのは火を見るより明らかだった。同級生は皆鼻で笑っていたが、先月の月末試験で五人の成績は軒並み向上した。特に驚いたのは、ハックが順位を最下位から六つも上げたことだ。それ以外の人達も着実に順位を伸ばし、彼らが談笑している様子を貴族出身の人達は憎たらしそうに見ていた。

 結果が現れてからというもの、確実に彼らを見る周囲の目は変わった。特に庶民家庭出身の学生達は、多くの人が講義に着いていけず悩んでいたため、同じ出身であるリクトやアリス、ハックが成績をひと月で上げたことには強烈な関心を寄せた。

「こうやって中を覗いてる分にはあっちから声をかけてくることも勧誘をされることもなくて、でも中に入るとちゃんと歓迎してくれるの。」

 セシリアが小さく隣を指差すと、廊下には二人以外にも数人、音楽室が気になる学生が立っていた。

 開放的で強制もされない。変な熱量で勧誘してくることもないし、けれど興味を持って入って来てくれた人にはちゃんと歓迎をしてもてなす。主催者には家門の名前が書かれているが、こう外から見ると、家門や出自なんて関係ないことが理解できる。実際に、ライネはユウトやナギトを見つけるまで時間を要した。それくらい、彼らの間には隔たりがなく溶け込んでいるのだ。

 心臓が高鳴るのを感じる。

 緊張だろうか。それとも興味を持っていたものに触れようとして興奮しているのだろうか。

 自分でも自分のことがよく分からない。そんな様子のライネの手を引いて、セシリアは音楽室へと足を踏み入れた。

「こんにちは、セシリアさん。昨日に引き続きありがとうございます。」

 新たな参加者に気が付いたのは、ナギト・メーク。庶民では普通見ることすら叶わない雲の上の存在。

「あ、あの………こんにちは、ナギト様………」

 ライネを引いた勢いはどこに行ったのか。急にポッと顔を紅潮させてモジモジとし始めるセシリア。

 確かに彼女は人見知りで、人と話すのが得意ではない。数回しか会話したことのない相手とは、そしてそれが男性なら尚更、目を合わせて会話などできるはずがない。

 だがしかし、これはそういう類のものではない。

 (ははーん。さてはこれが目的だな?)

 今まで見たことがない位嬉しそうにナギトと話すセシリアを見て、途端に冷静な思考を取り戻した。

「隣の貴方は、同じクラスのライネ・コンスタンスさんですね。歓迎します。」

 家門の人がこんな庶民の名前をフルネームで覚えてくれているなんて。

 少し面食らってしまった。

「今日は自主勉にしますか? それとも…………」

「じ、実は……先程の地理学で分からない箇所がありまして………教えて頂いてもよろしいでしょうか?」

「はい、勿論です。そうかしこまらなくてもいいんですよ。」

「……はい。」

 そういえばセシリアはメーク領出身だったなと思い出しながら、ライネもセシリアに着いて行った。



                *



「どうだった? ライネさん。」

 音楽室を出たライネに、もう不安や緊張の表情はなかった。

「うん。………私、もっと頑張る。」

 勉強会に集まったのは、自分達と同じ庶民出の学生だった。彼らの熱量は同い年とは思えないほど凄まじく、危機感を覚えるには十分だった。



 こうしてまた一人と、勉強会に参加する人が増えていった。

 参加者が退室した後、主催側の五人は後片付けを行っていた。

「順調に人が増えてますね! ユウト君!」

 用意したホワイトボード上の文字を消すリクトは、嬉しそうに話した。

「俺が作ったポスターのおかげっすかね。」

 派手なポスターの犯人はリクトだった。

「まあ効果はあったかも…………」

 ハックは少し呆れた様子だ。

 ポスターを作って告知しようと提案したのはユウトだが、ユウトが試しに描いたポスターは葬式の案内みたいな息苦しさが漂っていた。

 強く反対したリクトは、魚市場で町の人が売上を上げようとあれやこれやと試行錯誤をする姿を見ており、張り紙一つで大きな効果を上げることが出来ることを知っていた。

 ユウトやナギトからは絶対に出ないであろうブライトなポスターは、当初リクト以外の四人は微妙な反応だったが、結果的に多くの学生の関心の的となった。さらに、ユウトが目指していた多くの人が分け隔てなく気軽に交流できるコミュニティ像とポスターの雰囲気は意外にもマッチしており、気になった人の後押しの要因の一つとなったことだろう。

「この勉強会の成功の秘訣はリクト君とハック君の、忌憚なき意見だと思いますよ。」

 そうナギトが話したのは、この勉強会を催すにあたって、場所はどうするのか、どのような形式をとるのか、どう周知しどう引き入れるのか。そういった細かい設定を皆で考える時、現状採用されている設定の多くはリクトとハックのものだった。紙のポスターだけでなく、各学生に一台配布された携帯端末から閲覧出来る学校の掲示板にも電子ポスターを掲示したり、会場の扉を全開に空けといて中の雰囲気を知れるように考えたのも二人だった。

「えへへ、ありがとうございます。」

「でも私は、ナギト君の考案したサイトの運営が覿面だったと思うわ。」

 勉強会に参加した学生には、一枚の紙が配布される。

 ここにはとあるサイトについての説明と、サイトURLやQRコードが記入されていた。

 ユウトが以前考えていたように、今の学力の差は、当人の努力云々とは違った別の問題がある。同じことをナギトも感じており、ナギトが高校までに使っていた教科書や問題集を無料で公開しようと考えたのだ。高等教育の基礎が成り立っていないと、今は暗記して点数が取れても、学年が上がり応用分野に進むとつまずく可能性がある。これを回避するために、ナギトは自分達のサイトを立ち上げた。

「いやいや、私はたまたまノウハウがちょっとあっただけですよ。」

 実はサイトの立ち上げや運営など微塵も知らず、一から独学で頑張ったことは誰も知らないことである。

 互いを褒めて互いに照れる。

 そんな微笑ましい光景に、見ていたユウトはクスッと笑ってしまった。

「今日はいい表情です。」

「バッハさん。」

 いつの間にかユウトの横に、バッハが立っていた。一応この部屋の責任者なのだが、勉強会の時は隣の居室から出てこないようにしていた。

「いつもは違う表情でしたか?」

「いいえ。ただ、今日は何だがいつにも増して嬉しそうです。」

「………そうですね。」

 ユウトは部屋全体を眺める。

「決して広くはない。特別な何かがある訳でもない。参加者も規模もまだまだ小さい。でも…………ここが、この場所が、僕の夢への第一歩だ。」

 この世界、この社会と比べると、驚く程にこの音楽室は陳腐な存在だ。だが、確実に小さな第一歩を踏み出したという紛れもない証拠なのだ。

「私達、ですよ。」

 ユウトの声を聞いたナギトが、そう訂正した。

 前を見ると、みんながユウトを見ていた。

 その瞳には、ユウトと同じ志が灯っていた。

「そうだね、ごめん。これが、僕達の第一歩だ。」

 もう彼は、孤独じゃない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る