第9話 変革の灯
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ユウトとハックが学校を去った後、残された人達は心そこにあらずの状態だった。
講義も身が入らず、リクトとアリスの間には珍しく会話が生まれなかった。
お互い思うことがあり、またそれを整理できないでいた。
午後の講義中、リクトはちらちらと端末を眺めていた。ユウトに送ったメッセージの返信がないのだ。
ナギトも含めて、彼らはユウトとの出来事を振り返っていた。
リクトはカフェでの会話を、アリスは電車の中での会話を、ナギトは車中での会話を。
そして共通しているのが、銃撃事件と今回の件における、不思議な現象の数々。
銃撃事件の際、白煙でユウトがどのような行動を取ったのかは誰にも分からないが、襲撃犯の言葉は聞こえていた。
ユウトは、彼らと闘っていた。
驚き呆けるのではなく、慌てて逃げ惑うのでもなく、ユウトは襲撃犯と闘っていた。
さらに逃げる自分達を連れて、一瞬でユウトの自宅までワープのようなことをした。この時点で既に理解できていないのだが、今日ユウトは宙を浮き、二メートルを超える大男をダンボールでも持つみたいに軽々と抱きかかえた。
もう普通の説明では理解できない事象だ。今まではユウトから話してくれるまで深い詮索はしなかったが、既にその段階を過ぎていた。
その日の講義を終えて、自然と集まったリクト、アリス、ナギトは、多少の会話を挟みつつも、静かに校舎を出た。
「……………ユウト君?」
校舎を出て正門付近に、ユウトの姿があった。
剥き出しの杖を携えたユウトが、そこにはいた。
「………みんな、この後時間あるかな。…………話したいことがあるんだ。」
*
「僕は、僕の事情にみんなを巻き込みたくなかった。僕と深く関わることで、何か不利益が生じると思っていたんだ。でも、今日考えが変わった。僕一人じゃ、何も変えられない。何も救えない。だから、今まで黙っていたことを話すよ。」
ユウトの家に招かれた三人は、居間でテーブルを囲うように座っていた。ユウトの両脇にはカオルとカエデが座っており、その向かいにリクト、アリス、ナギトが座った。
「……何から話そうか、……………そうだね、少し長くなるけど、僕の生い立ちから話させてもらおう。」
ユウトの中でも、何をどう伝えたらいいのかまとまっていない様だった。それでもユウトは、秘密だけではなく、自分のことをもっと知ってもらおうと考えた。今まで話してこなかったことに対する、ユウトなりの誠意だった。
「十五年前の火事の一件以降、僕はそこまで塞ぎ込んだ生活を送っていた訳じゃないんだ。といっても、実のところあんまり覚えてないんだけどね。」
「ユウト様は、親族が皆亡くなられた事実を、小さいながらに受け止めていたと思います。」
カオルが助け舟を出す。
「確かに私も四、五歳の出来事なんて鮮明に覚えていません。ふんわりとした記憶しかなくても仕方ないことです。」
ナギトの意見に、ユウトも賛同する。
「僕は幸福なことに、カオルさんやカエデさんがいてくれたことで、過去の出来事を振り返ることなく穏やかな日々を過ごせたんだ。」
ユウトは過去のぼんやりとした日々に想いを馳せる。
「ユウト君は、その時は別の名前で生活してたのですか?」
シンジロウの発言を覚えていたアリスは、ユウトの穏やかな日々の裏には、表向きは死んだことになっている事実が重要だったと考えた。
「うん。当時は小学校にも通わず、最低限の通信教育だけで、ほとんどこの敷地から出ない生活を送っていた。」
小学生の頃は活発に公園で遊んだ記憶が強いリクトは、湧き上がった純粋な質問をした。
「退屈じゃなかったんですか?」
「普通はそう思うだろうけど、僕はその時、あることに熱中していたんだ。」
「あること?」
ユウトは一冊の本をテーブルの上に出した。先程少しだけ席を外していた時間があったが、本を自室に取りにいっていたのだ。
大人が脇に抱えて持ち歩くような大きさに、学校の教科書よりも分厚い書物だった。茶黒くボロボロな外装。すっかり色褪せページ。かなりの年代物と推察できる。
「古い本さ。カイヅカは元々書物に精通していてね。この家にも多くの書物が保管されているんだ。」
カイヅカも元は七家門の端くれ。他の家門と同様に、何かしらの専売特許を有していたのだ。
それは、書物。
人間が知識を身に付け文明を発展させていく生き物であるならば、最もの根底を担う『学習』。人間は常に学び、それを後世に伝え、後世に生きる者はそれを糧にさらに深く学ぶ。これの繰り返しの成果が今の文明であり、知識を記し伝え、またそれを学び取り入れるのは書物を介して行われる。先達の書物は人類の叡智の結晶であり、文明の何においても重要な財産なのだ。
カイヅカ家はそれを広く取り扱う一族だった。
他の家門のように独占しようとは思わず、むしろ積極的に共有しようとした彼らは、金も権力も欲していないのに家門と数えられるようになった。七家門となった後もその姿勢を変えることなく、カイヅカ領には図書館が多く存在し、これは差別主義が横行する他領では有り得ないことだった。
そういった経緯からカイヅカ邸には多くの蔵書が保管されており、別荘にあたるこの家にも、珍しい書物が多く転がっていた。
「ただこの本は、家にあったものじゃないんだ。家にある書物を読み漁るのが好きな僕は、一日中書庫に篭っていることもよくある事だった。そんなある時、庭に一冊の古びた本が落ちているのを見つけたんだ。」
「それが、この本?」
ナギトの質問に、ユウトは頷いた。
「中を見てごらん。」
促されるままに、ユウトの真正面に座っていたリクトがその本を開いた。
「?」
リクトの両脇に座るアリスとナギトも覗き込んだが、リクトと同じようにハテナマークを浮かべた。
何故なら、何て書いてあるのかが一切分からなかったからだ。
「それは人間が扱う言語とは異なる言語で書かれた本なんだ。」
「異なる言語…………」
「みんなは、それを見てどう思った?」
ユウトの問いかけに三人が共通で思ったことは、不気味さや不信感だった。
現界には、魔人や天人を差別的に見るような教育が当たり前のように蔓延っている。優しい青年も純粋な少女も、普段から差別をしないであろうと人達でさせ無意識に彼らへ忌避感、嫌悪感を持っていることもおかしくはない話だ。既に三百年も交流がない三種族、親から子へと引き継がれる固定観念は覆ることなく、未知なるものへの拒絶を示す。これは今生きる人達には仕方のない反応だ。
しかし、ユウトはその範疇に存在していない。
「僕はね、これを見つけた時、自分の世界が変わったのを感じたんだ。現実では考えられないような事実が目の前にあった。いくら見ても、いくら眺めても、何一つ理解できない言語の羅列。僕の世界に存在しないその非現実に、僕は魅入られたんだ。」
普通に生きて死んでゆく人生では巡り合わないであろうこの本に、ファンタジーの世界に飛び込んだかのような強烈な刺激を受けた。
「今でもこの本に使われている言語を読むことは出来ないけれど、当時の僕はこの本を食い入るように見ていた。理解不能な記号の羅列から意味を空想し、気に入った文字を紙に書いてみたりして遊ぶのが好きだったんだ。」
綺麗な形のどんぐりを持って帰って飾ってみたり、キラキラと光る石を見つけると感動したり、そういった感覚に近いのかもしれないとリクトは思った。
「少し経って、僕は文字を通して例え難いエネルギーのようなものを感じ取るようになった。この本を手に取って文字を読み、文字を書き写す時は体が澄んでいくようだった。そしてそこから更に少し経った後、思わぬ事態が起こった。突然、文字を書いた紙が燃えて塵となったんだ。」
「マッチやライターも使わず、勝手に紙が燃えたと?」
「そう。僕はその時、ある仮説を立てた。この本は、魔法に関する書物ではないのかと。」
「魔法……………」
それは、三百年前に袂を分かった天人が扱う不思議な力。杖一つであらゆる現象を引き起こすとされている。
話を聞いていた三人は、いつもユウトが携帯している紫の細い包みの中身が杖だと知っているため、話の流れが見えてきた。
ユウトは淡々と話を進める。
「特定の文字を書いた時に、その文字や文字の羅列特有の現象が現実世界に発現する事を突き止めた僕は、現実を忘れ更に熱中していった。………………でも十二歳の頃、現実から目を逸らし続けた罰が下った。」
ユウトの目線は下がり、声のトーンも若干低くなった。両脇に座る二人も、どこか儚げな面持ちだった。
「いつものように早々と課題を片付けて自室に篭ってたんだ。その日は以前に立てた記号の法則性に関する仮説が正しいとわかったこともあって、凄く舞い上がってた。普段通り黙々と集中する雰囲気じゃなくて、それが影響したのか、無意識に発動してしまったんだ。しかも、いつものようにシュッと小さく燃え尽きるのとは比べ物にならない規模の火が発現した。一気に周囲に燃え広がり、瞬く間に火事と黒煙を引き起こした。」
ユウトは当時のことを思い出す。
火が燃え移る前に慌てて周囲のものを壊したが、その時のユウトはパニックに陥っており、がむしゃらに思い当たる行動を無作為に行っていた。異変に気付いたカオルが、カエデを連れて急ぎ消化器を持ってきたことで、何とか鎮火は叶った。
しかし息つく間もなく、カオルがユウトに迫った。
「一体何をやってるの!!!」
初めて見た。
カオルは、聞いたこともない大きな声でユウトを怒った。
初めて怒る姿を見た。初めて、自分をユウト様と呼ばず、ユウトと言って叱りつけた。普段の形だけの敬語も使わなかった。
鬼気迫る想いをぶつけられ、ユウトはようやく事態の重さを知った。
カオルの怒りと悲しみと安堵が入り混じった顔は、今でも魂に刻み込まれている。
その日の夜、ユウトはカオルとカエデに初めて魔法について話した。二人はユウトが小難しい本を読んでいる程度の認識であり、魔法のことは初耳だった。
ユウトの事情を聞き終えた後、カオルは自分の過去を話し始めた。
ユウトは理解した。そして大いに反省した。
カオルやカエデにとって、カイヅカ家は命の恩人であり、心の底から慕う家族だった。それを目の前で殺され、証拠隠滅のために骨も残らず燃やされた。託された当時四歳だった自分を一生懸命守って育ててくれたのに、成長した自分が火事で死にそうになった。
身が引き裂かれる思いだったに違いない。あの時の怒りも、あの時の悲しみも、あの時の締め付けられるような心の痛みも、全て身勝手な自分が引き起こした事だ。
ユウトはこれまで、過去の事件を引きづらずに生きてきた。当時四歳だったユウトは、まず何が起きたかよくわからなかったが、程なくしてカオルやカエデが泣いて悲しんでいるのを見て事態を何となく理解した。もう家族に会えないのかと、その時は年相応に泣きじゃくったが、カオルはメイドでありながらも本当の母親のように接して育ててくれた。カエデもいつも隣にいてくれた。四歳の自分にとって、過去の悲しみは楽しい日々によってすぐに消えていった。体も心も急激に成長していき、毎日新しいことへの期待と好奇心で過去を顧みようとは思わなかった。
しかしそれは、そうしなくていいように頑張ってくれた人がいたからだ。
通信教育として不用意な外出や外の世界に極力触れさせようとしなかったのは、自分を守るためだ。悪意ある社会の現実によって、成長過程の自分の心に暗い影を堕とさないように配慮して守るためだ。好き勝手自由に暮らせてきたのもそれが理由だ。
それを知らずにぬくぬくと育ったユウトは、その日、家族を悲しませた。
この日の出来事は、ユウトのみならず、家族全員を変えた。
ユウトはカオルやカエデ、そして外の社会に目を向けるようになった。
カオルはユウトを閉鎖的に育てたことに葛藤を抱いており、今後は他の子供達と同じように学校に通わせようと考えるようになった。危険も伴うが、一人の人間としての人生を尊重したのだ。また、ユウトの考えをあまり聞かずにいたことも反省して、ユウトとのコミュニケーションを増やしていった。
カエデはユウトの近くにいながらも、ユウトのことを全然知らなかったことを悔やみ、より献身的に彼をサポートしていこうと決心した。
カオルは、ユウトに魔法をやめて欲しいと思いながらも、ユウトが好きなことをやめさせたくないと考え、しっかりとルールを定めて取り組ませることにした。
それ以降、ユウトは魔法について今日は何をやったよ、明日はこれをやろうかな、といったことをよく話すようになり、ユウトが魔法の勉強をする時は基本的にカエデが側にいることが多くなった。
魔法の勉強を止めろと言われることを覚悟していたユウトは、自分の好きなことを尊重してくれたカオルに心から感謝し、より一層魔法について注力していった。
中学生からは地域の学校に通うようになり、人間的にも大きな成長を迎える。
勉学については問題なくついていけたが、自分が名前も生まれも偽っていることに加えて、格差・差別社会による理不尽な現実の数々に、ユウトの学校生活は晴れやかなものではなかった。しかし、ユウトは決して目を逸らすことなく、ゆっくりと時間をかけて物事を理解していった。
ユウトが一通り話終えると、しばらく何を話すべきか分からず黙っていたが、ナギトはまだ話では触れられていない部分を聞いてみることにした。
「ところで貴方は、今どんな魔法を使えるのですか? 我々を連れてこの家まで一瞬で移動したり、宙を浮いたりするのもやはり魔法なのでしょうか。」
これまでのユウトの話は、魔法の話というよりかは人となりを形成する経緯についてだった。それと同じくらい、ナギト達が体験してきた奇怪な現象の数々も気がかりなのだ。
「ナギト君の言う通り。僕はみんなの前で、既に何回か魔法を使ってる。」
ユウトは、テーブルに立て掛けておいた杖を触った。木材の肌触りは手に染み付いている。
「魔法に関する書物はこの家にはなくて、どういうものなのか詳細は分からないけど、文字を書くことで現象が発現していたことを考慮すると、魔法には触媒が必要なんだと思う。僕の触媒はこの魔法書だけだから、必然と本の内容に関する魔法しか使えない。でも逆に、魔法から内容を推測することができるんだ。」
「で、その内容というのが、今まで私達が見てきた現象について、ということですか。」
「半分正解。」
「半分?」
「当初、僕が本の言語を写して行使できた魔法は、火、風、水、土といった現象の具現だった。」
ユウトが杖を一振りすると、テーブルの真ん中に、四つの球状の輪郭が発生した。初めその中は空洞のように見えたが、端から次々と球の内側で炎が燃え上がり、風が吹きすさび、水が循環し、土が舞い上がった。
リクトとアリスが、小さく歓声を上げて魅入っていた。
「これが本の内容の全てですか?」
「そう。本の内容はね。」
含みを持たせた言い方に、ナギトはまだ続きがあることを察した。
「僕はこの本でありとあらゆることを試したけど、これくらいが限度だった。それで少しの間、この本を離れて、以前のように色んな分野の蔵書を読み漁っていたんだ。その時に、ある哲学者が提唱した概念を見つけて、それが本の内容と関連してそうだったから興味を持ったんだ。その者曰く、この世界に存在するあらゆる物質は四つの元素から構成されるという。世界の根幹をなす基本的な四つ
それは、ユウトが魔法の書物を触媒に発現させた現象と酷似していた。
「ただこの場合、四つの元素はそれぞれ物質としてではなく、それが内包する状態として扱われるんだ。分かりやすくいうと、そうだね……………例えば空気、つまり風は、そこから軽いっていう性質をイメージできるし、反対に土は固いってイメージが浮かぶよね。そんな風に、四元素が持つ解釈だったり性質を組み合わせると万物を構成できる、ていう考えなんだ。僕はこれを、魔法に転用できないかなって思った。」
「そんな事が可能なのですか!?」
ナギトが身を乗り出してユウトに質問した。ナギトの言う『そんな事』というのは、魔法というユウトですら完璧に理解していない理論に哲学という人間の学問を組み合わせる事、を指す。
「物は試しさ。そうなるように念じてみたり、哲学書に書いてあった記号やら単語を並べてみたり、囲うように書いてみたり、とりあえず片っ端から試したよ。全然上手くいかなかったけど、数年経ってやっと、元素の性質の付与に成功したんだ。」
ユウトにとっても、魔法書の解読ができない以上、確固たる根拠はない。実は哲学書の内容が初めから魔法書にも含まれていたかもしれないし、魔法自体にそのような可能性が秘められていたのかもしれない。そもそもユウトの使える摩訶不思議な力が魔法かどうかすら確証がないのだから、ただ起こった現実を受け止めていくしかなかった。
「それは全部ですか?」
「全部さ。」
「複合や同時も?」
「勿論。」
ナギトは驚愕のあまり、ゆっくりと姿勢を戻し、口元に手を置いて考え込んでしまった。
「どういう事ですか?」
いまいち理解が追い付かないリクトとアリスは、ナギトの様子に困惑を浮かべた。
ナギトは一つ間を置いてから、静かに話し始めた。
「……………………彼が操る魔法とは、道具や機械を使わずに理論を出力できる手段です。そこに、ある種世界の在り方を
ようやくユウトが話した内容の重大さに気付いた二人は、ナギト同様、驚愕のあまり声も出ない様子だった。
「そこまで便利なものじゃないけどね。」
ユウトは照れるようにそう補足したが、可能性は否定しなかった。
「それに、僕にも分からないことがまだまだあってね、転移もその一つなんだ。」
「あれは元素の組み合わせによる魔法ではないのですか?」
「うん。他の魔法は、頭の中で文字や記号なんかの理論を思い浮かべるんだけど、転移だけはその限りじゃないんだよね。それに変な制限もあって、転移の始点はどこでもいいんだけど、終点はこの家で固定されてるんだ。」
大通りで襲撃を受けた際に、一瞬でユウトの家まで飛んだのはそういうカラクリだったのかとナギトは納得した。
その後もテーブルを囲んだユウト達は、ユウトの過去や魔法について楽しく話し合った。魔法について話す時のユウトは、いつにも増して楽しそうだった。また、時折カオルやカエデがユウトについて話す際は、どこか誇らしげに語っていた。その光景だけで、ユウト、カオル、カエデの三人の関係性が解る。
会話に一区切りついたところで、ユウトは話を本筋に戻した。
既に外は暗くなり始めていた。
「ごめん。長くなったけど、ここまでは僕の事とか魔法の事とか、いきなり言われて困惑していることもあると思う。でも、僕がみんなに一番話したかったことは、今日の出来事についてなんだ。」
盛り上がった熱も冷め、再び厳粛な空気が包む。
ここまでのことが前座だったとすると、一体どのような壮大な話が待っているのかと身構えてしまう一同。
「……………………今日、サイアド・ハック君は………………自ら命を絶つことを選択した。」
重苦しい雰囲気が漂う。それは、話題が話題だからという理由の他に、各々の心境が絡んでいた。
ユウト以外、ハックの事を良く知らない。
普段から心配はしてたけど、それはユウトが気にかけていたのを知っていたからかもしれない。仮にユウトがこの学校にいなかった場合、それでもハックを気に掛けることはできたのだろうか。そう考えると、これからの話をどう受け止めるのかは、自分の今後に深く影響することを理解しているのだ。
「何故その選択を決断したのか、想像に難くないと思う。エーデルシックザール軍事学校は、今年度から厳格な入学条件を一部緩和し、一定の学力と財力があれば誰もが入学できるようになった。けど、だからといって誰もが入りたいかというとそうじゃないと僕は思う。絶対的存在ともいえる七家門と、暗黙の内に階層として存在する貴族と庶民。権力と差別が支配し、それを是とする社会。百年以上も続く当たり前の中で、地獄のようなこの学校に足を踏み入れることは、それぞれの目的あれど並々ならぬ覚悟と勇気が必要だと思う。」
ユウトは、リクトとアリスがどうしてエーデルシックザールに入学したのかをまだ知らない。ナギトと違って、二人は入学すれば間違いなく理不尽に晒されることを自覚していたはず。
それは、ハックも同じだ。
「魔人に近い血をもつとされ、色付きと昔から忌み嫌われてきたハック君の一族は、ハルバート領で酷い迫害を受けた過去がある。今はハルバート領とフシミ領の境界近くの小さな町に寄り集まっているけれど、ハック君はこの現状を変えたいと願い、エーデルシックザールに入った。結果、醜い現実に押しつぶされてしまった。…………………僕は…………………僕は、こういった現実を変えたいんだ。」
「それが、貴方がエーデルシックザールに入学した……………カイヅカ・ユウトに戻った理由ですか。」
ナギトの言葉に、ユウトは頷く代わりに自嘲気味に少し笑った。
「今日、僕はみんなの前でこう言った。世界を変えると。僕は本気さ。かつての僕にとって、世界はこの敷地の中だけだった。けどあの塀の向こうには、差別と軍事が支配する歪な社会が広がっていた。多くの人が苦しめられていて、限られた人達だけが心の底から笑っていた。変えたいと思った。でもやり方なんてわからなかった。理論は思い付いても、具体的な方法論は持ち合わせていなかったんだ。その答えを、僕はこの学校で知った。僕一人じゃ何も変えられない。だから、みんなで変えていきたい、変えていけたらいいなって思うんだ。」
ユウトの言葉に、リクトとアリスは顔を見合わせた。
ユウトの気持ちも、想いも、今日聞いた話だけじゃなくて、今まで見てきた言動から受け入れることができる。
ただそれ以上に、ユウトの見据える世界が大きく広く、すぐに回答できるような単純な話ではなかったのだ。
「ユウト君。私達一般領民は、世界を変えたいと思っても、家門や貴族に逆らえないのが現実です。勿論、私もリクト君も協力したいです。これはユウト君が魔法を使えるとかカイヅカ家だからとかそういうのじゃなくて、ユウト君だから協力したいって本心で思っています。でも…………」
アリスが続きを言い渋る。本心を優先せず、適切に現実を把握しているのは、彼女が立派な大人である証拠だ。
百年以上も変化のない階級社会。その支配構造に組み込まれた人が、明日急に変われる訳がない。
「カイヅカ・ユウト君。私も家門の人間。この不完全な差別社会を変えたいと思ったことは多々あります。ですが、私にはそれが出来なかった。その手段も、勇気も、私は備えていなかった。だから私は知りたいのです。貴方はどう世界を変えるのですか?」
これまで話したような抽象的な話ではなくて、より具体的な、現実的な方策について知りたいと三人は思っていた。そうでないと、世界を変えるなんてあまりにも途方もなく思えてしまうから。
「…………僕はエーデルシックザールに入学して、みんなに出会って、みんなから多くを気付かされた。」
そう言って、ユウトはリクトを見た。
「リクト君。」
「は、はい!」
変に真っ直ぐな所があるのは微笑ましいことだ。
「自分に出来ないことを誰かにお願いすることは、想像以上に難しいことなんだ。特に、見ず知らずの人に対しては。人間はやはりどこまでいっても二元的な生き物だ。勝敗、白黒、善悪。言葉は違えど、両極の立ち位置が無くなることはない。一度対極に立ってしまえば、歩み寄ることは難しい。弱さや隙というのはその立場を変える最もな要素となり、軋轢が大きくなれば差別に繋がる。お願いというのは自分では達成が困難だ、または不可能だと自白しているようなもので、貴族や家門の人達はプライドが高くそれを極端に嫌がる。リクト君は、あの時僕とは初対面だった。それでも、誰かのために取ったその行動は、リクト君が思う以上に勇敢なことだったと、僕は思う。」
リクトの表情は複雑だが、あの日の会話を今はもう引きずっていないように見える。
誰だって失敗はある。後悔もある。
それを抱えて前に進もうとする姿勢は、何よりも賞賛すべきことだ。
「アリスさん。」
「はい。」
「電車の中で、アリスさんは誰もが下を向いていると言った。庶民は貴族の影に怯え、他への関心よりも自身の保障を優先してしまう社会。アリスさんは他者との交流を経て、現実を直視することを選んだ。これは誰しもが出来ることではないと思う。行動を起こすことも勇敢なことだけれど、それは一部の人に限られた権利だ。万人に資格はあっても、各々の事情で実際に事を起こせる人は極少数で、大半の人は無関心を貫くだろう。その方が楽だから。それでもなお、この歪な社会を直視し続ける道を選んだアリスさんの姿は、こういう人が増えていけば何かを変えられるかもしれないと、そう僕に思わせるには充分だった。」
アリスはいつだって現実的であった。それは夢や希望を持たないということではなく、現実をしっかりと見据えるからこそ地に足が着いた夢が芽生えてくるのだ。
何かを変えられなくても、自分が特別な人間ではなくても、それは考えることを放棄する理由にはならない。
「ナギト君。」
ナギトの体は少しだけ硬直した。
この中で一番みんなとの交流が少なく、今までの話を聞いて自分が彼にもたらす価値を考えてしまい、緊張してしまったのだ。
だがそれは杞憂だ。
「人間は、かつての過ちとどう向き合っていくべきだろうか。ナギト君に大きな後悔があるように、僕にも、そして他の人達にも過去の後悔を抱える人がいる。誰かにとってそれは日常であろうと、自分にとってそれを罪と認めてしまえば、後悔と贖罪はいつまで経っても消えてくれず人生に暗い影を落とす。そしてこれは、誰かが解決してくれる問題じゃない。自分との闘いなんだ。きっかけはあったのかもしれない。僕達と出会ったことかもしれないし、他の出来事かもしれない。でもナギト君は、その影を背負い、前へ進むことを選んだ。その情熱は、僕が持たないもので見習うべきものだった。」
ナギトはハックに手を差し伸べなかった後悔をずっと抱えていた。偶然ではあったものの、ユウトとの交流を得て、自分を変えていく努力を決心した。
「ここにはいないけれど、ハック君からは、一人じゃ変えられないことでもみんなでなら変えられることに気付かされた。さっきハック君を自宅へ送り届けた時、村にいた多くの人がハック君の元へ駆けつけた。事態を知った彼らは、ハック君へ次々と謝罪した。ハック君も一人で抱え込んでいたことを謝罪した。みんなに囲まれ、みんなに愛され、そしてその中心にいるハック君もみんなを愛していた。それは僕が持たない強さだと思った。」
ユウトは再び、各々に視線を向ける。
「リクト君からは能動的で前向きな姿勢を。アリスさんからは現実的な視点を。ナギト君からは世界を変える情熱を。そしてハック君からは小さな英雄像を。全て、みんなから貰ったものだ。そこから導き出した僕の答えは、僕達だけの世界を創ることだ。」
ユウトは、世界を変えていくには長い時間がかかると考えていた。企業で偉い地位に立つ人は、決まって相応の歳を重ねている。時の流れは一つの資産であり、この資産価値でしかなし得ない事は多くあるからだ。
しかし、例えそうだとしても、動かなければならない時がある。自分にまだその力がなくても、将来性が薄く計画性がなかったとしても。
今の世界は差別に満ちている。苦しんでいる人が沢山いる。この現状を前に、まだそんなことを言えるだろうか。
将来のリスクヘッジは確かに重要だが、それでも今動くべきだと思わせてくれたのはリクトだった。
だけど、闇雲に動くだけでは何も変わらない。理想と夢の違いは、その願望が地に足が着くものなのかどうかだ。ユウトがやらねばならぬ事は、より現実に根付いた夢を追求すること。理想を撒き散らすのは独裁と相違ない。大言壮語だけれど現実味を帯びた夢にこそ、人は付いてくる。
現実をしっかりと見据える精神はアリスが教えてくれた。
一人じゃ世界を変えられないことはハックを見て気付いた。
そして、家門でありながら自分達を変えたいと願うナギトの存在は、最後の後押しとなった。ナギトはそれまで見過ごしてきた差別の被害者に大きな罪悪感を抱いている。それを真摯に受け止めて、それでもと叫ぶ真っ直ぐな情熱は、ユウトに最後の気付きを与えた。
リクトも、アリスも、ナギトも、それ以外の多くの人も、素直に懸命に生きているだけだ。それなのに、何故彼らが生きづらい構造が組み上がっているのか。極一部の限られた人のみが富と地位を築き、多くの人達を虐げ差別する。何故彼らが自由に生き、彼らが耐えなければならないのか。じゃあ変えられるのか。家門出身のナギトですら一度は諦めていたことを、何の力も持っていない自分達で成し得るのだろうか。いいや、ならば地位や力があれば変えられるのか。変えたら、世界は良くなるのか。今まで虐げてきた人達と虐げられてきた人達の立場が逆転した時、果たしてそこに憎しみがないと言えるだろうか。
この問いの果てに導き出したのは、今の社会構造とは違う社会基盤を確立した世界を創ること。
それが意味することは、
「もしかして、三界分立と同じ……」
「いいや、ナギト君。僕は先人を真似るだけでは意味がないと思う。」
ナギトが口にした三界分立とは、大陸を現界、魔界、天界に分けたことを指す。
貴族や家門らとの共存が不可能なら、住む世界を区分ける。これは、かつての大戦時に先人達が考え出した平和の維持機構だ。
しかし、ユウトの見据える答えはその先にある。
「かつてのヒト達は、きっとこれしか選択肢がなかったんだ。でも僕はこう思う。先人達を乗り越えてこそ未来は切り開けると。だから僕は、先人達の道を辿りながら、その先を目指したい。僕達だけの世界を創るのは、僕達が貴族や家門と対等に交渉する手段に過ぎない。」
「…………確かに。今のままただ我々が喚いたところで世界は変わらない。まずは彼らと対話が可能な力を身に付ける必要がある。………理にかなった説明てすが、実際どうするのですか?」
それが簡単に出来れば、世界はこうなっていない。そうナギトは考えたが、ユウトは違った。
その考え自体が、物事を複雑に捉えている思想なのだ。
「僕はもっとシンプルに考える。今の一般領民に地位も力もないのは、それだけの知識と知恵がないからだ。」
その言葉に、リクトは以前の自分の言葉を思い出す。
――何か貴族達みたいに生まれの身分が高い者って、こう能力は低いけど威張ってるみたいな印象があったんだけど、実際は頭いい人多いんだよね。――
リクトとアリスは実感していた。自分たちが文武両側面で自分達を差別する上の人達に劣っていると。幾ら差別や現状の待遇に不満を持とうと、それ以外でも劣っていて果たして彼らは耳を傾けてくれるだろうか。
「本当の力とは、相手を圧倒する武力を指さず、大衆が持つ知恵だと僕は思う。一人の考えではなく、みんなの考えで世界が動くシステム。それを構築し、繁栄させていく。僕は、この世界に民主政治を樹立させたい。」
「民主、政治…………」
話の大きさに、リクトとアリスは置いてけぼりだった。実質ナギトとの問答になっている。
それも仕方ない。一般領民はアリスが言う通り、そんな事に目を向ける余裕など今までなかったのだから。
「と言っても、スケールの大きな話ばかりしても意味がないよね。」
ユウトはようやく張り詰めた雰囲気を朗らかな微笑みで和ませた。
「エーデルシックザールには、家門や貴族の子供が多く通う。つまり、次世代の中枢を担う人材が集まっているんだ。その影響力は、この領土に収まらず現界全体に及ぶ。だからまずは、この学校を変えたい。でもそのためには、やっぱり変える側が一定の知識と力を持つ必要がある。だから、僕達でも手の届く目標を一つ、みんなにお願いしたい。」
息を呑むリクト達だが、答えは以外にも彼らの想像よりも拍子抜けたものだった。
「僕達で学校の成績上位を独占しよう。」
「………」
リクトとアリスがそんな事でいいのかな? と考える中、ナギトはユウトがそう言った意味を理解していた。
(エーデルシックザールは、貴族や家門の人達が学び競う場所で、成績に強いこだわりを持っている。歴史から見ても、彼らの思想は実力主義。今更情に訴えても誰も聞いてくれない。)
だから、まずは自分達が示すのだ。彼らよりも劣っていないと。そこからでしか対話は生まれない。
ナギトは頭の中を整理した。
(彼の段取りとしては、1. 学校を変える。これは貴族や家門の実力主義の側面を逆に利用し、自分達の能力を示すことによって無視できない存在とし、これを入学条件緩和によって入ってきた一般領民出身者にも伝播させる。この学校を一般領民への認識を改めさせる土台とし、2. 民主政治の樹立。1で集めた人達を基盤に思想を共にする集団を形成し、今の社会構造とは独立した集団を構築する。そして、3. 家門との対話もしくは民主政治の拡大。)
この分析は的確であった。
「成績を上げるって言えば簡単に聞こえるけど、実際はかなり難しい。文字通り土台から違うからね。でも、だからこそ、僕は改めてみんなにお願いしたい。僕一人じゃ世界は変えられない。みんなの力を貸して欲しい。」
ユウトが頭を下げる前に、今まで話にいまいち着いてこれなかったリクトが高らかにこう言った。
「もちろんです!」
リクトにとって重要なのは、世界を変えるとかその道のりが困難だとかそういうことじゃない。
短い付き合いだが、肩書きとか立場とかそういうの関係なくユウトが素晴らしい人だと確信している。
信用も信頼もしているし、されたいとも思っている。目指すところがあるなら応援するし、協力できるなら進んで取り組みたい。
リクトを突き動かす原動力は、理屈や理論ではなくもっと心に近いものだった。
「頼んでおいてこう言うのも変だけど、君達の人生が変わるかもしれない。何か不測の事態があるかもしれない。それを僕は、百パーセント退けられると言い切れない。それでも――」
「それでもやります! 僕にできることなら、やります!」
瞳に宿る、真っ直ぐで正直な灯火。
純粋な彼の心は、何度でもユウトの奥底を柔らかく溶かす。
「………ありがとう、リクト君。…………ありがとう。」
これからの道は、極めて険しいものとなるだろう。
彼らの打ち立てた夢は、一般的には理想でしかなく、一部の者達はサークル活動のような稚拙さを感じてしまうことだろう。
だが、確実に言えることは、この日、彼らの胸に灯火が芽生えた。
かつての偉人はこう言った。
『一つ』の社会を構成しているのは『多数』のヒトであり、『一つ』の炎を形作るのは『無数』の灯火だ。重要なのは、大きな枠組みを捉える視点ではなく、小さな灯火を絶やさないことだ、と。
そしてこうも言った。
どんな困難に打ちのめされようとも、決して、その灯火を絶やしてはいけない、と。
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