6話 兄弟愛っていいなぁ

 アベル•アセンブルは劣っていた。



「兄達を見て学んでみなさい。彼等は貴方より優れて、先に産まれた存在なの。それに先達の後に続くのは賢く生きる上での近道さ」


 最初は言われたからだった。その言葉の意味など当時の彼は一欠片も理解していなかった。


 しかし彼は知る。優れているとは何かを。


「今日は1人。貴方達はまだ立っていますが明日は、明後日はどうなるかは分からない。その上で、貴方達が何をするべきかは、それぞれ自分でよく考えなさい」


 それまで何不自由なく生きていた彼だが、不安や焦りを隣に立つ兄から感じ取りようやく気付いた。


 自分達は試されていると。


「危なかったね。次はどうなるか、不安になったかな。それは正常な反応だ。でも気付くのが遅過ぎだ。もう皆んなは走り出してる。スタートはほぼ同じだったのに」


 自分を母親だと名乗り、いつも昼に兄弟全員の体を診察する彼女は薄く貼り付けた様な笑顔で言った。


 自分アベルは危機感が薄く鈍い。


 彼の見える世界は明るく暖かなものであったが、それは彼だけの物で兄達は常に他を競争相手としか見ていなかった。


 ただ彼は兄弟で1番の劣等者ノロマであった為に皆から敵視される事なく無害な存在として扱われていたに過ぎない。


「ほらこっちだ。そう、そのまま上を見るんだ。何も怖がる事はない。手なら幾らでも貸してやるさ。だって俺達は兄弟だぞ」


 ただ1人だけ、彼を無害な存在としてではなく、弟として見た者が居た。それが幼少期のアベルにとって掛け替えのない存在になっていたのは言うまでもない。



 唯一目を見て話してくれる存在に手を引かれるように彼は育っていった。


 他の兄達が互いを警戒する中、その2人は支え合い認め合う事でより前へと進み続けた。


「ああ、長く続けてきた事がこうも望んだ通りの結果を見せつけてくれるのは嬉しくもあり寂しくもある。よくやったね2人とも」


 2人は歳を重ね成長し母親から課されたものを乗り越えた。その姿は逞しく、落ちこぼれであった彼も兄達を超える巨漢へと成長を遂げていた。


「私達は期待に応えたまで。しかしそれが貴女の研究の糧となったのであればどうか母よ、私達めの名前に母と同じ性を連ねさせては頂けませんか?」

「カイン…?」


 成長途中に背を抜かし見下ろす形となった兄の背中を見つめアベルはその言葉の意味を図りかねていた。


「私と同じ性を名乗りたいって?いいよ。私は貴方達の産みの親で、2人は自慢の子。断る理由も無いし、好きに名乗りなさい」


 ただ分からず眺めていたアベルの前でカインは母との交渉により褒美を授かった。


 それにより2は母と同じ性を名乗ることとなる。



「お兄ちゃん」

「………」

「ねぇお兄ちゃんてば!」

「?すまない。考え事をしていた。それとその呼び方、もう辞めないか」

「え……」


 兄のカインはとても賢く、冷静でよく母の手伝いをしていた。その過程でアベルよりも知識量が多く情緒の発達が進んでいた。


 彼の『お兄ちゃん』呼びも強制され『カイン』と呼ぶようになり、兄も彼を『アベル』と呼んだ。なんだか他人行儀な呼び名に慣れず落ち込む事もあったが、次第にアベルも精神面でも成長して行くに連れその呼び名も忘れていった。



「ほらあっちに逃げた!足の筋が切れてるのは後回しで、お前は昨日捕まえたのを追え」

「了解」


 母の研究は次第に騒がしい物が増えた。アベルが目覚めた時は兄弟が多くいたが、すで居ないので仕事は多かった。


 しかし毎日をただ過ごすだけの生活は争いを好まないアベルにとって、3人との日常は幸せだった。




 そう、母が居なくなったあの日までは。







 暑い。いや熱い!


 私は、今、限りなく、制限なく!


「燃えているぅ!アッッツいね!」


 火の手が建物中に巡り、あの穏やかで人道無視の悪辣な風景は過去に、今はただ火が大きくなる為の薪と化す。


 そしてはそれは私にも当てはまる。


「ああ痛い!ああ苦しい!でも!全然怖くない!」


 施設運営のトップを担う兄弟のから始まった崩壊は止まることを知らず、そこにある全てを灰に還した。


 だが、取り残され焼け死ぬ以外に道はなかった人々を救った者は、4つの蹄を高らかにならして炎の中を通り過ぎる。


 それは人の上半身を馬の胴体に縫い繋いだ異様の姿をしている。金色に輝く頭髪は焼け焦げ宙を舞い、鍛え上げられた肉体美は無惨にも炭化し元の姿を失わせた。


 そこにあるアベルの意識は薄れ落ち、残るはただ家族への思いのみ。皮膚の下を這うに嫌悪を向ける事すら彼には許されない。


 あの部屋で、囚われた人間と同じく死が命を取りに来るよりも早く奴は体を奪い、死から遠ざけた。


 死にかけの体を補強、痛覚や感情の起伏、それらを奪われて、残ったのは僅かな意識のみ。


 何も出来ずにいる困惑すら沸かず、なすがまま明け渡してしまうアベルに、悪魔は語り掛けた。


—————君を知りたい、貴方を知りたい。


 それは願い、全てを奪う悪魔が語るにはバカバカしい内容であったが、耳を塞ぐ事は出来ず、言葉は意識の奥へと染み込んだ。


—————カイン、兄、お兄ちゃん…か。


 入り込んだ異物は記憶を漁り、誰にも触れられる事のなかった領域に踏み込んだ。


—————2人なら出来た。出来ないことなんて無い、ね。すごいなぁ、いいなぁ。


 深く入り込んだ影響か、アベルも次第にこの悪魔の感情を計れるようになった。


—————掛け替えのない家族、家族愛。ああ、ああ!素晴らしい事を知れたよ。家族が、愛が!こんなにも大きな物とは…。


 アベルの記憶を食べ尽くした悪魔は楽しげに叫んでは興奮を隠し切れない様子で悦に浸ったている。


 そしてその感覚すらも薄れ溶けてゆく間、朧げながらもその悪魔の姿が見える。


—————私の体も、流石にこの熱量では耐えられないんだ。


 人間の、小柄な型をしたはアベルの残火を両手で掬い上げ。


————君の体、貴方の肉もやがて保たなくなる。ならさ…これからは私達でをやろう。


 両手を閉じて火を挟む。手のひらをすり合わせ、こねる様に潰されたアベルは【自分】が誰で、【誰】を思っていたのかすらも既に忘れてしまう。


———アベル、一つになれば別れない。ずっと安心してられる。


 残った僅かな本能が掠れた声で逃げろと言う。


——君は愛を抱え私はその愛を知り、私は君を抱え君は私に溺れる。


 挟まれ潰されていると知っている筈、それなのにその手にはアベルのかつて無くしたものを感じてしまう。そのせいか、アベルの輪郭は崩れ始め、溶け落ちる。


—ああ、そんなに小さかったんだね。でも良いんだ。その方が、し。


 最後の時アベルの肉体は、本人も信じられない程に、安心した表情を浮かべ泣いていた。




 そして、私達は一緒兄弟になった。







「——————誰ェ?」


 火が渦巻く中でも、建物内で最も厳重な作りをされたその部屋は比較的被害を受けていなかった。


 しかし、カインの命令で残った物達の一部が散らばり、床は黒く染められていた。彼等は最後の仕事をやり遂げた満足感と最後を迎えた際の恐怖で表情が歪に歪み切っている。


 そんな中、大部屋の主人は新たに入って来た者に困惑していた。


「鍵は開いたみたいだね。さぁ会いに行こうか」


 死んでいる。もう既にその体の何処にも生命が残っていない。なのに、今話をしているのは一体誰か。何がそこにいるのか。


 初めてだった。彼女以外に言葉が詰まり、八つの脳が思考を停止したのは。


 そして、ソレは勿体ぶるように、震えを堪えるそぶりを見せ、その巨大に問い掛けた。


「君は





 その後、施設、その周辺1Km全て物体が怪物の咆哮により、悉く崩壊した。

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