4話 食べちゃうぞ♡

 施設に放たれた離脱への準備の指示。それはくまなく設置されている放送機により迅速かつ正確に全ての者に伝えられた。


 ここに生まれここで一生を終える事を是とし認識していた彼等にとって、それは家を捨てる以上の不安を抱かせるに足る事であった。


 しかし放送には“創設者”の名前が入ることで混乱は免れ、速やかな行動へと各自が動き出した。


 ある者は作成したばかりの書類を燃やし、またある者は今まさに完成した悶える作品を圧力機で潰した。


 しかし、各々が命令に従う中を大股で颯爽と通り過ぎる巨漢が一名いた。その者にも彼等と同じく人では無い別の生き物のパーツを移植された痕跡が見られた。


 一定のリズムで鳴る蹄は床を蹴り上げその逞しい巨大を前へと進ませる推進力となり、その上部には本来首が繋がる筈が繋ぎ目の跡を跨いで鍛え上げられた男の腹筋がそびえ立っていた。


 健康的な小麦色の肌をなぞり見上げればそこには金色に光り輝き、まるで絹の如き滑らかな長髪を頭の後ろで束ねた男の顔が見られた。


 男は人混みの中をぶつからないよう充分に注意を払い、最上階にある例の放送を行った者の部屋へと急ぐ。


「あ…アベル様だ!」「なに何処だ」「きゃあステキです!」「今日も神々しい」「今目ぇ合わせちまったカッチョェヨ!」「あのお姿をもっと近くで」「まて俺が先だぞ」「ちょっとそこ」「お前だろ」「私が」


 途中から人の目に止まり集られかけるがするりと脱し後にする。勿論好意を無下にする事はなく振り返らず親指を立てる仕草を見せる。


 続く歓声が聴こえなくなる程に移動を続け目的の部屋へと到着する。腰に巻いたバックルから布巾を取り汗を拭うと一呼吸置き扉を2度ノックする。


「アベルだ入るぞ」


 作法に則りノックはするが返事は待たないという勢いで部屋に入る。それにため息を堪え筆を止め来客を見上げた男は口を開く。


「やはり君か」

「分かっていた筈だ。お前なら」


 入るには低い扉を潜り終え扉を閉めた同時に詰め寄り、息が掛かる程に2人の距離が縮まる。見つめ合いただならぬ空気を筈かに過ごした後、剣幕から引く様に部屋の主人は椅子の背もたれに寄りかかる。


「アベル、…以前から言い続けてるがあの服を着てくれ。君から溢れる香りは一部の者達からその…、苦情が来ていてね。作業に集中出来ないと」

「苦情とは失礼な。それではまるで俺が臭いと言われている様で傷つくぞ。それに集中出来ないのは俺の肉体に惹かれていてだな…」

「そうではない。フェロモンに当てられて男女問わず発情するからだろうが。まったく、最近は男どもが組んで私の部屋に押しかけて来たのだぞ。ファンクラブだのなんだのと…、くだらん事に私の貴重な時間を使わせるな」


 先程の睨み合いが無かったかの様に2人は雑談を始める。客に合う椅子が無いため用意してあったクッションを手渡し、その気遣いに微笑を返すその仕草は長年付き添ってきた間柄を表す様であった。


「カイン、これは一体どういう事だ。返答次第ではお前の役職は今より別の者に引き継がせる事になるぞ」

「ほう、私以外の者に務まると?」

「いざという時の為に人材育成を徹底していたのはお前の筈だ。今がその“いざ”って時かもしれん」


 アベルはそう言うと紅茶を淹れようと立ち上がる肩を上から押し付け再び密着する。先程とは違い手には即座に万力が加えられるよう力が込められ、それを感じとって尚男はアベルの瞳を瞬き一つせず見つめていた。


「なあ…本気でするつもりか?」

「君なら聞かずとも分かるだろうアベル」


 返答としてアベルが望むものが帰って来る事がないと悟る。決断を下したこの男に説得が効いた事など無く、今までもそれに従い全力で行動したから今の自分達が在る。だが今回は別である。


「それは本懐の為か」

「ああ、そうだとも当たり前じゃないか」

「…カイン。俺達はお前には従えない」

「何故だい。これは今まで続けて来た事をまた続ける為のもの、それにこれは創設者の意思で…」

「母を愚弄するなァっ!!!!」


 突如発せられた罵声は積み重なった書類を吹き散らし、大気を震わせる程の威圧を含んだ——かの大部屋の怪物に匹敵する怒号であった。


「君が叫ぶ理由を問いたい。何が不満なのだ。母の役に立ちたいのだろう。それは同じの筈だ。どうか落ち着いてくれよ」

「………くっ!」


 “弟”。その発言により肩を砕かんと込められた力が霧散する。同時に男は自身の肩に置かれた手に愛しむ様な手つきで指を乗せ、反対の手で震える帆を撫で更に肉薄する。


「私達は何だい?兄弟だろう?他の者達とは違い本当の意味で繋がり支えてきた。なのにそんなに震えることは無いだろう」

「だがお前は裏切った。…最も尊いものを汚したのだ。だから俺は…!」


 段々とアベルの言葉は震え、今にでも消えてしまいそうな声であった。


「…君も気付いていたからここに来たのだろ。だからこうして私に敵意を向けている」

「母から連絡があったのだろう…200の交信が」


 確信があったわけではない。それでも同じく託された者として通じてしまう。いつも冷静であった兄がとめどない怒りを抱えていると。


「母はなんと…仰っていた」

「……っ、昔の様に淡々と言っていたよ。『全員しておいて』って」

「そう、か…」


 アベルは此処ではない何処かを見つめて微笑みを浮かべる。それは母の健在に安堵したからであり、変わらない様子に安心したからであった。そして最後の決心は固まった。


「カイン、俺はお前の言葉を一番に信用してきた。母ならばこうした、母ならばこう言うだろう。お前の言葉はいつだって正しく、まさに母の代弁者であった」

「…それで?」

「だがそれも終わりだ。ここの統率は俺が継ぐ。お前の助けは2度と借りん」


 帆に触れる手を振り払いアベルは肩に置いた手で男を突き放す。それは決別の意思表示であり、今までの恩の返上だった。


「感謝の言葉はしても仕切れない。なので俺はお前を殺さない。カインよ、今この場で謝罪と共に腹を切れ。そうすればかの楽園でも俺はまたお前と兄弟の契りを交わそう」


 裏切られたこと自体にそれ程驚きはなく、いつか互いの道が分たれることは予期していた。母を敬う気持ちは同じであれど、目指す先は違っていたのは知っていたからだ。


 それでも、“母を裏切る”。それだけは許すことの出来ない。それは自分達の存在を否定して塗り替えるのと同義で、間違った行いだ。


 なので兄弟として、その償いは見届けるのが責務だと考え、アベルはこの為に用意していたナイフを差し出す。そんなアベルの姿を見て肩をすくめ、それを掴もうとカインは指を取手に重ね——


「ああ、そうだな。愚かだった。母の意思に———

「——っ!がああ!」


 手に取った途端一瞬の内に机に立ち上がり、アベルの腹にナイフが吸い込まれるように突き刺さる。アベルは痛みに耐えかね前足で膝をつく。


「私の、言う通りにしておけばッ!」

「やッやめ!あああ!」


 倒れる身体からナイフを抜き取られ血飛沫が部屋に飛び散る。


「お前は要らない。私の作る世界に不要だ」

「カイン…、なぜッ!あああっ!」


 抜いたナイフが次の標的を見定め、右肩を切り裂く。アベルは突然の事に抵抗すらできず苦痛に悲鳴を上げることしか出来ない


「お前の図太さには呆れを通り越し怒りが湧き上がるよ。200年振り?お前の見えない所で私は母と話をしていたというのに」


 机上から見下ろす男は俯くアベルの頭を蹴り、巨大な身体を部屋の戸棚に吹き飛ばす。同時に強い衝撃が部屋全体に広がり本や照明が床へと落下し、引火した。


「母はこの施設を放棄した後、直ぐに王都で功績を上げ確固たる地位を手にした。錬金術への評価を一変し、『錬金術の母』と讃えられたという。しかし母は私達作品を一部の者達にしか公表しなかった」


 次第に燃え広がる火の手は部屋中を飲み込み、扉の外へと移動しつつあった。それを意に介さず男は語り続ける。


「母は自身の研究を知り賛同した者達と共にある教団を設立した。それは機材や素材や人材を豊富に兼ね備えた此処よりも環境に優れた場所だという。わざわざ不便極まる私達過去の元に戻る必要なんて無い程にな」


 男は机に座り煙が溜まり黒く染まった天井を見上げ、動かなくなったアベルの名を呼ぶ。


「私は、捨てられたお前達を無視して何処か遠いところへ逃げる事も出来た。でもしなかった。母へ、見返したい。私はまだここに居ると、産まれた意味を知らしめたい。ただそれだけなんだ…」


 もう十数秒で崩れ落ちる天井を見越して机から降りる。煙が充満し生き物が生存できる空間でないのにも関わらず男は平然と歩き出し、かつて“お兄ちゃん”と呼び追いかけて来た弟を1人残し部屋を出る。


 火は施設上階を焼き尽くし下の階へと燃え移り始め、通常火災の対処にはカインかアベルが指揮を取るため対応が間に合わずにいた。


 その中を突き進み無事な者達を誘導し外の広場へと集め、生存者の数を確認させる。上階に居た者達の殆どは煙の被害に遭い長距離の移動が困難となったが男の指示で大部屋へと移す指示が出された。


「行こうか。創設者の為に」


 必要な最低限の物を持ち出した千を超える同胞が指示を待つ光景、それを見て笑う男の姿はこの場において異質であった。


「復讐の為に」


 異形の群れを率い優れた才を払うその者はまさしく、人間の姿をしていた。







 同時刻、燃え広がる施設内にて。


「(息は辛うじてしてるね)」


 避難指示に反し独断行動をとる影が一つ。


「(その身体、頂いても良いよね)」


 その影は薄れ行く意識の男に、静かに語り掛けていた。

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