第54話 星がふたりを見下ろさば

 残り3周と少し、ベガが前を走るイルカとのラインを交錯させ始めた時。ふっ、と夜のとばりが落ちるかのように、サーキットが急激に闇に包まれつつあった。


 夕日はもう半分山に沈み、残った上半分がコースに最後の陽光を届ける。そして……


「あ、なんかキレイ」

「キラキラしてるー、さすがホタル号」


 金緑色に塗装されたベガのマシン、その金属フレーム部分が闇の中で光を反射してチカチカ、キラキラとまたたいている。それはまるで前を走るイルカの水色のレーシングスーツを追いかけて、ホタルの群れが舞っているかのようだった。

 右に左にラインをクロスさせて走っているのが、なおさらにそのイメージを強調させている。



 それを観客席で見ていた白雲和尚夫妻が思わず立ち上がり、指を差して声を震わせる。

「おお! まさに蛍じゃわい。ほれ三ツ江、あの子のカートが、きらきら輝いておるわ」

「ええ、ええ、あなた。本当にホタル号、あの子の車よね」

 かつて蛍の名を持つ息子の為に買ったマシン。20年の時を超えて今、まさに蛍のような輝きを放って、生き生きとビビッドに駆け抜けていく。


 ベガ・ステラ・天川という、海の向こうから来た、生き生きとした少女ビビッド・ガールの手によって!



「ラスト2周っ!!」

 大谷社長がコース脇から身を乗り出し、指をチョキにしてかざしながら大声で走って来る2台に告げる。夜の闇が来るのが思いのほか早く、選手にサインを出すにも大きな声とポーズでないと伝わりにくいからだ。


 その彼の、そして見守る一同の前を、水色のイルカカラーのレーシングスーツ&ヘルメットが、そして金色の輝きを放つホタルの群れが、エキゾーストの二重奏を残して駆け抜けていく。


 ――シュシュッパアァァァァーーーン――



  ◇        ◇        ◇



「分かっテ来マシタ!」

 ベガはロスの多い走りをし始めたことで、ようやく攻略の糸口を見いだせていた。

 そう、今日の最初のレースで星奈が見せた『相手と違うリズムで走って距離を調整し、ここぞの時に合わせる』という戦法を思い出していたのだ。


 普通ならここで星奈に習って、少し距離を置くという方法も取りえただろう。が、ベガはここまでの流れで自分が選択した、この走り方にこだわりたかった。


「ダッテ接近戦バトル、サイッコーに楽しいデス!!」


 イルカのお尻テールと自分のノーズが、何度も右に左にと交錯する超接近戦。その中に身を置いている自分に、愛しの彼を追いかけまわす自分の存在に、ゾクゾクとした高揚感を全身で感じていた。


「ココロはホット、カラダはクール! イイェエアァァァ、カートサイコーデスーッ!」

 どこかの熱血漫画とは真逆の言葉を吐きながら、右に左にイルカを追いかけまわすベガ。確かに情熱のカタマリと化している彼女のメンタルとは逆に、その腕や足はステアリングやベダルを極めて正確にコントロールしていく。


 2コーナーを抜け、関門の3コーナーですらわずかに角度の違うラインで抜け出しながら、ベガは勝負どころが近づいているのを感覚で掴んでいた。


(こうマデ左右に距離が入れ替わり続けるナラ……キメにイクのはアソコしかナイデス!)



(くっそ、なんだ……どうなってやがる!)

 前を走るイルカは困惑していた。今まで真後ろから聞こえていたベガのエンジンの音が、ほんの1周前から右から左から聞こえるようになっていたから。

 まるでタチの悪い暴走族にあおり運転をされているような音の聞こえ方に、「遅い」と言われているかのようなプレッシャーを叩きつけられていた。


(落ち着け……ブロックするレースになるのは覚悟の上だ、あれだけブレーキを早めに踏んでいるんだから、どんだけフェイントかまそうが来るのは1コーナーか5コーナーだけだ!)

 後ろからのプレッシャーに耐え、勝負所を冷静に分析するイルカ。彼もまたこの一年でレーサーとして飛躍的に成長してきた。単なる速さだけではなく、戦略を含めたレースマネージメントも兼ね備えている。


(残り1周半、押さえきって見せるぜ、ベガちゃんっ!)



  ◇        ◇        ◇



 直角の4コーナーをイルカが、そして金色の光を纏ったベガが違う角度で抜け出してくる。アウトにはらむイルカのテールと、インに切り返すベガのノーズがこすれ合わんばかりに交錯し、5コーナーの飛び込みでインに入るベガ。


「やっぱりあそこで行くの!?」

「ダメだ、今までの散々失敗してきた……って、うぉっ!?」

 ピットで見ていた星奈たちが、ベガの次のアクションに思わず叫ぶ。なんと一度インに入ったかと思ったら、そこから逆に切り返してアウト目一杯までホタル号を持って行く!


「アウトからだと!」

「お姉ちゃん直伝のタイヤ浮かしで、アウトから?」

 なんとイルカに外から並びかけるベガ。今まで立ち上がりで外からマクられていたベガが、お返しとばかりに外から抜きにかかる。確かにこのまま並走して立ち上がれば、次の6コーナーでインを取って前に出る、いわゆるカウンター攻撃になるだろう。


 イルカもそれを瞬時に判断したのか、半ば無理矢理にマシンをこじってインをかすめ、最短距離を通ってベガの前を押さえようとする。車体一台分前に出た彼は、アウトギリギリにカートを寄せてベガの進路を殺し……


「ここから、クロスラインだとっ!?」


 まるでアウトを塞がれるのを予想していたかのようにベガはインに切り込み、またもイルカのケツを嘗めて逆側に飛んだのだ。そしてそこからぐいぐい加速し、ついに6コーナーの入り口でアウトから並走にまで持ち込む!


 インからコーナーに飛び込んだイルカがアウトにはらみ、外から姿勢を作ったベガが出口でマシンをインに寄せる。6コーナーから最終コーナーは切り返しではなく、右から右へと曲がる。つまりここでインを取ってしまえば、出口までずっとインを独占できるのだ。


「交差から交差、クロスライン2連発か!」

「ここでインを取るために……計算し尽くしていたの?」


 ピットから驚愕の声が上がる。最終コーナーだけは加速しながら抜けるのでイルカの早いブレーキングに惑わされることは無い。速度を殺さないので脱出の際のイルカのエンジンの立ち上がりの早さに置いて行かれることもない。


 水色のイルカの内側に、金色に輝くホタル号が入り込む。並んだまま最終コーナーをクリアして、外側をイルカが、内側を金髪のベガが、泳ぐように飛ぶように疾走していく!


 そして、ファイナルラップに突入する。


「ついに……完全に前に出たっ!」

「壁を、ぶち抜きやがった」


 ストレートで並走している以上、1コーナーはもうベガの独壇場だろう。なにせイルカはアクセルが少し開いているので、早めのブレーキをしなければ止まり切れないからだ。

 案の定インから一歩前に出たベガが、得意のブレーキングドリフトを豪快に決め、一気に1コーナーを立ち上がっていく。イルカも必死になって追跡するが、もはや勝負はあった。


 ――誰もがそう思った時だった。サ-キットにドガン! という激突音が響き、2コーナーで2台のカートマシンが停車するのを見たのは。


「え……ここに来て接触? そんな」

「イルカの野郎、ぶつけやがったのか!」


 思わず激高したのは国分寺の斎藤だ。怒りに任せてコースに身を乗り出しかけた彼の肩を社長の大谷が掴んで止める。

「いや……接触じゃないな。むしろベガちゃんが何かトラブルで止まったように見えたぞ」


 その社長の言葉に応えて、美郷学園カート部の全員がコースに飛び出す。ベガもイルカも再発進する気配もなく、そこで止まったままだ。一体、何があった?


 彼らがバタバタと現場に到着し「大丈夫?」と彼らに声をかけた時、ベガがシートに納まったままスポッとメットを脱いで、少し困った感じの笑い顔で、あっけらかんとこう告げた。


「アハハハハ……ガス欠みたいデス」


 あーあーあー、とイルカ以外の全員がずっこける。


「ベガだけ10周余分に走ってたからな、燃料足すのを計算に入れてなかったんだろ」

 イルカがそう続ける。皆が来るまでにガス欠を察した彼はカートを降り、ホタル号の燃料タンクを指さしてベガにそれを示すと、彼女は天を仰いで「ノォォォォォ……」と目をバッテンにして悔しがった。


 そんなアクションを、なんとも「可愛いな」と思いながら見ていたイルカであった。



「じゃ、イルカはさっさと完走してきまショウ。ワタシは残念ながらリタイアですケド」


 10周目、ベガ・ステラ・天川:リタイア。


 それを告げられたイルカはしばし考え込んだのち、「じゃ、行くわ」と言って押し掛けに入る。押されたカートがバラバラとエンジンをかけ、やがてバァァーンと軽やかに発進する。


 ドライバーであるイルカが飛び乗る、その前に。

「おーいこらー、ちょっと待てえぇぇぇぇ!」

 乗り物に置いて行かれたイルカが、間抜けな声を出して走って追いかける。


 そう、アクセルを踏まなくても燃料が送られてくる仕様の思わぬ弊害がコレだ。ドライバーが飛び乗ってアクセルを踏まなくても勝手に走り出すので、タイミングが遅れると乗る前にマシンに放って行かれる事になる。


 彼のマシンはそのままスポンジバリアに突っ込んで停止する。まぁここなら激突してもマシンにダメージは無いだろう。

 が、そこにたどり着いたイルカはしゃがみ込んでカートを見ると、再発進せずにメットを脱いで、思いっきり棒読みでこう発した。


「あっれー? なんかカート壊れちゃったみたいだー、動かないぞー」


 そのリアクションにベガは「ヘ?」という顔をする。

 が、全てを悟った他のカート部員たちは一斉にダダダッと彼の元に駆け寄り、イルカのカートを囲んで口々に叫ぶ。


「あーあーあー、タイロット0.1ミクロン曲がっちゃってるじゃん、もう走れないわ」

「燃料パイプ外れちゃってますねー、タブン」

「エンジン爆発してるぞー。まぁ内燃機関だからいつもだけどw」

「タイヤパンクしちゃってます。あ、今シューシュー言ってるのは聞こえない方向で」


 もちろん全部嘘である。イルカが押し掛けで乗り損ねたのも込みで。



りーベガ。俺たち一緒にリタイヤだから、10周目に入った時点で前にいたお前さんの勝ちだわ」


 白々しくもそう告げるイルカ。周囲のみんなもウンウンと頷いて笑顔を見せる。


 ベガは呆れ顔でハァ、と息をつく。そして顔を上げると、そのままイルカに向かって猛突進!


「え、え!? ちょっとっ!」

 逃げる間もなくベガにダイブされ、抱き着かれたままコース上に押し倒されるイルカ。


 周囲の仲間たちも、ピットや客席で見ている面々も、思わずヒューヒューとはやし立てて拍手を送る。

「ホントにモウ! ホントにモウ!! 日本人はウェットなんですカラッ!」

 イルカに抱き着いて押し倒したまま、ベガは涙声でそう吐き出した。


 この素敵な仲間たちと、愛しいボーイフレンドのなんとも粋な行動に、心から感動して。



「お! 見ろよ、一番星」

 イルカが押し倒されたまま空を見ると、地平線近くに星がきらめいているのが見えた。

「あ、ホントデス」

 イルカの上に乗っかったまま、ベガもそちらを見てそう返す。目をこすって涙を拭き、フフッと笑って空を見たまま、足をパタパタさせながらこう続けた。


「なんか、サーキットで寝転がるのって特別感アリマスネー」


 その言葉を聞いたカート部員たちが、われもわれもとその場に寝転がり始めた。確かにサーキットに身を投げ出すなんてそうそう出来ることではない、二人のラブラブに乗じて彼らもアスファルトを背にして、輝き始めた星々を目で追っていく。


 ベガもイルカからごろんと転がって降り、視線を空に移す。


「ネ、オリヒメとヒコボシって今、見えるのカナ」

「季節も時間も全然でしょう、見るわけないわよ」

「っていうか、今地面に寝っ転がっているじゃん、お二人さん♪」

「これ織姫と彦星が空から見てたら絶対に言うよな、『リア充爆発しろ』って」


 黒木部長のジョークに皆がクスクスと笑い出す。一年間の逢瀬を終えた美郷学園カート部の織姫ベガ彦星イルカは、間もなく太平洋と言う天の川の向こうとこちらに別れることになるのだ。


 でも、この二人なら、きっとまた……


「ね、全員で手、繋ごうか」

「お、いいねぇ」

 星奈の提案に、カート部の面々がずりずり位置を移動して、頭を中心に向けて輪になって並び、隣の仲間と寝そべったまま手を繋ぐ。


 黒木流星、坂本星奈、坂本美香、御堂元太、そしてベガ・ステラ・天川と有田 依瑠夏あらた いるか



 共に歩んできた一年間の終わりは、もう目の前に――


―――――――――――――――――――――――――――――


ベガ・ステラ・天川:全成績リザルト


7月7日、フレッシュマンクラス

・タイムアタック18位(36.29)

・予選第1ヒート16位

・予選第2ヒート15位

・決勝レース15位スタート、22位完走(19周目でリタイア、90%以上走破で完走扱い)


8月24日、耐久レース。チーム『アメリカン・パワァ』

・26位完走(222周)


9月10日、フレッシュマンクラス

・タイムアタック17位(35.75)

・予選第1ヒート11位

・予選第2ヒート13位

・決勝レース12位スタート、15位完走(19周目でリタイア、90%以上走破で完走扱い)


11月3日、フレッシュマンクラス

・タイムアタック14位(35.52)

・予選第1ヒート18位

・予選第2ヒート28位

・決勝レース25位スタート、21位完走(ファーステストラップ記録、33.298)


12月22日、フレッシュマンクラス

・タイムアタック12位(34.57)

・決勝レース 優勝(有田 依瑠夏あらた いるかと同着)


2月4日、オープンクラス

・タイムアタック22位(33.99)

・予選第1ヒート25位

・予選第2ヒート24位

・決勝レース25位スタート、25位完走


3月21日、企画レース

・1stレース:ル・マン式スタートレース、2位(準優勝)

・2ndレース:逆走レース、11位

・3rdレース:タイマンバトル。

 〇椿山-ベガ× 

 ×イルカ-ベガ〇


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