第53話 前へ、前へっ!
※舞台となる『阿波カートランド』のコースレイアウトです
https://kakuyomu.jp/users/4432ed/news/16818093082430820972
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「スリップ、入ったっ!」
「ここでベガが、前に出るッ!」
ピットサイドで見守る美郷学園の面々が、早速動いた二人のバトルに色めき立つ。
1周目のホームストレートでイルカの背後に付けたベガが、スリップストリームを利用してその距離をスルスルと詰め、追突する寸前にインに飛んでノーズをねじ込む。
そして得意のブレーキングドリフトを仕掛け、ナナメになりながらイルカのインコースを奪って1コーナーに飛び込む。誰もがここでポジションの入れ替わりを確信していた……だが!?
キュワアァァンッ!
「エ、ホワァット!?」
「うおりゃあぁぁぁっ!」
イルカはアウトからベガを包むように大回りしていく。普通アウトはインより長い距離を走る事になるので遅れるはずなのだが、そうはならずに並走したまま切り返しの左カーブへと進入していく!
「た、耐えたっ! うそでしょぉ!?」
「カウンター……アタックっ!!」
「なんだ、あのコーナリングスピードは!!」
1コーナーの右曲がりから切り返しの左カーブで両者のインとアウトが逆になる。有利なインにいるイルカは、そのまま弓なりの弧を描いて前に出、トップを譲らない。
(ったく、めんどくせーなこのセッティング……でも、面白いかも!)
イルカは辛うじてベガを押さえられた事もあって、このセッティングの意外な効力を感じていた。
彼のマシンはアクセルを完全オフには出来ないように調整されている。なのでどうしても早めのブレーキングを強いられる羽目になり、直線の終わりでは後ろの相手に格好の追い越しチャンスを与えてしまう。
だが逆にコーナーの脱出の際は相手を上回るダッシュ力が得られていた。ブレーキを踏みながらもアクセルが開いているという事は、普通の車で言うヒール・アンド・トゥが自然に出来ているという事だ。立ち上がりにブレーキを
いわば普通よりもさらにスローイン・ファーストアウトを極端にしたセッティングになっているのだ。
「イルカの走り……普段とゼンゼンちがいマス! デモ、速いッ!」
追いかけるベガはさすがに困惑している。いつもより早いブレーキタイミングを取られている為、コーナーの入り口では追突せんばかりに距離が詰まる。そうしてリズムを狂わされた後に、立ち上がりでスゥーッと引き離されてしまうのだ。
◇ ◇ ◇
「前半の内に逆転しないと、ベガちゃんの勝ち目は薄いな」
黒木コーチが腕組みしたまま、3周目に入っても前に出られないベガを見てそうこぼす。
「それは?」
「イルカの奴が、あの特殊セッティングに慣れつつある。周回を重ねるごとにモノにしてきてるぞ」
確かにそうだ。毎周ストレートエンドではベガが突っ込みで並びかけるのに、立ち上がりでイルカがスルスルと前に出てしまう。抜き所である1コーナーと5コーナーの後は切り返しの逆コーナーになるので、そこでインを取れるイルカが再逆転するにはもってこいなのだ。
(いけるっ! どんどん前に走れて来てるぞ、このまま前に、もっと前にっ!)
「前につっかえて肝心な時に仕掛けられマセン……早くイルカの前に出たいデスッ!」
レースは完全にイルカのペースで進んでいた。スタートで機先を制し、各コーナーの侵入でベガのペースを乱し、完全に前に出さないようにしてより早く立ち上がる。半分は偶然の産物だが、このセッティングは理想的な『対ベガ仕様』になり得たようだ。
6周目のストレート。今回もまたベガはスリップから1コーナーでインを奪う。が、彼女のドリフトでの突っ込みをもってしても、アウトからロケットダッシュで
立ち上がるイルカのマシンをかわす事が出来ない。
並びかけては抜き切れないの攻防を繰り返しながら、レースそのものは次第に硬直化していった。
「ああんもうベガ! 私のやった作戦忘れたの?」
星奈が思わずそう嘆く。そう、前が詰まり過ぎて抜きにくいなら少し間を開けて、勝負所で理想の間合いになるように調整すればいいのだ、今日の1stレースで彼女がベガに仕掛けたように。
が、ベガにはその思考はすっぽりと抜けていた。
「待ちなサーイ! 早く、速く前に出るんデス、イルカの前にッ!!」
彼女はとにかく前に出てイルカに追いかけられる展開をこそ望んでいる。なので一時でも『引く』という思想が出来ないでいたのだ。先のタイマンで椿山に学んだ3コーナーの体重ドリフトの習得と実践、さらに元々超接近戦が好きな彼女にとって、それ以上の思考をする余裕が無い、というのが本当の所だった。
◇ ◇ ◇
「残り3周ッ!」
コントロールラインを通過する二台を目で追いつつ、参加者全員が固唾をのんで見守る。この周でもベガは1コーナーでインに飛び込み、アウトからイルカに包まれるようにマクられていく。
「ダメだ……ベガ先輩、どうやっても抜けないよ」
「さすがにこれは、勝負あったか?」
ピットで思わずそう呟く美郷学園の面々。隣に陣取っている国分寺の連中も、このバトルの硬直を見て同じ感想を抱いていた。
「そんな事は無い。むしろギリギリなのはイルカ君の方だ」
「抜くのは案外簡単だよ、あの状況じゃあな」
その背後から逆の意見が語られる。椿山たちチームカタツムリと岩熊たちMSBの面々が居並んで見物しつつ、その決定的瞬間が来るのか否かと注目している。
「え、簡単……って、どうすれば?」
美香の質問に、MSBの選手の一人がさらっと答える。
「ブツけりゃいいのさ、それでこのバトルは終わる」
その返しに学生たち全員が、ざわっとした悪寒に襲われる。同時にそのシビアでダーティな戦法が、このケースではあまりに有効なのを瞬時に悟った。
今のイルカはアクセルをオフには出来ない。この状況で一番ヤバいのはスピンやクラッシュで姿勢を乱した時に、思うようなコントロールが効かず立て直しがままならないという事だ。
他の4輪モータースポーツと違い、カートレースでは車同士の接触など当たり前に起こる。もちろん故意にぶつければ悪質な反則と見られるが、コーナリング中の競り合いで接触する程度ならそれはバトルの
ベガが抜き所のコーナーでインに飛び込めているなら、そのままアウトに膨れてイルカを弾き出せば確実に前に出られるだろう。何しろ今のイルカは常にオーバースピード寸前の、
「それは多分、やんないわよね」
「「だよなー」」
星奈の言葉に皆が同意する。ベガはぶつけられて文句を言うようなタイプではないが、自分から相手をクラッシュさせるような発想のある娘でもない。何より競り合いが大好きな彼女が、自分の手でそれを終わらせるとは思えなかった、相手がイルカなら尚更だ。
だが、そうしないならばもうベガに打つ手は無い。このまま無為に仕掛けては逃げられ続けるだけで、残り三周を無為に消費してしまうだろう。
例えベガの方がハイペースであっても、だ。
だが、そんな常識の範疇に収まらないのが、ベガ・ステラ・天川という少女の真骨頂――
◇ ◇ ◇
(イルカの走りに合わせちゃダメ、違う走りをしないト……)
思いあまったベガは、8周目の途中からベストラインを外しながら走り始める。インベタでコーナーに入り、立ち上がりでは大きく膨らんで、イルカと常にXの文字を描いて交錯するような軌道を描き始める。
「「クロス・ラインっ!!」」
「そのテがあったか!!」
黒木コーチが、椿山や岩熊が、そして大谷社長がその走りを見て思わず身を乗り出して叫ぶ。
星奈が1stレースでやったような『前後の距離を調整する』やり方では無く、『左右の動きを大きく、そして無駄に取る』事で、自分より遅いがブロックに秀でた相手を抜くための姿勢作りを整えていく高等テクニック。
一歩間違えば交錯時に接触して大クラッシュを招きかねない荒業を、ベガはここにきて誰に教わる事も無く、自然に実行に移していた。
イルカと競り合いたい、近くに居たい……そして前に出たい。
そんな想いが導き出した、ひとつの答えを走りに乗せて――
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