第47話 究極のオーバーテイク

 ベガと星奈のワン・ツー体制が出来上がってから2周が経過。二人はじりじりと後続を引き離しながら、すっとテール・トゥ・ノーズの体制が崩れないでいた。

 つまりここまで星奈は完全にベカの背後に食らいつきつつも、一度たりともラインを外して抜きに出ることが無かった、という事だ。


「19周目ッ、あと2周! さぁセナ、どこで来ますカ!?」

 ベガがコントロールラインを通過しつつ、背後につけている先輩の仕掛けを今か今かと待ち構える。


「まだよ……まだ早い、そして近い!」

 前を走るホタル号にバンパープッシュせんばかりに張り付いた星奈が、自分とベガの走りを冷静に分析して、勝負所を綿密に探っていく。



「抜けませんね。というか星奈ちゃん、全く仕掛けませんけど……」

 顧問の吉野先生がトップ二人を目で追いつつそう言葉を発する。


 基本、追い越しにはスリップストリームなどを使った一定以上の速度差で並びかけるか、またはラインを変えてブレーキを遅らせて窮屈なインに飛び込み、相手の進路を阻みつつ抜ける、いわゆるブレーキング競争で抜くのがセオリーだ、だが……。


「あの二人の走りは似すぎているから……仕掛けられないんですよ」

 黒木コーチの呟きの通り、ベガと星奈の走りは共通点が非常に多かった。体重を巧みに前後左右に掛け、左カーブでは体重移動を使って左の後輪を浮かせるテクで巻き込むように回る。

 つまり得手えてのコーナーが同じという事は、後ろの星奈がコーナリングで追い越しに出る手段がないという事に他ならない。


 となると唯一の追い越しポイントはストレートエンドのブレーキング競争になってくる。が、その場所はベガ得意のブレ―キングドリフトの独壇場だ。侵入も脱出も星奈より速いそこで一度勝負を仕掛けて失敗したら、二度と追い付けないほどのセーフティリードを築かれてしまうだろう。


「じゃあ、このままベガちゃんが逃げ切る?」

「いや……星奈ちゃんのあの走り、何かを狙っている。このままでは終わるまい」


 吉野先生の質問に黒木コーチが答え、アゴをひねって先の展開を読みにかかる。が、流石に彼も星奈の狙いを正確に読み取るのは困難だった。

 ただひとつ確実な事。それは残り二周のどこかで必ず彼女は勝負に出る、という事だけだ。



「来ないナラ、このまま逃げ切らせてもらいマス!」

 19周目の1コーナーも鮮やかなブレーキングドリフトを決め、付け入るスキを与えないままに先に抜けていく。背後の星奈は少し間を開けられた状態から、立ち上がりの体重移動と、少し遠いがまだ有効射程内のスリップを使って、じりじりと距離を詰めていく。


(振り切れナイ!)

「まだ……まだ『近い』っ。もっと、ギリギリを狙わないと!」


 抜きどころである5コーナーの飛び込みで、またしてもベガの背後に付ける星奈。しかしここでも彼女はインを取らずに、ベガの後ろに張り付いてベストラインをトレースして行く。


「あそこでも仕掛けないのか!」

「きっとファイナルラップで狙ってるんだ!」

 客席から、ピットから、パドックから。様々な人がトップ二人のレースが動くのを今か今かと注視する。


 ここ数周、この状態が続いている。1コーナーでベガが得意のドリフトで僅かなリードを奪うが、最終コーナーまでには星奈がまた背後にぴったりと張り付いていた。


 レースというのは逃げるよりも追いかける方がよりペースアップをし易いものだ。

 追いかける星奈は前を行くベガのラインよりほんの数センチ、ラインをデッドに取れば相手に詰め寄ることが出来るし、直線ほどではなくてもスリップの恩恵にあやかる事もできる。

 何より目の前に追いかける相手がいるなら、気持ちそのものが前に前にと向かうものだ。肉食獣が逃げる相手を追いかけたくなるように、それは動物に備わった本能とも言えるだろう。


「ラスト1周っ!」

 黒木コーチがサインボードを掲げて、戻ってきたベガと星奈にそれを示す。前後に張り付いた二台がコントロールラインを跨ぎ、高音を響かせて1コーナーへと飛び込んでいく。


(さぁ、どうする!?)

 星奈は完全にスリップストリームに入っていた。ここでインを取って並びかけ、ベガのドリフトに張り合うほどのハードブレーキングを仕掛ける最大のチャンスだ。というよりはそれがもうベガを抜く最後のチャンスと言っていいだろう。


「行かせまセンッ!」

 ズッギャアァァァーッ!

 鮮やかにテールを流し、巻き込みながら1コーナーを駆け抜けていくベガ。


「あと……一呼吸、ここっ!」

 またしてもインに入らず、一息遅れてよりアウト寄りの大きなラインを取る星奈。だがベストラインをやや外したそれは、今まで以上にベガを先行させる結果となってしまった。


 2コーナーへと向かう左カーブ、ついにベガは5mほどのアドバンテージを築き上げた。これがファイナルラップ、あとは勝負どころの5コーナーまでに追いつかせなければ、もう抜かれることはない!


 そして、それを見ていた誰もが、「もう勝負あったか」と思った。黒木コーチも、大谷社長も、後ろに続くガンちゃんや美香も……そして、引き離したベガ本人も。



 ただ一人、星奈だけが違っていた!


「この距離ッ! ドンピシャよぉっ!!」


 ステアリングを握りしめ、アクセルを踏みしめブレーキを蹴っ飛ばし、体重を前後左右に掛けまくって深紅のカートにムチを入れる星奈。2コーナーを鋭角に飛び出し、3コーナーで左右の縁石にタイヤを掠めながら、全身全霊の走りで前を行く後輩ベガの姿を睨み据える。


 明らかにヒートアップした星奈の姿に会場がどよめく。1コーナーで思いのほか引き離され、懸命に足掻いているかのように見えるが、それでもその気合の入った走りが前との差をじりじりと詰めていく。


「けど……まだ差がある。あれじゃ5コーナーのブレーキング競争は無理だ!」

 直角の4コーナーを切り裂き、最後の抜きどころの5コーナーに突っ込んでいくベガ、そして一呼吸遅れて星奈。


 華麗な左後輪浮かせを見せながら、まるでループコースターのように5コーナーをクリアしていく2台。


(終わった、か)

 黒木コーチの嘆き通り、誰もがもうベガの勝利を確信していた。ある者は「ああー」とため息をつき、白雲和尚やクラスメイトなどは手を叩いて「やったー♪」と嬉々として飛び跳ねる。


 だがその時、社長の大谷だけが、星奈の狙いに気付いた。

「まさか……そんな、ソレをやる気……いや、のかっ!?」


 6コーナーを抜けた時、二人の差は1mにまで詰まっていた。だがもう残すは最終コーナーとストレートのみ。ここからはどう足掻いても逆転は不可能に思われた。


「ドンピッシャアァッ!!!」

 最終コーナーに突っ込んでベガのマシンのテールに、吸い込まれるように張り付いていく星奈。このファイナルラップ、全てが彼女の狙い通りになった。最後はもう抜くだけだ!


 カアァァァーン!


 最終コーナーを抜けていく二台、そしてストレートに入った瞬間だった。

星奈のマシンがベガのスリップから抜け出し、一気にインからノーズを競り出させたのだ!

「ナッ!?」

「こういう抜かれ方、経験ないでしょっ!」


 サーキットが驚愕の声に包まれた! なんとゴールまでわずか30mの地点で、トップ二台が並走状態になったのだ。


「おおおおおおっ!」

「うっそ、だろ!?」

「並びやがったあぁぁぁぁ!」

「どっちだ、どっちが前に出る?」



(こんな事を、のか!)


 黒木コーチもここに来てようやく星奈の狙いに気が付いた。彼女はファイナルラップの1コーナーでベガと一定の距離を置いてから、全力で追いかけ続けて、ちょうど最終コーナーでスリップストリームが最大に効く間合いになるように距離を調整したのだ。


 レースにおいては相手の背後にぴったりつけていると、逆に追い越しは難しくなるものだ。相手とのブレーキの呼吸がほんの少し狂うだけでこちらのリズムも狂ってしまう。こういう場合は少し距離を開け、抜きどころのコーナーまでに詰まる距離を合わせて仕掛けるのがセオリーのひとつだ。


 星奈はそれをこのファイナルラップ、まるまる一周を使ってやってみせたのだ。あえて1コーナーで引き離されて距離を置き、そこからひたすら全力で追いかけて、最後の最後にスリップストリームが最大限に効くようにタイミングを合わせたのだ。


 全力で追いかけた自分のベストラップのラスト、今までで最高の進入速度を乗せた最終コーナーの入り口でベガのスリップに入り、その効果を上乗せして、これ以上ないタイミングでオーバーテイク可能な速度差を、一周かけてのだ!

 そこからのゴールまでの短い全速区間で抜きに入り、わずかでもノーズを競り出して勝利を掴むために!



 全力疾走のハイテンションを見事に最後の一点に繋げ、決定的なチャンスを作り上げた星奈。


 ずっとお尻テールをつつかれ続け、最終ラップでようやく突き放せたと安堵し、最後の抜きどころの5コーナーも抑えたことで、わずかな油断を生じさせたベガ。


 ――シュッパアァァァーーン――


 重なるようにしてフィニッシュラインを超える二台のカートマシン。


 ゴールラインを踏んだ時のほんの20cmほどの差。それが二人の勝敗を分ける結果となった。

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