第43話 お返し

 3月20日、美郷学園の3学期の最終日、終業式や最後のHRを終えた2年生の教室で、とあるおまけイベントが開催されていた。


「えー、では主役の天川さんに、まずはご挨拶をお願いします」

 吉野先生にそう催促され、エヘヘと照れながら教壇に上がるベガ・ステラ・天川。その背後の黒板には色とりどりのチョークで『ベガちゃん一年間ありがとう、楽しかったよ』という文字がデカデカと描かれ、花や星、ケーキやクラッカー、日の丸や星条旗などのイラストで飾られている。


「アハハ、ニホンはこういうイベントに対してすごくウェットなんで、チョット感動しテマス」

 困り笑顔でそう挨拶するベガ。そう、今ここはベガの送別会の会場になっているのだ。2年生は勿論の事、1,3年生もほぼ全員が詰めかけ、廊下にまで参加者があふれている状況である。


 今年一年、アメリカからやってきた金髪碧眼でプロポーション抜群の、そしてなにより前向きでポジティブなキャラクターの彼女の存在が、この田舎の学園内をぱっと明るくしたのは誰もが知っている。

 転入日にゲームキャラの真似をして大ハズしし、一応キリスト教徒なのに何故かお寺に住み着いて、マイナー部活のレーシングカート部で大活躍。二学期のクラス委員長を務め、文化祭で見事にヒロイン役を演じ、12月のレースでは初優勝をして表彰台で意中の彼にキッスまでした。


 そんな型破りな行動力で一年間楽しませてくれた彼女に対し、せめてのお返しにと彼女の友人の尾根 理久子おね りくこ横羽 一美よこば かずみが呼び掛けたこの終業式のイベントに、ほぼ全校生徒と先生方がこぞって参加したというわけだ。


「デモ、ワタシは最後までドライに、笑顔でイキマスヨー!」

 涙を隠すように笑顔で、右手を突き上げてそう宣言するベガ。そう、この突き抜けた明るさと、こんな場でもしんみりとしない気質こそが、彼女の大きな魅力の一つなのだ。


 みんなで持ち寄ったお菓子を食べ、ステージに上がった生徒が一発芸を披露する。のど自慢の先生や生徒がベガをデュエットに誘い、ハリセンと出席簿でジャンケンどつき合いゲームなんかを全員で楽しむ。


 結局、閉校時間まで全員が楽しんでお開きとなった。最後までドライで楽しく過ごした全員の目に涙は、無かった。


 帰り道。ベガは星空を見上げながら、珍しくしんみりとしていた。確かに自分らしくドライにカラッとお別れが出来たけど、マンガやアニメで見たような日本人の感動的ウェットな空気は皆無だったから。


(ミナサン、ワタシがいなくなるのに、悲しいとは思わないんでショウカ……)

 まぁそれも自分が作った空気なんだからと納得するしかない。というかベガはもし今日誰かに泣かれたら、自分もまたもらい泣きする自信があった。だけど仲の良かった尾根や横羽も他のみんなも終始笑顔だったせいで、そういうシチュエーションは訪れなかった。

(マ、いっか。これでミレンなくカリフォルニアに帰れるカラ……)


 明日は春休み初日。カート部最後の部活として、朝から阿波カートランドで一日練習の予定だ。この日本を刺激的にしてくれたレーシングカートも、和尚さんが自分に託してくれたホタル号も、一緒にレースしたカート部のみんなともこれで走り収めになる。

 そしてもちろん、イルカとも。


 彼女の心中に去来する想い。楽しさ、寂しさ、得た思い出、喪失の予感、友情、恋、努力、バトル……いろいろなものがないまぜになって、彼女の心を締め付ける。


 ぱんぱん! と自分の両頬を張って気合を入れ、笑顔を作って一人決意を発する。

「サァ、明日はラストランデスヨーっ! イルカ、ホタル号、ミンナ、タノシミマショウーッ!!」


  ◇        ◇        ◇


 翌日の朝、素通り寺を出たベガは、門の前で思わぬ出迎えを受けた。

「イルカ! グッモーニンっ♪」

「よ! みんなもう準備できてるから、二人でゆっくりサーキットまで来いってさ」

「エ……アア、気を遣わせてシマッタデスカ」

「ま、最後くらい雑務はみんなに任せて、主役はのんびり登場しよーぜ!]


 カートランドまでの道のりをゆったりと歩いていく。そういえばこの村に来た最初の日、彼女は何か面白い事を探してこの道を歩き、サーキットに辿り着いたのだった。

「そこでセナと黒木部長に会って、初めてカートに乗ったんデシタ。イヤーあのトキは参りましたヨ」

「あー、俺もその場に居合わせたかったなぁ」

「フッフッフー、今は一年前とはヒトアジ違いマスヨ」

 そんなとりとめのない話をしながら国道を歩く二人。


 あれから一年。季節は巡り、再び春の風と桜のピンク色が満ちる景色になった。出会いから季節を一回りし、別れの時がやってきたのを実感せざるを得なかった。


「ねぇイルカ……ワタシと出会えて、ヨカッタデスカ?」

 そんな質問をイルカに問う。一緒に部活して恋人同士にまでなった二人だが、間もなくお別れがやって来るのだ。お互いに魅かれあった仲なら、その分別れが辛くなるものだろう。


 イルカはしばらく考えた後、ふっと笑ってベガの金髪をカルくハタきつつ返す。

「織姫がなに言ってんだか。俺とお前はまた必ず再会する、だろ? 俺は彦星なんだから」

「アハハ……やったナーッ! お返しデス!!」

 笑いながらイルカの背中に抱きついて頭をぽかぽか殴る。勿論本気じゃないけれど、こうして彼の背中にくっついて、彼の温度を感じながらじゃれ合うのがベガは好きだった。

 また、イルカがそう言ってくれたことが、ベガはとても嬉しかった。


 丘を登り切って、阿波カートランドを眼下に見下ろす場所に到着した時、ベガは下を眺めながら、目を丸くして固まった。

「ア、アレ……なんか人、多くないデスカ?」

 春休み初日とはいえ、走りに来ている人数がやたら多くてなんかピットがごった返している。しかも観客席のピットまで多くのギャラリーが座っているのだ。


「イルカ? 今日はレースじゃないですヨネ?」

「さーな。ま、着いてからのお楽しみ♪」

 目を反らしてすっとぼけるイルカ。そう、確かにレーススケジュールには今日は入ってない。というか四国シリーズは来週の香川県開催が最終戦のはずだ。


 坂道を小走りで駆け下りるベガ、やがてそれは次第にスピードを増し、やがて全力疾走に移行してサーキットへと突進する。

 近づくサーキットの景色に、そこにいる人たちの存在に、心を打つトキメキに、まさに急き立てられるようにして。そして彼女の視界に入ったのは――


『阿波カートランドのレースクィーン、ベガ・ステラ・天川さん記念レース』


 始めて来た時くぐったゲートの上部に、そんな文字がデカデカと掲げられていた。


「ハッ、ハッ、ハッ……イルカ、これッテ……」

「ま、そういうこった。ほら入った入った!」

 イルカに背中を押されてゲートをくぐる。それと同時だった。会場中から拍手と歓声のシャワーが彼女に降り注いだのは。


「いらっしゃーい、アメリカ代表レーサーさーん」

「ヒューヒュー、彼氏引き連れて入場なんてニクいねー」

「カートを好きになってくれてありがとー」

「見に来たよー天川さーん」

「ホタル号が待っとるぞーい!」


 観客席から声援が飛ぶ。なんとクラスのみんな勢揃いの上、白雲和尚さんや三ツ江夫人、檀家の人たちや有田ラーメンの常連さんまでが居並んで声をかけてくれている。

 得にぴょんぴょん飛び跳ねてはしゃいでいるのは尾根と横羽の仲良しコンビだ、昨日は見せなかった涙を目に溜めて大声を出してくれている。

(ミンナ……)


 じわっとした感動を隠そうと、ピットの方に目をやる……そこには美郷学園カート部のみならず、レースでバトルを演じて来た選手たちが臨戦態勢でベガを出迎えていた。

(国分寺高校のミンナ、カタツムリの椿山選手に白瀬選手、チームMSBのミナサンマデ……)


「よーっすベガちゃん。今日こそは俺が勝つぜ」

「お嬢ちゃん、存分に走りを楽しみなさい」

「来週のレースの予行演習させてもらうよー」

「君とも走り収めだ、背後についてお尻追っかけさせてもらおうか」


「みんな今日のレースに予定あわせてくれたんだよ」

 すでに俯いて涙をこらえているベガの肩を、ぽんぽんと叩きつつそう教えるイルカ。彼女に対するサプライズは、どうやら効果抜群だったようだ。


 美郷学園のピットに辿りついたベガを、黒木以下カート部の全員が出迎える。


「あれから一年、成長ぶりしっかり見せてもらうわよ」

「最後だ。思い残す事の無いようにな」

「パイセンの走り、盗ませてもらいますよ!」

「ホタル号、セッティング完了してます。思う存分ブン回してください!」

 星奈が、黒木が、美香が、ガンちゃんが飛ばす檄に、ベガはうつむいたまま肩を震わせて、涙をぼろぼろこぼしながら、感謝の言葉をこぼす。


「ナンデスカ……日本人は、ホントに、ウェットしんみりが好きで……泣かせてクレマス……コンナノ、ズルいデスヨ!」


「なーに言ってんだよベガ。お前がこの一年、みんなに楽しさを振り撒いてきたんだろーが」

 イルカがベガの耳元でそう囁く。

「……ホワイ?」

「お前は自覚ねーだろーけどな。お前がいた一年間、みんなとてもハッピーだったんだぜ!」


 その言葉に反応して、涙をぬぐいながらゆっくりと顔を上げるベガ。

「ワタシの、オカゲで?」

「あったり前だよこの無自覚ポジティブ製造機。だから今日はその……」


 一度言葉を切ったイルカが、にかっ! と笑って、続きを大きな声で歌い上げる。


「今日はその『お返し』だよ、今日までありがとーっ!」


「「あーりーがーとーっ!!」」

 応えてその場の全員がシュプレヒコールを上げる。歓声に包まれたベガは、体中に何かが満ち足りていくのを感じていた、まるで満天の星々に称えられた自分の中の内宇宙が、きらめく星の輝きで満たされていくように。


 グシュン! と涙と鼻水をぬぐい取ったベガが、意を決して顔を上げ、コースに向かって駆け出していく。

「え、おい! ちょっと?」

「あー、大丈夫ですよコーチ」


 取り乱したかと慌てる黒木コーチをイルカがたしなめる。ベガのことを他のみんなより少し知っているイルカには、彼女のこの後のリアクションがなんとなく察せられたから。


 やがてサーキットのど真ん中に立ったベガが、観客席とピット方向に両手を掲げて、マイク要らずの大声でこう叫んだ。


「みんなー、アリガトオォォォーッ! 今日は思いっきり楽しみマショウーッ!!!」

「「イエェェーーーーーーイッ!」」


 選手、観客全員が右手を突き上げて答える。今日のこの日を何よりも楽しんで、自分たちとそして彼女に、良き思い出として、記憶に刻んでもらう為に――


 ほどなく、ここの社長の大谷 郁郎おおたに いくろうがスピーカーを通して、物語ストーリーの開始を高らかに宣言する。


『それでは主役も揃いましたので、只今より特別レースデイを開催いたします』


 ――最後のレースが、始まる――

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