第42話 ハッピーバレンタイン

 月曜日の放課後。バスでふもとの町の本屋に来ていたベガが、雑誌を物色しながらうんうん唸っていると、新たに入ってきた顔見知りの女性に声をかけられた。


「あれ? ベガじゃない。本屋で会うなんて珍しいね」

「OH! セナ。受験勉強はドウデスカ?」

「うん、合格判定A貰ってるから油断しなけりゃ大丈夫」

「サッスガ」


 いよいよ大学入試が目前に迫った三年生。黒木も星奈も、もうめっきり部活には顔を出さず、卒業そして未来へのカウントダウンに入っていた。スポーツウーマンだった彼女も心なしか色白になり、勉学に励むインテリガールな雰囲気になっている。


「で、何見てんの? あら珍しい、バレンタイン特集とか……ははぁ、イルカねー」

「Yes! ワタシの国ではそういうモノじゃ無かったし、どうしたモノカト……」




 日本は外国の祭りや風習を曲解して恋愛沙汰&商売にするのが大好きな国民性である。クリスマスもそうだが、14日のバレンタインデーもイチャイチャのための大きなイベントだ。

 もっとも最近は逆にその傾向は薄れ、友チョコや自分(マイ)チョコなんて売り方も増えてるのだが。


「このへんお菓子業界メーカーの苦しさが見て取れるわよねー」

「アハハハハ、ニッポンジンはショーコンタクマシイデスネ」


 とはいえ今日ベガが本屋にまで来て研究しているのは、やはりイルカに対して贈るチョコでどうやって改めて気持ちを伝えるかなのだ。都会的で先進的アメリカンガールな彼女が、昭和から平成初期の乙女の悩みを抱えているのは何とも微笑ましい光景である。


「もういっそ体にリボン巻いて『私を食べて♡』すりゃいいんじゃない?」

「……そのテがアリマシタ!!!!」

 ぽんっ、と手を叩いて店を出ようとするベガの手を、慌ててひっつかんで叫ぶ星奈。

「ちょ、ちょいまちーっ! 冗談、冗談だからーっ!」


  ◇        ◇        ◇

 

 バス停にて、帰りのバスを待ちながら検討を重ねる二人。とはいえ恋愛経験の乏しい星奈には難しい相談ではある。妹の美香ならより現実的な提案が出来るのだろうけど。


「そういやミカ、ガンちゃんにアゲマスヨネ?」

「あー、うん。ま、あの二人はもう鉄板だしねぇ」

「OH! ケッコンがキマッタデスカ?」

「いやさすがにそこまでは」


 大地主の息子のガンちゃんには毎年女子からのチョコが山と積まれるのだが、多分今年は美香との仲を察してライバルは減るだろうと思われていた。

 言い寄って来る女子のほとんどは彼の家やお金に惹かれているのであって、彼自身を特に好きなわけではないのだ。


 そこに来て冬の初めごろから二人は公認カップルになりつつあったから猶更だろう。冷静で面倒見のいいガンちゃんと、ちょっとお軽い美香のキャラクターは端から見てもぴったりハマっていて、恋人というより夫婦の貫禄すらあった。


(実はさ、あの二人もうデキちゃってるのよね)

「エエッ!! ソレってヤバくないデスカ!?」

(声が大きい! あ、子供が出来たんじゃなくって、エッチしちゃったって意味!)

「じゃあ、ヤッパリ私も体にリボン巻イテ……」

「やめんかい、ドン引きされるわよ!」


 ベガにしても、あと2か月足らずで別れるイルカに対してどうアプローチすればいいのか、今更ながら悩むところだった。付き合い始めてからの彼は自分にずいぶん気を使ってくれていたけど、その彼にどこまで距離を縮めていいのかが分からないのだ。

 まして彼を好きになったのが、カートレースでの追いかけっこと、七夕の神話にある織姫、彦星の名前ネタともなれば、ますます分からなくなってくる。


 自分は本当にイルカが好きなのか、果たして一生を添い遂げる仲になれるのか、遠距離恋愛に移行するとして、それが彼を、そして自分を縛ることにならないのか……。


「オリヒメとヒコボシって、サイゴはケッキョクどうなるんデスカ?」

「え? え、えーっと……絶賛遠距離恋愛中、なのかな?」

「コレカラ先も、ズット?」

「えー、まぁ、そうしないと七夕イベント続かないしねぇ」


 神話のお祭りならそれでもいいだろうが、ベガもイルカも普通の人間である。年は取るし体も心も持て余すだろう、遠距離恋愛と言っても若い二人に国境と太平洋を越えた恋が長続きするとは考えにくい。


「ね、イルカのほうはどう思ってるのかな?」

「ソレがワカラナイから困っているんデス……」


 いっそ彼が自分を押し倒しでもしてくれれば決意も固まるだろう。そうなれば向こうのハイスクールを卒業後に日本に渡って、この田舎で人生を送っていく覚悟も決まる。

 ラーメン作りを手伝い、カートレースを楽しんで過ごす毎日も十分アリな未来だと思う。


「分かった。じゃ私からイルカに探りを入れてみるわ」

 来たバスに乗り込みつつ、ベガにそう告げる星奈。

「エ、チョット! セナッ!?」


 プシュー、という扉の閉じる音がして、ベガの言葉は遮断される。やがてバスは村へと向かっていき、それを見送るベガは不安に駆られてしばし呆然としていた。


(あのセナが『サリゲナク』? 不安しか無いデスネェ)



  ◇        ◇        ◇



「で、イルカはどー思ってんの?」


 有田ラーメ店内でバイト中のイルカを捕まえて、テーブルにどん! と手を付きつつ問いただす星奈。ベガの心配は見事に的中したようだ。


「な、なんで先輩がそんなトコに踏み込んでくるんスか、そもそも受験シーズン真っ只中でしょうが!」

「だーかーらー、不安や心配事を一切排除して受験に臨みたいわけよ。さぁ吐け!」

「ムチャクチャだぁこの人ーっ!」


 とはいえイルカのほうはずいぶん前からその問題に向き合っていて、ガンちゃんの提案であるイベントも計画進行中である。今までベガと距離の近い女子の星奈と美香には秘密で進めてきたのだが、どうやら彼女にもバラす時が来たようだ。


「実はっすね先輩……」

「……ふむふむ、それはさぞ面白そうね」

「絶対秘密ッスよ、先輩考えてることが無意識に口から出るんスから!」

「あ……ちょ、それ知っててなんで私に教えたのよ!」

「吐けって言ったのは先輩じゃないッスかぁ!」



  ◇        ◇        ◇



 そんなこんなで2月14日、バレンタインデー。


「ハイ! イルカにはコレ、ハッピーバレンタインデス!」

「うぉっ!?」

 放課後、カート部活動場所の黒木モータースにて、ベガが渡したのはなんとホールケーキの箱だ。バレンタインなんだからチョコケーキだろうけど、ずいぶん気合いが入っているなぁ。


「おお! 本気を感じる……」

「ヒューヒュー、イルカパイセン隅に置けませんねぇ」


 ケーキを受け取ったイルカが、そのずしりとした重みを感じて提案をする。

「あ、ありがと、な。でもこれ一人じゃ食いきれないから、ここでみんなで分けて今食べるか?」

「ノンノン、ソレはイルカ一人のために用意したんデス、ちゃーんと持って帰って完食してクダサイネ♪」


「わ、分かった、努力してみる」

 愛の重さと胃袋へのプレッシャーを感じながらも笑顔で返すイルカ。まぁここまで思われているなら自分の悪だくみも上手く作用するだろう、来るべき3月が楽しみになって来る。

 

「あと黒木部長、んでお姉ちゃん、合格おめでとうございまーす!」


 美香の言葉通り、黒木は早々と第一志望の大学に受かり、星奈も第二志望すべりどめの大学のが合格通知が来ていた。星奈はまだ第一志望の合格発表が来ていないが、ひとまずこれで受験のプレッシャーからはある程度解放されたことになる。


 皆でジュース(コーチはビール)で乾杯し、持ち寄った義理チョコをつまみにして軽めのパーティを経て、その場はお開きになった。


  ◇        ◇        ◇


 帰宅後、イルカは部屋に落ち着いてから、ベガに貰ったケーキの箱を開ける……。


「って、おいっ!?」

 目の前に現れたのは、何故か大きな白くて丸い物体だった、どうみても鏡餅である。

「コレ……どう解釈すればいいんだ?」

 鏡餅を手に取り、ひっくり返して見ると、底にメッセージカードが張り付いていた。


 ドクン! と心臓が跳ね、背筋が凍る思いがする。


(もしかして……『別れよう』って意図なの、か?)


 バレンタインに甘いチョコではなく、正月の余り物を寄越した。それはつまり、この先お互いのことは忘れて別れよう、という意思表示なのかも知れない。


 ごくり、と唾を飲み込んで覚悟を決め、メッセージカードを開く。そこに書かれていたのは……。



 ”素通り寺のお堂で待ってます”



「親父、ちょっと出てくる」


 そう言って慌ただしく家を飛び出すイルカ。


 もう時間は夜10時を過ぎている、こんな時間に呼び出す用件が何であるか、普通は察するものだ。

 ただベガ・ステラ・天川という人物は普通の常識では測れないところがあり、勘違いを誘発するケースもある、そうなったら最悪だろう。


 だけど、メッセージカードに○○〇を張り付けて寄越されたなら、さすがに勘違いのしようもないだろう。


(しかしお堂って……バチ当たりだなぁ。まぁ彼女はアメリカ人だし、それは俺が全部ひっかぶるかな)


 顔のニヤケを抑えられないまま、夜の村を駆けるイルカ。これからの逢瀬よりもむしろ、自分が計画していたのもが無駄にならずに無んだことに、彼女に振られたわけじゃ無かったことに感謝しながら、浮かれ足で素通り寺へと全力疾走していく。



 ――この夜、ひと組のカップルの距離が、絆が、ほんの少しだけ縮まった――

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