第36話 織姫と彦星の真冬の逢瀬

「くっ……まずい、な」


 レース後半に突入した時点でイルカに抜かれ2位に落ちた斎藤は、心中焦りを感じていた。


 彼らはともに3コーナーの『体重掛けドリフト』からの走りの組み立てで他から一歩抜け出した選手である。つまり両者とも走りの質が似通っているということだ。


 なのでコーナーの得手不得手も共通、つまり相手を上回る部分が無いので、追い越しを仕掛けるのが非常に困難だと言う事になる。

 唯一のオーバーテイクポイントはやはりホームストレートでスリップストリームからのブレーキング競争なのだが、そこはイルカも心得たもの、きっちりとインを閉めてクリアする戦法を取られていた。皮肉にもそれは前回のレースで、斎藤がイルカを完封した戦法なのだ。

 

 20周目のストレートエンド、やはりインを締めて回るイルカに対し、アウトから回りしろを取って相手のミスを突こうとする斎藤。


 そこに突如、1台のカートが横を向きながらインに割り込んできた!


「な! あれは……例のキンパツギャルかよっ!」


 外に振った斎藤のインを逃さず飛び込んできたばかりか、まさかのドリフト走行であっという間に2位を奪われた彼は、より遠くなった優勝への道のりを感じざるを得なかった。


 が、それで諦めるほど彼もしおらしい男ではない。ベガを追いながら2コーナーを抜け、そして3コーナーを得意のドリフトでクリアして一気に間を詰める。


(ここで詰めれば抜けない相手じゃない……だが、待てよ)


 彼も伊達に名門の国分寺高校の部長をやってるわけではない。レースマネージメントの組み立てや、他人の技術を盗む目の付け所はやはり非凡なものがある。


(今のあの娘の1コーナーのドリフト、あれを盗めばイルカの奴との拮抗が崩せるじゃねぇか!!)


 そう。例え得意の3コーナーからの仕掛けで彼女をかわせたとしても、その先にいるイルカとの戦いでは再び膠着状態になるのは必至だ。

 だが、今この娘が見せた1コーナーのドリフトテクニックを自分もモノに出来れば、あるいは二人とも抜き去って優勝の芽も出て来るかもしれない!


 狙いを絞り、前を追うベガの後ろに張り付いてそのテクを盗みにかかる。ホームストレートを通過し、1コーナーへのブレーキングを開始してほどなく、彼女のカートが一気に横を向く!


「このタイミングか!」


 同じポイントで体重を外にかけ、マシンを捻じ曲げようとする斎藤。しかし彼の意志に反してクルマはそのまま真っすぐに止まり続け、必要以上の減速で後れを取ってしまう。


「な、なんで……俺が曲げられないのに、アイツは曲がるんだ!?」


 アクションのタイミングは合っていても、その方向性までを理解することはできなかった。なまじ3コーナーで体をアウト側に叩きつけて曲がるテクを習得しているだけに、同じことを違う条件でも出来ると思い込んでしまっていた。

 ベガの真似をするなら外じゃなく内に体重をかけ、左の後輪を浮かせなければならなかったのだ。


 もたつく彼の脇を、カタツムリの小笹とMSBの鈴木がすり抜けていく。


「お気の毒さま」

「『アメリカ娘にしてやられた同盟』へようこそ」


 束の間のトップから一気に5位まで転落した斎藤、これで彼の優勝の可能性は完全に潰えた。

「どちくしょーっ!」



  ◇        ◇        ◇



『おーっとぉ、3位を走っていた斎藤選手が一気に抜かれました。これでトップ争いは、あの演劇のロミオとジュリエットを演じた、有田選手と天川選手の二人絞られましたぁっ!』


 ピットの脇でNHKtの人気キャスター、春柳黒鈴が熱の入った実況を入れる。カメラさんも他のスタッフさんも、この学生たちの大活躍に思わずガチの撮影に入っていた。


 その放送を聞いた美郷学園の美香が訂正を指摘しようとサインボードにカッカッと文字を書き、それを撮影監督さんに渡し、内容を見てほくそ笑んだ彼が実況中の春柳嬢にリレーする。


『驚くべき情報が入りました! ロミジュリではありませんでした。天川選手は下の名前がベガ!そして有田選手はアリタ・イルカ、つまりアルタイルなのです!』


『つまりこと座のベガこと七夕の織姫と、わし座のアルタイルこと彦星が、このサーキットという天の川で、季節外れのキャッキャウフフな追いかけっこを演じているのです! キミタチ今は12月ですよー!!』


 即興の春柳嬢のアドリブに会場から歓声と爆笑が巻き起こる。このへんは流石のプロのキャスターだなぁと、情報提供した美香たちが感嘆の息を吐く。



  ◇        ◇        ◇



「待ちなサーイ、イルカァーッ!!」

「ベガちゃんかよ! いつの間にこんなに上手くなったんだ!?」


 22周目。ついにレースはふたりの一騎打ちとなった。ベガが望んだイルカとのランデブーバトルがついに実現したのである。


「モライ、マスッ!!」

 1コーナーの飛び込みでイルカのインを突いて前に出るベガ。が、イルカは離されずに3コーナーのドリフトで間合いを詰め、4コーナーの出口からわずかなスリップを利用して5コーナーの突っ込みでインを突く。


「ここだ! もらったっ!」

「OH、来てマスカ!」


 トップ再逆転。斎藤とのバトルとは違い、イルカとベガは得意としているコーナーと、そこからの走りの組み立て方が全く違う。つまり得手不得手のコーナーが違うため、そこかしこでオーバーテイクのチャンスがあるということだ!


 23周目の1コーナーでベガが再逆転しトップを奪えば、3コーナーから間合いを詰めたイルカが5コーナーでまたまた逆転する。そこから最終コーナーで背後に張り付き、また1コーナーでインからのドリフトで前に出るベガ。


 一進一退、目まぐるしく入れ替わるトップ争いに観客の応援が、春柳キャスターの実況が、ますますテンションを上げていく。


「金髪ねーちゃん、頑張れーっ!」

「彦星さんよー、アメリカに負けるな、日本人の意地を見せろーっ!」

「うっわ、また抜いた……どんだけのデッドヒートだよ……」


『なんかもう本当に「あははー、つかまえてごらんなさーい」しています! なんというデートレース? 私たちは何を見せられているのでしょうか!』



 観客席の一角では、ベガのステイ先の白雲住職夫妻も、手に汗握って声援を飛ばす。

「いっけーホタル号! 蛍の分までぶっとばせーっ!」

(蛍……見てる? あなたのカートがすっごく頑張ってるわよ)


  ◇        ◇        ◇


(コレ、コレデスッ! ワタシはコレを待っていたんデスヨ)


 ベガはバトルをしながら、まさにエクスタシーを全身で感じていた。


 サーフィンで初めて波に乗れた時よりも、憧れの日本にホームステイが決まった時よりも遥かに上のテンションが今、多幸感となって官能物質がどぱどぱと分泌されて全身に行き渡るのがわかる。


 夢のような心地の中、彼女は今まで学んだテクニックをすべてつぎ込んで、狭いシートの中で右に左に前に後ろに、踊るように荷重移動しながら、腰とお尻でカートをねじ伏せ続ける!


(サァ モット、モットバトルしまショウ、イルカッ!!)



(ダンサーかよ! めっちゃ一生懸命っつーか、色気ある走りしやがるなぁ)


 追いかけるイルカは、その彼女のフリフリぐいぐい動きながら懸命に走る姿に思わず引き込まれそうになっていた。

 的確にコーナーをえぐり取る自分の走りとは違う、一生懸命かつどこか楽しそうなその背中を見ていると、本当に背中から抱きしめてやりたくなるなどと思いながら、その代わりに彼女のインを突いて、また前に出てみせる。


「どうだ!」

「マダマダァ!!」



 観客が、チームスタッフが、NHKtの中継陣が、そしてコースオフィシャルや審判員までもが、この壮絶なトップ争いに釘付けになっていた。

 1コーナーでベガが前に出れば、5コーナーでイルカが抜き返す。もうそんな事を5周にもわたって繰り返しているのだ。

 しかも両者ブロックラインを通らずに、あくまで引き離す走りに終始しているために、後続との差もどんどん開いていく。順位を入れ替え続けているのに、ラップタイムは一周ごとにファーステストを更新し続けていく!


「ベガパイセン、33秒33!」

「イルカ、33秒29っ!!」

「あと3周! どっちが勝つんだよこれ……」


「毎周のことだが、コントロールラインを先に抜けるのはイルカが先だ。このままならイルカの勝ちだ!」

「うん。ベガが勝つには毎度抜かれている5コーナーをなんとかしなきゃ」


 黒木部長と星奈がレース局面を見て分析する。勝ちたいならお互いの得意パターンを封じなければいけない、つまり毎度毎度抜かれているコーナーで、いつブロックラインを取るかにかかっている。それはおそらく……。


「「ファイナルラップ!!」」


 29周目のストレートを通過し、ついに最後の一周へと突入する両者。オフィシャルが1本指を示してそれを伝える。が、イルカはそれに応じたがベガの目には映っていなかった。彼女はどこまでも、この夢のようなランデブーを続けていたかったのだから。


「ベガ! ここで勝負だっ!!」

 1コーナーの突っ込み、イルカはついにインを押さえるブロックラインへと飛び込んだ。インを閉め、ここでの逆転を許さずに得意の3コーナーで突き放し、そのままチェッカーを受けて勝利を掴まんとする。


「ソレナラ……こっちデスッ!」


 インが駄目ならアウトがあると言わんばかりに外に飛び、そこからブレーキングを半呼吸遅らせてコーナーに突っ込む。外からマクるならラインは少々大回りになるが、代わりにイルカを窮屈なインベタに抑え込めば、脱出時の加速勝負で前に出られる!



 ギュワァァァァーッ! ビイィィィワアァァァァーン!!


 1コーナーから這い出てくる二台。それを見たNHKtの春柳リポーターが、マイクを握りしめて絶叫する。


『なっ、並んだぁーっ! 両者ぴったりお手々つないで出てきましたーっ!!』

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