第35話 運命のレース・後編

※舞台となる『阿波カートランド』のコースレイアウトです

https://kakuyomu.jp/users/4432ed/news/16818093082430820972


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 午後2時40分。隊列を整えた27台のカートマシンが整列したまま、うねるようにサーキットを練り歩いている。その一台一台を駆るレーサーの全てが息をのみ、全力疾走を始めるその時を心待ちにしていた。


 そして3周目のローリングラップの最終コーナー出口からコントロールラインに向いた時、まさに主審判が日の丸を掲げて打ち振らんとしていた!


 グワアァァァァァーーーンッ!!


 全員がアクセルを底まで蹴り込み、アクセルワイヤーに引っ張られた吸気口が大口を開けてガソリンを目一杯吸い込み、エンジンが一斉に咆哮を上げる!


 ――四国選手権第9戦、フレッシュマンクラス決勝、スタートっ!!――


 全マシンが次々とコントロールラインを切り裂いて1コーナーへと飛び込んでいく。せき止められた川がそこで増水するかのように、ブレーキングと共に密集したマシンが1コーナーで激しく押しくらまんじゅうを始める。


 ドン、ゴゴッ、ギュワンッ


 接触音やスキール音が鳴り響き、密集状態からマシンが次々と這い出して来る。まるで蜂の巣から次々と働きバチが飛び出してくるかのように!



「うわ、なんか荒っぽいですね」

「ええ。新人クラスですから、まだまだスムーズに抜け出すのが下手なんですよ」

 居残ったNHKtのリポーター、春柳黒鈴嬢にここの社長の大谷が解説を入れる。


「だからこそいい絵になる、か。なるほどおっしゃる通り」

 放送支部局長の鐘巻も感心して遠方の隊列に目をやる。その脇ではカメラマン達がまさかのいい絵に、残業のやりがいを感じて真剣にカメラとマイクを向ける。


  ◇        ◇        ◇


「どうした学生さん達、優勝するんじゃなかったっけか?」

 4コーナーをトップで抜け出してきたのはポールシッターの井川だ。続いて国分寺高校の斎藤、MSBの小笹、イルカはひとつ順位を落として現在は4番手だ。


「くそ! 出来れば1コーナーでトップに出たかったぜ」

 斎藤がトップのテールに追随しながらほぞを噛む。今回上位5人はタイムアタックの数値がほぼ同じで、おそらくは終盤までトップグループを形成することになるだろう。なので序盤に抜け出しておけば、2位以下の混戦を尻目に逃げに持ち込めることが出来ただろうに。


 一方イルカは順位ダウンにも動揺することなく、虎視眈々と前の3台を追いかけ続けている。

(このレースは長丁場の30周。だったらトップグループから離されずに、ここぞのチャンスを待つ!)

 前回は斎藤に同じドリフトを使われて動揺し後れを取ったが、今回は同じ轍は踏むまいと冷静にレースマネージメントを組み立てていく。



 トップグループが一周目を終え、コントロールラインを通過して二周目に突入する。その順位を、状態を、各チームのピットクルーたちが目で追い、大声で報告し合う。

「イルカパイセン4位です!」

「ベガちゃんは変わらず12位か、まだまだいける!」

「ガンちゃん17位、ふたつ順位を上げてます」


「斎藤部長2位のままか……」

「渡辺君も8位キープです、これは初入賞行けますよ!」


「井川の奴、オープニングを取ったか、今日こそ行けよ!」

「小笹ー、今度こそ優勝しろよー!」


 熱気に包まれたコースサイドの様子もまたカメラのいい被写体となる。上のオープンクラスと違い、誰もが初優勝、初入賞のチャンスを抱えているだけに応援もより一層力が入り、その必死さや真剣さは実にいい絵を醸し出してくれる。


 レースが動いたのは、ある程度隊列がバラけた5週目だった。11位争いをしていた2台のうち後ろのマシンが、ストレートでスリップストリームにピタリとつけて1コーナーの飛び込みでインに並びかける!


「モラッタヨッ!」

 ベガ・ステラ・天川が1コーナーのブレーキングでインに飛び込む。が、アウトにいるドライバーは、その明らかなオーバースピードに思わず(バカめ)とほくそ笑む。あの突っ込み方じゃ止まり切れない、行かせて差し返せば余裕でかわせるぜ、と。


 ギャギャッ、キュンッ!


「な!!」


 抜かれたドライバーが思わず声を上げた時、すでにその黄金のマシンは3車分も先にすっ飛んでいた。明らかに自分と違うスピードレンジで走るその車を呆然と見送るしかなかった。


「OK! いい感じデス!」

 ポジションアップしたベガは、さらなる標的を目にしてテンションを上げていた。前には3台が連なっている状態で、その先頭にいるのはあの渡辺君だ。各コーナーごとにぐいぐいと差を詰め、次の周のストレートでは早速前の車のスリップに潜り込む!


「行かせるかぁっ!」

 テールに張り付かれた前の選手は、ストレートで進路を変えてインを押さえにかかる。若干後ろを確認した後での進路変更で、やや反則すれすれではあるがお構いなしにブロックラインを取って来る。


「ソレナラ……こっちデス!」

 スリップからアウト側に抜け出して、並走状態に持ち込んで1コーナーへと突っ込む二台。ブレーキングがやや遅れたかに見えたベガのマシンが、外側から車半分ノーズをせり出す。


 キュキュツ、ビイィィアァァーン


 外側からかぶせるようにブレーキングドリフトを決めたベガが、そのまま並走して2コーナーへと向かう緩い左カーブへと飛び込んでいく。

「んなっ、アウトからぁ!?」


 左右の曲がりが入れ替わった事でイン側を取ったベガは、片輪浮かせのテクで巻き込むようにしてアウトの車を呆気なく振り切った。


「なんだあのアメリカ国旗……まるで踊るように走りやがる!」

 右に左に体を振り、シートの横から星条旗デザインのレーシングスーツを覗かせながら、ぐいぐいと遠ざかっていくマシンを見て、彼もまた嘆くしか無かった。

 

   ◇        ◇        ◇


「すごい、また抜いたっ!」

「33秒台入ってます……すごいよベカパイセン!」

 毎周、ホームストレートエンドごとに1台パスしていくベガのホタル号。あれよあれよという間に8位の国分寺高校、渡辺のテールを捕まえていた。


「こりゃあ、トップグループまで届きかねんぞ」

 黒木コーチが腕組みしたまま、思わず言葉を紡ぐ。

「今のベガちゃんの強みは、1コーナーが速いという事だ。抜きどころのあそこが速ければ、それこそオーバーテイクし放題だろう!」


 その言葉に黒木部長以下、カート部の面々もうんうんと頷く。ストレートエンドのコーナーは決まって抜きどころになるのはレースの常識だ、スリップストリームで速度を上げてからのブレーキング勝負はオーバーテイクの常套手段なのだから。


 なのでそこの飛び込みをより奥に取れるベガのブレーキングドリフトは、まさに追い越しのための必殺技と化していた。他車がブレーキ>ハンドル>アクセルで曲がるのに対し、彼女はブレーキ+方向転換>アクセルで飛び出すのでアクションが実質ひとつ少ないのだから。


(あの娘、美郷学園の天川さんか!)

 8週目のストレートエンドでインに飛び込んできたマシンを見て、国分寺高校の渡辺がデビュー以来のライバル校の女子を見止める。負けてなるかと気合を入れるが、1コーナーを抜け出した時にはその気合いも見事に霧散していた。

(なんだ、あれ……)


 前の二人と同じように、たちまちのうちに置き去りにされる渡辺。

(えー……彼女、前回のレースじゃビリのほう走ってなかったか?)


 若者はちょっとしたキッカケがあれば化けるものだ。常に向上心を持ち、リスクを恐れずに新しいテクに挑み、不思議に思ったことを理解するまで試し続けるならなおの事だ。

 彼女ベガ・ステラ・天川は、イルカと一緒に走りたいがために速さを求めた。謎スピンをキッカケにして新たなテクニックを身につけた。それや星奈の後輪浮かしを会得するために、前回のレースをまるまる潰して実験を繰り返した。


 その成果が今、彼女の順位をひとつ、またひとつ押し上げていく!


「サァ、追いつきますよトップグループ! そしてイルカーッ!!」

 フルフェイスのヘルメットの中、まるで獲物を睨む女豹のような嬉々とした表情で、周回ごとにトップグループにじりじりと接近していくベガ。


  ◇         ◇         ◇


 15周目、トップグループにも変動があった。5コーナーでトップを走る井川がスピンを喫したのだ。インのゼブラゾーンを大きくカットして逃げようとした際、振動でチェーンが外れてしまったが故のスピンだっだ。

 

 ギャァァァッ、ドドン、バババババ……

 当然、後ろに続く4台もそれを回避するためにレコードラインを外す羽目になる。インの路肩に片輪を落とし雑草を薙ぎ倒す車と、外側のダートに飛び込んで土煙を上げる車に分断される4台。


 大きなタイムロスをせずにコースに復帰したのはイン側に避けた斉藤とイルカだった。アウトに飛んだMSBの小笹とカタツムリの鈴木は、ダートがうまく土を噛まずにタイムロスを喫し、抜け出すころには2台に大きく水をあけられてしまっていた。


「いよっしゃあぁぁー、ついにトップだ! 貰ったぜ初優勝っ!」

「逃がすか斉藤ッ! 勝つのは俺だあぁぁぁぁっ!」


 ついに国分寺、美郷の両高校のエースがワン・ツーを占めて見せた。レースは残り半分、他の優勝候補は脱落し、勝利はこの2台のいずれかに絞られたかに見えた。


 トップの2台が最終コーナーを抜けてストレートに帰って来る。当然両方の高校の面々は歓喜して[P-1][P-2]のサインボードを掲げる。よもやのライバル同士、ついでにラーメン屋同士の一騎打ちに沸き立つ両チームスタッフ。


 少し遅れて3位の小笹と4位の鈴木が連なって最終コーナーを出て来る。

 そしてそのすぐ後ろから、一台の金色のカートが、まるで矢のように前の車に吸い込まれていく――


「モラッタァーッ!」

 鈴木のスリップから抜け出したベガが、1コーナーのブレーキングで空いたインに飛び込む。


「なっ!?」

「無茶だろ!」


 明らかに減速の足りてない速度で、鈴木をかわして小笹のマシンにまでノーズをせり出すベガ。同時に体を右に傾け、左後輪をブレーキング中に浮かせて巻き込むように車体の向きを一気に出口に向ける!


 ギャギャッ、キュキュキュワァーン


「げっ!」

「曲がりやがったぁっ!?」

 インを差された二人にも油断はあった。せっかくのトップグループからの脱落で、優勝が遠ざかってしまった事の落胆から、少しだけモチベーションが下がってしまっていたのだ。せめてもう一周あれば気持ちを取り直して、前の学生たちを追撃する気力は回復しただろう。


 そんな心の少しの空白を、見事にベガに突かれてしまったのだ。


「行かせるかよおぉぉぉっ!」

「ワタシが、前デーッス!!」

 小笹は辛うじて並走状態を保ったまま、2コーナーへ向かうゆるい左カーブのインを死守するが、ベガに立ち上がりのラインを潰されておりスピードが乗ってこない。

 対するベガはアウトに体重をかけ、左後輪を浮かせる星奈直伝の3輪走行でアウトから被せにかかる。

 有利なインで懸命に耐える小笹、不利なアウトから脱出速度とテクニックで並走に持ち込むベガ。


 2人並んで2コーナーへと到達した時点で決着はついた。


「デェイッ!」

「くっそ、カウンター攻撃食らっちまった!」

 切り返しの2コーナーでインを取られた小笹に勝ち目は無かった。トップグループを形成していた二人をぶち抜いて、ついに3位までポジションアップするベガ。


  ◇        ◇        ◇


 17周目。斉藤のスリップストリームに入ったイルカが、意を決してインに飛び込む。

「なんだとぉっ!?」

「貰ったぜ、斉藤おぉぉっ!」


 イルカは2台の勝負になってから、ひとつの秘策を実行に移していた。直線でスリップに入っては、エンドでインに車を振って「インから抜くぞ」とプレッシャーをかけ続けていたのだ。

 そしてこの周、イルカは自分のカートのエンジンに手の平を当てて、少しでもエンジン音を消そうとしたのだ。


 カートレースでは後ろを振り返ってから進路変更するのは違反である。なので前走者は後ろから来るマシンの気配を頼りに動きを察するしかない。幸いにも剥き出しのエンジンを載せているカートなら、振り向かずともその音である程度気配を察する事が出来る。


 イルカはそれを逆手に取ったのだ。ここ何周かストレートエンドでインに車を振って斉藤にエンジン音を聞かせていた。そう印象付けておいてから、いざインを取る時には片手でエンジンをカバーして、少しでも音を聞こえにくくして気配を消し、無警戒になった斉藤のインを見事に突いて見せたのだ。


「っっしゃあぁぁぁぁぁっ! トップだぜーっ!」

「クソッタレがぁぁぁぁ、このまま終わると思うなあぁぁ!」


 共に得意とするのが3コーナーである二人のバトルは、走りの共通点からなかなか抜きどころを見いだせない事を、イルカは前回のレースで嫌という程思い知っていた。

 その状況を打破すべく考えていた作戦が、ここにきてドンピシャ当たったのだ!



 18周目のホームストレート。ついにトップに上がったイルカが斉藤を従えてコントロールラインを抜けていく。美郷学園のピットは熱狂に当てられて歓喜の声を……出せなかった。


 その直後に、黄金の光をたなびかせて猛追するホタル号が通過するまで、息を止めて待ち構えていたのだから。


 カアァァァァァーーン


「行っけー、ベガパイセンーっ!!」

「斉藤選手は目の前よーっ!」

「美郷学園ワンツー、頼むーっ!!」


 歓喜に沸く仲間達をよそに、ベガ・ステラ・天川の目には、目の前に見えるマシンを睨み据えて、歓喜の咆哮を上げる。



「追いつきマシタヨーッ、イルカあぁぁぁぁぁぁぁァァァァッ!!!」

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