第34話 運命のレース・中編
「イヤー、失敗失敗」
タイムアタックが終わり、車検場にカートをあずけて引き揚げて来たベガはアタマを掻きながら、バツの悪そうな困り笑顔でそう言った。
「まったく……何やってんですか一発勝負のタイムアタックで。前回のヒキは何だったんですか?」
「ゼンカイ? ヒキ?」
「あーいや、そこにツッコまないでくださいな」
やれやれといった表情でメタツッコミを入れているのは美香だ。ベガの知られざる実力を知っている彼女は、このタイムアタックでいよいよ周囲を驚愕させられるとひそかに期待していたのだが……。
4コーナーまでは順調だった。しかし5コーナーで例の星奈直伝の後輪浮かせをしようとしてアウトに体重をかけたが、タイヤのグリップが足りなくて後輪を滑らせてしまったのだ。季節が冬になり、タイヤが温まりにくくなっているのもミスの要因の一つだろう。
スピンやストップこそ免れたが、大きなタコ踊りを披露してしまった彼女のタイムが期待できるものでは無い事はもう明らかだ。
が、黒木コーチや息子の黒木部長、星奈はむしろ驚きの表情でベガを迎え入れる。流石にここに来てベガの1コーナーのあのブレーキングドリフトを見ていないはずも無いのだ。
「ね、何あの1コーナー。どうやったの?」
「全日本に行った選手が使っていたヤツじゃないか? いつのまにあんなテクを!」
その彼らの問いに「へっへーん」と胸を張るベガと、「え?」と目を丸くするイルカ&ガンちゃん。二人がその言葉の意味を認識したのは、タイムアタックのリザルトが出た後だった。
「34秒57で12位……ベガ先輩って35秒台が最高じゃ無かったでしたっけ」
「これで……ミスったって言うのか?」
大きく挙動を乱してなお、イルカたちの知らない好タイムを叩き出したベガに驚きの視線を送る。
ちなみにイルカは33秒98で3位、ガンちゃんは36秒22で19位のポジションだ。
今日のレースは予選ヒートが無く、本番の決勝30周一発勝負なので、タイムアタックで沈むと上位進出は難しくなる。イルカは相変わらず優勝が狙える位置にいるが、ベガは5位以内の入賞に届くか際どい所だろう。またガンちゃんも前回デビューした美香の9位には届かなさそうだ。
他は国分寺高校の斉藤が2位、ポールポジションはチームカタツムリの井川選手。以下上位陣にはショップチームの選手が居並ぶ。8位には成長著しい国分寺高校一年の渡辺の名前もあった。
「OH,ワタナベ君、ズイブン腕を上げましたネ!」
かつてベガがデビュー戦で下位争いをしていた彼も、四国シリーズであちこちに遠征していく中で経験を積み、ぐいぐい腕を上げていたみたいだ。
「さって、決勝までヒマだなぁ」
今日はこの後オープンクラスの決勝、そして昼にはTVの撮影やインタビューがあり、フレッシュマンの決勝はその後の午後2時ごろになる。現在午前10時、しばらくは手持ちぶたさになるだろう。
せっかくなので実力上位のオープンクラスの決勝をみんなで観戦する事にした。いつもは自分たちの後で走るといういこともあり、疲れや撤収準備であまり見なかったのだが、たまには上の世界をじっくりと見物するのも勉強になるだろう。
スタートの旗が振られ、密集したカートのエンジンが轟音を鳴り響かせる。そしてそのまま1周もすると、カートの群れはキレイな一本のラインに完全に統一されていた。
「上位から下位まで、ぜんっぜんミスとか無いですね」
「実力が拮抗してるから、ストレートでのスリップストリームくらいしか抜き手ないしねぇ」
「なんかF1の中継とか見てるみたい」
「ウッヒャー、トップのタイム32秒台デスヨ!」
とても同じカートを操ってると思えないほどにハイレベルなレースが展開されている。フレッシュマンクラスで優勝するだけの実力がなければ出られないこのクラスは、実は上位から下位まで差がほとんど無い。
なので誰もがミスをすることなく、また無理なラインどりで隙を見せる事も無いので、こうしてキレイな一本の群れに収束されていくのだ。
まぁ一見すると洗練されたキレイな走りでお上品に順位を競っているように見える。が、当のレーサー達は皆、目を剥いて滾りながら激走しているのだが……。
「うおぉぉぉぉぉっ! TV! NHKt!! 俺を撮れえぇぇぇぇ!」
「ここで勝って、さらなる上にステップアップじゃああああ!」
「この千載一遇のチャンス、絶対にモノにしたるわぁ!」
プロレーサーの世界の入り口はとにかく狭い。たかが地方のカートレーサーが、華々しいF1やスーパーGTの世界まで登りつめられる事はまずないと言っていい。何よりもまず金、つまりお金持ちのスポンサーがつかないとどうにもならないのだ。
なので国営放送であるNHKtが取材に来ている今日はまさに千載一遇の大チャンスだ! ここでいい所を全国に発信できれば、万にひとつ、どこかからお声がかかるかもしれない。
そんな想いが彼らを駆り立てていく。冬という事で気温が低くエンジンの噴け上がりがいい事もあり、いつもよりハイペースで展開していく高速バトルに、フレッシュマンクラスの参加者たちはみな度肝を抜かれていた。
全車が30周の長丁場を走り切り、オープンクラスのレースが終わる。上位陣にそれほどの変動はなく、上位5名はいつもの顔ぶれだった。
ちなみにカタツムリの白瀬選手は18位、例の体当たりドリフトの椿山選手は22位、前回フレッシュマンで優勝したMSBの岩熊選手は26位(ブービー)でレースを終えた。
「本当、レベル高いデスネー」
「あの椿山選手をして下位完走かよ……上には上がいるなぁ」
「俺、引退して正解だったかな」
呆然と見送る一同に黒木コーチが解説を入れる。
「あーいう人達になると毎週のように練習してるからね。セッティングもしょっちゅうイジっているし、区間タイム取ったり温度計測したり、果ては規定重量以下までダイエットして、ウェイトを振り分けたりしてるからね」
本気でレースをするなら、やはりそこまでしなければいけないのだろう。上の世界の厳しさを垣間見た思いだった。
そしてNHKtのお昼の撮影が始まった。まずはインタビューと称して先のオープンクラスの上位入賞者や所属のショップ、そして国分寺高校や美郷学園にも取材のリポーターさんがやって来た。
「どもー、ここは地元の学校のカート部の皆さんです。演劇で王子様とお姫様を演じたお二人も出てますよ~」
「は、はひっ! 部長の
人気美人ニュースキャスターの
「アハハー、イルカ噛んでマスヨー。ベガ・ステラ・天川デース」
「ども、一年の
その後、顧問の吉野先生や黒木コーチ、引退した3年コンビ(やたらおめかししている)に一言二言コメントを貰った後、他のチームへと移動していく。
「いやー、俺変な表情してなかった?」
「うわー緊張しましたわー」
「ふ、何事も余裕が肝心だよ」
みんな何とか無難に乗り切ったと安堵し、来たるべき放映時に期待を寄せる。
が、その後のNHKt勢の動きが彼らを、そして参加選手全員をダウナーな気分へと落として行くのだった……。
「はーい。じゃあ次のカット行きまーす。春柳さん頑張って」
「はい! お願いしますっ!」
なんか人気リポーターである春柳黒鈴嬢が体験と称して、試乗車のFK-9に乗り込んでコースを走っていて、スタッフが総出でそれを熱心に撮影しているのだ。
まぁお馴染みの人気アナウンサーに体験してもらう、っていうのはTV放送のお約束ではある。だけどこの撮影に入ってからのスタッフの熱気や本気度が、レース中やさっきのインタビューとは段違いだ。これは……。
「放送時間、15分しか無かったんだよなぁ」
「メインはやっぱアレになるんじゃね?」
「アングルが悪いから撮り直しとか言ってるよ……力の入れ具合すげーな」
「……レース自体がダシで、あれを放送したいだけだよなぁ、やっぱ」
そう。たった15分しか無い今日のレースの放送枠。その中で美人リポーターのカート初挑戦にあれだけの時間と熱気を割いているということは、自分たちのレースはあくまでオマケ程度で、今やってるあの撮影がメインになるんだろう。
事実、カメラのアングルや音響、果てはリポーターのわざとらしいキャピキャピ悲鳴にまで注文が付けられ、いかにも視聴者を引きつけるような演出はさすがプロの仕事と言えた。
それは逆に言えば、この放送で自分を売り込みたい上級者や。この後のフレッシュマンクラスでいいレースをしてTVに映りたいという人達をがっかりさせるに十分なものを含んでいたのだ。
「アレ? みなさん、どーしマシタ?」
ジュースを買いに行って戻って来たベガが、あたりに漂う「どよ~ん」とした空気を察してキョトンと首をかしげる。
「いや、まぁ、ね。アレ見てたらねぇ」
「俺達完全にオマケだよなぁ、期待して損したよ」
「ま、TVっていうのはそういうモンさ」
せっかくの国営放送中継も、しょせんカートをネタにしてのリポーターさん主役番組であることがほぼ確定したであろう事をベガに伝える。
「ナーンダ、そんなコトデスカ!」
が、ベガは全く意に介さない明るい態度で、胸を張ってことさらに大きな声でこう続ける。
「ジャア、私たちフレッシュマンクラスが、アレを上回るエキサイティングなレースすればイインデス!!」
その宣言にピット全体がざわっ、と沸き立った。その「誰もが言いたかったけど、誰も言えなかった宣言」を、あっけらかんと言い放ったアメリカンガールに全員が注目する。
「そうだな、その通り。フレッシュマンクラスは基本荒れるから、より激しく面白味のある絵面が期待できるだろう」
黒木コーチが続いてそう言い放つ。確かに洗練されたオープンクラスに対して、未熟な選手がいるフレシュマンクラスは、より激しいデッドヒートやオーバーテイク、スピン等のシーンが多く見られる。レベルが低いが故の絵的な面白さは確かにあるだろう。
「だな。俺の初優勝を、せいぜい皆で派手に彩ろうぜ!」
応えて宣言したのは国分寺高校の斉藤だ。自信満々のその表情に周囲から威勢のいいツッコミが続々と入る。
「おー、言ったな若いの。まだまだオッサンも負けんぞ」
「えー、斉藤部長が優勝したらまたラーメン音頭じゃん、誰か止めてー」
「甘いな、優勝するのはこの有田イルカだ! せいぜいいい絵で抜かれてくれよ」
「ノンノン、ユーショーはワタシのモノデスヨ!」
静まり返っていたピット内が一気に沸き立つ。誰もが「俺が、僕が、私が」と意気を上げ、沈んでいたテンションをヒートアップさせていく。
「決勝レース、やったれやあぁぁぁ!!」
いつの間にかそこに居たここのカートコースの社長、
――おおおおおおーーーーっ!――
◇ ◇ ◇
撮影を終えて機材の撤収にかかり出したNHKtスタッフが、ピットからの盛り上がりを見て思わず「何だ?」と目を丸くする。
「なんか、盛り上がってますねー」
「次に下のクラスのレースがあるんでしたっけ」
「ま、我々はもう引き上げるから関係ないけどな」
「おつかれですー。じゃあマネージャー、東京に帰ろっか」
スタッフが撮影の疲れもあって、我関せずと帰社準備にかかる。特にリポーターの春柳嬢とマネージャーは東京まで帰らねばならず、あまり長居の出来ない立場だけになおさらだ。
が、NHKt徳島支部長の
「撤収は待った、だ。なんか面白そうな絵が撮れるかもしれんぞ!」
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