第31話 逆転の発想
「アハハハハ! ナーンダ、そういうコトだったんデスカ!」
1コーナーの奥でスピン&ストップしたベガは、後続車に知らせるべく両手を上げながら、胸の中のモヤモヤが晴れた事にスッキリしたのと、今までの自分の
先の予選第二ヒート、彼女は1コーナーの奥で飛んできたハチを避けようとして右に体重をかけ、そのまま右にスピンした。レースでのロスという点では単なる不可抗力だが、なぜ左じゃなくて右にスピンしたのかがずっと引っかかっていた。
1コーナーは右コーナーなので、もしこの不思議現象を走りに生かせれば、なんてずっと思っていたのだから。
ひょいっ、とカートから飛び降りて、ハンドルとリアバンパーを持ち上げて押し掛け再始動にかかる。
(ズッとチャレンジしてきた事だったノニ、アクセルとブレーキで逆になるって事には気付きませんデシタ!)
息を吹き返したカートに飛び乗って、1コーナー出口からのゆるい左カーブへと差し掛かる。
そう、こないだの練習走行から彼女はずっとここで、『加速しながら体重を外にかけ、内側の後輪を浮かせて巻き込むように曲がる』練習をすっとやってきた。だがそれは進入速度の不足もあり上手くはいかなかったのだが……
カートのエンジンやブレーキはリアにのみ繋がっている。その左右のリアタイヤは一本のぶっといシャフトで直結しており、アクセルを踏めば左右同時に地面を蹴飛ばして真っすぐに加速しようとする。なのでその際に内側のリアタイヤを浮かせれば地面を蹴飛ばすのが外側のタイヤだけになり、巻き込むようにカートを曲げながら加速する事が出来る。これが星奈から教わり今日まで練習して、未だ習得できなかった曲がり方だ。
じゃあ、逆に加速時じゃなくて減速時、つまりブレーキング時に片方の後輪を浮かせたらどうなるか。
通常カートはブレーキを踏めば、左右のリアタイヤが同時に地面を掴んで、真っ直ぐに止まろうとする。
もしここで片側のリアタイヤを浮かす事が出来たら、地面を掴んで止まろうとするタイヤは、浮いてない方のリアの片側だけになる。
走行中に、四隅に配置されたタイヤのうち、右後ろのタイヤだけがブレーキをかけたらどうなるか、そんなの考えるまでも無い。車は右後ろのタイヤを軸にして右に巻き込むのは、ちょっと原理を考えれば誰でもわかる当たり前の話なのだ。
だからあの時、ベガはブレーキングの最中にハチを避けて右に体重をかけ、左のリアタイヤを浮かせた結果、右回りに巻き込んでスピンしたのだ。ブレーキングの最中という事もあり、重心が車の前部分にかかっていたのも後輪を浮かせやすかった要員のひとつであろう。
その事に気付いた彼女は早速1コーナーでそれを実践し、思惑通りにスピンしてコースアウトしたという訳だ。
「サァ、コレを走りに生かしますヨー!」
曲がる理由が分かったなら、後はそれを速さに繋げるだけだ。スピンする前に
◇ ◇ ◇
一方トップグループの三台は、相変わらず密集したままの首位争いを続けていた。
巧みにキャブを操って引き離そうとし、周回遅れに捕まっては学生二人に差を詰められるトップのMSBの岩熊。
その岩熊のミスと、周回遅れに絡むタイミングに狙いを定めてチャンスを待つ二番手の国分寺高校、斉藤。
得意の3コーナーのドリフトを斉藤にトレースされて勝負所を封じられた美郷学園の
この三者の丁々発止に、各チームのスタッフや仲間達もコース脇に張り付いて声を上げ、ピットサインを掲げて仲間の優勝争いにエールを送り続ける。
「斉藤部長ーっ! 抜けえぇぇぇぇぇー!!」
「岩熊ぁーっ、学生さんになんざ負けるなよー」
「イルカーっ! 負けたらラーメンおごりなー」
19周目のストレートを突っ走っていく3人は、その先にスピンして停まっている金色のマシンを目にとめた。
(あの娘、夏にレースクィーンやってたなぁ、コースアウトしてて助かるよ)
(ちぃっ、周回遅れならちゃんと先頭の壁になりやがれっ!)
岩熊と斉藤が真逆の感想を心で呟きつつ、その傍らを通過する。が、続けて1コーナーに飛び込んだイルカはそれを見て別の感想を持っていた。
(ベガちゃん……どうしたんだ今日は? 全然ダメじゃないか)
「アハハ、失敗失敗。少しアクションが早かったようデス」
そう言いつつ再びカートを降りて押し掛けに入るベガ。さっきの周回でこの1コーナー攻略の原理は理解したが、それを己の技にするには
(ダケド……もうコツは掴みましたヨ)
もう今のベガにはレースの順位も、疲労困憊のはずの体も、そして愛しのイルカの順位すらもどうでも良かった。
今まで誰も知らなかったこのテクを、自分の必殺技へと昇華すべく、再度カートに飛び乗る!
「サァ、今度コソ!!」
◇ ◇ ◇
美郷学園の真紅のマシン、美香の乗るカートが10番手で19周目をクリアする。ピットボードの[
(あとひとつ……あとひとつでひとケタかぁ、上出来かもね、しんどいけど)
前を走っている中団グループにはもう10mほど離されていて、ここからポジションアップするには上位の誰かのリタイアを期待するしかない。他力本願と思うなかれ、レースは完走してこそ価値があるのも事実なのだから。
と、その前の集団に向けて、オフィシャルが
ほどなく5コーナーでそのマシンがインを開け、前を走る3台の集団が次々とパスしていく。果たして周回遅れにされて美香の前にいたのは、金色に輝くホタル号だった。
「ベガパイセン!? 何やってるんですかぁ! 私が周回遅れにしちゃいますよぉっ!?」
おそらくどっかでスピンしたのは察せられるが、それでもレースデビューの自分がベガパイセンを周回遅れにしようとしている事実に頭が混乱する。自分が思った以上にうまかったのか、それともベガが予想以上に不調なのか……。
最終コーナーを抜け、20周目のストレートに入る。美香はベガのスリップに入り距離を詰めにかかる、うまく後ろに付けば1コーナーで青旗が振られ、私にも道を譲ってくれるだろう。
そして1コーナー進入、コース脇のオフィシャルが青旗を掲げようとしたその瞬間、美香は『それ』を目撃する。
――ギュゥン! キュワアァァァァーン――
ベガのマシンは瞬時に90度旋回し、あっという間にコーナー出口へとかき消えて行った。まるで幻のように美香の視界から消えてしまったのだ。
「な……何? 今のは!?」
◇ ◇ ◇
「イイェアァァァァー! コレがセナの言ってた巻き込み走行、スゴイッ!」
1コーナーのブレーキングドリフトに開眼したベガは、そのまま2コーナーまでの左カーブに突入した際、ついに星奈に教えてもらっていた『左リアを浮かせて加速しながら巻き込むように曲がる』テクも同時に成功させていた。
今まではこのカーブに対する進入速度の不足から出来なかった技が、新ドリフトを成功させることによりスピードレンジを上げ、この走法に必用な遠心力を生み出す事に成功していたのだ。
ひとつのコーナーが画期的に速くなれば、それに呼応するかのように他のコーナーでの突っ込み速度も上がる。今までにない速さの領域へと踏み込んだベガは、今まで足りなかったものを得て、嬉々としてコースに挑戦していった。
2コーナー、そしてタイトな3コーナーは、いままではやや
(モット、アウト・イン・アウトを徹底シナイト!)
侵入でアウトのダートにタイヤを半分落とし、インの縁石をかすめるようにしてコーナーを切り取っていく。より上がった速度を殺さない為、今までよりずっとデッドなラインへと踏み込んでいく。
5コーナーを抜け、6コーナーですっかり習慣になった片輪浮かせ走行にチャレンジする……ここでもベガは見事に左後輪を浮かせ、巻き込むようにコーナーを抜け出していった。
「Ahahahaha、タノシーデスッ!」
コーナーにかけている時間が今までより短い。次のコーナーがやって来るのが早い。そして……1周が終わるのが明らかに今までより、早い、速い、ハヤイ。
まるで時間短縮の魔法の中にいるような自分の『世界』に酔いしれるベガ。
「邪魔デス、どきなサイッ!!」
ベガはさっきパスさせた7位グループにあっという間に追いつき、ストレートエンドの1コーナーでインに飛び込むと、タイトなラインからのブレーキングドリフトで一気に2台をパスし、そのまま左カーブで3輪走行を披露して前の車に並びかけ、次の2コーナーでラインクロスからインを奪ってあっさりとオーバーテイクしてしまった。
「ちょ、ベガパイセンってば、何やってるんすかぁっ!?」
美香がその光景を見て呆れて声を出す。無理もない、周回遅れにされたマシンが、したマシンを抜き返すなんて前代未聞なのに、まして3台まとめて抜き去るって……?
美香はそこから、3台のマシンを挟んでベガの走りを目で追っていた。体を右に左に傾け、お尻をフリフリして激しく踊るようにマシンをねじ伏せてコーナーを駆け抜けていくその姿は、麗しきダンサーのようでもあり、サーキットを駆け抜ける蛍火のようでもあった。
ほんの2周もしない間に、美香の視界からベガのホタル号は、消え去ってしまっていた。
◇ ◇ ◇
ワアァァァァァァーーン!
轟音を残してコントロールラインを通過する3台のカートにチェッカーが振られた。結局上位陣に変動はなく、岩熊が学生二人の追撃を振り切って初優勝を決め、オープンクラスへの進出を果たしたのだ。
準優勝は斉藤、イルカは優勝を狙っていたレースで3位と言う不本意な結果に終わった。
美香は9位で無事、初レースをフィニッシュしていた。残り2周でミスをした前のマシンを慎重に躱して、見事ひとケタ台での完走を果たしたのだ。
そして……今回予選と決勝で計3回のスピンとストップを喫したベガ・ステラ・天川は、21位という残念なリザルトとなった。
が、車検場でカートを降り、ヘルメットを脱いで首を振って汗を飛ばし、その金髪をきらめかせた彼女は、満面の笑顔を見せていたのだ。
「It was a great day(サイコーの一日でした)!」
美香はピットに帰ってすぐ、美郷学園の面々に駆け寄ってまくしたてる。
「ねぇお姉ちゃん、みんな! ベガパイセンの最後の方のラップタイム、取ってた?」
「え、どーしたの美香? そんな必死になって」
「なんかトラブってそうだったのか?」
星奈や黒木が不思議そうに聞き返す。せっかく9位フィニッシュの健闘を褒めてあげようと思っていたのに、いきなり別の事を聞かれて褒めるタイミングを失ってしまう。
「いや……トップ争いに集中してたし」
「イルカの奴が惜しかったからなぁ」
「ごめん。僕は美香ちゃんのタイム取ってたから……」
顧問の吉野先生も、コーチの黒木さんも、そしてガンちゃんも、ベガの覚醒した走りに気付いていなかった。無理もない、チームメイトが優勝争いをして、初参加の美香が9位で走っているのに、周回遅れのベガに気を回すチームメイトは誰も居なかったのだ。
ベガの最後の周回(24周目)のラップタイム。
――33秒298――
彼女のこの数値が、このレースのファーステストラップだったことを知っているのは、主催の記録データを取っていたパソコンのメモリーだけだった。
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