第30話 激突! 男たちの意地と実力!

 フレッシュマンクラス決勝レース。ローリングッラップの長い隊列が竜のようにうねって進み、エンジンの轟音を響かせながら最終コーナーを立ち上がって来る27台のカートマシン達。


 ――スタートッ!――


 コントロールラインで日の丸が振られ、各マシンが右に左に飛びながら1コーナーへと殺到していく。


 ギュギュワァァッ!


 密集を示すブレーキのスキール音が山あいのサーキットにこだまし、順位と言うイス取りゲームをとりあえず確保したマシンが次々と2コーナーへと向かう。


「っしゃあぁぁっ!」

 美郷学園の有田 依瑠夏あらた いるかは3番手スタートから、1コーナーですぐ前のトップのカートのテールに張り付いて進入~脱出し、隣にいた2番手の選手を見事パスして2位につけていた。

 もはや目の前にいるのはトップのみ! オープニングラップを取るべく闘志を燃やして2コーナーをクリアし、続く3コーナーで得意の力づくドリフトを決めて一気に首位に肉薄する!


  ◇        ◇        ◇


「ひいぃぃぃぃ、ちょっとちょっとちょっとおぉぉーっ!」

 スタート直後の1コーナーから軽くパニクっているのは、今回レース初参加の坂本 美香さかもと みかだ。14位と言う中団の密集状態でのスタートで、1コーナーで後ろから軽く追突されたのを皮切りに、彼女のマシンは前に右に左にと他のカートと軽い接触フレンチキッスを繰り返していた。

 それでも何とか隙間を見つけ、そこにカートを持って行きつつ1コーナーを抜ける。幸い順位をふたつ落としただけで、致命的なダメージは貰わずに済んだみたいだ。


  ◇        ◇        ◇


 ベガ・ステラ・天川は25番手からひとつポジションを上げて1コーナーをクリアしていた。と言っても全部で27台参加の今回のレース、下位の5人くらいは明らかに初心者なので、彼女にとってジャンプアップはそう困難な事ではない。


(ポクポクポクポク……? ポクポクポクポク……?)

 ただ、彼女の頭の中では、ずっと素通寺で聞いた木魚の音が響いていたのだが。


(確かにあの時ワタシは右に体重をカケマシタ……でも車は右にスピンシタ、逆じゃナインデスカ?)

 大昔の日本のアニメにあった考え事をする時の木魚の音をイメージして、あの時の謎スピンを解明しようとしていたのだが、いつまでたっても正解の「チーン」という音は鳴らなかった。



 1周目を終えて先頭がホームストレッチに戻って来る。そのハナを切ったのはチームMSBの岩熊選手だ。2位のイルカ以下を従えてコントロールラインを突き抜けていく。


 それをピットの一角で眺めていたチームカタツムリの椿山と白瀬が腕を組んで目で追いつつ、自然な形で感想を口にする。

「岩熊がトップか……こりゃ決まった、かな」

「まだ1周目でそれ言いますか椿山サン、まぁ俺も同じ意見ですけど」

 ずっとライバルチームの同格の選手として死闘を演じて来た彼らの言葉には、それ相応の重みと説得力があった。例え2位の学生さんが成長著しい選手であったとしても、だ。


(くそっ、いくら踏んでもじりじりと引き離されていく……なんてヤツだ!)

 イルカが前の岩熊を追いかけながらそう毒づく。得意の3コーナーでは少し差を詰める事が出来るが、そこからの出足と伸びでは明らかにむこうが上手だ。そしてその理由も、イルカには痛いほど、理解できていたのだ。


「フ~ンフーフフ~ン♪」

 先頭を走る岩熊選手が鼻歌など歌いながら、最終コーナーを抜け出して来る。その時の彼は左手のみの片手運転で、右手は後方のエンジンのキャブニードルを回転数に合わせて少しづつ絞り込んでいる。

「ラララ~♪2周目も余裕のトップだぜ~♪」

 彼の下手な歌をかき消すように、歌うようなエキゾーストを響かせて軽快にかっ飛ばし、2位以下にじりじりと差をつけていく岩熊。


 彼は元峠の走り屋が集まるチームMSB内で、チューニングカーの燃調CPUを設定するロム制作の仕事をしていたのだ。ゆえに燃料の濃い薄いを調整するのはお手の物で、どんな不調のエンジンでも彼が一周走って調整すればたちまち吹き上がるエンジンへと姿を変えるほどの整備テクの持ち主なのである。


 そしてカートには、二種類のキャブレター調整ニードルがついている。ローニードルのほうはマイナスドライバーで調整するので走行中に調整は出来ないが、ハイニードルのほうは走行中にも後ろ手でつまんで操作が可能なのだ。


 彼はレース中の大半でそのニードルをイジり続け、エンジンが一番よく回る燃調を場所ごとに操作し続けるという離れ業を演じていた。


 もちろん学生のイルカ達にそんな真似が出来る訳はない。走行中に燃調をイジるのは極めて難しいテクニックであり、素人が下手にニードルを回すと最悪エンジンがブローする危険性まである。貧乏所帯の美郷学園カート部にはそうそうチャレンジできる技ではない。


 だからこそカタツムリの椿山や白瀬は、岩熊の優勝を確信していたのだ。彼を単独トップに出せば、前の車を気にせずに悠々と燃調の操作が出来るからだ。

 椿山も白瀬も、そして岩熊のチームメイト達も、「岩熊をトップに出させたら追いつけなくなる」という認識を持って、出来るだけ彼を前に出させようとはしなかったのだ。まぁ9月のレースは気温が高すぎたお陰で、椿山が逆転することが出来たのだが。


(信じられねぇ……ほとんどの場所でキャブをイジり続けてるじゃねぇか!)

 3週目のホームストレート、イルカはすでにトップから10mほども差を付けられていた。ここまで開くとスリップストリームの効果も薄く、直線でも調整力の差でじりじりと引き離されていく。


(相手のミスを、待つしか無けのか!?)

 初優勝をと意気込んでモケットシートまで用意してきたイルカだったが、優勝まであとひとつのジャンプアップがあまりに高い壁に思えた。すでに岩熊のラップタイムは33秒中盤までペースアップしており、どう頑張ってもじりじりと引き離されていく。


 7周目。イルカに対してピットから[EASY]のサインが出される。無理に前を追いかけようとする彼の走りはやや粗くなっており、34秒台にまでタイムが落ちていたからだ。

 このままではトップを追うどころか、後ろから迫って来る選手に抜かれかねない。


 まさにその周だった。1コーナーの飛び込みに、彼のイン目掛けて一台のカートがミサイルのように飛び込んできたのは!


「なっ! てめぇ……斉藤っ!」

(ピットサインに目を奪われたなイルカっ、貰ったッ!!)


 オーバーテイクを仕掛けたのはイルカの(ラーメン屋の)ライバル、国分寺高校の斉藤だ。突っ込み過ぎとも言える速度で1コーナーのインを奪った彼は、立ち上がりでややもたつきながらもイルカの頭を押さえ、2位へとジャンプアップする。


「ち、無茶しやがるぜ。ま、いいか、すぐに抜き返すまでだ!」

 斉藤の後ろにつけながらイルカは反撃の体制を取る。得意の3コーナーのドリフトで距離を詰め、そこから4コーナーをミスせずにクリアして5コーナーでインを取って抜く、というのが彼の得意パターンになっていた、それで仕留めるべく、やや距離を開けて2コーナーをクリアする。


 そして3コーナー進入。まずがいきなりケツを振り出し、出口にぴたりと鼻先を合わせて、見事に直線的に立ち上がっていく!


 そう、イルカが得意としていた力づくのドリフトと、全く同じ走り方で!


「な、んだとぉぉっ!?」

(どうだイルカ! 俺が前回のレースでピットで居眠りでもしてると思ってやがったのか?)


 前回の九月のレース。イルカが3コーナーのドリフトに開眼した日、斉藤は予選で早々にエンジンを壊してリタイアとなった。

 ただ国分寺高校カート部の部長となった彼には他の生徒の面倒を見る仕事がある。そんな中で彼は、チームメイトがこのイルカに次々と抜かれていく様を目の当たりにしていた。

 そのイルカの速さの秘密が、あの3コーナーでのドリフトにあることも含めて。


「まさか、斉藤のヤロウもマスターしてたなんて!」

 同じドリフトで懸命に追いかけるイルカ。この時点で彼が描いていた2位復帰の青写真は完全に消滅してしまった。後から抜けばいいと迂闊にライバルを前に出してしまったツケを、それ以外の場所でなんとかしなければならなくなったのだ。


 そして13周目。そんな二人に大きなチャンスが訪れる。


 トップを走る岩熊のマシンが、4コーナーで周回遅れを躱しそこなってコースアウトしたのだ。幸いストップすることなく復帰できたが、抜かれた最下位の選手の方がコースアウトしてストップしてしまった。初心者のその選手はうまく青旗に応えて追い抜かせることが出来なかったようだ。


 各所でイエローフラッグが振られ、追い越し禁止のサインが出される。


「周回遅れ! そのテがあったか!!」

(あの岩熊選手のキャブ調整、さすがに周回遅れを躱しながらじゃあ出来ないと見た)


 周回遅れが出始めると追い越しこそ難しくなるが、反面トップとの差を詰めやすくなる。トップは周回遅れを抜く時には貰い事故を警戒しなければならず慎重さを求められるが、二番手以降が追い越す時には、周回遅れも追い越されるのに慣れるからスムーズに抜けるケースが多いのだ。


 降って湧いた初優勝の大チャンスに、イルカと斉藤が多いに意気を上げる。

「まだだ、まだチャンスはあるッ!」

(イルカぁぁっ! 今回は俺が勝つ、優勝するのは俺だっ!!)




 レースが大きく動く15周目。その後方グループのあるドライバーの脳内で、レースには不似合いな音が、軽く鳴り響いた。


 ――ポクポクポクポク……チーン♪――

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