第29話 秋のレース、それぞれの思い
「ふっふっふ、いよいよこの秘密兵器を使う時が来たようだな」
「うっわー、張り込みましたねイルカパイセン!」
11月3日。阿波カートランドで行われるカートレース四国シリーズ第七戦にて。
「OH! コレが”モケットシート”デスカ……コレはリッチなシートデス」
普通カートのシートはFRP、つまり強化プラスチックやカーボンで作られたバケットシートなのだが、このモケットシートは内張りに布のモコモコが張られている、ワンレベル上のグレードのシートなのだ。
「本気だな……」
「優勝狙ってるわねー、いくらしたのよコレ」
このシートなら横Gがかかった時にも、腰や尻をモコモコが受け止めてくれるので体に対する負担が少ない。
何よりイルカが得意とする3コーナーの『力づくドリフト』はそのシートに体を叩きつけてネジ曲げる力技だ。その際にはもちろん彼の腰にもダメージは来る、かつてシップを貼って耐えていた椿山選手のように。
が、この柔らかいシートならそのダメージもずいぶん緩和されるだろう。そしてそれを購入してレースに臨むイルカには、優勝を狙う彼の本気がひしひしと感じられていた。
(コレハ……何としてもワタシもレベルアップしないといけまセン)
意気上がるチームメイト達を見つつ、ベガ・ステラ・天川は内心焦りを感じていた。思いを寄せるイルカに追いつき、彼とランデブーバトルを実現するためには彼に優勝されては望みが薄くなるのだ。
何故なら彼らが参加しているのはフレッシュマンクラスのカテゴリー。このシリーズで優勝した者は、次回からは上のランクのオープンクラスへと昇格しなければならない。
つまり、今日もしイルカが優勝したら、次回からは同じレースで走れなくなるのだ。
が、ベガがレベルアップの為に星奈から教わった『後輪浮かしコーナーリング』はまだ習得できず、タイム向上も果たせてはいなかった。仮に今日のレースで開眼したとしても、イルカが優勝して上に行ってしまったら、結局彼と並んで走る事は敵わない。
ちなみに今日は一年の
同じ一年のガンちゃんは今回はバイト組だ。腕は美香とどっこいどっこいなのだが、今の季節は暑くなく寒くなく、レースにはベストのシーズンなので、しんどいのを嫌がる美香に今回は譲ったという訳らしい。
今回は黒木と星奈の引退組もバイトに回っている。受験勉強の息抜きに、久々にカートに乗りたいので今日一日をオフにしたのだ。無論レースには出ないが、レース終了後の美郷学園の特別練習時間で走りたいらしい。
それぞれの思惑を抱えながら、一年で一番コンディションのいい時期の、秋のレースの幕が切って落とされる。
◇ ◇ ◇
タイムアタックの
ベガは35秒52で14位、美香は37秒01で23位だ。美香の方は初レースという事もあり、やや大事に言った結果なのだが、ベガのほうはもうずっと頭打ちのタイムだった。
言い方を変えれば、やはり伸び悩んでいるのが如実に見て取れる。
予選第一ヒート。イルカ達上位陣の5人は特にポジションを入れ代える事もなく、タイムアタック通りの順位でフィニッシュした。6位には国分寺高校の斉藤もジャンプアップしてきている。
ベガはというと都合4台にパスされて18位まで順位を落としていた。星奈から教わった後輪浮かし走行を実現しようと、一つ手前のコーナーを大きく回って侵入速度を上げようとしたのだが、それはすなわちインを大きく開けて侵入する為、後ろから追いかける選手にとって格好の追い抜きのラインを開けてしまうことになるのだ。
一方美香は19位まで順位を上げていた。元々姉の星奈に「私よりもセンスがある」と言わしめるほどの素質はあったのだが、確かに一周走るごとに少しづつタイムを縮めており、確かな伸びしろを感じさせた。
本人もマシンを降りてからすっかりハイテンションで、「ベガパイセン、追いかけますよ~」とニヒヒ顔で上機嫌だ。
予選第二ヒート。ベガは第一ヒートの反省から、単独走行になるまではチャレンジを自粛して『いつもの走り』に終始していた。終盤に車がばらけて余裕が出来ればまたチャレンジするつもりだったが、ずっと背後に美香がつけていたせいでそれも叶わず、我慢の走りを続けていた。
そして終盤、9周目のホームストレートエンドで『それ』は起こった。
「ヒャッ、
コース脇の森から飛び出してきた『鳥みたいな何か』が、ベガの正面からヘルメットに向かって突っ込んできたのだ。
正確には鳥ではなくオオスズメバチなのだが、日本固有種のそれを彼女が知るはずもなく、鳥と勘違いして思わずそう叫び、体を右に倒して躱そうとする。
パカン!という音を立ててヘルメットバイザーに当たった蜂が弾けた瞬間、ベガのマシンは派手に右にスピンして、1コーナーの奥へとコースアウトしてしまった。
「ハッ、ハッ、ハァッ……フィッシュアタックがカートでもあるなんて……ネ」
止まった状態で両手を上げて後続車にアピールしながら、サーフィンをやっていた時にも同じような事があったのを思い出す、波に乗っていた時にいきなり小魚が跳ねて体に直撃するというレアケースを経験した事があったのだ。
結局このスピンで最下位まで順位を落とし、決勝は25番グリッドからのスタートとなってしまった。
イルカは変わらず3番手。彼も含めて上位5名は予選ヒートではややセーブ気味で、決勝にこそ賭ける意気込みがあるように思えた。斉藤も相変わらずその後ろの6位につけている。
美香は14位で決勝のスタート。初レースでの中段スタートに興奮と緊張を隠せない様子で、お昼休みの間も姉の星奈やガンちゃんにあたふたおろおろしながら、いろいろとアドバイスを貰っていた。
「おーい、差し入れに来たぞー」
そう言ってピットにやって来たのはベガのステイ先の素通寺住職、白雲夫妻だった。彼らはベガの初レース以降もマメにレース見物に来ており、亡き息子のマシンに乗るベガの姿に目を細めている。
「どうしたいベガちゃん、調子悪そうだな」
「ア、和尚サン。大丈夫ですよ、ちょっと運が悪かっただけデス」
イルカに対する思いはとりあえず伏せておき、終盤にハチに激突した事だけをネタとして話す。
「ふむ、それは災難だったねぇ。じゃが悪く考えてはいかんよ、大ケガしなかったんやし、マシンも壊れんかった。ほれやったらその経験をいい方に生かさんとな、がはははは」
「Yes、ポジティブシンキングですネ!」
「じゃあまず、そのハチさんのご冥福を祈らんとな」
「ハイ! ナムナムナム~」
そう言って二人で1コーナーに向けて合掌する和尚と金髪ガールのシュールな絵面に、周囲の面々が思わず(なんだかなぁ……)と苦笑いを浮かべる。
(……アレ?)
合掌して黙祷しつつ、あの時を思い浮かべていたベガは、ひとつの違和感に突き当たる。
(ワタシ……右にハチを避けて、右にスピンしましたよネ……ドーシテ??)
右側に体重をかければ、カートのリアが右にスライドして、車は左に回るはずだ。現にあのイルカや椿山選手の3コーナーのドリフトも、体重を左にかけてマシンを右に回すテクなのだ。
だがあの時ベガは右に体を傾けたにもかかわらず、車は時計回り、つまり右方向にスピンした。普通に回る方向の逆側に。
(エ? エ?? 一体、ドーユーコト?)
◇ ◇ ◇
そんな彼らの隣のピットでは、国分寺高校の面々が昼食を取っていた。チームリーダーの斉藤は美郷学園の連中を横目に見ながら、カ〇リーメイトをかじりつつ、自分のカートのシートの左側に、小さく切ったゴム製のコンパウンドを張り付け、心でひとり呟いた。
――有田、勝った気になってんなよ……決勝じゃ目にもの見せてやるぜ!――
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