第22話 夏の終わり

 8月30日、素通寺にて。美郷学園カート部と先日の耐久レースの参加者たちが集まり、バーベキュー大会が催されていた。


「えー、それでは耐久レースのガンちゃんチームの優勝と、その前の黒木部長の初優勝を祝して、かんぱーい!」

「「かんぱーいっ!」」

 顧問の吉野みどり先生の音頭に、全員がグラスを掲げて隣の人とカチンと合わせる。早速ジョッキを空にする者、一口舐めてバーベキューの網を仕切る者、雑談に入る面々など、思い思いにランチタイムを楽しみ始める。


 このイベント、元々はベガの家族が明日には帰国するということで、最後にバーベキューでファミリーパーティをしたいとの提案があったのだ。

 それに応えてベガが「ならみんなも呼びまショウ」ということで、カート部の面々や、部員それぞれと一緒に出たメンバーにも声をかけて集まって貰ったという訳だ。


 ベガの両親にしても、また半年以上会えなくなるベガに対して、親しい友人たちが大勢顔を出してくれるなら嬉しい限りだ。ファミリーの絆を大事にするアメリカ人家族にとって、ベガを慕ってくれる大勢のメンツを見るとやはり安心するものだ。


「えーと、カート部のみんな注目ー!」

 そう声をかけて来たのは黒木部長だ。ベガも皆も食べる手を止めて「何事?」と彼に注目する。

「俺、黒木はもうレースは引退して、受験に集中しますんで、そのへんよろしくー」

「「え、ええええええっ!?」」


 三年の黒木と星奈は元々、9月のレースで引退する予定だった。だが黒木はその前の7月のレースで念願の初優勝を果たしたのもあって、カートに関しては「やり切った」という思いが強くなっていた。

 加えてフレッシュマンクラスで優勝した彼は、次回からは上級者のオープンクラスに出なくてはならない。レベルが段違いのあっちでは表彰台はおろか入賞すら厳しいだろう。

 ならもうここで優勝を区切りにして引退し、大学に受かったら復帰するかどうかを新ためて決めるつもりだ、という事だ。


「じゃあ、カートが一台空くな。9月のレースに俺達の誰かが出られる!」

 二年生の有田 依瑠夏あらた いるかが一年生の二人を見てそう叫ぶ。カート部には三台のマシンがあるが、一台はベガ専用のホタル号、残り二台のうちの一台は3年生である坂本星奈に優先権があるが、あと一台はこれで空きになるという訳だ。


「いや、イルカパイセンどーぞ。私は別にいーですよ、金欠だし」

「僕もこないだの耐久で燃え尽きた気がするし……どーぞどーぞ」

「お前ら……ありがたいけどそれでいーのか?」

 一年生二人は元々あまり期待していなかったらしく反応が薄い。まぁ腕で言うならイルカが一枚上手だし、美香はそれほどレースに対する執着がない。ガンちゃんもそう思ったからこそ、こないだの耐久でガチ勝利を目指していたのだ。


「じゃあ、セナとワタシ、そしてイルカで次のレースデスネ!」

 ベガが二人の肩を組んで笑顔でそう語る。が、星奈もイルカも未だにこの距離の近さは慣れないらしく、「暑いから」「あんまひっつくな、年頃の女子が」と両者に逃げられる。

 が、暑さから離れた星奈はともかく、恥ずかしさから距離を取ったイルカのほうは、ベガに「エンリョしなくていーデスヨ」とじりじりと追い詰められて行く。

 しまいに走って逃げるイルカとそれを追いかけまわすベガ。そんな光景を見て一同は朗らかに笑い、ガンちゃんや仲間のクラスメイト達はちょっと羨ましそうにその光景を眺める。


「アメリカでもあんななの? アンタのお姉ちゃん」

「うーん、コッチアメリカの男はだいたい喜んでハグし合うもんだけど」

「国民性の違いって奴かしらねぇ」


 ベガのクラスメイトの横羽や尾根が弟のマギにそんな質問をする。まぁ確かに想像してみたらハグってのはいかにもアメリカンなコミュニケーションなんだろうけど、日本人男子からしてみたら金髪碧眼グラマーな美少女が抱き着いて来たら普通は引くもんだろうねぇ、恥ずかしくて。


「……おーい、水くれー」

「あ、ワタシにもお願いシマス」

 しまいにはとうとう捕まったイルカが、背中から抱き着いてきたベガをおんぶして戻って来た。絵面だけで言うならカップルなんだが、おぶさってVサインで笑顔のベガと、疲れ切ったイルカの表情が何とも対照的で笑いを誘う。


「若いっていいわねぇ」

「ええ、ホントに」

 三ツ江さんとリリーさんが日本酒をお酌しながらほほえましく話す。その横では白雲和尚と豪人さんが、何かガハハと大笑いしながらジョッキをかぱかぱと空にしている。

 和美人の三ツ江さんと日本かぶれの金髪ママ、生臭坊主の和尚と日本人なのにアメリカにかぶれまくっている豪快パパ……日米似た者同士、なのかな?



「ア、そーいえば」

 宴もたけなわになった時、ベガがあることを思い出して、黒木コーチに疑問をぶつける。

「こないだのレースで、カートでドリフトしていたヒトがいたんですケド」

「え、ドリフト?」

「耐久レースの話?」

「ノン。7月のレースで、チーム『カタツムリ』のヒトがやってマシタ。すっごい速かったデス」


 思わぬ話題にカート部がわらわらと集まって来る。ドリフトという単語は大抵の人が知ってはいるが、それをカートで使う事はほぼないのだ。

「うーん、最終の高速コーナーの飛び込みで少しホイルスピンでスライドする事はあるけどねぇ」

「それだって少しアクセル戻してグリップで走るのと変わらないけど」


 カートは前輪と後輪の間、つまりホイールベースがわずか1mほどしかない乗り物だ。しかも重量の80%がリア側にかかっている(ドライバーの体重込みで)。

 そんなカートでドリフトのキッカケである『リアを外に向けて滑らせる』アクションなどすれば、たちまちコマのように一回転してしまうだろう。


 通常の車で言えば、ポルシェなどのリアエンジンの車は重心が後ろにかかり過ぎているのでドリフトに向かない、といえばピンと来る人もいるだろう。そんな重量配分をさらに後ろに極端に振ったのがカートなのだから。


 しかもカートの特性上、そのリアを滑らせる行為そのものがまず困難を極める。左右のリアタイヤが一本のぶっとい鉄棒シャフトで直結してる為に、回るのも止まるのも左右同時で、かつ同じ回転数なのだ。普通の車のようなデフレンシャルギア、つまり左右の回転数を調整する機械など付いてはいない。

 アクセルを踏めば左右のタイヤが同時に地面を蹴っ飛ばし、ブレーキをかければやはり左右のタイヤが地面に食いつく。


 つまりカートは、アクセルを踏めば真っ直ぐに走ろうとし、ブレーキを踏めば真っ直ぐに止まろうとするマシンなのだ。


「カタツムリのヒトは、3コーナーでやってマシタ」

「あそこで!? ますます無理だろ、あのタイトコーナーで」

 全員が目を丸くして驚く。高い左右の縁石をギリギリですり抜けていくあのコーナーで、リアを振って曲がるなど自爆行為じゃないのか? と。


「考えられるのは、左右でセッティングを変えているのか、あるいはフレームの歪みを使っているのか……いや、あのチームがそんな欠陥マシンで走るわけも無し」

 黒木コーチがうーむ、とアゴをひねって考える。確かにフレームが歪んでいるカートなら、そういった挙動不審な動きもさせられるだろう。だが、地べたに置いた状態で全てのタイヤが地面に接してないようなカートで、そもそもまともに走れるとも思わない。


「体重の軽い人が、ウェイトを前に思いっきり乗せてる、とか?」

「デモ、乗ってたのは体の大きな選手でしたヨ? 確かツバキヤマとか言う……」

「椿山って鬼みてーに速い人じゃねぇか、やっぱ何らかの特殊なテクで?」

「興味あるわね。その走りを盗めたらレベルアップできるかも」

「いわゆる必殺技、ってヤツだな」


 各々がその謎を推理していく。が、それに付いてこられないクラスメイトや天川家、白雲家の面々がそんな彼らに待ったをかける。


「おーい、そろそろお開きにせんかね」

「あ、そーデスネ」

「この話は宿題にしとくか」


 こうしてその場はお開きとなった。



 午後から夜まで、ベガは久々の家族との最後の時を名残惜しみ、翌朝には空港まで彼らを見送りに出向いていた。

「じゃあベガ、あと半年がんばりなさい」

「ハイ! ミナサン親切ですからだいじょーぶデス」

「勉強もしっかりやらねーとねぇ」

「アハハ……今夜はシュクダイでテツヤですヨ」


 お別れはドライなのがアメリカ人のお約束だ。特に涙もなく飛行機に乗り込む家族を見送って、彼女は再び日本の日常へと戻っていく。

 さぁ、まずは宿題。そして9月に行われる次のレースだ、と、先を見据えて意気上がる。


 そんな彼女の残りの日本での生活に、ほんの一さじ、別の色どりが加えられることを、まだ誰も知らない――

 

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