第18話 ゴールへ!
最終コーナーを立ち上がり、ホームストレートへと向かうベガのホタル号。ゴールラインの傍らで役員が指を3本立てて「あと3周」のサインを出す。応えてベガも3つ指を立てオーライの意を示す。
その直後だった。彼女は自分のカートのエキゾーストの他に、後ろからまるで圧迫してくるようなエンジン音と、エネルギーの圧力のようなものを感じたのは。
(後ろに……誰かイル!?)
びりっ、とした緊張感を感じてステアリングに力を込める。彼女はさっきの国分寺勢とのバトルを終えて単独走行になったハズだ。そんな自分にもう誰がが追い付いてきた?
(ア!
1コーナーの入り口でオフィシャルが青い旗を振り掲げているのが見える。あのフラッグは、後ろから来る速い車に『進路を譲れ』のサインだ。
(という事は、トップのマシンが、モウ?)
車をアウト一杯に寄せて1コーナーに侵入するベガ。ひと呼吸おいて彼女のインに飛び込んできたのは、見慣れた漆黒のマシンと、ブラックを基調としたレーシングスーツの選手だ!
「クロキ部長ッ!!」
ベガは下位グループだった事もあり、まさか部長がトップを走ってるなど想像もしていなかったし、自分に手一杯でそんな事を考える余裕も無かった。
インベタで抜けていくそのカートを、ベガはアウトに張り付いたまま見送って(GOGO!)と心でエールを送ろうとしたその時!
ズッギャアァァァ!
ガッツン!
「アウチッ!」
そのベガの横っ腹に一台のカートが突っ込んで来たのだ。サイドカウル同士が激しく接触し、ベガとそのカートはコースの外に、もつれ合うように流れてストップしてしまう。
「すまん! 君、大丈夫か?」
「ア、チームカタツムリ!」
ベガに接触したのは2番手を走っていたチームカタツムリ、椿山選手のカートだった。彼はマシンから飛び降りてベガに声をかけるが、ベガもまた「ノープロブレム!」と返してカートを降り、押し掛けの体勢に入る。
椿山は目の前を走っていたトップの黒木が周回遅れの彼女のカートを躱そうとした際、予想外に大きくベガが道を譲ったために「ならば自分も」と続けて抜こうと突っ込んだ。が、ベガは青旗を振られた対象が黒木だけと勘違いして、彼を行かせた後はラインに戻ろうとして接触事故が起こった、いわゆる「ボタンの掛け違い」というヤツだ。
この時点で椿山に優勝の可能性は無くなった。それでも彼もベガも押し掛けを開始し、残り3周弱を走り切ろうとマシンに飛び乗る。
まだスピードの乗らない二人のカートの脇を5台のマシンが通過していく。その先頭に居たのは、やはり彼女のチームメイトの真紅のマシンだった。
「セナ! ここにイタノネ!」
「ベガ、お先にっ!」
椿山が脱落した事で3位争いになった星奈と斎藤ほか3名の選手が、残り2周あまりのバトルに闘志を掻き立てられる。アクセルに気合を叩き込み、一丸となって2コーナーへと消えていく。
ベガ、椿山共に再始動に成功しコースに復帰していく。ベガはそのマシンのテールを睨んで、残り僅かなレースに課題を見出した。
(コノ人、確かポールポジションだったハズ……ならば残り3周、離されずに付いて行きまショウ!)
予選ヒートで格上のMSBの選手に付いて行く事で少しだがテクニックを学べた。なら予選トップのこの選手の走りを見て勉強すれば、より上達のキッカケがつかめるはずだ。
2コーナーを抜け、難関の3コーナーへと向かう2台。その時だった、前を走る椿山のマシンが、いきなりコマのように横を向いたのは!
(No! スピン!?)
ぞくり、と冷たいものが背中に走る。あの縁石の高いコーナーでスピン&激突などしたら最悪大事故に繋がる、まして後ろにピッタリつけていたベガも巻き込まれることは避けられない。
シュパアァァァーン
風切り音を残して、あっという間に小さくなっていく椿山のマシン。
「エ? 今の……ドウナッタノ!?」
てっきりスピンしたかと思ったら、あのマシンはあっという間に4コーナーへと向かって行った。確かにスピンと言ってもコーナー出口に向くようにお尻を振っていたから、ドンピシャのタイミングで止められたなら最良のコーナリングになる……かもしれない。
「マサカ……アレは、ドリフト!?」
レース初心者のベガでもその言葉くらい知っている。しかしこのカートにおいてそれはあり得ないテクニックのハズだった。
コーチや部長も口をそろえて「カートはドリフトするような車じゃない」と言ってたし、専門書にも同じことが書いていた。軽量で
だが、今彼が見せた走りは間違いなくドリフトだ。この狭いタイトコーナーの入り口で車を90度旋回させ、進入時から完全に出口を向いて加速を始めていた。
普通のスポーツカーで行うドリフトコンテスト等のズルズルと滑らせ続ける『魅せる』ドリフトとは違う、進入時に一瞬で車を出口に向ける、『速く走る為』のレーシングテクニック!
彼の走りを盗もうとしていたベガが、この走りを知ろうと思うのは至極当然のことだった。
「待っテ、待ちなサーイッ! 今の、今の走り、もういちど見せてクダサーイッ!」
そんな彼女の懇願が通じたわけではないだろうが、ベガは再び彼に追いつくことが出来た。
椿山はその後の6コーナーで起きた前走者のスピンを避ける為に減速を強いられていたのだ。星奈たちと争っていたグループの2台が、3位表彰台という目の前のニンジンにつられて接触を起こしたのが原因だった。
(ラッキーデス。サァ今の走り、ワン・モア・プリーズ!!)
椿山のテールに張り付いて思わず舌なめずりするベガ。レースのラストもラストに思わぬテクを盗むチャンスに遭遇した彼女は、今までの疲れも忘れてファステスト・ラップ保持者の動きを凝視する。
ホームストレートを疾走する2台のマシン。そこから1コーナーへと突っ込んでいき、立ち上がりのカーブを2コーナーへと加速して、切り返しの2コーナーで再び激しくブレーキングする。
が、ここまでベガの『お目当て』のコーナリングは見られなかった。それでもじりじりと離されてはいるが、まだその姿を視界に捕らえている事は出来た。
そしてさっきと同じ3コーナー。その進入で椿山はまたもその車をコマのように回して見せた。
「ヤッパリ! 間違いナイデス、あれはドリフトッ!」
ベガが3コーナーを抜けた時、椿山はもう遥か向こうの4コーナーを曲がる所だった。あの難しく危険な3コーナーひとつでベガは大きく引き離されていたのだ。
もう彼女が椿山に追いつくのは不可能だろう、だけどあの走りを彼女は確かに見た。
そしてレースはあと1周ある、つまりあの走りを試すチャンスがあと一回だけあるのだ。
(ヨーシ! 最後に今の走りにトライデス!)
ベガはコーチや先輩方に言われた大事なことを忘れていた。
レースというのは『出来ない事はしない』のが鉄則だという事を。
◇ ◇ ◇
「うおおおおおおおっ!!」
黒木は湧き上がるアドレナリンを押さえつけるかのように吠えた。今まで散々テールを脅かしていたチームカタツムリの一人、椿山選手が脱落したのだ。
仲間のベガちゃんを周回遅れにするときに何かあったのか、あれ以来追いかけて来るのが白瀬選手一人になっていた。彼は予選道中でもずっと抑え込めていた相手。それをあと2周半抑え込めば……ついに悲願の初優勝が手に入る!
「椿山のオッサンのアホー!」
追いかける白瀬は白瀬で、優勝の望みが潰えそうになったばかりか、その優勝を学生に掻っ攫われそうになったことを嘆いていた。彼の青写真としては椿山が勝負をかけたタイミングで1台、出来れば2台まとめて抜くつもりだったのだ。
まとめて抜くとはいかないまでも、せめて椿山とワンツー体制が出来れば自分の優勝の目もあった。
中年太りの椿山はストレートがやや伸びに欠けており、残り一周でもあればスリップを使って逆転も十分可能だっただろう。あとはあのオッサン得意の3コーナーからの詰めで勝負に来る5コーナーさえ押さえれば勝利の可能性は十分にあったのだ。
が、この前を行く黒い学生さんは、ストレートスピードなら自分を上回っている。多分スプロケット(歯車)が高速の伸び重視のものになってるんだろう。ならばコーナーで勝負を仕掛けるしかないのだが、レース終了間近でそこかしこに周回遅れがいるこの状況ではもうワンチャンすら望めない可能性大だ。
それでもコーナリングで詰められるだけ詰め、ワンミスを期待して責め込む。勝負はチェッカーフラッグが振られるまで分からないのだ!
レースはついにファイナルラップに突入する。レースリーダーの黒木が全身を縮めて空気抵抗を消しながら、ラインをインに寄せて最後のブロックラインを取る。それに張り付いた白瀬はスリップからアウトに飛び、出口でのクロスラインに狙いを定めて彼のワンミスを待つ!
5秒ほど遅れてストレートを通過するのは3位を争う星奈、斎藤、そしてチームMSBの選手だ。表彰台を賭けた最後の1周のバトルに、ピットのチームメイトや観客席の身内の声援が湧き上がる。
そこから12秒、スピンで遅れた椿山、そして周回遅れのベガの金色のマシン、ホタル号がラスト1周に入る。彼女は周回遅れなので19周のレースになるが、それでも初レースで14位まで順位を上げてフィニッシュしたなら大健闘と言えるだろう。
全員が固唾をのんで見守る、その視線はやはりトップの二人に注がれていた。
各コーナーで白瀬が黒木のテールに張り付き、右から左からノーズをせり出して並びかけようとする。が、黒木は直線の伸びで辛うじて抑え込み続け、ついに最終の高速コーナーへと飛び込んでいく!
「おおおおおおっ!」
「キタキタキタキター!」
「ぶっちょーっ! 踏めえぇぇぇぇぇぇぇーー!!」
ピットに張り付いて絶叫する美郷学園カート部の面々。黒木の漆黒のマシンが最後のコーナーを抜けて姿を見せた時、彼らのボルテージは最高潮に達した!
ッカアァァァァァァーーン
ゴールラインを駆け抜けた黒
「いやったあぁぁっぁー!」
「でかした!」
「さぁ、次は坂本先輩だ、3位来いっ!!」
ガンちゃんがそう叫んだ時だった。3位グループがまとめて最終コーナーに突入し、その姿をブラインドに隠したのは。
全員が息を止めてこコーナー出口を凝視する。そこから最初に出て来たのはチームMSBの選手、だが明らかにバランスを崩している。
「ヤバい、回るっ!」
イルカの台詞通り、派手にスピンしたそのカートの左右から一台ずつのマシンが抜け出して来る。インは星奈、アウトが斉藤だ。
二人がコントロールラインを駆け抜ける。
歓喜の声を上げたのは国分寺高校のスタッフ、「惜しい」と
ちなみにスピンした選手はそのままタイヤバリアに接触するも、その勢いを上手く利用してストップする事無く動き始め、「イェーイ」と手を上げてゴールラインをクリアしていった。
「わざとやったんじゃ、ないよなぁ」
「さすがにそりゃ無理でしょ?」
チームMSBといえば走り屋からの転向組が多い事で有名で、そのせいか走りも荒っぽい印象がある。まぁさすがに表彰台を捨ててパフォーマンスをしたわけじゃないんだろうけど、あんだけ怖いスピンしても目立とうとしてる辺りたいした心臓してる……
――ドバァンッ!――
カート場に鳴り響いたその衝撃音に、彼らは一斉に我に返って音のした先を見る。そこには残りのチームメイト、ベガの乗るホタル号が、3コーナーの出口で……
宙を舞っていた。
「パイセンっ!」
「あ、あと1周だってのに!」
優勝の余韻冷めやらぬ彼らに、思わぬ冷や水が浴びせられる。
◇ ◇ ◇
「サァ、いよいよ3コーナーデス!」
最後の一周、ベガは3コーナーに狙いを定めていた、理由は分からないがここならあのドリフトが出来る、そんな根拠のない理由で彼女は無茶をする。
「ココッ!」
意を決してステアリングを一気に切り込む。あの椿山選手がやっていたポイントで自分元車の向きを変えようとする。
が、車はハンドル操作には答えずに、むしろいきなりの切り込みにアンダーステアを誘発しただけだった。
「ホワイ、なんで!?」
ドバァンッ!
次の瞬間、ベカのマシンの左前が、壁のように高い縁石に乗り上げた。衝撃を受けたホタル号はそのままバランスを崩すと、今度は左のリアも乗り上げて車体全体が浮き上がった。
「ッ……シマッタッ!」
ドドンッ!
暴れるように着地するホタル号。なんとかひっくり返らずに済みはしたが、それでも衝撃は相当な物だった。が、惰性で走り続けていたのをいい事に、ベガは再びアクセルを踏み込むが……
ガタガタガタガタガタ……
「ひ、ヒエェェェェェェェッ!」
突然、ものすごい振動に見舞われるベガ。明らかに車がおかしくなってると判断した彼女は、そのままコース脇にカートを止めた。
(……やってしまいマシタ)
部長やコーチに口を酸っぱくして言われていたことを思い出す。
『出来ない事はしない』は走行の鉄則だ、それを破った彼女には、リタイアという罰と、大切なホタル号の故障と言う負債をが報いとして与えられていた。
カートから降りてヘルメットを脱ぎ、シートの中に放り込む。そして彼女は初めて自分が汗だくな事と、全身がバキバキに疲労困憊な事、そして呼吸がノドを傷めるほどに荒くなっている事に気付いていた。
(直るかなぁ、コレ)
ホタル号を見下ろしてそう嘆く。白雲さんからプレゼントされた大事なカート、それをデビュー戦で壊してしまった、その後悔と罪悪感に思わず気持ちが沈む。
「おーい、もしもーし、ベガさーん」
「ヘ?」
唐突に能天気な声をかけられて顔を上げると、目の前にはカートスタンドを持ったチームメイト、
「やったぜ、部長優勝だぞ優勝。星奈も4位だし、ベガもさっさと完走しよーぜ」
そう言ってスタンドを広げ、ベガのカートのリアバンパーに手をかけるイルカ。
「エ、完走? デモ、ワタシハ……」
「おいおい、ドラミ(ドライバーズミーティング)の時に言われたろ? 全体の90%を走ってたら完走扱いになるって」
そう。すでに18周を走り終えているベガはここでストップしても完走が認められるのだ。
で、ここのローカルルールとして、途中でストップやリタイアしたマシンも、レース後にウイニングランが終わるまでにスタンドに乗せてゴールラインに行けばチェッカーフラッグを振って貰えるサービスがある。まぁ単なる気分だが、やはりレースに出たらあの白黒の旗を振って貰いたいのが真理だろう。
「と、いうわけだ。さっさと乗せてゴールしようぜ」
「ハイ!」
二人でホタル号を車輪付きスタンドに乗せ、コースをショートカットしてゴールへと向かう。途中、黒木や星奈のマシンが追い越していき、黒木はウイニングランの為にもう一周すべく周回を続け、星奈はそのまま車検場へと向かう。
「んじゃ、行ってこい」
イルカに背中をハタかれて、最終コーナーからストレートへとカートをスタンドごと押していくベガ。
既にほかのリタイアした選手はゴールラインを超えていて、彼女ひとりがゴロゴロとカートを押してストレートに入って来る。
金髪のポニーテールをフリフリさせながら、いかにもアメリカンなレーシングスーツに身を包んだ碧眼の美少女が、ホタル色のカートを押しながらピット前を通過していく。と、その時。
ビイィィィン、ビィン、ビィン
その彼女の足元にウィニングランをしていた黒木が戻って来た。手にはスタート用の日の丸の旗を高々と掲げ、笑顔でピットに愛想を振りまく。
勝者のウイニングランは、日の丸かチェッカーフラッグのどちらかを優勝者が掲げて一周するのがお約束だ。ここ阿波カートランドでは先のチェッカーサービスがあるため、優勝者は日の丸を掲げてのパレードとなる。
「部長! ユーショーおめでとうゴザイマス!」
「日米同時ゴール、ってか?」
日の丸を掲げる黒木と、星条旗を模したスーツを着た金髪娘が並んで走る絵面は確かにそんな感じだ。結果は優勝とビリだが、それでも二人は嬉しそうに並んでゴールラインを通過する。
その光景に思わず拍手を送るギャラリー達。地元の高校生が初優勝を成し遂げ、はるかアメリカからホームステイしてきた少女が初のレースで完走を果たしたその頑張りを、参加者全員が心から称えていた。
七夕に行われた地元主催のカートレース。そのフレッシュマンクラスのリザルトは、以下のようになった。
優勝:
準優勝:
3位:
4位:
5位:
8位:
……
22位(完走車中最下位):
ベガ・ステラ・天川:美郷学園
◇ ◇ ◇
「左タイロットが派手に曲がってるだけだよ」
レース後の美郷学園の練習時間前、ベガのカートをチェックした黒木コーチがそう診断結果を告げる。ハンドルを切った時に左右のタイヤにその舵角を伝える「タイロット」という細いパイプが、激突の衝撃で曲がっただけで済んだようだ。
これが曲がっていると左右の前タイヤが別々の方向を向いてしまう。なのでそのまま走ったベガのマシンは、フロントがバタバタと暴れたという訳なのだ。
「どーすれば直りマスカ?」
「ほい、そこの側溝のとこで伸ばして来て」
「……ヘ?」
イルカに付き合ってもらって直し方を教えてもらう。30センチほどのそのパイプをタオルでくるんで側溝の金網の中に差し込み、テコの原理で無理矢理伸ばして真っすぐにする。
「……こんなのでいいんデスカ?」
「ま、さすがにやり過ぎると車検で引っかかるけどね。あんま度々だと金属疲労起こして折れるし」
そんなこんなで、この後のイルカ、美香、ガンちゃんの練習も滞りなく行われた。
ホタル号も無事に『問題なし』の太鼓判を押された事に、ベガはホッと胸をなでおろすのであった。
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