第17話 黒木、正念場!

 コントロールラインを一台の黒いカートマシンが、そしてそのすぐ後ろを二台の車が切り裂いていく。

 これで10周、レースの半分が経過。黒木はここまで、猛追するライバル達をギリギリの所で抑え込み、未だトップを走り続けていた。


「いっけー黒木さーんっ!」

「あと半分ーっ!!」

 イルカたち部員がガードレールに張り付き、ピットボードを掲げつつ声を上げる。美郷学園レーシングカート部悲願の初優勝がいよいよ現実味を帯びて来たのだから、彼らが興奮、熱狂するのも無理からぬことである。


 が、そのトップを走る黒木は、格上の選手であるチームカタツムリの椿山、白瀬両名に幾度となくテールを脅かされ続け、心身ともにすり減っていた。


 元々実力上位の相手である。今日のタイムアタックで黒木が二人の間に割り込めたのも、白瀬の方がアタックで少しミスをしたというだけの事だ。予選ではクラッシュを恐れてそれほど詰めては来なかったが、この決勝で、ましてトップを奪還されたとなれば彼らの追撃は当然ながら苛烈さを極めている。


 そんな黒木にとっての唯一の希望、それは間もなく訪れるであろう周回遅れのカートに追いつく事だ。

(あと3……いや、2周でいい、持たせるっ!)


 タイムアタックの秒数が示す通り、33秒台で走る黒木たちトップグループと、36秒台で走るドンジリグループには、1周で約2~3秒の差がつく。なので12~3周を超えた辺りから先頭グループは周回遅れに追いつくことになる。

 そういった周遅れの車には青旗ブルーフラッグが振られ、道を譲るように指示が出されるのだが、そうなると当然上位陣同士の追い越しは困難になって来る。


 いわば周回遅れの車が障害物シケインの役目を果たし、黒木にしてみれば先頭をキープするのが容易になるというわけだ。


 意を決して1コーナーへと飛び込む黒木。そのままトップで抜け出した時、先の2コーナー出口についに最後尾のマシンを見止める。


「いたなあぁぁぁぁぁっ!!」


    ◇          ◇          ◇


 セカンドグループ、4位以降の一団の中に美郷学園の坂本星奈さかもとせなと、国分寺高校の2年生エース斎藤の姿があった。

 ふたりはテールトゥノーズでストレートを駆け抜け、コーナー入り口でサイドバイサイドのデッドヒートを延々と繰り広げている。


「このぉっ! いーかげん諦めなさいっての!!」

(お転婆ネーチャンが! これ以上美郷(学園)に先行されてたまるかよ!)


 二人はお互いの得意としているコーナーが完全に別々な為に、得意のコーナーで抜いては不得手なコーナーで抜かれるを繰り返している。そのせいで両者ペースが上がらずに、じりじりと他の車に引き離され、セカンドグループから脱落しつつあった。



「ありゃりゃ、お姉ちゃんもうちょっと自重すりゃいいのに」

「いーや、斉藤にさえ勝てばそれで良し!」

「その勝負もグループから抜け出してからすりゃいいじゃないですか」


 美郷学園のピットでも二人の効率の悪いバトルに渋い顔である。このままでは二人とも入賞圏内の5位が遠ざかってしまうからだ。


 と、その時、彼らの後ろに他チームのクルーがひょこっ、と顔を出した。

「おーい美郷学園さん、ちょっとあの二人の無駄バトル自重させませんか?」

 声をかけられ振り向く一同。後ろにいたのは国分寺高校のクルーの面々だ、彼らもあのロスの多いバトルを止めさせて、より上位を目指す走りをさせたいらしい。


「そうは言うが、なにかいい方法があるのかね?」

 熱くなった若者を冷静にさせるのは難しいだろう、との黒木コーチの質問に、国分寺高校の顧問である岩田先生がふふんと鼻息を鳴らし、直径20cmほどのマグネットワッペンを見せる。

 それを見た美郷学園一同は、あ! と目を丸くした後、顔を見合わせてニヒヒと笑う。こりゃ名案と、彼らの狙いに喜んで乗っかる事にした。



「今度こそ、振り切るっ!」

(逃がすかあぁぁぁっ!)

 5コーナーで斉藤が前に出て6コーナーで星奈が再逆転。しかしそこからスリップストリームに入られており、このままではまた1コーナーで再々逆転を許す事になるだろう。

 縦に重なった二人が12週目のストレートを通過する時、コース脇から美郷と国分寺の両方のピットサインが掲げられる。


「「ぶーっ!!?」」


 二人がそれを見て同時に噴き出す。美郷学園のボードにはなんと、赤い亀の甲羅のイラストがデカデカと飾られているし、国分寺の方は方で、なんとバナナの皮のイラストワッペンが張られていた。


「(なに遊んでんねん!)」

 二人が同時にツッコム。これはカートとゲームの好きな若者なら誰もが知ってる、有名なカートのTVゲームのアイテムだ。しかもご丁寧に相手をスピンさせる凶悪なアイテムで、そんなもん本番のレースで使ったら永久追放モノになる事必至なヤツである。


 そのサインを通過した時、ふたりは彼らが「自重しろ」と言いたいのを悟った。まるで「いっそ潰し合うか?」とまで言われている気がして、抑える心理を煽られたのである。


「確かに、今私は7位。このままじゃますます遅れちゃうわね」

(あいつら……ゲラゲラ笑ってやがったなぁ。真面目にやれ、ってコトかよ!)


 斉藤はこの1コーナーでの勝負を自重し、前を行くグループを追う為に星奈に先行を任せた。無論彼らを躱したら決着をつけるつもりではあるが。


 星奈もそれを感じたのか、後ろに意識をやるのを止め、前へ前へと気持ちとアクセルを向ける。本来のペースなら前の連中よりこちらがやや上、まして彼らも彼らで他の選手と順位争いをしている最中、ふたりが詰める事だけに集中したなら追いつけない差では無かった。


    ◇          ◇          ◇


 下位グループ。ベガ・ステラ・天川は14位争いのただ中にいた。

「ハイ! 行きますヨー渡辺クン!」

 5コーナーの突っ込みで国分寺の一年、渡辺のインに並びかけ、そのまま差し切って前に出る。が、そのすぐ前には同じ国分寺の本田が道を塞ぎ、ブロックラインを通ってベガを前に出さず、もたつくベガの横に再び渡辺が並びかけ、横並びのまま光速の最終コーナーへと飛び込んでいく。


 もうずっとこの三人のデッドヒートが続いていた。ちなみに国分寺のもう一人の選手、女子の川奈はさすがに体力が厳しいのか、10周目以降はじりじりと後退して行っていた。

 レーシングカートの運転はそれだけで体力と集中力を酷使する。加減速や横Gなどがドライバーのの中にあるうちはいいが、疲労で集中力が切れるとたちまちカートに振り回されてしまう。男子の渡辺や本田、そしてサーフィンで鍛えたベガのフィジカルには流石に及ばなかったようだ。


 三台がひと固まりとなって1コーナーに殺到する。ベガは息を止め、ブレーキペダルを左脚で蹴り込んでホタル号を制動し、前を行く本田のインに割り込む。

 が、次の瞬間には後続の渡辺に軽い追突バンパープッシュを食らい、姿勢を乱した所を抜かれてしまう。


(イェェアァ! まさにバトルですネ、負けマセン!)



「ベガパイセン、『レース』してますねぇ」

「よく闘志が続くよな……女子だろ?」

「やっぱ遺伝子からして違うのかねぇ」


 美郷学園と国分寺高校の面々が居並んでベガ達のバトルを見ながら感心する。普通なら女子の、しかもデビュー戦ともなればここまで走れば『怖い』『疲れた』『せめて完走』などに思考が流れてもおかしくないのだが、未だに彼らと噛み合うようなレースを続けるベガを見て、その闘志を称えずにはいられない。


 最も男子とはいえ、渡辺も本田もこれがデビュー戦である事に違いは無い。そんな彼らも未だにバチバチのバトルを続けられるのは、やはりベガの闘志に引っ張られ『異国人でも女子に負けてたまっかよ』と意地になっているのは明らかだ。


 それがこのグッドレースを演じている何よりのエネルギーだろう。


 そして、その争いが決着する時が来た。16周目の5コーナー、ベガは先行する本田のインに飛び込みオーバーテイクを狙う。が、そのさらにインに渡辺が割り込んで来たのだ。

「ちょ、おま、渡辺っ!」

「OH、勝負デス!」

「ここで前に出るっ!」


 が、さすがに3台並走でバトルができるほどコースは広くない。インを突いた渡辺が縁石に乗り上げ、バウンドしつつ曲がり切れずにベガの前を横切り、アウトにいる本田の前まで流れて行ってしまう。

 渡辺車はそのままエンストし、前を塞がれた本田もそこでストップをせざるを得なくなる。結局この攻防で3台のうちベガだけがスムーズに抜け出す事に成功したのだ。

 押し掛けの再スタートのロスがあるため、彼らが今からベガに追いつくのは不可能だろう。


 先の6コーナーをクリアするベガを見つつ、車から降りて押し掛けの準備をする2人。道路一つ向こうを折り返して来る彼女に(大丈夫)のサインを送ると、ベガもまた手を上げて(ヨカッタ)と合図する。


 が、彼らはすぐに再発進は出来なかった。コースオフィシャルが彼らの前に立ちはだかり、青旗を掲げて「少し待って」の指示を出したのだ。

 次の瞬間、彼らの目の前を漆黒のマシンが、続いてボディに『でんでんむし』のイラストが描かれたマシンがケタ違いの早さで。コーナーを切り裂いていったからだ。


 ――ビュン・ビュンビュンッ――


「トップグループ!」

「速えぇ……」


 黒木はぼちぼち現れ出した周回遅れをうまく利用して、ここまでトップを堅持し続けていた。もちろん次の周回遅れ、金色のベガのホタル号もすでに視界に入っている。


(ベガちゃん! あれに追いつくには……あと2周か!)



 ラスト4周。彼にとっての正念場が、まさに目の前に迫っていた。


 

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