第16話 ドッグファイト!

 25台のカートマシンが2列縦隊を組み、まるで一匹の竜のようにコースをうねっていく。


(隊列は整った……この周でスタートだ!)

 最前列を走る黒木部長が最終コーナー手前でそう実感する。予選二位の彼にとって、ここからスタートまでが最も集中力を要するポイントだ。


(どこだ、どこで?)

 カートのローリングスタート。この方式に置いて二番グリッドの彼だけは、ある縛りがある。それは右横にいるポールポジションの選手より先にスタートラインを超えてはいけないという事。

 横に並びながらのスタートで、出来るだけ遅れないように、かつ前に出ないようにスタートを切らねばならない。


 そしてポールポジションの選手は逆に、加速のタイミングを悟られないようにして、自分だけがベストのタイミングでスタートダッシュを図れるように狙っている。

 かいつまんで言えば、黒木以下の選手にいかにフェイントをかまして、加速のタイミングを外させてぶっちぎりにかかれるかがミソなのだ。


 最終コーナーを抜ける直前、ポールシッターの椿山つばきやま選手がヴァン! とアクセルをあおって加速する。アウト側の黒木もそれを見てアクセルを当てていた右足に力を込める。

 が、ストレートに入ったと同時、椿山はフッとアクセルを緩める。もうスタートラインまでわずか30mほどしかないのに、だ。

 黒木も後続の選手も、踏み込みかけたアクセルを慌てて戻す、その瞬間!


 ビイィクアァァァァーーン!


 椿山選手、そして3番グリッドのチームメイトの白瀬しろせ選手が図ったようなタイミングで加速を始めた。黒木もそれに反応してアクセルを踏み込むが、チームメイト同士で息の合ったタイミングに対してやや遅れを取ってしまった。


 ――スタートッ!――


 イン側のポールポジションの椿山が一歩抜け出し、3位スタートの白瀬がその真後ろにつける。黒木部長はそのアウト側を半車身遅れた形で並走し、後続の選手に割り込まれないように寄せていく。


(やられた! さすがと言うべきか!!)

 心で臍を噛む黒木。2回の予選ヒートは特に小細工も無くスタートを切ったチームカタツムリだったが、ここに来てトリックスタートを使って来た。このまま2台にインに雪崩れ込まれたら3位に落ちるのは避けられない。そうなるとこの2強に追いすがるのは不可能になるだろう。


 が、運命の振り子は、ここで黒木の方に振れることになる。


 ガッツウゥゥゥン!

「!?」


 1コーナーのブレーキング、白瀬が椿山にオカマを掘ったのだ。白瀬にしてみれば黒木に割り込まれたくないが故に前との距離を詰めたかったのが災いした。

 突っ込まれた椿山はもちろんの事、突っ込んだ白瀬も瞬間フロントが浮き、ハンドルが効かなくなって1コーナーの奥へと進み過ぎてしまい、インにぽっかりと空白のスペースが出来上がった!


「ここっ!」

 ためらいなくそのスペースに飛び込む黒木。そこを抜けた時、彼の目の前にはガラ空きのコースが広がるばかりだった。

 2コーナーを抜け、シケイン状の3コーナーを飛び出す。ピットから近い4コーナーからバックストレッチに入った時、彼は初めて自分がトップに立ったことを実感した。

 ピットで歓喜する、仲間たちの姿が目に入ったからだ。


「うおぉぉぉぉっ! 部長がトップだ」

「黒木パイセンすごいっ!」

「2位以下が少し遅れてる……ここで少しでもリードを稼げれば!」


 歓喜する美郷学園ピットのふたつ横では、ショップカタツムリのオーナーや上クラスの選手たちが頭を抱えていた。

「まーたやったよあの二人」

「ま、紳士協定なんざ奴等には無いだろうしなぁ」

 実は椿山と白瀬はチームメイトながらバチバチのライバル同士で、普段は仲が良くてもレースになると毎度毎度の丁々発止ちょうちょうはっしである。

「前回のレースでも1コーナーでやらかしたってのに、懲りない奴等だなぁ」


    ◇          ◇          ◇


「また、えらいトリックスタートを切ったわね!」

 6番手スタートの星奈が心でそう愚痴る(声に出てるが)。ポールシッターがフェイントをかけてスタートした為に後続の選手はタイミングを外され、隊列を著しく乱した状態でのスタートになった。

 おかげで目の前のあちこちに空きスペースがある。案の定、各選手たちは右に左に飛んでそこにカートを割り込ませていくが、星奈はそれに構わず真っすぐに走り続けて、1コーナーのブレーキングと進入に集中する。目の前の好ポジションに飛びつくよりも、乱れた隊列に動じる事無く走る方を選んだのだ。


「やっぱり! 隊列が乱れたら1コーナーは荒れるのよ!」

 3番手の選手がポールポジションの選手に突っ込んだのを見て思わず吐き出す。そこに空いたスペースに黒木部長が突っ込み、立て直したカタツムリの選手二人のアウトに国分寺高校の斉藤が並びかける。

「そこは悪手よ斉藤、もらったわ!」

 加速区間の左コーナーのアウト側は、進むほどに後れを取る不利な位置取りだ。混乱の為に仕方なくそっちに飛んだ斉藤は、まず星奈の前にいるカートに抜かれ、そして星奈にも並びかけられる。そのまま並走状態で2コーナーに飛び込む両者。


(美郷学園! 行かせるかあぁぁっ!!)

「ここで前に出るっ!」

 切り返しの2コーナー。インから突っ張る斉藤、アウトからかぶせにかかる星奈。


 ドガンッ!


 両車のサイドカウルが派手な音を立ててぶつかる。星奈はコースアウト寸前まで飛ばされ、斉藤はややバランスを失う。そんな二人のテールに後続車が容赦なくバンパープッシュを浴びせる。


「私が先よおぉぉぉっ!」

(こんの実況女があぁぁぁぁっ!)

 走ってる最中でも思ってることが声に出る星奈を揶揄して斉藤がそう心で毒づく。目前に迫るのは魔の3コーナー、高い縁石にさえぎられてラインが一本しかないタイトコーナーだ。

 とはいえインにいる斉藤の方がコース有利だ。曲がりはきついがそれでも彼は先にコーナへと飛び込んでいく。

 が、やはり進入角度が浅すぎた。斉藤はインの縁石に、星奈はアウトの縁石に後輪を引っ掛けてしまう。


 ドン!

 ギュドンッ!


 両者のマシンが少しだけ宙を舞い、バタバタと着地しながら姿勢を乱す。そのスキを逃さずに後続のカートが1台、2台と彼らをパスしていく。

(どちくしょうがっ!)

「やられた……でも、レースはこれからっ!」


    ◇          ◇          ◇


「ハッ、ハッ、ハァッ!」

 ベガ・ステラ・天川が呼吸を荒げてハンドルを右に左に切リ、アクセルを踏み込んでコーナーを駆け抜けていく。決勝スタートから1週目の動きは予選とは程遠い、リスクを恐れないポジションの奪い合いが展開されている、それは中団以下の選手も同じで、ベガもまた国分寺高校の3台や他の中堅選手とのデッドヒートのただ中にいた。


 1周目を終えてホームストレートに戻って来る。前を走る国分寺、川奈のスリップストリームにピタリ入ると、5mほどあった車間がスルスルと詰まっていく。

 相手を突っつく寸前にハンドルを指一本分右に入れて右側にすっ飛び、一気に相手のインに並びかける。

(川奈サン、モラッタヨ!)

 ギャギャアァッ、と同時にブレーキングして1コーナーに飛び込む二人。こうなるとやはりインにいるベガが有利だ。そのまま川奈をパスして順位を一つ上げるベガ。


(ヤッパ大正解デシタ、あの人のランを見テテ)

 予選第2ヒート、格上のMSBの選手に付いて行ってその走りを見た事が決勝で生きていた。スリップストリームからのオーバーテイクのコツを掴んだベガにとって、同じく初心者の川奈はその実践テストにまさにうってつけの相手だった。


 もちろん彼女もこのまま引き下がるはずもない。ベガに比べて体の小さく体重の軽い川奈は、重量規定を満たすためにマシンの要所に重りウエイトを積んでいる。それは自分の走りに合わせて各コーナーを攻めやすいように配慮して分散して積まれている為、車重+体重だけのベガよりもコーナリングバランスに優れているのだ。


 コーナーごとにベガに詰め寄る川奈。最終コーナーを抜ける頃にはピッタリと後ろに張り付かれてスリップに入られる。が、ベガもまた先行車の真後ろに付け、3台のスリップストリーム合戦に突入していく。


 ストレートを半分過ぎた時、先行する車がじりじりとラインを右に変えて来た。1コーナーが右曲がりなので本来は左からアウト・イン・アウトで抜けるのが定石だ。

 それを無視してインに寄って来たということはつまり、ベガのスリップを先読みしてブロックラインを取って来たということだ。


(スゴイ! いいカンしてマス!)

 カートマシンにバックミラーはない。そしてルールにより『後ろを振り返ってからの進路変更』は禁止されている。なので後続車をブロックするにはカンと経験だけが頼りだ。車間や自分の走りのミス度合いなどを計算に入れ、どこで後続が追い抜きにかかって来るかを読んでそのラインを潰さなければいけない。


 インを封じられたベガはスリップからアウトに飛ぶ。が、並びかけるだけでは1コーナーでは不利になるばかりだ。

 それどころかベガのスリップから飛び出した川奈が、前の選手の後ろにピッタリと付けたために、そのままインを取られて彼女に再逆転を許してしまった。

(NO! してやられマシタ、デモ、マダマダァ!)


 抜かれてなお意気上がるベガの闘志が、カン高いエキゾーストとなってサーキットに響く。それは今まさにコースのあちこちで湧き上がっており、上位下位の区別なく繰り広げられているデッドヒートを象徴していた。



 そう、これがレース。熱い選手たちの、譲れない戦いの『歌』――

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