第10話 覚醒の時

 昼休み。美郷学園カート部の面々がテントの下で輪になって弁当を広げながら、午前の部の結果や経過を語り合っている。


「星奈は決勝7番グリッド、イルカは10番か。もーちょっと上に行きたかったな」


 黒木部長が決勝のスターティング・グリッドの票を見て、ちょっと物足りなさそうにそう嘆く。


 予選第一ヒート。三年の坂本 星奈さかもと せなはまさに絶好調で、次々とオーバーテイクを決めて3位まで順位を上げてフィニッシュできた。しかし第二ヒートでは逆に後方から追い上げてきたベテラン選手(タイムアタックでスピンした選手)に抜かれた際、スピン&ストップを喫して大きく順位を落としてしまい、結局15位でゴール。決勝は7番手からのスタートとなった。


 イルカの方は第一、第二ヒート共にライバル校、国分寺高校の選手とのデッドヒートに終始して、それほど順位を上げられなかった。とはいえスピンやクラッシュする選手も何人かいたから、その分だけはジャンプアップできたのだが。


 国分寺高校の面々は2年生エースの斎藤が3位まで順位を上げていた。他の選手も5,6,9,11,13位を獲得していて、両高校の選手が中団付近に固まる形となった。



 このグリッドなら5位までの入賞圏内は十分に射程内だ。しかし優勝を狙おうというなら話は別で、特にタイムアタックから予選ヒートをずっと1,2位でクリアした相手には、よほどの幸運が無いと届かなさそうだ。


 ちなみにその二人は四国でも有名なカートショップ『カタツムリ』の20代と30代の選手だ。どちらもまだこのフレッシュマンクラスでの優勝経験がなく、今日初優勝を果たしてオープンクラスに上がるのを目指しているらしい。


「カタツムリはホントに強い人育てるのが上手いからなぁ……あの二人もまだ一年くらいしか乗ってないハズなのにねぇ」


 星奈が昼食のバナナをモグモグしつつそう嘆く。四国でも最古参のカートショップのカタツムリは、今までも何人もの全日本レーサーを生み出してきた、いわばカートの名門店だ。



「他にもショップMSBの面々も要注意だよ。タイムアタックでスピンして最下位になってた選手もあそこの面々だし、予選で中団までリカバリーしてきている。実力上位だけに追い上げがあるぞ」

「もともと峠の走り屋だった連中があそこのショップの店長に感化されて、カートを積む軽トラ軍団に早変わりしたっていう逸話があるからなぁ、荒っぽいから接触には気を付けて」


 黒木辰巳コーチや顧問の吉野みどり先生がそう解説を入れる。そう、別にこのフレッシュマンクラスは学生専門というわけじゃない。趣味でカートを始めたいい大人や、その子供でまだ小学生なんて子までいる。この年齢層の広さもまたカートの魅力の一つだ。


 そんな豆知識にベガはふむふむと頷き、ガンちゃんは真剣にメモを取っている。が、美香だけはあまり関心を示さずに、今日の仕事が終わった事にほっとしてアイスなど頬張りつつ、優雅にくつろいでいる。


 そう、残すは決勝レースのみ。そしてそこで仕事をするオフィシャルは流石にこの阿波カートランドの社員のみで固められていて、バイトのベガたちはここまででお仕事終了なのだ。


 というのも決勝レースは予選ヒートとは段違いにスピンやクラッシュなどの事故が多く、それによって黄旗(事故により追い越し禁止)や赤旗(レース中断)、黒旗(失格)、白黒旗(警告)、赤&黄色旗(オイル警告)等などのサインが頻発する。


 なので慣れないバイトにそれをやらせて、出したり引っ込めたりするタイミングの判断を誤ると、最悪レースが壊れてしまう。

 そうなるとこのカートコースの評判や、レース活動そのものにすらよくない影響が出る。なので決勝はガチのプロに進行をお任せするというわけだ。


 そして選手も皆、予選ヒートとは違い決勝では覚悟ガンキマリで望むものだ。ポジションアップとクラッシュは紙一重の差であることを皆が自覚しており、何もせずに下位で沈むくらいならと度胸一発の仕掛けをしてくる、それがレーサーという人種のさがなのだから。


「なんにせよ、優勝目指してガンバってください、二人トモ!」

 その困難さをあまり理解していないベガの励ましに、選手二人が「あはは……」と苦笑いする。確かに上位がもつれればチャンスのあるポジションにはいる。だが果たして最前列フロントローのチームカタツムリの二人を抜けるかと聞かれると……うーむ。



 と、コースの一角から”ちゃんかちゃんかちゃんかちゃんか……”というリズムが聞こえて来る。ベガは初めて聞く音楽だけど、他の面々にはお馴染みの曲だけに「またか……」という目でその方向、国分寺高校のテントに目をやる。

 はたして彼らは、丸テーブルの上に並べられたカップラーメンの周りを、阿波踊りを踊りながら周回していた。


「……ナンデスカ、アレ?」

「なんでも斎藤君が予選トップ取ったら、昼食のラーメンが出来るまでの三分間ああして踊るのが決まりなんだって」

「ほら。あのカップ麺もご当地の『踊るラーメン』だし。なんか斎藤ん家の伝統芸とか」


 まぁ、彼らなりの罰ゲームイベントらしい。予選でトップを取ったら他の選手にひとついう事を聞かせられる、いわば王様ゲームみたいなものだとか。


「……ニホンのらぁめん文化、奥が深いデス!」

 きりりとした表情でその様を眺めるベガに、周囲は「いや、あれギャグだし」と呆れ汗を流す。まぁ、あれでリラックスする効果もあるんだろうけどねぇ。


    ◇          ◇          ◇


 午後一時。23台のカートマシンがコースに並ぶ。いよいよ20周の長丁場で行われる決勝レースのスタートだ。


 例によって押し掛けで走り出し、隊列を組み上げ、二列の一団となってコースを蛇行するマシンたち。その塊はまるで一本の巨大な竜のような猛々しさを連想させる。

 色とりどりのマシン一台一台がまるで竜のウロコの様に他との距離を開け縮め、コースをうねりながらホームストレートに戻って来る。


 そして彼らがスタートラインに日の丸を見たその瞬間から、一体の竜は無数の戦闘機へと分離して、闘志をエンジンに叩きこんでスタートラインを踏み越える!

 

 ――グワワワワァァァァァ-----ン!!!――


 星奈も、イルカも、前を見据えてアクセルを踏み、自分の行き場所へとステアリングを切り込み、直線の先の1コーナーに突撃!

 

 ギャギャギャギャッ!


 猛々しいエキゾーストノートを残し、1コーナーでのブレーキング合戦のスキール音が、コース内に響き渡る。


 その直後、1コーナーのオフィシャルが、そして主審が黄色い旗を高々と掲げた。たちまちコース全体に黄色い旗が舞い踊っている……


「事故か!」

「誰だ……まさか、ウチか?」


 スタッフ全員がピット脇に鈴なりになって1コーナーを凝視する。見ると2~3台のマシンがスピンや接触でストップしており、それを避けていく選手たちが一本の細い糸になっている。

 幸いクラッシュした選手たちも早速押し掛けに入っており、レース中断や大怪我などの心配はなさそうだ。


 そして隊列が3コーナーをクリアし、ピット向かいのバックストレートへとやって来る。その先頭の車のカーナンバーは……『1』!


「うおぉぉぉぉぉ!」

「トップ、トップだヨ、セナ!」

「レースリーダーきたあぁぁぁぁぁぁ!!」

「すごいっ、お姉ちゃん!」


 なんと1コーナーで接触したのは有名ショップ『カタツムリ』の選手二人だった。コースのイン側で接触したため、多くの後続の選手がアウト側に避けたが、瀬奈だけはインの路肩に乗り上げてバウンドしながらショートカット気味に事故を回避した。

 そして事故った二台はそのままアウト側に滑っていったために、そっちに避けた多くのマシンに減速を強いられていたのだ、こうして星奈は一気に6台抜きを果たし、レースをリードするトップに立ったのだった。


 最終コーナーの時点でグリーンフラッグ(追い越し禁止解除)が振られる。さぁ、ここから仕切り直しだ!

 星奈を先頭に、20台のマシンが今度は一列になってストレートを駆け抜けていく。ベガたちはコース脇に張り付いて、あらん限りの声援を彼女に送る。


「いっけー、お姉ちゃーん!」

「GO! GO!! GOー!!!」

「スリップ入られてるぞーっ! イン押さえろーっ!!」

「イルカ先輩も4番手、行っけーっ!」


 熱狂がサーキットを支配する。彼ら美郷学園カート部の面々も、応援にきているその身内や家族も、国分寺高校のスタッフや顧問も、様々なカートショップからエントリーしてきた選手やその家族も・・・・・・


 みんな一様に、その走りに、いや、、熱く酔いしれていた――


    ◇          ◇          ◇


 表彰式。一位から三位までの選手が凸型のお立ち台に立ってガッツポーズを見せ、その脇に4位と5位の選手が疲れ切った笑顔で手を振っている。


『優勝、チームMSB、緑山選手。準優勝、チームカタツムリ、井川選手。第三位、国分寺高校、斎藤選手』

 審判長から、お立ち台に立った三人の選手にトロフィーとノンアルコールのシャンパンが手渡される。そして4位5位の選手にも賞状が贈られた。

『第四位、チームMSB、小笹選手。第五位、美郷学園高校、坂本選手』


 最後に星奈が賞状を受け取り、会場からの温かい拍手に包まれる。見目麗しい女子高生が一時はトップを走り、その後も粘りの走りで五位入賞を果たしたのだから当然だろう。


 そして始まるシャンパンファイト。お立ち台の三人がお互いに、4位5位の選手に、そして周囲に詰めかけた仲間たちに嬉々として吹き出る炭酸水を浴びせ続ける。



「惜しかったなぁ、あの1コーナーで押さえてればあ、あるいは」

「でもよく入賞圏内に踏みとどまったよ。ゴールも6位とハナ差だったし」

「イルカは8位でしたか、ツギはアソコにイキマショウ」

「あったり前だ。斎藤の野郎をあそこから引きずり降ろさないとな!」


 面々が上位入賞者を祝福しつつ、今日のレースを反芻して感想を述べる。


 勝負が動いたのは二週目、星奈がトップに立ったレース再開直後だった。国分寺高校の斎藤が星奈のスリップストリームから抜け出して、1コーナーでインを取ってトップを奪った。イエローフラッグで追い越し禁止の間に、彼はずっと星奈のアクセルの挙動を観察し、再開直後にスリップに入るのを狙いすましていたのだ。


 だが学生がワンツーでいつまでもいられるほど甘くはない。タイムアタック上位の緑山選手と井川選手が怒涛の追い上げを見せ星奈を、そして斎藤をもあっさりとオーバーテイクしてみせる。その後も二人をじりじりと引き離して逃げていくあたり、やはり実力差を感じずにはいられなかった。


 終盤、星奈は小笹選手にも抜かれ、そして決勝の最初にスピンした二人、本日の実力No1とNo2のチームカタツムリの二人の怒涛の追い上げに晒されていた。


 実力差は圧倒的ながらも星奈は懸命にブロックラインを通り、何度もテールを突っつかれながらも何とかポジションを死守して、残り3周半の死闘を制して5位入賞を果たしたのだ。


 彼らはレース後すぐに星奈のもとにやってきてその健闘をたたえていた。星奈も露骨なブロックに頭を下げながらも、笑顔でその祝福を受ける。


 そう、これがレースなんだ、と。


    ◇          ◇          ◇


 祭りが終わり、選手たちや観客たちが帰路に就くころ、ベガは星奈の乗っていた赤いカートマシンの横に陣取り、これから始まる練習走行へと胸躍らせている。


 そう、レースの手伝いの特別報酬として、彼ら美郷学園カート部にはこれから一時間の練習走行が許可されていた。さすがに今日一日走った星奈やイルカは疲労困憊でパスだが、一年のガンちゃんや美香、そしてベガにとっては貴重な無料練習時間なのだ。


「行きマス!」

 黒木部長に押し掛けを手伝ってもらい、早速カートに飛び乗ってコースインするベガ。遅れて美香もコーチに押されてコースインし、二人は前後に並びながらコースをゆっくりと周回していく。


 それを眺める黒木辰巳コーチの横に、ここの社長、大谷 郁郎おおたに いくろうが並んで彼女たちを見、一言呟いた。


「さて……あの金髪の娘、覚醒するかな?」

「行くと思いますよ。レースってのは何よりのお手本ですからなぁ」



 最終コーナーを立ちあがって来る二台のカートマシン。高いエキゾーストノートを響かせながら、ストレートを駆け抜けて1コーナーに飛び込んでいく。


 カアァァァァァァァーーン



「う、うわっ! ベガちゃんめっちゃ上手くなってない?」

「美香に離されずについて行ってる……あの子まだ二回目よ?」

「正確にはこないだの講習のFK-9も含めて三回目だけどね」


 コーナーでブレーキを踏みつつ姿勢を作り、ハンドルとアクセルの配分を考えてコーナー出口にダッシュする。ストレートに入ったらその強烈なを、次のブレーキポイントに狙いを定める!


 ギュッ、ギュワワッ! ビインビィィィィィーン!


 ストレートを疾走し、コーナーを駆け抜け、白煙を上げてブレーキング。

 目線と意識は常にマシンの行く先を睨み据え、振動をステアリングでねじ伏せて、前に進む意思をアクセルに込めて踏み込む!


 ベガは今日、そんな選手たちをたっぷりと見た。そして常にその中に自分がいることをイメージしていた。

 かつて自分が振り回されるだけだったスプリントカート。その加速や最高スピードを維持し、操ってバトルする技術の見本を嫌と言うほど見続けた。


 それがベガを脱皮させた。怖がってアクセルを踏み続けられなかった彼女が今、その壁をついに突破してみせた。


 ベガ・ステラ・天川。

 彼女は今、初心者から初級者へと、見事にステップアップを果たした――

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