第8話 初めてのレースへ

 4月28日、阿波カートランドにて。


 彼女、ベガ・ステラ・天川の乗るカートマシンが、最終コーナーを抜けてホ-ムストレートを駆け抜けていく。

 そして1コーナーをクリアした所で、誘導員の指示に従ってコースをショートカットし、ぐるりと大回りしてピットまで戻って来る。


「OK,お疲れ様。これで全講習はおしまいですよ」

 カートから降りるベガに、ここの社長である大谷 郁郎おおたに いくろう氏が声をかけ、手にしたバインダーに挟んだ書類にハンコを押す。


 今日はベガと、一年生の御堂 元太みどう がんた坂本 美香さかもと みかコンビのためのカートライセンス講習日だ。三人とも座学からの筆記試験と、試乗用のカートであるFK-9による走行体験を終え、無事にライセンスが発行されることになった。

 ちなみのこのFK-9というマシンは試乗用ということもあり、クラッチの付いたアンダーパワーの4サイクルエンジンなのもあいまって、普通のスプリントカートよりもずっとユルい加速や最高速だ。なので初心者のベガでもしっかりと踏めるマシンであり、それもあって無事に合格を貰えたという訳だ。


 カートから降りたベガが美香と、そしてガンちゃんと「ヤッタネ!」とハイタッチを交わす。ちなみにガンちゃんもようやく照れずにベガと接する事が出来てきているようだ。


「じゃあ来週が本番よ、三人ともしっかりね!」

 三年の坂本 星奈さかもと せながそうハッパをかけ、二年の有田 依瑠夏あらた いるかと部長の黒木がそれに続く。

「ま、走るんじゃないけどねー」

「大勢の安全に関わる事だ、真剣にやらないと駄目だぞ」


 実は今回の講習で三人が得たのは走る方のライセンスだけじゃなく、レースを進行するオフィシャル側のライセンスも習得していたのだ。

 これはこのカート部の伝統でもあり、ここでレースが開催される度に部員たちはオフィシャルスタッフの一員として、様々な仕事をアルバイトとして勤め、部費の足しにすると共に、レースというものへの理解をも学んで来ていた。


「セナとイルカも頑張って下さいネ! 仕事しながら応援してますヨ!」

「まーかせなさい」

「早々にリタイアするんじゃないわよ!」

 ベガの激励に調子づいたイルカを星奈がたしなめる。


 現在、美郷学園レーシングカート部に、まともに走れるカートマシンはわずか二台しかない。なのでレースの度に出場するのは希望者の二人だけで、残りの部員はスタッフとして仕事に精を出しているというわけだ。

 ちなみにレース出場の参加費エントリーフィー(保険込みで1万円)は自腹で、払える人が優先になる。部長の黒木は今月金欠とかで出場を見合わせ、出るのは星奈とイルカの二人になったという訳だ。


「本番は来週日曜の5月5日だ、全員体調を万全にな」

「「はいっ!」」


 黒木部長のハッパに全員が元気よく返す。さぁ、いよいよ来週はベガが初めて経験するカートレースの日だ!


    ◇          ◇          ◇


 そして、ついにレース当日の5月5日、子供の日。


 午前五時からベガ達はカートランドに集合して、さっそくテントを設営したり、トラックなどでやって来る出場者たちに案内や参加書類を配布したりと、仕事に精を出していた。

 部長である黒木がいるお陰で特に混乱も無く、てきぱきと動いてレースへの準備を進めていく。


 と、一台のトラックがカート場に入って来た。荷物搬入のために入口にバックでつけるその車を見て、今日レースに出る星奈やイルカが厳しい視線を送る。

 それを見たベガが、「どーしたんデスカ?」と目をぱちくりさせると、黒木が応じて解説を入れる。


「我が部のライバル、『国分寺高校カート部』のおでましだよ。」


 確かに。そのトラックの横には『国分寺高校レーシングカート部』の文字が斜体で描かれているし、その荷台に取り付いて荷物出ししているのも、運転手を除けば全員が学生らしい若者たちだ。トラックの中には幾台ものカートが所狭しと並んでいる。


 仕事の手を止めるわけにはいかないので横目で彼らを眺めていると、そのうちの一人がこちらにやって来る。髪を茶色に染めたその男子は、イルカの所までまっすぐ歩いて来ると、決して好意的ではない態度と口調で言い放つ。


「よう、毒ラーメン店の息子さんよ。お前さんが今回は出るんだって?」

「うるせー、お前の店こそ相変わらずってるらしいじゃないか、ええ斉藤クンよ!」


 向かい合ってびりっ! と火花を散らすイルカと、斉藤と呼ばれた男。それを見ていたベガが物騒な空気を止めようとするが、それを星奈が肩を掴んで制した。

「心配しないで。お互いのラーメン屋からしてライバルだから、いつものこといつものこと」


 仕事をしながらみんなに話を聞いて知ったのだが、イルカの父が経営する有田ラーメンとあの斉藤の親の店『踊るラーメン』は古い知り合いで犬猿の仲とか。

 どちらもクルメガイド本の常連で、どちらがより大きく取り上げられているかで張り合っているそうだ。


「宿命のライバルというヤツですね。これはイルカにぜひ勝ってほしいデス!」

 ぐっ、とガッツポーズで闘志を漲らせるベガを見て、黒木は目を細めてふぅ、と息をつく。

「ま、今まで全敗だからな。今日こそは一矢報いたい所だろう」


 国分寺高校のカート部は規模も大きく部員も多い。卒業生の一人がF2レーサーまで成った事もあり、結成から今でも隆盛を誇っている。予算も豊富で、専用のトランスポーターを持ち、四国の他県へもよく遠征に行っている、言うなればカートのエリート高校だ。


 元々、30年ほど前のF1ブームで県内にはいくつかのカート部が出来ていた。だがブームの終わりと共にそのほとんどが閉鎖し、今や資金力と実績がウリの国分寺高校と、カートコースが近くにある地域密着型の美郷学園だけが生き残ったカート部なのだ。

 まぁ、ライバル校と言うには規模が違い過ぎるのだが……


「相変わらずの貧乏所帯だなぁ、みなさんお仕事ご苦労様ですー、ってか?」

「金持ちがブザマに負ける姿は絵になるだろうねぇ、お・ぼっ・ちゃ・ま♪」

 斉藤とイルカは相変わらずの丁々発止である。そして両校の生徒とも見事にスルーしているのであるが、ベガだけはどーしてもその空気に馴染めずに、思わず割って入っていく。


「ヘイ、イルカ! スポーツの前に口論アーギュメントは良くないですヨ?」

「あ、ああ。まぁいつもの事だし……」

「お、なんだよ。田舎者にしちゃ金髪にして……って、うぉっ!?」


 斉藤がベガを見て大袈裟に飛びのく。今日はスタッフという事でツナギに帽子と地味なスタイルのベガだが、それでもしっかりと見ると、田舎には場違いな金髪碧眼のアメリカンガールがいる事に思わず圧倒されていた。


 そんな斉藤をびしっ! と指差し、ベガは自信満々の笑顔で言い放つ。

「ヘイ、ユー! 今日のイルカはヒトアジチガイマース! イルカ、、とくと見せつけるデス!」


「いやラーメン勝負じゃないから。ほら仕事仕事」

 黒木にツッコミを入れられつつ、襟首を掴まれてずるずる仕事に引きずられていくベガ。


「すげー新人いるな。金髪碧眼な上にボケまでかますって……ウチにくれよ」

「やらんやらん!」

 美郷学園の漫才を見て毒を抜かれた斉藤が、やれやれと自分たちのチームに戻って行って、チームメイトの女子に「サボるな!」と頭をシバかれていた。


    ◇          ◇          ◇


 スタッフミーティングの後に開場の準備を手早く済ませ、ドライバーズミーティングを兼ねた開会式が行われる。


「幸いにも本日は晴天に恵まれました。みなさんも今日一日を安全に、そして大いにヒートアップして楽しんでください!」


 社長の挨拶の締めに、レーシングスーツに身を包んだ大勢の選手と、まだちらほらしかいない観客が拍手を送った。


 一同が解散になった後、場内アナウンスがついにレースの始まりを告げる。



――それでは、フレッシュマンクラスより、タイムアタックを開始します――


――カーナンバー1番、坂本 星奈選手より、出走を開始してください――

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