第13話
生き物の有無は悪魔の証明だ。
いないものをいないと証明するにはこの場所の全てを知り尽くさないと、いない事を証明出来ない。つまり俺たちは"いる"という事を証明する前提に動く事になる。
大型のストーンサラマンドラがいることを証明するのは、今のところ有力なのは排泄物の採取。その次は脱皮した痕だろうか。
まずはストーンサラマンドラの目撃情報を押さえる。ギルドマスターが推測できているくらいなのだから誰かしらは見ているだろう。
「ストーンサラマンドラ? 最近起こってる崩落事故の原因がそれなのか?」
「ええ、ギルドではそう踏んでいるみたいなのだけれど、見た事ないかしら?」
「俺は見た事ないな。おいお前は見たか?」
「いいや見てないな」
作業員に聞き込みをしたものの思うような成果は得られなかった。
ストーンサラマンドラという魔物は個体数は少ないものの決して珍しい魔物ではない。洞窟でそこそこ見かける魔物なのだが、目撃情報がないのは少し気がかりだ。
夜では明かりがあまりないため山の様子を確認するのは難しい。今日はもう寝て明日の早朝から調査を始めることとし、宿舎へと戻ろうとするときに小さな地震が起こった。
祖国では地震が多かったため、慣れてはいたのだが周りの人はパニックになり宿舎から飛び出し騒ぎ立てる。この国では地震というものは珍しいのだろうか。
パニックが鎮まり割り当てられた自室に戻るが物が落ちるほどの地震でもなく荒れた様子もない。少なくともこのような事は稀なのだろう。
明日からはその点も調べながら調査を始めるとしよう。動揺したアヤを宥め休んだ。
――
昨晩の地震が崩落によるものだと考えた作業員たちは、調査に来ていた俺たちにさっさと調査をするように責め立てる。
依頼内容はあくまでもストーンサラマンドラの調査であって、地震と無関係なはずなのだが。彼らは容赦なく糾弾をしてくるため引き受ける他なかった。
彼らの要求を受諾すると一変して、協力的になり次から次へと案内をしてくれた。
「私はこういう人たち苦手なのですが……」
アヤは彼らを非難する。
「みんな不安でどうしたらいいか、わからないだけなのよ。そう言ってあげないで」
「ヒカリがいいのでしたら……もう何も言いません」
彼女は納得はしてくれなかったものの、理解をしてくれた。
作業員達に案内され、初めての崩落事故現場へと到着する。トンネルそのものはかなり大きく高さ4mの幅10mといったところか。
入り口付近ではもう既にしっかりとコンクリートで固められていたのだが、奥に進むとまだ木の支柱が残りコンクリートも一切ない、言わば掘った洞窟といったところだ。。
崩落した箇所は天井は既に4mほどの高さを掘り支柱まで立てていたのだが、バラバラになって降ってきたのだという。
「地震はずっとなかったのよね?」
「あんなの初めてだ。てっきり中が崩れたときに地面に響いてきたのかと思ったんだがな」
となると、1番怪しくなったのは山の中にモグラのような穴を開けて中を空洞にしているのだろうか。
鉱物を主食としているのだから山の中に当然入り込むことも出来るであろう。全ての鉱物が外に露出しているわけではないのだから中を食い荒らされてるのが妥当だ。
崩落した場所が今も入れる状態であるのは幸いだった。食い荒らされたというのであれば崩落した場所はまさにその被害地となる。
モグラ穴のようなものが見つかれば、そこから追いかける事が出来るわけだ。
しかし、そのためにはこの崩落した現場を確認出来るようにするために撤去をして貰わなければならない。
案内してくれていた作業員の冒険者たちに協力をお願いした。しかし、昨日の地震が効いたのであろう。彼らはあまり崩落現場に近寄りたがらない。
仕方がないので俺とアヤで崩落して落ちた土砂を片付けるしかなかった。そしていつの間にか案内してくれていた彼らはいなくなっていた。横幅10mもあるのだ。今頃別の穴を掘り進めているのだろう。
「私たちサラマンドラの調査に来たはずよね。今こうやって土砂の撤去してるけど」
「ええ、そうですよ。やっぱり彼らは手伝ってくれませんでしたね」
愚痴を溢しながら俺は魔法を使い土砂を固め、それをアヤに運んでもらいどかして行く。
ふと、土を固める際に違和感があった。土が上手く纏まらない。
「アヤ、構えて! 何かいる」
その言葉を聞いた彼女はすぐさま運んでいた土砂を下ろし武器を構えた。
案の定、土砂の中から現れたのは図鑑に描いてあった姿そのままのストーンサラマンドラ。
その姿が土砂から顔を出すと同時に、飛びかかったアヤのもつ2本の短刀の片方が頭を突き刺し、他方の短刀が首元を斬り生命を刈り取る。
「首元はだめ! 毒が飛ぶから離れて」
斬り裂いた首筋から噴き出した毒が彼女に降り注ぐ。急いで下がる彼女であったが一足遅かった。
彼女はその毒を浴び、黄緑色の液体が背中を染める。そしてその漂う悪臭は鼻を突き刺した。
しかし、毒などまるでないようなあっけらかんとした彼女はそのままストーンサラマンドラの死骸の側まで戻る。
「私は……大丈夫そうです。それより……これを持ち出して馬車の荷台に、乗せましょう」
強烈な悪臭の中、彼女は少し苦しそうな顔で提案した。
早くこの場を離れたいのかアヤはサラマンドラの尻尾の根本を掴み、俺を置き去りにするほどの速さで外へと運び出す。
俺が外に到着する頃には荷台の横に死骸を置いて服を脱ぎ始めていた。
「アヤ待って! せめて茂みに隠れて」
急いで彼女の元に駆けつけたが、そのとき漸く一連の不可解な彼女の行動の意味を理解する。
服を脱いだ彼女の背は赤く腫れ、そして
「我が魔力を以て顕現せよ。彼の者を蝕む異物を払い流す水の力――
詠唱した魔法は彼女の身体を包み黄緑色の液体を彼女の身体から絡め取る。服を脱いでしまった彼女に慌てて俺の着ているローブを被せるがそのまま膝から崩れ落ちた。
既に毒が回っていたのだ。おそらく自身の身体に起きた異変をすぐに察知した彼女は、持てる力を全て使い安全圏で倒れる事にしたのであろう。
そんな彼女を背負い自室のベッドへと寝かせた。
サラマンドラの神経毒は致死性は低いものの、頭痛や眩暈、嘔吐を引き起こすようで彼女は嘔吐を繰り返した。
――――
依頼の調査に乗り出した初日の成果は悲惨なものであった。1体討伐は出来たものの、それによってアヤは毒に冒され調査は中止。命に別状はなさそうではあるのだが、明日の調査の同行は止めさせよう。
彼女の容態が落ち着いたのは夕方頃だった。
夕陽が差し込むこの部屋は真っ赤な光で溢れていた。カーテンがないため洗った彼女の服を窓際に掛けて遮光する。背が低い彼女の服では窓を完全に覆えず光が下からはみ出ていた。
翌朝、まだ彼女が寝ているうちに調査へと乗り出す。昨日の崩落した場所は昨日のまま何一つ変わらずそのままであった。
今日は案内の人が手伝ってくれているため、昨日に続き固めた土砂を運んでもらう。
「調査の雑用を手伝ってもらって悪いわね、私は武の適性持っていなかったから本当に助かったわ」
「いや気にしなくてくれよ、どのみちいつかはここも掘らなきゃいけないんだしよ」
ここの作業員はみなやはりと言ったところか、もれなく武適性持ちしかいなかった。しかし、ゲームとは違い適性を3つ持っているというだけで凄いのだという。
「いいよなぁ、美人な上に適性のほうも3つ目覚めてて。天は二物与えるって不公平だろ」
「あら、ありがとう。でもあなたも私の好みではないだけで良いルックスだと思うけど?」
「ありがとな。やっぱ3つ持ちってなるとA級冒険者になれるんだろうな。俺なんて武適性しか持ってないから冒険者として大成することを諦めちまった」
彼は少し拗ねながらも筋骨隆々な身体で固めた土砂を運ぶ。その姿に少しだけ違和感を覚えた。
その違和感は恐らく見た目の若さに不相応な体格だ。
筋肉と言うのは筋肉繊維を傷つけ、そこを修復する際により肥大化する。それをその若さで手にしているのだからきっと癒適性は持っているはずだ。
「あなた、いつから身体を鍛えているのかしら? その逞しい肉体はどれほどの時間がかかったのかしらね」
「俺は生まれつき筋肉がつきやすいんだ。冒険者になろうって決めた1年前から本格的に始めたけどな」
「それが恐らく癒適性よ。あなた気がついていなかったの?」
彼は驚いたようではあったが、すぐに笑ってそれを冗談あるいは慰めと捉えたようであった。
「あなたがどう思おうが勝手ではあるのだけれど、天賦の才というのは他人がそれを認め、自身もそれを認め自覚した時のみ開花するものだと思うわよ。私は今あなたの癒適性を認めたから、後はあなた次第ね」
「……ありがとな。そういえば自己紹介まだだったな。俺はルーカスだ」
彼は俺の言葉をどう受け止めたのだろうか。
俺自身も正直確証がないため大それたことを言いはしたが、気休めになるような優しい嘘でしかなかった。
しかし、いくら周りが彼を褒めたとしても、彼には慰めの言葉にしかならないのかもしれない。
俺たちはゲームから来たため、適性は3つあるものとして当たり前と思っているから気が付かなかった。もしかしたら、本当に1つしか持っていないのかもしれないし、実は俺たちも4つ以上持っている人もいるのかもしれない。
何にせよ、与えられた手札で生きていくのが人生なのだから。
半分ほど片付いたところで昨日同様に違和感がでた。恐らくこれは昨日同様にストーンサラマンドラであろう。
「ルーカス、すぐに私より後ろへ!」
彼はその言葉を素直に聞き持っていた土砂を投げ捨て下がる。
やはりストーンサラマンドラだ。
通常の個体でもC級依頼で出されるとのことだが、先ほどの個体はアヤが一瞬で討伐したため強さを把握できなかった。
確実にわかっている事は首を掻っ切れば毒腺から毒を撒き散らし死ぬということだ。
いつものように魔法を行使し攻撃をする。「ソーン」と短い詠唱と共に放たれた一閃がストーンサラマンドラに直撃するものの効果はいまひとつ。
このような時、魔法というのはなかなかに厄介である。相手に効果的なものを見極め的確に弱点になり得るものを詠唱しなければ非力だ。
更に言うならば、ストーンサラマンドラは食べた鉱物によって自身の属性を変えると言う性質だ。目の前のサラマンドラが何属性かはわからないのだが。変温動物であれば気温と共に自身の体温も変動する為、火属性や氷属性のような温度変化に弱い。
しかしこの魔物はその致命的な弱点の属性に、自身を変化させるという進化を遂げているため、弱点になるという確証がない。
「〈
物は試しの火属性魔法だったが3発放った〈火の矢〉はその魔物の外皮を黒く焦がしただけでダメージを与えているという手応えはなかった。
魔物は俺に脅威はないと思ったのか、これまでにじり寄って来ていたのだがスイッチが入ったように全速力で口を開き襲いかかる。その姿は完全にワニであった。
突進速度が速いため、後方に逃げるという選択肢はない。そこで飛び掛かってくるタイミングを見計らい横に躱した。しかし、それは完全な悪手であった。
魔物はすぐさま標的を俺から俺の後ろにいたルーカスへと切り替え、突進を続ける。
――まずい! 自分の事しか考えれてなかった。
ルーカスはそのまま直線で走って出口に逃げるが、ストーンサラマンドラの速度が上回りどんどん追いつかれていく。
そのまま魔物は自身の射程に捉えた彼に飛び掛かった。
「我が魔力を以て顕現せよ。逃げる彼とを遮る強固な壁〈
突如として現れた土壁に魔物は追突して怯んだ。その間、彼は無事に脱出した。
出口を完全に防いでしまったため、今度は俺が逃げられなくなったのだが。
出口は塞ぎ、後ろは崩落した土砂で塞がれている。完全に俺と魔物の逃げ場のないサドンデスの場が出来上がる。
しかし、今の俺は一つの光明が差した。
壁を作った際に忘れていた一つの魔法の力を。俺は左手を前に突き出し、右手でまるで弓を引くような仕草をする。
魔法は想像の力だ。今の俺はこの格好の方がより鮮明に想像できる。あの魔物に風穴を開ける想像は言霊の力も借りれば容易い事だった。
「――我が魔力を以て顕現せよ。鋭利なる氷牙よ、我を仇なす敵を穿て、我は必中の射手なり〈
一瞬にして飛び出した氷柱がストーンサラマンドラの上顎から上を吹き飛ばす。
氷魔法による"質量"を持つ攻撃は属性相性など関係ない。それはただの物理攻撃なのだ。
毒腺から相変わらず毒を噴き出した死骸は、離れている俺には一切害を及ぼす事はなかった。
目の前の脅威が去ったと安堵すると、次々と土砂の中からストーンサラマンドラは姿を現す。
一難去ったと思えばまた一難。その数大凡10体以上。
「もう……これだけ大型いないんだから、大型いませんで決着させてくれないかな?」
今まで"作っていた口調"も人が周りにいなければ、いつもの俺だ。愚痴を軽く溢しながら〈氷の槍〉で全てを片付けていく。
一度展開した魔法というのは、それとなく魔力量、発動のさせ方、狙い方というのがわかってくるものである。
サラマンドラを次々と射殺して行くうち、〈氷の槍〉が簡単に発動させれるほどに短期間で上達した。これはきっと、実戦による極度な緊張感と集中力によるものであろう。
10体ほど討伐したところで次々とサラマンドラは真下の地面を掘り潜っていく。
「逃げられたか」そう思ったと同時に大きな地震が鳴り響いた。洞窟の中での地震は危ない!
そう思った時にはもう既に手遅れだ。地面にヒビが入り、俺が立っていた地面は崩落した。
――
落下した高さは10mほどだろうか。遥か高い位置に先ほど作った土の壁が見える。
俺はあの高さから落ちたはずなのだが、身体が動かなくなるほどの怪我はなかった。身体中が痛むのだが、命には別状はない。地面が崩落した際に下に積もった土がクッションとなって死にはしなかったといったところか。
周りを見渡すと落ちたところは完全に空洞だったようで、上から落ちた土砂が綺麗に埋め尽くしていた。
地面に埋もれた身体を掘り起こし、身体を土から完全に出たところで、地面がモゾモゾと動いている光景を目にする。そこかしこに恐らくストーンサラマンドラが潜っているのだろう。
しかしそこで少しだけおかしな違和感が。先ほどからモゾモゾしている土は規則正しく一連の動きとして脈打っていた。
それはまるでこの土の動きが全て一体の大きな個体によるもののような、そんな綺麗に脈打つ土砂を警戒する。
少し様子を窺っていたが、アレは的確に俺の方へと向かって来ていた。それに備えて、魔力を練りいつでも攻撃出来るように準備をする。
(次に動いたところ目掛けて射止める……!)
その時を待ち侘びていたが、アレも頭が回るのかわからないが息を潜めて攻め時を窺っているようだった。
俺のすぐ近くで動きがあるのを見逃さない。すぐさまその動いた地面目掛けて構えたが、飛び出て来たのは通常の個体だった。
魔法によりすぐに頭を吹き飛ばすと同時に、本体のいた地面が激しく動き出す。
――そこから飛び出したのは人を丸呑み出来うる大きな口。
頭だけで優に1mほどあり、その口は俺の位置に的確に狙っていた。すぐに2射目を射抜こうと構えるも、恐怖で魔力が乱れ威力の弱まった〈氷の槍〉で一矢報いる。しかし、その攻撃は牙に弾かれ口は勢い衰える事なく俺を的確に襲った。
「――っ届けぇぇぇぇぇ!!!!!」
大きな叫び声が大空洞にこだまする。その声の主から放たれた二つの得物が俺に迫る口を寸でのところで撃退した。投げられた得物、二対の短刀。それが突き刺さった口は翻し一度退いた。
しかし、どうやら諦めてはくれなさそうだ。
「体調は大丈夫なの?!」
上から飛び降りて来た彼女は息が上がっていた。それに加えて、少し痙攣する手を無理矢理抑制して本調子ではない。
「ヒカリが危ないって聞いて休んでいられなくて!」
どうやらルーカスはあの後、アヤを呼んで来てくれていた。しかし、やはりまだ調子が戻っていない彼女を宛にするのは禁物だ。それに武器もあの巨体の頭に刺さったまま。
今武器のない彼女には注意を引いて陽動してもらい、その隙を俺が射抜くしかないだろう。
作戦を伝えると彼女は頷いて応えた。あまり無理はさせられない。どんなに多くても2、3発以内にしとめきれなければ俺の魔力も、彼女の体力も続かないだろう。無理をさせないためにも2発に全力を注ぐ。
俺はすぐさま詠唱を開始し、いつでも放てる準備をする。彼女は少し鈍いながらも魔物の位置を的確に把握し、追いかけていく。
威力を追い求めるその詠唱には多くの文言を必要とする。それは浄化を意味し、それは終焉を意味した。
アヤは地に潜るサラマンドラを先回りし正面へと回り自分が獲物なのだと魔物に挑発してみせる。それに釣られた魔物はまんまとアヤへ突進を繰り出した。その攻撃をアヤはいとも簡単に上へと躱す。二度、三度とそれは見事な闘牛士のようにひらりひらりと相手を手玉取る。
そして、それに苛立ち始めたのかサラマンドラは大きく跳び上がりその全容を曝け出した。その体長は10m以上のもはやワニなどではなく、さながらクジラのような巨体だ。
その姿を見ても俺は臆する事なく、ただアレを討ち滅ぼせるだけの魔力を練りその時を待っていた。
地面に姿を現した超大型サラマンドラは、アヤ目掛けて今度は逃さまいと大きく跳び、襲いかかる。
身体全てを剥き出しにするその瞬間を待っていた。大きく引き絞ったような体勢のまま俺は詠唱を完了する。
「滅せ〈
放たれた光の槍は一瞬にして跳び上がったサラマンドラを正確に射た。直撃したサラマンドラはそのまま壁に打ち付けられ大きな地鳴りを引き起こす。大気が震え、それは尋常ではない衝撃が起こったのだと物語る。
2発以内で仕留めると思っていたものの、ほぼ全力を出して放ったその1撃で、俺の頭は破裂しそうなほどの激痛が走った。
――やった、倒せた。
そう思っていた俺に悲報が届く。地面に潜っていた巨大サラマンドラは1体だけではなかったのだ。
1匹、2匹と湧いて出て来たその巨大なサラマンドラは、珍しくないぞ、と主張するように、俺たちを嘲笑うように姿を現した。
――絶望。
ただその一言でしかなかった。魔力はほぼ尽きた。目の前にいるのは全力で攻撃して殺せる魔物が2体。頭に走る激痛を堪えながらも顔を上げ立ち上がる。
もう戦う力が残っていないため、全力での撤退を目標に据える。死んでなるものか。
追加で来た2体のサラマンドラは俺とアヤをそれぞれ標的とし、ジリジリとにじり寄っていた。
俺は影適性持ちのアヤほど機敏に動けない。そのため少しでも距離を維持しておきたかった。
脱出する際に必要なことは、アヤとの合流。そしてアヤが入って来たあの穴への到達の二点。やることがわかっているというのは重要だ。特に仲間が増えて2人以上であるなら。
「アヤ、さすがに分が悪いから撤退するよ。あの穴から出るから準備して!」
彼女はこちらを見る事なく対峙する魔物を見据えたまま、手を挙げて返事をした。
魔物との距離を一定に保とうとするものの、巨体では少しの動きで大きく動けるためゆっくりと歩く魔物の方が、急ぎ足で動く俺よりも速い。
恐らく俺が走って距離を開けようとすればアレはすぐに走り出すだろう。確実に詰め寄られサラマンドラの射程に俺を捉える。
嬲り殺すようにゆっくりと口を近づけ、大口を開き俺を捕食する準備を始めた。1回、2回と、わざと空振りした噛みつきをする。
そのときは来た。噛みつきを空振らせたタイミングで勢いよく反転しサラマンドラ側に突撃する。その突然の動きに対応出来ないワニはなす術なく俺を逃した。
出し抜けたと思っていたところに突如として激痛と共に空へと飛ばされる。
尻尾だ。やつは尻尾を地面に潜らせ隠していた。通り過ぎる際にその尻尾で俺を吹き飛ばしたのだ。
どうしてこいつらはこうも賢いのか。
吹き飛ばされた先は幸いにもアヤと合流しやすい方角だ。ヤツらが入念に地面をフカフカに耕されていたこともあって、衝撃はギリギリ死なないほどに和らいでいた。
死なずに済んだというだけで、死ぬほど強い衝撃に、内臓やら脳みそを口から吐き出しそうになるのを、ペラペラな根性で押し留める。視点も定まらない、意識もままならない。そんな俺の側にアヤが駆けつけてくれていた。
必死に俺を呼んでいるのだろうか、俺を揺さぶり口を開いている姿だけは目に入る。耳もやられたのだろうか、何も聞こえない。
抱き起こされるも、地面に伝わる振動からこちらにヤツらが歩いて来ているのがわかる。その様子を慌てたようにアヤは俺を抱き上げた。そのままヤツらから離れるために全力で逃げる。
彼女ももう限界なのだろう。顔には汗が噴き出しており、どこか目も虚だ。
突進を続けてくる魔物はいよいよ奥の手を使って畳み掛けて来た。それは今まで殺す時にしか気にしていなかった猛毒。――大型になるとその毒は致死性を持つ。
毒腺からホースの先端を潰したときのように噴き出す猛毒からは逃げられなかった。
アヤはそんなときでも俺だけを逃すように投げ飛ばす。その判断は一瞬。朧げながら投げ飛ばされた俺が目にしたのは穏やかに笑みを見せる彼女の姿だった。
その姿に俺は殺される瞬間のスズシロが重なる。もう誰も死なせないそんな力が私には、間違いなくあるはずなんだ。
――パンッ
軽い音が空洞にこだまする。俺の手を叩いた音は全てを呑み込み、一瞬にして静寂が訪れた。
頭に走る激痛など人が目の前で死ぬ、心の痛みに比べれば大したことなどない。
「我が魔力を以て顕現せよ。其れは全てを護る盾〈
時が止まった空間の中で地面から、時間の流れを無視し俺とアヤとを護る岩の壁が包み込んだ。
投げ飛ばされた衝撃で俺の鞄から、忘れられていた2つの保険が飛び出した。ホープタウンから持って来た倉庫に入れていた回復薬だ。
精神力が底をつき、立っている事もままならない。膝をついたその瞬間に時止めの魔法は解け〈堅牢壁〉に猛毒が着弾した。
アヤは今何が起こったのかわからない。ただ目の前に突っ伏す俺と、その眼前に落ちている回復薬を見て自分が何をすればいいかだけは把握する。
彼女がその回復薬を拾い俺に飲ませてくれた。飲み込むほどの力が残っていないことを見越してだろうか、躊躇う事なく口移しで。
嚥下すると不思議な気持ちになる。
それは今までの不安や、疲労が一気になくなる。とは少し違うが別の気持ちが込み上げてそんなものがどうでもよくなる。死にたくない。生きる。生きたい。そんな気持ちで溢れて胸が熱くなる。
生への執着心。生きる渇望。込み上げるほどの、欲情。
生命力に満ち溢れ、先ほどまでの傷は全て癒え、力が漲る。そして、どこか自分でも知らない感覚が蘇った。頭に浮かび上がる詠唱はこの全てを片付ける。そんな確信があった。
指先全ての刻まれたルーン文字が光りだした。いや、光らせた。その光らせた爪に意味を繋ぎ合わせるように指を重ねる。
「我が生命を贄とせよ。〈
我が名は――――」
溢れ出す光は山を穿ち、天を貫く。光は次々と山を削り、大地を削る。そしてその大空洞は太陽の当たる地上へと引き摺り出した。
――陽が眩しい。
何が起こったのかわからないまま、体の中に流れる生命力使い魔物を討伐した。
それだけのことしか理解できなかった。
――ガラガラガラガラ。
心地の良い振動が俺の意識を醒させた。目を開けると空はすっかり暗く陽はとうの昔に沈んでいたようで寒い空気が肺に入ってくる。
身体を起こすと隣にはアヤが横たわっていた。彼女は無事で俺と同じく、丁寧に毛布が掛けられていた。
遠くに関所が見えて段々と離れていく。漸く俺は今馬車に乗せられて運ばれているのだと理解できた。馬車の操縦者は暗がりであまり良く見えなかったが、白髪の男性だ。
「あ、あのー」
「目が覚めたか、今セントラルに向かってる。宿の手配もしてるから夜はベッドで寝られるぞ」
その声を聴き彼がやっと誰だかわかった。
「ガ、ガリルさん! どうしてここに?」
彼は俺を一瞥すると、いつも通りの様子で淡々と説明をする。
彼が俺たちを運んでいるのは本当に偶々だった。彼は本当であれば港街へとエンマとノーラを連れて向かっていたところ、偶々トンネル工事をしている関所から放たれた光を目撃し寄り道したのだと。
それからは、俺たちを救出したり、ストーンサラマンドラの素材やらを運び出したり、と色々とやってくれていたそうだ。
「ご迷惑を……助かりました」
「仲間……だからな。僕は仲間のためなら全てのことに手を尽くす」
彼はこちらを見ることなく言う。
街へ俺たちを連れて行くというのはガリルの独断だったそうで、本来であれば宿舎に寝かせたままのはずだったようだ。
どの道、依頼が達成されたとならば残る理由はない。手間が省けて助かった。アヤはガリルの勧めもあって残っていた回復薬を使用し、体調が完全に戻ったらしい。
――毒にも効くのであれば最初から飲ませておけばよかった……。
街に戻るのだが、見慣れない入り口から入る。俺たちは東側の門から出発したのだが、どうやらここは南門だそうだ。南門と東門の違いは、東門は馬車で入場できないのだが、南門は馬車のまま中へ入ることが出来た。
冒険者用の門は全て小さい馬車の入れない門だとばかり思っていたので意外だったのだが。その後、次々と彫像の立ち並ぶ道へと入る。
女神や男神と思しき彫像は素人目で見ても間違いなく素晴らしいものだとわかる。見事な筋骨隆々で、小さな鎚を持った男神の佇まいは、唯ならぬほどの情熱が注がれていた。
その彫像だけは灯りがつけられていたほどだ。
馬車は止まり、目的地へと着いたことを知らせた。かなり大きな宿。以前水浴びした際に、アグニという女性冒険者から聞かされていた、4人以上専用の区域のものだ。
思いがけずその区域へと足を踏み入れることになった俺は、どこか心が弾んでいた。
「ヒカリ、す――彼女を起こしてくれ」
「疲労が溜まってるから、寝かせてあげてた方がいいんじゃないです?」
彼は少し目を細め口角を上げた。その真紅に染まる瞳に魅入られそうになる。
「そいつは健康そのものだ。暇だから寝ただけで、もう着いたのだから起こしてやれ」
回復薬の効果は絶大なのだろうか。確かに、毛布を少し捲って見たものの傷一つない。
「アヤ、起きてー街に着いたよ」
少し揺さぶるだけでムクリと起き上がるアヤは、俺が目覚めたことに安堵したように抱き付く。
頭をグリグリと振るものだから、まるで胸に顔を埋めているみたいだ。本当に、まるで小動物みたいで可愛らしいなと彼女の頭に手を置き優しく撫でる。彼女のお陰で、無事に帰って来られたのだと心から感謝した。
宿に到着したこともあって立ちあがろうとするが――足が立たない。腰を抜かしているのだろうか。
「ガリルさん、どうしよー。立てない……」
彼はその言葉を聞くと容易く俺を抱き上げた。見事なまでのお姫様抱っこ。少し恥ずかしく躊躇っていると
「すまないが、重心を整えるために手を俺の首に回してくれ」
容姿端麗な彼のその瞳に男の俺でも吸い込まれそうな、見惚れてしまいぼーっとしてしまう。彼にまた呼びかけられるまでどれくらい時間があったのだろうか、言われるがままに彼の首へと手を回した。
彼の首はヒンヤリとしていて、どこか浮世離れしている。前に彼を見た時はユルズの事で頭がいっぱいだったため気にしていなかった。
なるほど女がイケメンがいいと言うのは一理ある。男の俺ももし……そういうことをするのならイケメン以外お断りかもしれない。
アヤはそんな俺を見てニヤニヤとした表情を見せた。それが、俺を正気に引き戻す。
宿屋では既に手配を済ませているため、そのまま部屋へと案内される。もしかすると今夜、俺はこの男と共に同じ部屋で寝ることになるのだろうかと、少し満更でもないことを想像してしまっていた。
扉を開けると4つのベッドに既に2人が鎮座している。以前、俺が無詠唱を教えたエンマとノーラだ。そういえば、彼女たちと同行して港街を目指している途中だと言っていた。
「エンマ、ヒカリをお風呂に入れてやってくれ。彼女は生命力を使い尽くして、まともに歩けない。僕の仲間だ、くれぐれも大事にしてくれ」
「わ、わかりました! ガリル様は?」
「僕は馬車を停留所へ戻してくる。そしてもう1人がアヤだ。仲良くしてくれ」
そう言い残すと、俺をエンマの隣のベッドへ寝かせて宿を後にする。
エンマはガリルを"様"と呼んでいたことが少し面白く思った。うら若き彼女も、どこかやはり乙女なのだなとそう思えて。
アヤも部屋へと入り俺と同じベッドに腰掛ける。まるでアヒルの子どもたちのようにベッタリと俺にくっついて離れない。
それぞれ同室になる身として、改めて自己紹介を始めた。アヤはやはり人見知りなようで上手く2人と会話がぎこちない。エンマはそれに対して少し憤りを感じているようだったが、ノーラのほうはアヤが可愛くて仕方がないようだ。
「エンマも昔はこうやって人見知りでウジウジしてたもん。本当に似ててなんか可愛らしい」
「背以外で似てるとこなんてありません! これは同属嫌悪なんかでは断じてありません!」
もはやそれは自白しているのでは。そう思う俺は出かかった言葉を呑み込み笑って全てを流した。
4人用の宿屋は寝室はそこまで大きくはなかったが、トイレとお風呂が備え付けられたビジネスホテルのようだった。アヤがお風呂に入れてくれるからエンマの手伝いを断ったのだが、彼女はガリルからの要請とのことで断固として引かない。結局3人で入浴することとなった。
エンマの体はアヤと同様に可愛らしい身体をしていて、中身が男の俺でも安心して共に過ごすことが出来る、のだが。浴室はかなり狭く、とてもじゃないが3人で浴槽に入れるようなサイズではないように思えた。
特に俺は170cmもあり、更には二つの重量級が備わっている。なるべく少しでも浴槽に入る体積を減らさなければ。
苦難はまだ続く。身体を手拭いで身体を洗う際にもスペースが狭い。特に3人もいるとなれば尚更だ。彼女たちの体にやたらと接触してしまう。
幾ら目では大丈夫だと思っていても、触感によってどこか"オトコ"が目覚めてしまいそうになった。
なんだかんだ無理矢理3人で浴槽に入る。1番大きな俺は1番下に入り2人を上に乗せる。長さも足を伸ばせるほどの長さでないため膝から先は浸かることはなかった。
「それにしても、ガリル遅いのね。停留所は遠いところなの?」
「いいえ、ガリル様はこの部屋に泊まりませんよ? あのお方は男性と女性が同じ屋根の下で寝るのを共にするというのを嫌っているのです」
「あー、そういうことなのね。私たちの世界だと、誠実な人はそうかもしれないわね」
彼はこの世界でも自身の生き方を貫いているのだな、と少しばかり尊敬した。
俺自身が男のままであったのならば、きっと男女共に同じ部屋で寝れるとなると喜んでいたであろう。この世界では、それが当たり前のような雰囲気があった。
しかし、それを誠実と捉えるのは恐らく俺たちだけなのだ。言ってしまえば非合理的で、理解されないだろう。そんな彼に、少しだけ、ほんの少しだけ同情し、エンマに少しだけ説明してあげた。
彼女は、目を輝かせて話を聞き入れていた。やはり、彼女はガリルのことを好いているのだろうか。少し彼女の情事に興味を持った。
「い、いや。確かに素晴らしいお方だと思います……けれど私はA級ですので、この少しの時間、共に居れるだけで良いのです」
「A級だと何かあるの?」
「あれ、知らないんですか? A級冒険者の婚姻はギルドマスターが選んだ相手と子作りをします。なので、恋愛などは出来ないのです」
衝撃の事実に、俺は絶句した。それはまるで人権を無視した行いではないかと。彼女はそれに対しては、あまり思うことはないようだ。
冒険者業を現役でしていると、世界各地を回ることになる。パーティで男性がいれば恋愛は出来るかもしれないが、男女比が合わなければ必ず余りも出る。もし、恋愛も考えてパーティを組むとなれば最適な編成ではなく情事に偏ることとなり、依頼に支障が出てしまう。
また、パーティが同性まみれになれば恋愛する余地がない。A級ともなれば、なるべく近いランクの人と組むのが自然で、少ないA級のうち、異性にターゲットを絞って募集するともなると至難になってくるのだとか。
「実は、私もノーラもそれがあったのでA級になりました。今2人なのも、B級から上がりたくないカップルがパーティにいて……仲違いのようになってしまいましたが」
少し重い話のように思えたが、彼女はそれを目指していたのだ。彼女は納得してA級になったのだから、俯いて欲しくない。
彼女を軽く抱きしめ、顔を上げさせる。
「いいじゃない。そんなものは、もうこんなこともあったと語れる思い出よ。今を生きているのだから」
お風呂から上がるとノーラは弾丸を作っていた。しかし、弾丸を使って詠唱した記憶がない。ガリルからの入れ知恵だろうか。
「お風呂上がったから、次はノーラ入っておいで」
「あ、はい。あと魔弾10個作ったら入ります」
弾丸を発ではなく、個と数えられるのも少しだけ違和感があったのだが、やはりこの世界にないものなのだろう。
「それはガリルから教わったの?」
どうやらガリルも今のその武器では流石に無理だと思ったようで、色々な方向からアプローチするそうだ。その一つが魔石を弾丸に加工したものに事前に魔法を込めておくといったものらしい。
確かに〈魔適性〉に適した使い方なのかもしれない。彼がこの件に関与したとなれば、実用性は大きく高くなるだろう、そんな根拠はない確信があった。
「ノーラさ。今日、男娼に行ったならお風呂入らなくてもいいんじゃない?」
意地悪そうにエンマはケラケラと笑う。男娼とはなんなのだろうか?
「バラすなよ、エンマ!」
「ごめんなさい、そのダンショウとは何かしら?」
その質問にエンマやノーラのみならず、アヤすらも口を開けてポカンとしていた。
「え?! なんですか?! そんななりして純情なんですか?!」
「男娼知らないなんて、エンマ以下ですよ! エンマすら2週間に1回は通ってますよ?!」
彼女たちの捲し立てる口ぶりに、この世界では常識的なものなのだろう。彼女たちは懇切丁寧に男娼について教えてくれた。
男娼とは、娼婦の逆。つまり男を買う場所だ。この世界では、当たり前のように娼婦もいれば男娼もいる。1番気になったことは妊娠しないのか、という点だったが、どうやら種無しにする魔法を刻印されるためあり得ないそうだ。
ちゃんとした場所であればしっかりと刻印があり、安心して発散できるらしいのだが、闇営業というのもどこにでもある。刻印のようなものがあるがそれはただの飾りであったり、発動していないものであったりと悪徳なものだ。
中銀貨1枚と少し高いものの、風俗事情に全く詳しくない俺はそれが元の世界と換算したとして高いのか安いのかわからなかった。
しかし、人は見た目によらない。ノーラはすごく真面目そうでそういうものに興味がないものと思っていた。
エンマもまだ若いため興味がある程度で止まっているのかと思っていたが、全くそのようなことはなく、経験済みだったとは。
「少しだけ、意外かな。ノーラさんそういうの大丈夫な人だったのね」
「意外ってなんですか。まぁそんな高い頻度では行きませんが……ガリル様と旅をするとなると理性持ちませんよ……」
ガリルはモテるのだな、と本当に実感させられる夜だ。それにしても女性にも性欲はある人もいるのだなぁと思い耽る。
そこでこれまで黙っていたアヤが勢いよく口を開く。
「ガリルというお方を、ヒカリが慕っているのだ! 邪魔すれば私が許さん!」
突拍子もない発言に俺はキョトンとしたが、2人は違った。
「ヒカリさん、本当ですか! やっぱり純情はガリル様に捧げるのですね?」
「お似合いですよ! めっちゃ応援してます」
2人ともさっきガリルにご執心だったんじゃ?!
いきなりの発言に俺が1番理解できていない。
「待って! 私とガリルはただの仲間よ。私もそんなこと一度も思ったことないから!」
「でもヒカリはさっきガリルに、こう、抱っこされてメスの顔してた!」
「してないしてない。してないから! 確かに顔は綺麗で見惚れてたけど。それは彫像を見て綺麗って見惚れるのと全く同じなのよ!」
姦しい。まさに読んで字の如く。
しかし、俺はどこか、その騒がしさが楽しくも心地が良い。女だけで集まる恋バナ系が楽しそうにしている姿を少し、少しだけ理解出来た。
――そんな気がした。
翌朝、俺の足は少しだけ痺れたような感覚は残ってはいるが、おおよそは元通りだ。
昨日の夜はアヤも次第に打ち解け4人で真夜中まで盛り上がっていた。そのせいで朝起きたのは俺とノーラだけ。
ノーラと俺は日課となっている訓練に励んだ。早朝ともあってスカスカの訓練場に2人だけの魔法がこだまする。もし、ここに新人の〈魔適性〉持ちがいたのであれば、きっとこの無詠唱を2人で教えていたであろう、しかし相変わらずに人がいない。
「ヒカリ、あの宿では宿泊者みんなが揃わないと備え付けの食事処は利用できないので、そろそろ帰りましょう」
「そうなのね、私も終わったから一緒に帰りましょ。ノーラはもう無詠唱には慣れたかしら?」
「まだ初級しか撃てませんけどね」
俺とノーラは昨日の一件からかお互いを呼び捨てで呼び合う程には打ち解けていた。その関係性に少し嬉しく思う。それは初めてこの世界の人と仲良くなれた、友だちという存在のように思えたからだ。
宿への帰り道、ランニングをしていたガリルを目撃する。彼もリンドウ同様に身体を鍛えているのだろう。俺たちを見掛けると彼はそのまま駆け寄ってきた。
「おはよう、二人とも。君たちも朝早くから訓練か散歩か?」
「おはようございます、ガリルさん。私たちも、朝魔力を練る訓練してたんです。朝ごはんはみんな揃ってからでないといけないみたいで、帰っているところなんです」
「おはようございます、ガリル様。朝弱いと仰っていましたのに、早朝から活動できていらっしゃるではありませんか?」
「ああ、その説明もしないといけなかったな。ちょうどいい。君たちの宿で僕も共に朝食を摂らせてくれ」
彼も同行して宿へと戻った。その間、ノーラは俺の腕に抱きつき、頭をゴリゴリ押し付けて、背中を軽く何度も叩く。早朝からガリルと会えたのがそんなに嬉しかったのだろうか、少し興奮しているようだ。ノーラの少し乙女なところを見れて可愛いなと思え、微笑ましい。
宿に着くと朝の七時になったのだが、まだ2人は寝ていた。ガリルを寝ている女子の部屋に入れるのを躊躇ったが、ノーラはガリルに汗を流すために
「お風呂を先に入っていてください」
と部屋に招き入れてしまっていた。
彼を早々に浴室へ案内し、ノーラは2人を叩き起こす。なにやら俺を除いた3人で仲良く密談を始めていた。ガリルの来訪がそれほどまでに嬉しいのだろうか。
「すまない、ヒカリ。身体を洗う手拭いと身体を拭くタオルを貸してくれないか?」
この部屋は4人部屋だ。そのため備え付けのタオルなど、全て4人分しか用意されていない。
「ごめんなさい、私のでもいいですか?私1番早く入ったから乾いていると思います」
「構わない。よろしく頼む」
彼の裸が見えないように、そっと昨日使った俺のタオルと手拭いを渡す。興奮する女子3人組との間に少し疎外感を感じて寂しい。
「もう、どうして私抜きで盛り上がってるのよ。私も混ぜなさいー」
そういい近づくと予想とは違い3人は一斉に俺へと飛びついて盛り上がる。アヤも仲良く混ざっていることで、どこかアヤの人見知りが解けるほどに打ち解けたことに少し喜ばしかったが、どういう状況か理解は出来なかった。
ガリルがお風呂から出てくる。烏の行水のようだ。漸くそこで3人の興奮は収まり、朝食へと向かった。
4人専用の食事処である、併設された酒場は定食が存在しない。そして、値段がかなり高い。普通の宿屋であれば朝食は定食で250Cで食べれるのだが、ここではサラダに130C、バゲット140Cにベーコン160Cなど2品頼むだけで通常の朝食ほどの値段だ。
「え、高くない……?大丈夫なのこれ」
俺は恐る恐るアヤを見るが、彼女もその値段に慌てて、俺と目線を合わせる。隣にいるガリルはこれまで酒場で食事をしたことがなかったようで俺と共にメニューを見ていたが顔が近い。
しかし、彼の身体から心地よく、どこか落ち着く匂いがする。それは以前はよく嗅いだことのある良い匂いだ。その匂いの正体がなにかと嗅ぎながら記憶を掘り起こす。
「みんなは〈大宿〉は初めてなんでしたね。とりあえず私とエンマでいつも食べてる定番頼みます」
どうやらこの4人以上専用の施設は全て頭に大をつけるらしい。
大宿、大酒場、大浴場など。
そして、そのような施設はこの街だけに限らず、ほぼ全ての冒険者ギルドが置かれた街では例外なくあるようだ。
そしてその料金は全て高い値段で表記されるのだが、全て4人分の単位だ。つまりこのサラダ130Cで4人分。4人であればサラダ、バゲット、ベーコン、そしてポテトと頼んでも560Cとなる。つまり、4人がそれぞれ250Cの朝食より安上がりだ。
宿泊費をガリルに尋ねたところこちらは銀貨5枚と少し割高ではあるのだが、各部屋に浴場とトイレがあるのだから納得も行く。この設備があるのであれば少し無理してでも4人パーティにはしたくなるだろう。
ノーラは慣れたように、サラダ、バゲット、パスタ、コーンスープ、揚げポテトと頼んでいく。パスタのソースは全て1人用で、追加でそれぞれ頼むものらしい。
俺たちはそれぞれ、トマトソース、ガーリックオイル、チーズソースを選んだ。ソースを頼む際には必ずチップを置く。
そんな中、ガリルの匂いの正体が再び気になっていた。彼に再び身体を寄せ、さり気なくわからないように、匂いを嗅いでいたのだが、正面に座るノーラとエンマの顔を見て正気に戻る。
何かあらぬ誤解を生んでいる気がして、正直に告白した。
「いや、違うの。ガリルさんの匂いがどこか知っている匂いをしていたから気になっていただけなの」
「僕の匂い……? ああ、石鹸か」
どうして忘れていたのだろうか。そうだ、この匂いは石鹸だ。これまで石鹸がこの世界で使われている気配がなく、忘れかけていた。
しかし、それはみな同じようで石鹸の香りだと知らなかったようで同様に驚いている。
「石鹸ってもっと臭いものじゃなかったですか?」
「中銀貨1枚のはさすがに高くて買えなかったけど、それがいい匂いだって評判だったんですよね、もしかしてそれですか?」
「ガリルさん、その石鹸どこで手に入れたんです?」
石鹸の話にみな興味を持っており、先ほどまでの俺へのあらぬ誤解はもうどうでもいいといったところだ。
「この石鹸は作ったんだ。この街の衛生状態がわからなかったから、事前に拠点で作っておいた」
確かに、小学生の頃、授業で石鹸を作った記憶があるが何も覚えていない。それをガリルは覚えて作っているとは、本当にすごい人だ。
「お前の分も用意してあるから、食事の後で渡す」
食事が机に並べられ、話を切り上げる彼の前にガーリックオイルが届けられる。
机に並べられた料理は全て取り分け式のようで、大きなボウルにそれぞれサラダ、バゲット、コーンスープ、揚げポテト、パスタが入っていた。それを共に備えられたトングでノーラが取り分け始めたので同様に俺もパスタを取り皿に取り分けていく。
4人分の料理とのことなので少し1人当たりの量を少し減らしながら調整して5人分の料理に分けた。人数が増えた分1品あたりの量は減ったが、注文する量で調整することで十分な食事量だ。
大宿や大酒場は最初は少し窮屈になるかもしれないと思っていたのだが、その逆で、それぞれ仲間への思い遣りをし合う、仲を深めれる最適な場所なのだと感じた。
「ガリルさん、見てないであなたも手伝ってください!」
ぼーっと眺めているガリルに揚げポテトの入ったボウルを渡すのだが、取り皿の方が足りなかった。ノーラはすかさず取り分けたサラダのお皿を指差しこれに揚げポテトを乗せるのだと教える。
ガリルの性格的にわかっていたのだが、案の定、かなり几帳面でバラバラのサイズのフライドポテトを彼は一人ひとりが同量になるようにある程度重さを感覚で測りながらそれぞれの皿に"よそる"。
その真剣な眼差しは測量士のようで、見ているだけで微笑ましかった。
食事を始める際、アヤは食べようとしたところを皆に止められ不思議な顔をしていた。エンマとノーラはそれが当たり前のようで両手を合わせていたが祈るような形をしていた。俺とガリルはいつも通りの指をしっかりと伸ばして手を合わせる。アヤも目配せして同様にするのだと促す。
「いただきます」
5人揃って一連の儀式を終え、それぞれ食べ始めた。ここのフォークはしっかりと4叉で、両方の道具があるのだ。
俺のパスタはチーズソースだったのだが、なるほど混ぜてみるとカルボナーラだった。生クリームなどは入っていないシンプルなチーズと卵に、ベーコンではなく少し揚げたような肉が、具で入っていた。
「ガリルさん、これカルボナーラですよ! 見知った食べ物が並ぶとなんだか安心しますね」
「そうか、僕のはアーリオ・オーリオだ。口臭はニンニク臭くなるが食べるか?」
そう言って丁寧にフォークに巻かれたパスタを差し出してくる。それを俺はなんの躊躇いもなく「いただきます」と彼の差し出されたものを口にした。その瞬間、残りの3人が一気に湧き立つ。
何事かと思ったが、自分のした事を冷静に客観視し、自分の"やらかし"に気がついた頃には、俺の顔は熱を帯びていた。
「どうした? 君たちも食べたいのか?」
テンションの上がるノーラとエンマだが、ノーラはガリル同様にアーリオ・オーリオを頼んでいたので却下される。
「ガ、ガリル様! この際、単刀直入に聞きます! ヒカリと結婚されていらっしゃるのですか?」
突拍子のない発言に俺はいよいよ頭から何かが噴き出しそうになるが、ガリルは相変わらず冷静に答えた。
「いいや、そのようなものではない。これまであまり接点の持たなかったが、大事な仲間だ。ところで、先ほどのは衛生面的に、気になっていたのか?」
(――いや、いや違うんです。ガリルさん。本当に気がついていないのか、わからないですけど俺たちやらかしました……)
そう思っていたのだが、ガリルはハッとしたように気がついた顔になる。彼にも伝わったと言う事だろう。
「そうだったな、君たちには僕らの民族性と言うものを語っていなかったな」
「み、民族性?」
到底あの頭の切れる彼から発せられた言葉とは思えない話だ。しかし、これは逆に彼にはこの状況を徹底的に打破出来る、最強で、最高の、"言い訳"があるのだと思考を巡らせる。
「僕たちの民族は、とにかく食事に煩い。常に美味しいものを貪欲に追い求め、前日と同じ食事内容になることを忌避する。例えば、前日に鶏肉を食べたのであれば、翌日は鶏肉ではなく、別の肉をメインに据えねば精神的に異常を来す」
すごい賢い事を言っているような気がするが、少しだけ納得できるのだが、それがどう言い訳になるのか様子を見守った。
「それほどまでに、同種を嫌いながらも美味を追い求めるため、"食べ比べ"というものが日常的に行われるのだ。同じパスタでも、ソースが違う味に興味を示し、分けてもらう。これが僕らの文化だ」
彼の壮大な言い訳の効果を3人の様子を窺いながら確認していた。
「僕たちの民族では、『胃袋を掴む』という言葉があるくらいには、美味しいものに目がないのだ。アヤはこれからもコイツと旅をするのであれば、違う料理を選ぶとこのような事が起こるから気をつけてくれ」
シーンとするみんなだったが、アヤは少し照れながらも自分の注文したトマトソースを無言で俺に差し出す。今の演説の後では絶対に断れない。素直に従うしかないのだ。
彼女から差し出されたトマトソースは当然のことながらミートソースのミート抜きのあのトマトだ。トマトがところどころ形を残し、食感の良いアクセントとなっていた。甘めのトマトソースなのだが、そのトマトを噛むことにより味変が起こり少し酸味のある味へと変化し飽きない。
どうやら俺はその脳内で行われる食レポに気分が良かったのか、かなり満面の笑みをしていたようだ。アヤも自分の手から俺が食べたことに余程気を良くしたのか、目を輝かせて嬉しそうにしていた。
貰ってばっかで悪いため、俺も自身のカルボナーラを彼女の口へと運ぶ。しっかりと揚げ肉をフォークの先端に刺して。
アヤがドキドキしているのがわかる。笑みを隠しきれず自然と口が離れて俺からの差し入れを待ち侘びていた。
随分と騒がしくしていたようで、周りのパーティの視線がこちらに向けられていた。急に気恥ずかしくなり黙り込んだものの、他のパーティから声を掛けられてしまうのだが、それは何処かで聞いた声だ。
「やっぱ、ヒカリじゃねーか! うちだよ、アグニ」
どんどんと賑やかになる朝食だ。彼女は外の水浴び場を教わっていたのだが、あの日以来、顔を合わせていなかった。数日の間ではあるものの、すごく久しぶりに思える。赤髪に紅瞳、そして褐色肌の彼女はインパクトが強く忘れることなど出来そうにない。
「アグニさん、久しぶり。ガリルさん、紹介するね。こちらはアグニさんでB級冒険者。奥で今こっちに手を振ってくれているのが仲間の人たち」
「お前は、本当に次から次へと輪を広げているな。コミュニケーションお化けか?」
またもやそんなやり取りをしていると他の仲間と同様にアグニもケラケラと笑い出す。
何故、毎回俺とガリルが話すと笑うのだろうか。不思議でならなかった。
その後、アグニたちのパーティが隣の席へ移動して机をくっつけて盛り上がって朝食を楽しんだ。
少しだけ憧れていた異世界の生活の、夢に描いてた他のパーティたちと集まって、賑わうこの時間が、たまらなく幸せなひと時だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます