第12話

 モージに指定されていた酒場を見つけるのは容易だった。

 正確には俺が見つけた理由は酒場ではなく、先ほど見知った顔がお酒に呑まれ声量が大きくなっていたからだ。

 モージはどうやらお酒に強く、兵士たちがお酒に潰れたあともその細身の体躯に似合わず豪快に飲み続けていた。


「私の隣に座れることを名誉に思え、名も知らぬ冒険者よ」


お酒に酔い潰れてはいなかったが、それでもやはり酔いは回っているようで、これまでの印象とは打って変わっていた。


「謹んでその名誉をお受けします、閣下。私の名前はヒカリと申します」


彼の調子に合わせて挨拶をし隣に座った。テーブルの上には肉の揚げ物で溢れていて、いかにもな男の食べ物と言ったものばかりだった。


 好きに食べろという彼の好意を素直に受け取り、恐らく鳥の揚げたものであろう串を選び取り、口へ運ぶ。

 以前入った酒場とは違い、こちらの酒場の方が肉の量が多く少々値が張りそうであった。しかして味の方もスパイスがしっかりと使われていてとても美味しかった。


 この味では俺たちの世界の揚げ物と比較しても見劣りすることなく、それどころかこちらの方が美味しいとさえ思えた。


 しばらくその味を堪能しているとモージは俺をじっと眺めていた。その無言の視線に耐えきれず俺は彼のことを尋ねると、すんなりとその正体を明かした。


 彼はこの国で唯一の軍を率いている将軍であり、そして元冒険者であった。彼は冒険者を引退せざるを得ない怪我を負ってしまい、今の座に就くこととなったのだと語る。

 彼は裾を捲り、その下にある木製の義足を露わにした。その義足は年季が入って色褪せており随分古いものだった。


「生きると云うのはきずを負うことだ。どんな疵であれ、其れが生きているという証左に他ならん。死とは其れ以上の疵は負わぬと云うことだ」


裾を下ろし追加のエールを頼む彼は、まるで遥か昔を語るような口振りであった。

 エールが届くとそれを受け取り彼の持つ木のジョッキを盛大にぶつけ合う。盛大にジョッキから泡が湧き出し床に滴る。それを無駄にしまいと込み上げてくる泡を啜り心を潤した。このために、生きているのかもしれないと。


 このエールはどこか懐かしいキレのあるビールに似ていた。しかし、それとは似ても似つかぬ鼻に抜ける芳醇な香りが俺をこの世界に意識を留めさせる。

 比べたところで仕方ない。

 比べるのではなく上塗り、将来はこの世界の考えに塗り替えて行くのだから。


「ところでモージ様、もしその足の傷を癒せるのであるのならば、試してみたくはありませんか?」


俺はその治療する方法に心当たりがあった。失った肉体の再生、というのはユルズから教わっていたルーンの力を以て扱うことの出来る癒しの魔術。しかしながら、それは反動が大きく安全なところで行い、かつ1日1度限りであれば行使してもいいという"決まり"を設けられていた。

 それは、既に実践はしたことがあり軽微な傷であれば忽ち再生するのだが、足のくるぶしより下まるごととなると、もしかしたら出来ないのかもしれないが。試してみる価値はあると考えた。


「此の旧疵ふるきずは、薬程度の生命力では及ばぬ。最早、如何どうしようも無いものだ」

「いいえ、回復薬などではありませんよ。癒すというのは薬だけではありませんから。しかしながら、確実に癒せるとは限りませんが、試されてみませんか?」


捉え難いといった面持ちで、得意げにしている俺の顔を見つめる彼は、しばらくの熟考の後、目を閉じ口角を上げた。


「久方振りであるな、此ようなことは。お前の力量を以て私を満たしてみせよ」


 モージに連れられ酒場の2階にある一室に案内された。

 その部屋はとても簡素でベッドが少し大きいだけの部屋であった。

 隅には大掛かりな荷物が備えてあり、我が物のようにその荷物から葉巻きを取り出す彼がこの部屋を借りている主である。


 慣れた手つきで素早く吸い口を切り、火をつけ寛ぐモージはいかにも将軍といった風格をしていた。眼鏡を机に置き、灰皿を取りベッドに腰掛け上着を脱いだ。

 続けて脱ぎ、彼の鍛え上げて大きく盛り上がった大胸筋が露出する。そのままボタンを外していき磨かれ綺麗に分かれた腹直筋が瞳に映る。

 纏うもので覆い隠されていた彼の見事なまでの筋肉は今でも彼が現役の戦士であると証明していた。


「寄れ」

と短く言い放ち隣を叩く彼に、引き寄せられるように隣へ腰掛けた。

 煙草は苦手なはずだが、その香りはとても甘く心地の良いお香のように身体の緊張を解す。徐に大きく吸う彼とものの見事に呼応し、彼の肉体は重々しく動く。彼の吐き出す甘い煙はまるでこの光景が幻想で化かされたかのような錯覚を覚えさせた。

 彼は纏っている最後のスラックスを脱ぎ彫刻のように彫られた硬い大腿四頭筋を見せると俺に目を向けた。


「私だけが脱がされるのか? お前もきっと儀範の美しさを持つ、心疾こころやましい事も無い」


彼の手は俺の腰に添えられチュニックの上に縛り付けていたコルセットを解いた。困惑している俺に彼は


「私の痂皮かひを癒してくれるのであろう? 其れならば公平で無くては。私は脱いでいるのだ」


誘惑されるその静かに、優しく低い声に押し切られチュニックを脱がされる。身体を隠すように自身の長い髪を身体に纏わせ露出を最低限度に留めつつ腕で身体を隠す。


「なんと豊麗でそそられる肉体だ。生命力に満ちている」


胸へと迫る両手を止めるため、いよいよ俺は本来の目的である足に癒しの魔術を施すことを告げ義足を外して貰うようにお願いした。


 モージは少し首を傾げつつも義足を外した。そして言うことを聞いてくれる今のうちに全て済ませるために次々と要求を飲ませベッドの上に仰向けで寝かせた。


 今更服を着て魔術を使い始めるより、先に癒しの魔術を使った後に服を着ればよいと思い、そのままルーンの力を引き出す。左手の爪に彫られた2種の異なる文字が並ぶように指を曲げ爪を並べる。


「ギューフ・イング」


左手の爪に刻まれた2種類の文字が浮かび上がり仄かに紅く光出す。

 光っている指を始めは心臓のある胸に手を当てて自身の持つ"生命力"を流し込む。

 そしてその生命力がしっかりと流れるべき場所へと彼の大胸筋から腹直筋の凹凸をしっかりとなぞり、引き締まって硬い大腿四頭筋を通し、失った足の先に届くように生命力の回路を繋げた。

 彼の足は切断され縫合され丸みを帯びていたが次第にその縫合を突き破り骨が"生える"。その骨が皮膚を貫くときに血が滴っていたが次第に再生する肉、そして皮膚がその血管を栄養に成長して行く。

 生々しくもその骨の生える光景は、悍ましく今自分の使っているものがこの世界の理に反しているのでは無いかと。

 次第に再生する骨の速度は遅くなる。まだ足の踵が"生えた"段階で止まってしまっては意味がない。モージは苦しそうに呻きを上げている。その声は次第に大きくなり、いよいよ自身の持つ力だけでは足りなく、このまま再生が止まってしまうと剥き出しの骨に再生途中の肉が露出したままとなり余計な危険こととなる。

 自分の生命力だけでなく、モージの生命力そのものを再生の力に換えるしかないのだ。

 しかし、生命力とは本来自分の容量を超えて溢れることなど俺の経験ではなかった。しかし、例えば先ほどのエールを飲んだとき僅かではあったが自分の生命力が昂っている


 相変わらず少し甘い自分の算段にいよいよ愛想が尽きそうだ。


「閣下、あなた自身の生命力を少しでもいいので、今すぐに高める方法をご存知ありませんか? 例えば煙草を吸うとか」


 呻き、返事をするところではないモージに尋ねるのだが、案の定返事が返ってくることはなかった。しかし、呻く声に微かに何かを言っているのが聞こえる。

 その微かに発する声を汲み取るため彼の口元に耳を近づけようとしたところで彼の双腕は俺を捕え抱き寄せられる。慌てて払い除けようとするも苦痛で苦しむ彼の力は強く、"武適性"を持たない俺は抜け出す事も出来なかった。

 しかし、そのときモージの生命力が強くなったのを感じた。何が原因かわからぬまま、そのまま身体を預けると確かに少しだけだが生命力が湧き上がっているのを感じたが、その生命力はすぐに足の再生へと使われる。


「他に、他にないの?! 今なら私ができる範囲なら協力するから!」


モージは苦しそうな顔のままその持ち前の力で俺の身体を彼の体の上に乗せ胸に手を伸ばす。

 その手に少し抵抗を感じたが、自分の恥で他人を救えるなら安いものだと天秤に掛けて結論を出し彼の手を受け入れた。

 無遠慮に胸を揉みしだく彼の手は乱暴で、それでいて本能的に貪っていた。揉まれる痛みに耐えながらも彼の生命力が増していく様を見る限りでは間違っていないのだと、そう認識できた。

 その後彼の足の再生が順調に進んでいく。もうここまでくれば自分の生命力も限界まで注ぎこんだ。



「――――い、おい。起きろ」


身体を揺さぶられ酷く痛む頭を抑えながら目を開く。どうやら俺は横向きに寝かせられており、首を動かして周りを見ようとするもかなり気怠く動かしたくなかった。

 声の主とどうやら添い寝しているようで、少し動いた頭で起きた事に気がついたようだ。俺のお腹に左手をかけ、ひたすら摩ってくれていたようだった。


「左足は無事に再生出来ました?」

「御覧の通りだ。足の指もこのように自在だ」


足の容態を尋ねた俺に身体を包み込むかのように覆い被さり彼の突き出した左足が俺の視界に入る。器用に指を曲げながら不調はないと示した。


 癒しの魔術は無事に成功したのだと、安堵すると緊張は解け次第に胸が筋肉痛のように痛みだした。少し摩りながらもその初めての胸の痛みが変な違和感だった。

 モージは強く揉んでいたことを謝罪すると、すかさず俺は彼の額にチョップを喰らわせる。


「全くもう、調子に乗りすぎ」


モージはそのチョップを受け鼻で笑っていた。生命力を使いすぎてやはり身体が動かないと伝えるとモージはここに泊まっていけと提案されるが丁重にお断りした。

 彼は紳士にもその後すぐに服を着せお姫様抱っこで俺の泊まる宿屋に運んでくれた。


「外、この時間だと寒いですね。今何時なんでしょうか?」

「日を跨ぐ直前だ」


短い会話を結ぶが直ぐに受け応えが終わらせられてしまう。


「今日のこと皆さんには内緒にしてください」

「無理だ。普通に歩いている事自体が可笑しいのだから」

「そっちじゃないです……絶対なんか勘違いしてたほう」


少し変な話だが、今日の昼間にはこのような関係になっているとは微塵も想像できなかった。

 最初は少し厳しい堅物だと思っていた彼とこうして普通に話せているのだから、生きると本当に不思議なことだらけだ。

 宿屋に着くまでの間、彼と、私の、心は、心臓の距離くらいに近づいた気がした。彼の心臓の音に耳を傾け共に鼓動していたり


 けれど、きっとこの感情は明日にはきっと全て忘れてなくなっている。



 ――そんな気がした。



 本日はリーリアやギルドマスターがホープタウンへと向かう日となっている。2人の見送りをするために朝早くに目覚めていた。

 早起きしてしまう時は決まって朝5時ごろだ。相も変わらず少し不器用ではあるが櫛を使って髪を解かす。鏡が使えていた時はその不器用でも解かすことが出来ていたのだが。

 俺はまだこの身体の身長は特に差はなかったが手の長さや頭の形と、些細ではあるが確かに自分とは違っていたのだ。


 リーリアたちを見送る前に顔を洗って目脂などがついていないようにしないと。そう思って触れた顔は涙で濡れていた。今もなお流れるその涙に困惑し、原因もわかっていない。その体に起きている異変に不安になった。


 朝早いながらギルドへ向かうと既にギルドマスターとリーリアは既に出発の準備を完了していた。2人に挨拶する。昨日の依頼を全て完了した事でE級からD級に上がる量を達成したためD級判定となったことを2人して祝ってくれた。

 自己満であるのだが、それを理解して祝ってくれるのは本当に嬉しいものである。


「もうこの時間から出発するの?」

「本来であればその予定なのですけれど。珍しい人が寝坊されていますのよ」


少し怒りを露わにしたリーリアだったがそれ以上にどちらかといえば困惑していた。

 どうやら遅れている人というのは今まで一度たりともこのようなことがなく、むしろ予定時間より早く待機しているほどの厳格な人だそうだ。


 どうやらその人はこの国の軍を統率する将軍なのだそうだ。

 軍は、戦争・紛争の類が現在では行われていないため、専ら魔物を仕事相手としている。聞けば、軍は冒険者の集団をその前身としているらしい


「街の門番もそうだが、他には関所の兵士も軍に所属している人だ。ただ入隊条件はC級以上だ」


 冒険者というのは存外、この世界においては大切にされている労働力なのだろう。



「ゲニウス、リーリャ嬢、遅れてすまない!」


どうやら朝寝坊将軍の到着のようだ。

 息の上がりようからかなり全速力で走ってきたようだ。

 それもそうだろう、彼は先程まで一度たりとも遅れたことがないような人だと紹介されたばかりだ。彼の人生の初めての遅刻という失敗は流石に動揺してしまうというもの。


 さてその将軍様とやらの顔でも拝んでやろう。そんな好奇心に突き動かされ頭を下げる彼が頭を上げる瞬間を待ち侘びていた。

 モージだった。


 閣下と呼ばれていたのだ。当然なことなのに何故か忘れてしまっていた。

 確かにモージはイメージだと厳格で確かにそんな失敗をするような人間に見えなかった。そんな彼が今ギルドマスターとリーリアに狼狽えながらも弁解していたのだが、俺の顔を見つけると呼び付けられた。


「昨晩、此奴の力で足を再生させたのだ。其の時に、生命力を遣い果たした」


言い訳は子どものようなシンプルさだった。しかし、言っていることは初めて聞いたら耳を疑う言葉だ。

 案の定、その将軍に見せられた義足の着いていない足を見せると2人は言葉を発することなく驚いた。

 モージは2人に使ったあのルーン魔術の性質を理解していたようで事細かく説明してくれた。


たしかに出色しゅっしょくだが、1日1回でも其の実、けわしい。みだりに行使するな」


モージは声を低くして警告をした。その警告はユルズにも念を押されていたが、果たして今回は不要なものだろうかと疑問だった。俺も無闇に使ったつもりはなかったのだが。


「閣下は、嬉しくなかったですか……?」


彼に投げかけたその言葉に、俺の気持ちを見透かしたような優しい顔をし「有難ありがとう」と答えてくれた。

 その言葉だけで、自分は正しいことをしたのだと思えた。


 驚いた事に、一番嬉しそうにしていたのはギルドマスターだった。モージとギルドマスターのゲニウスはかなり親しいようで俺の手を強く握って何度も、何度も感謝の言葉を述べた。


 モージは人間のように見えるが、長命種であるらしい。彼は100歳など優に越えるほどの年齢だという。しかし、そんな長命種でも身体の欠損は治せず、人間の寿命程度の比にならないほどの永い不自由と向き合うこととなるのだ。

 しかし、そんな中でリーリアは少し複雑な表情をしていた。



 少し出発時刻は遅れたものの門まで見送る。

 朝日が昇り、これから目指すホープタウンを照らし、待ち侘びているかのようだった。


 ホープタウンの方角から人影がこちらにもの凄い勢いで"走って"きた。その速度は凄まじく到底人が走っているような速度ではなかった。

 モージとリーリアは馬から降り武器を構え、正面から向かってくるその人影に備えていた。


 その人影は4人の前に立つとピタッと立ち止まり自己紹介を始めた。


「私はホープタウンの者。訳あってセントラルに用があるのだ」


背の低い女の凛とした立ち振る舞い。今しがたその女性の超越した脚力には、影の適性を持ったリーリアすら圧倒していた。


「ギルドマスターは私だが、何用かね?これからホープタウンへ向かうつもりなのだが」

「これは。お初にお目に掛かります、ギルドマスター様。私の仕えるべきお方がこの街に行ったと聞いて参りました」


「君とあの男以外にも誰か来たのかい? 彼女に覚えは?」


と小声で聞かれたが、覚えがなく首を振る。

 彼女は一体誰なのだろうか。それは俺も気になっていたところだ。


「私が彼女の案内をしましょうか?」


そう提案する俺に3人は全員で乗っかった。ただでさえ時間が押しているのだから押し付けられている感はあった。

 同じホープタウンの人なら話してたら何かわかるだろうと踏んでいたのもあって提案したのだが、3人が揃って同意されると、それはそれで少しだけ……モヤっとした。


「……行ってらっしゃい」


3人を見送り、彼女と街の中へ入った。一部始終を見ていた門番は特にギルド証を見せる必要もなく迎え入れてくれた。


 彼女は街中をひたすらに見回していた。探し人を見つけようと必死なのだろう。

 探す宛というのはないようで、手当たり次第探すつもりだったようだ。


「服装が目印として機能するものかと思っていたのだが……ケープコートにミニスカートの女性は見なかっただろうか?」


確かにそのような格好はこの街では見ない。そのようなお洒落な見た目なら間違いなく俺も覚えている。間違いなくホープタウンの人であろう。

 彼女に他の特徴を聞いても、容姿などは一切わからないのだとか。果たして見つかるのだろうか。


「大丈夫よ、私も1日くらいなら付きっきりで手伝うわ」


懐事情にはほんの少しだけ余裕がある。胸算用ではあるが、馬小屋生活すれば2日は働かなくても銀貨3枚もあれば生きていけるだろう。


 彼女の情報を整理する。

 朝は遅く9〜10時に活動する人であり、恐らくギルドで依頼をこなしている。そして先ほどのゲームの衣装のような服装をしている。


「その情報があれば大丈夫だと思うわ。それに9時であればギルドも職員が揃うから聞き込みすればすぐじゃないかしら?」


そう彼女を元気づけ宿屋や酒場の多い噴水広場で街行く人を見て回ることにした。

 朝早いこの時間帯は、あまり人が出歩いておらずまばらで、行き交う人を全て確認するのは容易であった。

 しかし、そのような特徴の人はおらず、そもそも9時ごろから活動するのにはまだ早い時間だ。


「そういえば、あなた名前は?なんて呼べばいいのかしら」


噴水に並んで座る彼女に尋ねると眉を顰め戸惑いながら答えた。


「それが……私は記憶がないのだ。いや、完全に無いわけではないのだが名前やこれまでどう生きてきたのか、覚えていないのだ」


彼女は頭を抱え酷く動揺し始めた。彼女の肩に手を置き「無理しなくていいから」と呪文のように語りかけた。


――グ〜〜〜


 彼女を落ち着かせたのは……俺のお腹の音だった。


「ご、ごめんなさい。こんな時に空気読まないお腹ねっ」


恥ずかしい腹鳴であったが、パニックになりかけていた彼女を引き留め笑いに変えてくれたことに感謝した。

 恥ずかしくて笑った俺、安心したように笑う彼女。ひとまず続きは朝ご飯の後にしようと提案し彼女の手を引き、朝食を出してくれそうな酒場を探した。


 席につき、無一文だから要らないと言う彼女に朝食の定食の金額である265Cを渡す。

 恰も熟練の人のようにギルドマスターから教わった支払い方法を教えた。


「まぁ私も初めて支払ったのは一昨日なのだけれどね」


そうネタバラシもセットで終えると2人に朝食が運ばれる。

 ベーコンとスクランブルエッグとレタスにバゲットとポテト、コンソメスープと以前食べたお昼ご飯とあまり変わらないラインナップだった。


 2人が食べ終わる頃には少しずつ人が増え、噴水広場の時計を覗き込むと既に朝8時になろうとしていた。


 時刻を見た俺は今後の生活に変更が出るかもしれないからと宿を引き払って記憶喪失の彼女の待つ噴水広場へと戻った。

 お腹が膨れて不安な気持ちが少し和らいだのか、少し柔らかくなった彼女の表情。

 少し早い時刻だがギルドの前の広場で日課の魔法の訓練をしながら彼女の中に残っている記憶に耳を傾けていた。


「私は彼女に朝起こしてもらっていた。それに献身的で他人のために行動していて、それについて回っていた記憶も薄らとではあるのだが、憶えている」

「でも朝9時ごろに起きる人でしょう? あなたはそんな人より弱いのかしら」

「……私は記憶を失くしてから生活した限りでは朝普通に起きられている、少し不自然だ」


他の事を考えながらも行う訓練は難航し、思ったよりも普段出来ていることすら出来ていなかった。

 魔法は想像。少しの乱れで発動しない魔法にその難しさを改めて感じさせられた。


 想像以上に、いやその想像が上手く事を運んでいるだけの妄想だったと伝えるように、何一つの情報がなかった。

 ホープタウンの人は少なくとも実力は抜きん出て高いはずで、それと服装と性別くらいあればなんとかなると思っていた。

 更に難航している1番の要因。驚くべき事に彼女は"探すべき相手の名前"を忘れてしまっていた。




――――





 ギルドの隅にあるテーブルに2人並び、頭を抱える彼女と膝を抱える俺。馬小屋で寝ていたためか身体からは藁のような匂いを発していた。


 昨日は、丸一日かけて探し回ったのだが、何一つの成果の上がる事なく終わってしまった。

 落ち込む彼女を元気付けるためにその夜には盛大な夕食を楽しんだ。しかし、宿に泊まれるほどのお金は持たず2人して馬小屋の厩舎の1部屋で寝泊りすることとなったのだが。

 切実に生活基盤を整えよう、元々はそのつもりだった。


 ギルド職員を言いくるめるのはとても簡単だった。リーリアの名前と自分の本来のギルドの等級を利用して記憶喪失の彼女の等級をDにしてもらった。

 彼女の名前を登録する際は、彼女は名前など記号に過ぎないと興味がなかったようで俺がつけた。


「"アヤ"って名前はどう?」


あまり反応はよくなかったが、故郷の字で"彩"と書き、俺の名前と合わせて"光彩"という熟語になることから付けた。それは2人でひとつの意味合いも少しは入っていたのかもしれない。

 アヤは少し悩んでいたが、2人でひとつの意味になるということで受け入れて喜んでくれていた。


 D級の依頼書は1個達成するだけで報酬は銀貨1枚。2人で生活するのであれば1日3枚もあれば、鍵のかかる扉のあるベッドの上で寝ることが出来るだろう。


 テーブルから立ち上がりD級依頼書を物色する。E級のような薬草採集や魔物討伐もあるが、D級からしかないものもある。魔物の素材採集だ。

 魔物の素材採集は、それこそ以前討伐したウルフの毛皮のようなものもあれば、名前しか書かれていない魔物の牙や羽の納品といったものまである。

 とにもかくにも、生活を続けていくために理解が進んでいるE級と似た内容の薬草の採取と魔物の討伐を5枚選んだ。


「ヒカリはS級ならもっと上ので稼げば早いのでは?」


アヤの言うことは尤もである。

 ここで堅実に実力を付けたいという"俺ルール"というものをアヤに言っても恐らく理解は得られない。

 世の中の考えというのは常に変化し、そのときのトレンドによって当たり前の価値観は変動する。元の世界のゲームのトレンドなどは試行錯誤して成功を目指すというより、最適解をさっさと調べ効率よくやることだった。


 最初から強くて始められるのならさっさと強いものをやればいいのに、弱いのからやっている俺はそのトレンドとは正反対なのだ。


 それを馬鹿正直に伝えるのが誠実さではない、相手が納得し得る"そのときの正しい嘘"を並べることが誠実さなのだ。


 彼女にその誠実な嘘を並べる。

 一からやっている人の苦労を知らないと人と分かり合えないだとか、いきなり高い等級のものをやってしまうとホープタウンの人にはそれ以下のものを出来なくさせてしまいかねないだとか、とにかく聞こえが良さそうなものをとにかく並べた。


 少し黙って考えているアヤの顔色を窺いながら悪くない表情をすると内心、ガッツポーズを決める。


 情報は少しでも多いに越したことはない。早速ギルド職員に情報を聞こうと尋ねたところ、全て場所を答えてくれた上で、奥の本棚で今後は探すことを教わる。


 リーリアが以前案内してくれた場所だ。

 職員に感謝を述べ、早速その本棚で調べて回る。大まかな場所を聞かされていたので目的のものを見つけるのは容易だった。


「なるほど、この薬草は花弁が薬になって葉から出る汁は毒になるみたい」

「こ、これ全部覚えるんですか……?」

「覚える薬草は3種でいいわよ。依頼にあるやつだけ暗記するの」


 アヤはあまり勉強は得意ではないようで薬草は早々に諦めていた。しかし魔物の方はリンドウと同じく熱心に楽しそうに読んでおり、その既視感に思わず笑みが溢れる。







――





街から北西に5kmほど離れた林の中を目紛めまぐるしい速さで走り回るアヤは依頼を素早く片付けていく。


「ありました! これの葉だけを集めればいいのですか?」


アヤは教えたことはすぐに覚える。そのため採集するべきものと、その採集する草の箇所を教えるとすぐにそれを見つけ正確に丁寧に集めてくる。


「あっと言う間ね。ここまで早いのならもう少し欲張ってもよかったかしら?」

「D級は1人でやれる範囲のものって仰ってましたし、2人なので当然では?」


次回の依頼の数は確かにこの調子であるのなら倍以上に増やしてしまっても良いであろう。そしてなによりこれほどまでに速く終わるのにも理由がある。


「それでは次は南の山の方の魔物でしたよね、ささ、乗ってください」


 街からここまで来た時同様に、小さな彼女の背中に乗り走り出す。


 出会った時のような爆速だと、背に乗る俺が落ちてしまった。そのため速度を落としてもらいながらも、競馬の馬並みに速く走る彼女の脚力は、この平原を縦横無尽に移動できる最高の移動手段であった。


 南の山の麓で魔物を討伐する。今回の魔物は至ってシンプルなシカとイノシシような見た目だ。

 彼らは数が増えすぎると山菜や木の実などを食い尽くしてしまうため間引きをしなければならない。シカは3体、そしてイノシシは1体。


 ただの討伐依頼なのだがシカの方は角、毛皮、肉が全てそこそこ良い値段で買い取ってもらえ、イノシシのほうは毛皮と肉と今回の討伐依頼はかなり金策になる。


 整備されていない川を飛び越え、山の麓の林へと入るのだが、その標的のシカはすぐに見つかった。


 アヤの背の中から左手の中指に魔力を流す。

「ソーン」放った雷の魔法がシカに命中すると即座に倒れ込み痙攣を始める。相変わらず雷の魔法は強力で一閃で仕留めた。


 アヤは俺の初めての魔法に感激していた。これまで魔法を見ることはあったが、詠唱する殺傷能力の高い魔法は見ることはあっても、最小限の詠唱で必要最低限の威力で仕留めるこの魔法に機能美を感じたようだ。




 アヤは先ほどの本で血抜きなどを学んだようでゆっくりとそれを実践する。

 ジスカルドがやっていたのだが、まだあの時はそれを直視する勇気がなかった。

 教わりながら魔物の首に彼女の得物の短刀を突き立て斬り落とす。俺の手に確かな首の骨の手応えが、残った。


 その後アヤは内臓を取り出し血抜きを終わらせる。川辺の近くだったのもあり作業での汚れを洗い落とせた。


「毎回するとなると本当に大変ね……」

「これだけを生業にする人たちがいると助かるんですけど、いないのでしょうか?」


――確かに。


魔物を討伐した後素材を採集する専用の仲間がいれば効率よく出来るのだが、いないのだろうか。


 その後残りの2体とイノシシも討伐した。

 アヤの実力は俺など足元に及ばないほど強く、今回の魔物程度であれば容易く切り裂く。

 S級冒険者。その意味を改めて考えさせられた。





 討伐依頼も終わり、ここまで走り回った汗と土で汚れた身体を洗い流そうと近くにある川に入ろうとする。


「ちょっと待ちなって! もうすぐそこに水浴び場があるから我慢しろよ」


低い声の女性に呼び止められた。その唐突な出来事に驚き呆気に取られていると


「ほら、そっちの子もいくよ」


無愛想に言う彼女は有無を言わさずそのままアヤと俺を手招きし案内を始める。2人で顔を見合わせて彼女に付いて行った。


 連れられた場所は山から離れ川を下りながら街へ向かう途中に枝分かれした先だった。

 木々に遮られ、視界が悪くなる。踏み均された路の先には掘立小屋があった。


 掘立小屋の中は3人の先客が、今しがた連れてきてくれた彼女を待っていた。


「あれ、その子たち誰?」

「あっちの川で水浴びしようとしてたら連れてきた」


ぶっきらぼうに言う彼女。先客含めた4人にお辞儀をし、服を脱ぎ始めるとみんなの目線は俺に集まる。その視線はブレることなくじっと見つめられていた。恥ずかしがりながらも、脱ぎ終わっているみんなに追いつくように急いでブラジャーを外すと


「すごいかっちりとした下着だな。それにすごいなんかオシャレ」


一番興味を持っていたのは、先ほどまでのぶっきらぼうな口調の彼女だ。


「そうかしら。普通のブラジャーではなくて?」

「ブラジャーねぇ。それって港街で買ったやつ? 少し付けてみてもいいか?」


興味を持ったのかやたらと近づく彼女に少し恥ずかしくなる。やはりあまり使われていないのか物珍しそうに当てがっていたが彼女の胸には余りにもカップが大きすぎて合わなさそうだ。


「サイズは人それぞれで自分に合ったものじゃないと良くないの」


その言葉に少し諦めたように置き、「それじゃ入ろ」と案内した。


意外にも、街から外れたこの水浴び場は女性には知れ渡っているのだろうか。10人以上の女性が水浴びを楽しんでいた。


水の温度は冷たくはあるのだが、しばらく入ると慣れて心地よくなる。


 冒険者たちだからだろうか、皆体の引き締まって美しい裸体であった。目の保養として色々な人をチラチラと見ていたのだが、だいたいの女性と目が合ってしまう。

 目が合うたびに気まずく感じるのだが、これほどまでに目が合うと言うのはどこか不自然だった。


 ここに連れてきてくれた彼女とその仲間たちと話をしていると、他の女性たちも少しずつこちらに寄ってきているような気がする。


「あんたらここ知らなかったみたいだけど新人?」


ゆっくりと頷くとイタズラな顔をした彼女は


「じゃうちらのが先輩だね。うちらB級だからさ」


マウントの取り合いが始まりそうな言葉に少し警戒するものの、彼女はそのまま明るい口調で続けた。


「わかんないことあったら聞けよ。うちらは南側の〈彫像広場〉近くに宿とってるからな」


〈彫像広場〉とはどうやら〈噴水広場〉からそのまま通りを真っ直ぐ南へ行けばつくらしい。

 名前の通り、彫像が並ぶ広場で主にC級以上で4人以上のパーティを組んでいる人たちが利用するエリアなのだそうだ。酒場も宿屋も、全て4人未満はお断りとのこと。


「うちはアグニ。ここの国の人間じゃないけど、繁殖月まであの街にいるから誘えよな」


高等級の冒険者は色々な場所に旅立つものかと思われたのだがそうではないようだ。彼女たちはこれからA級の依頼のために準備をしているようでしばらくセントラルに滞在していると。


 久々の身体を水につけて安らぐ時間を満喫しながら、色々な冒険者たちと話を弾ませたのだった。


 男性にとっては夢にまで見たような光景だろう。見渡す限り女性の裸体が見放題のこの水浴び場は。

 しかし、女性たちが揃えばかしましい。そう言われるだけのことは、ある。


「そういえばあんたらはD級なんでしょ?パーティはだいたいC級からだけど男はいたほうがいいよ」

「どうして? 別に武適性持ちがいれば頼る必要ないんじゃない?」


心底不思議に思う俺とアヤに4人は笑いながら言った。


「オトコがいないと、冒険は楽しくない!」

「女で集まるのもいいんだけどね、男が1人いるだけで変わるよ」

「私たちは女4人に男1人だけど、本当にちょうどいいから騙されたと思って考えておいたら?」

「等級上げないなら男はいなくていいけどね」


様々な意見。様々な思惑。彼女たちは一体何を体験したのだろうか。少しこの先の話に嫌な予感がした。


「男いるとねー色々と捗るよ?」

「……捗る?」


俺の返事にまた周りは追い討ちをかけてくる。


「あら? そんな体してて男もまだなの?」

「うっそ?! 早く体験しときなさいよ。病みつきになるわよ」

「ある程度慣れてる男の方がいいぜ。慣れてない男だと後腐れが面倒だから」

「冒険者やってるとちゃんと体力あるから、1回以上は持続する人多いの」


不穏な話になり始めた。麗しいはずだったここの女性たちは段々と本性を露わにしていく。おかしい、こんなはずじゃなかった。こんなはずでは。

 女性経験のない俺はそもそも、ここまで女性と近くで話す経験もなかったため想像の世界の女性しか知らないのだが。


 この世界の貞操観念がおかしいのか、知らなかっただけなのか、深く考えるのをやめた。


「さっきのブラジャーって言ってたけど見たことない形状だった。普通につけてるものと違いがあるのか?」


先ほどもブラジャーに興味を持っていたのだが、この世界にない形状なのだろうか。


「どうなのかしら? 私はあまりわからないけど、自分のサイズにしっかり合うものであればだけど。綺麗に見せたり、揺れるのを抑えたり、あとはそうね。肩凝りがかなり減るのが1番大きいかもね」


ユルズに説明された通りの話をした。それは人の褌で相撲をするような虚しくも、後ろめたい気持ちになる。

 そういえば脱ぐ時に周りを見ていたがスポブラのようなブラが主流だったようで、俺のような現代的な形のものをしている人は確かにいなかった。


 あまり目立ちたくない……というより他人と違うもので浮きたくない。そんな気持ちが芽生え始めた。


「港街に外国の下着を売っている店があるらしいから、Cランクになったら連れて行ってやるよ」


そんな社交辞令を聞きながら水浴びをの水の心地良さに身を委ね、今の話を水に流してこの光景を脳裏に焼き付け目を閉じる。


 アヤと組み始めてからその後もどんどんと依頼をこなしていた。いつも彼女との仕事はお昼まで外で依頼をこなし、午後には彼女の探し人を探しながら街中のE級依頼をする。


 E級の依頼はとても有意義で、洗濯屋の依頼や、肉屋の依頼など冒険者生活する上で身につけて損はないものも多い。

 洗濯屋の依頼は完全に手伝いではあるのだが、この世界の洗濯を知り、数日で終わらないような依頼を受けても自身で洗濯が出来るようになる。

 肉屋をやるのは血抜きやる際の抵抗も少なくなるほどに肉を捌くことになり、手を血に染めることに慣れた。


 私たちの世界でも、そのような人がいたからこそ感じなくて良かった"殺生"という罪。

 全ての仕事に意味と誇りがあるのだと、そう、感じれた。


――


「ふう、C級の討伐依頼でも大丈夫そうね」


体長3mほどの、獅子の頭を持つ熊の上に腰掛けて一息吐く2人。ところどころ土埃を被り汚れたローブを手で叩きながら俺は言った。アヤの方も投げ飛ばされた一本の木を避ける際に枝が引っかかってしまったのだろう、服がちらほらと破れていた。

 C級の魔物ともなると確かに強かったのだが、それ以上にこちらの実力は上回っていた。ただし、D級までとは違い一方的な狩りではなく駆け引きが生まれるほどには手応えのある標的だ。


 今回討伐した魔物も木を容易く折り、それを丸ごと投げてくるほどの力を持っていた。もしあの木に当たれば普通に死んでしまっていただろう。そんな想像しながらも、確かな自分たちの力の強さを実感した。


「とりあえずこれでC級依頼は残り1個! 晴れてC級冒険者ですね」


4つ目のC級依頼が今し方片付き、午前の依頼を終えて街へ戻る。



 C級依頼は基本的に街からかなり離れた場所になることも多く、1日に1つ程度しかこなせないが、代わりに中銀貨1枚と報酬は悪くない。

 D級の依頼50個のノルマが終わった時には財布も潤っていて、2人は無事に馬小屋から2人部屋の宿屋に寝泊まり出来るほどになっていた。


 泊まっている宿屋は1階が酒場になっているだけでなく、食料を持ち込むと調理までしてくれてその上、チップ以外の料金を取らない。

 そんな優良物件の宿屋に先ほど討伐した熊肉を渡しお昼をとっていた。


「ここ最近ずっとお肉よね。サラダでも注文しようかしら?」

「私はずっとお肉ばかりでいいんですけど! お肉美味しいじゃないですか!」




 以前ギルドに、血抜きやら素材やらだけを代わりに回収する冒険者はいないのか尋ねたのだが、いなかった。

 ただ専門ではないが、個人でそのような技術を持つ人を雇うと言ったことが主流なようで、B級以上の冒険者はそういう仲間を引き連れているのは珍しくないそうだ。

 というのも、馬車を購入したり、その維持費も掛かったりと高等級でなければ難しいためだという。

 今の俺たちではまだまだ先の話になりそうだ。



「ところでなのだけど、今日はお昼からも続けてC級依頼受けちゃわない?」


お昼を終え立ち上がるアヤに提案した。彼女は少し考えながらあまり乗り気でない表情をする。


「これだけ毎日探してみても見つからないじゃない? もしかしたら、その人はS級でスタートして違う街に行ってるのかも」


その言葉で押し切って昼からもC級を受けることに納得してもらった。頭を抱えた彼女は、その可能性を完全に忘れていたようだ。



 ギルドに向かう最中、アヤが何かを思い出したように言った。


「ひとつ思い出したことがあります。探している主君は私より背が低いのです」


アヤの身長はどう見ても150cmほどしかない可愛らしい背をしているのだが、それより低いとなると……


「……幼女?」

「ちっ、違います! しっかりとしたお方で自分の芯を持っておられた気がします!」


曰く、こうやって俺と話している時は、俺が170cmを超えているため上向きに顔を上げているのだが、記憶の中に残る彼女は下を向いて話していたのだとか。

 そもそも彼女の情報源はセントラルから帰ってきた冒険者に聞いたらしい。恐らくそれはリンドウだが。彼とは共に行動していなかったため、どこかで出会っている可能性はある。どこかで一度リンドウに聞いた方が良さそうだ。


 冒険者ギルドへ顔を出すとギルドマスターが俺達を迎えた。

 ホープタウンでの業務を終え、セントラルに先ほど帰ってきたばかりだという。


「元気そうでなにより。折良く君にお願いがあるのだがいいかな?」


彼は有無を言わさず自身の執務室に俺たち2人を案内した。緊急性のあるものなのだろうか、と緊張していたが彼の様子を見るにそのような事はなさそうだ。


「君たちはC級依頼を請けれるから本当にちょうどいい案件なんだ」


そういう彼は机の本を取り、表紙に積もっていた埃を手で払い差し出した。

 〈トンネル工事経過報告書〉と書かれたその本には現在D級依頼として出されているトンネル工事で起こっている問題が纏められていた。この依頼は武適性持ちが優先されるのだが、俺は持っていないため受注する事はなかったのだが、手伝いに行けということなのだろうか。


「最近その工事場所で岩盤崩落が相次いでいてね、恐らくストーンサラマンドラが中で地盤を食い荒らしていると思われる」

「討伐依頼ですか?」

「いいや、調査だ。あいつは小型であればC級でいいのだが、大型になればBかあるいはA級に依頼を出す手筈になる。そこで君に大型がいないかを調査してきて欲しいんだ」


初めてのギルド直々の依頼に心躍らせていたのだが、少し贔屓をされているようで心苦しくもあった。


「どうして私たちになんですか?」

「折良く、と言っただろう。実はその依頼は発行されてもう1週間以上経つ。つまり誰もやってくれていないんだよ。特例という訳ではないから援助はない」


その言葉を聞いて少し安堵したが、同時に不人気な理由も少し気になりつつも受諾する。


 その後、文献でストーンサラマンドラを調べることにした。本棚から適切な図鑑を選び取る。その手際は依頼を請ける度に調べていたので慣れたものだ。

 ストーンサラマンドラはどうやら頭の丸いトカゲのような見た目で小さいもののサイズでも体長1mともはや山に居るワニのようであった。

 鉱物を主食とし、その食べた鉱物によって自身の属性が変わるそうだ。火山近くの個体は火属性を持ち、水脈近くの個体では水属性を持つということがわかっている。

 また弱い神経毒を持つが致死性を持たない。しかし、大型になるとこの毒性も強力になり死亡例もあるそうだ。

 また図鑑には排泄物なども記載されており大型がいるかどうかはその大きさで確認出来そうだ。



――





 何故この依頼が不人気なのかは、街を出てすぐに理解する。


「はい、準備できてます。こちらお代として中銀貨2枚です。帰りの際に破損等がなければそのまま中銀貨をお返ししますのでお気をつけて」


 ――初期費用が高い。

なけなしのお金を支払い袋が大量に乗った馬車を引き渡された。どうやらこれにストーンサラマンドラの素材やサンプルを載せて持ち帰るのも任務らしい。

 中銀貨2枚って明らかにおかしい。返還されるとは言え、C級依頼をこなして得られる報酬が中銀貨1枚であるのに、それを受注するのに2枚必要となるのはC級以上の人しか請けないだろう。

 一気に財布の中身がなくなり悲嘆にくれた。むしろこれなら特例で初期費用なしにしてくれたほうが良かったのに。

 一度しか扱ったことがないものの、馬車の馬はこの前と同じだったようで、あっちは覚えていてくれていたが、俺は忘れていた。


 以前と同じように1つ目の関所に荷物を下ろし、サラマンドラ調査の依頼書にサインを貰った。これは運搬依頼も含まされているのだろうか、別途で請求したいところだ。



 そしていよいよトンネル工事の行われてる関所へと到着した。昼過ぎに出発したのだが陽は傾き始めたところだ。どうやら調査依頼の人は工事している冒険者同様に食事と寝室を割り当ててもらえた。

 宿泊施設はあると聞いていたがまさか無償だとは思わず、予期せぬ朗報に2人で喜んだ。まだ陽は出ているものの、馬車での移動に疲労が溜まったため翌日から調査に乗り出すこととした。


 このような工事場所の宿舎などあまり良くないイメージではあったのだが、街の宿場と遜色ない施設に心底驚く。

 それどころか少し食事の質は良く夕食はステーキとコンソメスープにしっかりエールまで出た。エールは1人2杯までという制限はあるのだが、基本的にはこれまで俺たちのしてきた生活の質よりはかなり良い。


 大変そうではあるものの毎日D級2個分に、衣食住の揃っているこのトンネル工事の生活は割は良さそうだと思えた。


「ねぇ、そこのあなた。ここの生活はどのような感じなの?」


夕食に隣に座っていた作業服を着た冒険者に尋ねる。彼は俺の容姿を見ると少し驚きながら答えてくれた。


「俺は割と気に入ってるかな。C級冒険者なんだけどさ、装備とか揃えるお金とか考えたら、もうしんどくて公共事業の依頼しかやってないんだよな」

「公共事業?」

「ここのトンネルは国の政策として依頼されてる工事なんだよな。それ中心にやる冒険者も珍しくないけど知らねぇの?」


 全員が全員魔物を狩猟して生計を立てているわけではない。このような工事を専門にする人もいれば、兵士になるために冒険者になる人もいる。

 段々と冒険者とは何なのかわからなくなってきた。


 明日からの調査の為に崩落事故と聞き込みの為に色々な人に話を聞き情報を仕入れることにしたのだが、少しだけ意外なことがある。

 あれだけ凛とした態度のアヤであったのだが、猛烈な人見知りだった。俺といる時には微塵もそのような気配を見せる事はなかったのだが、今思えばアヤは俺が他の人と話す時には俺の陰に隠れて一度も話していない。

 少しだけアヤのことがわかったような気がして彼女がより近くに感じた。

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