第11話

 依頼書10枚を鞄に入れて意気揚揚とギルドを飛び出した。外はしっかりと陽が照っており空も雲ひとつない澄み切った晴れだった。

 最初の依頼を実はもう既に決めていた、それはまさに"公衆トイレ"の掃除だ。自分がトイレしたいのもあるが何より汚いトイレでするというのは精神的にダメージがひどい。昨晩のトイレも座ることの出来なかったせいであんな奇行をするハメになったのだから早めに改善しようと。夜だったのと酔っていたこともあり気にしていなかったのだが、昨日俺が用を足したとき灯りもついていて気付けたはずなのにトイレのドアを閉めた記憶が無かった。下手すると昨日ジスカルドに見られてしまっていたかもしれない。しかも昨日立ってしていたから余計に奇行を見られていたら死ぬほど恥ずかしい。俺の頭の中は恥ずかしさでいっぱいになり八つ当たりのようにトイレの掃除を始める。

 魔適性限定とのことだったのだがそれはつまり水魔法などを使い掃除をしろと言うことなのだろう。依頼内容からある程度の推測をしながらやり方を考えていた。まずは汚れを全て落とすところからだ。幸いにも俺は複合魔法が使えるため雷が使える。そこで化学の分野を利用せねば勿体無いというものだ。掃除と言ったら、電解水!学校で習ったことを必死に頭の引き出しから探す。学生の頃なんて勉強が社会に出たら何の意味があるんだって言っていた人もいたけど、こういう異世界とかに来たら絶対役に立つね、現代だとなんでも簡単に調べたら答えが出て来てたけどここじゃあそういうわけにもいかないんだから。まぁ普通に生活してたらそんなことあるわけないんだけど……でもしっかり勉強しててよかった。

 それは両手を使い水の魔法を両手の間で維持する。おおよそバレーボールほどの大きさを維持した水の玉に両手を当て掴んだ。学校では確か膜を間に入れて電気を流すのだが、それがない。困ってしまった、がなんとか魔力の膜で代用できないだろうか……と一か八かでやってみることに。


「我が魔力を以て顕現せよ、水の中を走る雷よ。雷の力により水をふたつに分ち、異なる水を生み出せ」


トイレから青白い閃光が外へと飛び出し、周りにいた人は大声をあげパニックになっていた。そんなことなどお構いなしに俺は水の電気分解に全ての心血を注いでいた。右手をプラス極に左手をマイナス極に電流を流し続けた。あるところで段々と水の玉は分かれ始め、最後には右手と左手それぞれに水の玉となり分かれた。多分……成功なのかな。確かマイナス極側に溜まるのが掃除用の電解水でプラス側が殺菌の電解水だったはず、と頭の引き出しを探してもいよいよ確証は得られなかったので自分の勘を頼りにその水の玉を使い掃除を始めた。洗浄し、その後殺菌をする。そして水で濡れたトイレを火と風の魔力を使い熱風を作り出し乾かす。地面は土でだったため人が利用する度に地面は削られ凸凹していたのだがそれを土魔法でガチガチに固めて石のように硬い土で補強した。ある程度の綺麗になったところで、尿意を催した。男と違い女の尿意は深刻だ、男であれば出したいとなってもかなり長い時間堪えることができるのだが、女の場合はしたくなったときには割と長くても20分くらいで限界が来る。未だにこの感覚の差に慣れないのだがとりあえず少しでも感じたらトイレの準備をするくらいにしておくことで事なきを得ていた。早速このまま……と思っていたが使用する際に小銅貨を入れていないため入れに行く、ルールを守るのは大事なことだ。そしていよいよしようとしたところで忘れていた。そもそもこのトイレには洋式の便器はあれど、便座がないのだ。パニックになればなるほどおしっこが近くなり、いよいよ漏れそうに。どこぞの物理学者のように頭の思考をフル回転させて導き出した答えは……左足だけショーツを脱ぎ右足を便器に乗せて用を足す。チュニックをめくりスカートをまとめて抱え飛ばさないように注意してやるしかなかった。本当にこれが正解なのだろうか……不安になりながらも無事に済ませられたのだが、後でリーリアに聞いておかなければと頭を抱えた。二度もやらかしをしている気分だが、さっさとトイレ掃除を終えて次の依頼に行こう。


 30分ほどでトイレ掃除を終えると小銅貨を入れるポストが開き中の小銅貨を報酬としているようだった。しっかりと袋が中に付いているのだが恐らくこれは中身を取ったら戻さないとなのだろう。かなりずっしりと重い袋を眺めながらため息を吐くと正面に両替をしている商人が目に入る。すぐに両替商のところに持っていくと彼は慣れたようにその袋から小銅貨を瓶の中に入れると光出した。


「427Cね、はいこれ。早く袋戻してやんな、あそこでトイレ待ってる人いるよ」


両替商は日常のように事務的に済ませると袋を返し、顎でポストを指した。ポストに袋を返すとすぐに入れてトイレに入る人が。ちゃんとルールを守ってて偉いなぁという感想しか出てこなかったのだが、そのルールを守ってるからこそしっかりと回ってるんだと再認識させられた。

 トイレ掃除をするだけで427Cも報酬があったのだが、それほどまでの間掃除されていないのかと思っていたが、427回なんて多分1日も経っていない気がした。単純にこれまでの掃除は便器だけを掃除していた可能性が濃厚だと思うが、この街に滞在している間はまた利用することもある、なのでそのときな改めて確認することにした。


 次の依頼は用水路の掃除だ。依頼が出ていたのはどうやら街の下水部分の用水路のようで街の人に場所を尋ねながらその場所を目指した。住人によるとこれはトイレとは別の下水のようで手や足の泥などを流す水の下水らしい。

 そのせいか流れの詰まっている原因のほとんどは草や土だった。どうやってこれまでの人は掃除していたかを聞くと、農具や魔法で下流に押し出すそうだ。最後の終着場所は魔物のスライムの溜まり場になっておりスライムがそれを捕食して綺麗な水に戻すそうだ。下級モンスターにも意外な使い道があるのだなぁと感動した。

 今回はやり方も軽く聞けたところでここでも魔法でサクッと清掃をする。水と風を合わせた魔法でヘドロや草をまとめて押し出す。みるみるうちに綺麗になっていき、黒くくすんだ用水路の壁も驚きの白さを取り戻した。奥に流れたヘドロたちは次々とスライム溜まりに流れていく。スライムたちの様子を見るとしっかりと上は金網が張られていて人がうっかりして落ちることがないように整備されていた。ヘドロや草たちがスライムたちに少しずつ分解して完全に消滅しいく様を眺めていた。


「よお、ヒカリ。朝から精が出るな」


ふいに後ろから昨晩ぶりの声を聞いた。しかし後ろというのは馬小屋なのだが、まさかと思い振り返るとジスカルドがそこにはいた。


「あなたも馬小屋のお仕事?」

「いいや、俺はここで寝泊まりしてたんだ」


どうやら馬小屋の馬がいない馬房で冒険者に貸し出しているようだ。彼は宿屋ではなく、馬小屋で寝泊まりしているようなのだが、1泊中銅貨1枚とかなり破格の値段で宿泊出来るそうだ。彼は苦労しているのだろうか、昨日の介抱や色々教えてくれたお礼として大銅貨1枚を渡そうとした。


「おいおい、やめろやめろ。俺はそんな惨めな生活してるつもりはねぇよ、それに昨日のは……もう受け取ってるから気にすんな。まぁ夜寂しくなってもよ、馬が寝てるとこ行って撫でてやって、そうやって寂しさを紛らわせたりもできるんだぜ」

「そうなのね、馬可愛いものね、私も好きよ」


彼との会話がそこそこ盛り上がったところでまだ依頼は残っているからと切り上げて他の街の整備の依頼をこなそうとするとジスカルドはそれを止めた。依頼をこなす順序というものがあるようで12時までなら先に薬草採集や魔物討伐がいいとのことだった。薬草は夜のうちに大気にある魔力の源の魔素を取り込み陽が当たり始めるとそれを消費して成長するらしいのだが、その魔素とやらが残っているものを回収するのが大事らしい。また魔物は夜活発に動くようで昼前後は一番鈍化しているそうで、更に"野良"魔物と呼ばれるいわゆる孤立しているのは昼間前後だそうだ。夕方になると群れになり始めるらしく、E級だと手も足も出ないそうだ。


「これもなにかの縁だ、ちょっくら新人に先輩らしいとこ見せてやるかね」


ジスカルドは馬房から荷物を取り出し、一緒に依頼を手伝ってやろう、と街の外に案内してくれるそうだ。どうやら街の外へ行く門というのは二種類あって、冒険者用か商人用だそうだ。冒険者用というのは22〜4時の間しか閉まっておらず基本は空いている、そして商人用というのは10〜19時の間しか開かないそうだ。検問所があるのは商人用とのことで今まで利用したのは商人用だったらしい。冒険者用の門は遠くからでもわかるようになっており城壁の上に松明を燃やした櫓がある場所が冒険者用らしい。遠くから今まで使っていた方をみたがそれらしいものは見当たらなかった。

 冒険者用の門に着くと彼は門番に腕輪を見せ、門番は立方体のキューブのようなものをそれに翳して通行を許可していた。俺の番だがあれだけスムーズにされてても少しだけ緊張してしまう。指輪を出し同様に翳してもらうと門番は少し顔をしかめ俺の顔をまじまじと見たが、普通に通行の許可された。


「なるほどな、昨晩なかったのは指輪に加工してもらっていたのか、新人のくせに洒落やがってー」


茶化してくる彼に少し苦笑いしたが、彼はそのまま他のお洒落な冒険者たちの話をしながら歩き出した。


「ピアスの人もいれば首輪にしてるやつもいたな。それからネックレスのやつもいたが今じゃ禁止にされたっけな。まぁこの中に埋め込まれている宝石に魔力が宿っててな、これが個人を特定してくれるようになってんだよ。だから冒険者の死体とか見つけたらこのギルドの証を回収してギルドに持っていくようにするとそいつのお墓が作ってやれるからな、まぁ大金や名声を手にしても死んだら墓標しか手に入らねぇ……命は大事にしろよ」


彼は笑いながらも真剣な眼差しをしていた。そんな彼だが装備は思ったよりも軽装で片手斧と短剣が2本、そして手投げナイフをいくつか持っているだけだった。普段はハルバードという槍と斧を合わせたようなものを得物としているそうなのだが、E級の依頼程度じゃ使わないそうだ。どちらかというと大物を狩る時に向いているそうで小物であれば取り回しのいい片手斧を使っているのだという。


「そういえばヒカリは魔法を使うんだろ?杖はどうした」

「杖は緑色の巨人と森で出会った時に折れちゃって、今はそのままってところね」

「緑の巨人……?トロールあたりか?よく無事だったな」


全然無事ではなかったけれど、生きているのだから無事か……と考えていたら彼は俺の頭をワシワシと撫でた。


「頭触らないでよ、髪の毛乱れちゃうじゃない!」


少しイラッとしたが彼も悪気はなかったのだろう、悪いと謝られたので怒りを抑えることにした。

 薬草採集で集めてこいと言われる薬草は平原のど真ん中辺りにでもあるのかと予想していたのだが、ほとんどが森の中のものだそうだ。平原にあるものだと見晴らしがいいため危険もない、依頼する人自身で集めてしまうのがほとんどのためよほど数多く仕入れたいときなんか以外ではないのだという。

 獣道のように人が何度も通った足で踏み慣らされた道を辿り森へと足を踏み入れた。陽が入り込んではいるが木々が遮り、地面は少し薄暗くなっていた。ジスカルドは3mほど前をゆっくりと歩き足音を出さないようにしていた。見様見真似ではあるがなるべく足音を出さないように慎重に歩いていた。そうなると慣れない足取りでペースは落ちてしまうのだが、ジスカルドと俺の距離は変わらずに一定だった。離されないようにしながらも足元を見ながら足音のしないように歩いていると所々で少しだけ背の高い草が踏み倒れていた。前を見ると彼はその少し背の高い草だけをしっかりと踏み倒しながら進んでいる姿を見て、これが彼の"優しさ"なのだと理解できた。

 彼のこのような無言の優しさを理解できる人はどれほどいるのだろうか。俺の歩幅や俺の格好、チュニックは丈が少し長いと言っても膝から下は肌が露出している。その足にこの草の葉が当たって怪我などしないようにと計らったその無言の優しさは、俺の無知による、馬鹿げた格好に文句を言うこともなく何も言わずにやってくれていることがありがたかった。彼の優しさに気付けた俺は自然と笑みを作っていた。

 きっとリンドウもこのような人間のロールプレイを楽しんでいたのだろうな、このような行動はイケメン美男子なんかよりずっとおっさんキャラのほうがずっと箔がついて、似合っている。


 少しすると前を歩く厳ついながらも優しい彼は姿勢を低くし手招きをし俺の到着を待つ。彼の指差す茂みの奥にはは二足歩行をする前屈みの狼の魔物がいた、討伐対象のである2体がちょうどよくそこにいた。彼は左を仕留めるから俺には右側を仕留めて欲しいとのことだった。立っていて1mくらいの小さな子どものようなサイズに少し抵抗はあるものの討伐対象としてあげられるくらいには何かしら危険があるのだと気を引き締める。

 一撃で仕留めるため俺はとっておきの秘密兵器である左手の中指を対象に向け魔力を込めた。爪に彫った歪な文字が薄く青白く光る。

 彼は驚いていたがすぐさま片手斧を構え狙いを定めてカウントを取る。


「いいか、1、2、3で投げるからな。遅れるなよ」


1――――


魔力を込め文字がクッキリと浮かび上がる。


2――――


中指の指先に帯電が始まる。極力魔力を絞り漏れ出ないようにする。


3!


彼が左の狼に斧を投げたと同時に俺の放った雷の魔力が右の狼へと直撃し右の狼は感電したようですぐに倒れ込んみそのまま残った雷が伝播し斧に吸われそのまま斧は左の狼の頭に直撃した。雷が通ったからなのか狼の体毛は帯電しており毛羽立っていた。


「まさか爪にルーン文字を彫っているとはな、恐れ入ったよ」

「ルーン文字を知っているの?これすぐわかるなんて意外と博識なのね」

「いや、なんとなくそうかなってだけで読めもしないし意味もわからねえな」

「そう、私もこれ魔法の師匠に掘ってもらって、私も意味を理解はしていないの」


なんとなくでルーン文字だとわかるようなものなのかわからなかったが、少し警戒して俺は嘘を言った。

 帯電した狼の頭に触れ雷を逃がしてやると頭を撫で狼たちの安らかな眠りを祈った。討伐依頼はモンスターの体の一部を切り落としてそれ用の袋に入れて持ち帰るのが定番だ。2体以上であれば必ず同じ部位に揃えて提出するようにと彼から教わった。しかしこの狼の毛皮は割といい防具になるとのことですぐにその場で彼は捌いてくれていた。狼の肉はあまりおいしくはないらしいのだが、ジスカルドはまだ朝食も食べていないため少し開けたところで調理して食べるとのことですぐに血抜きを始めた。

 彼からあまり離れすぎない範囲で周囲を探索すると小さな川がありその川辺が開けていたためそこで朝食を作ろうと提案すると木にぶら下げた死体を下ろし、血が滴った場所に土を被せて証拠を隠滅して移動した。川に足を浸し森で汚れた土汚れを落とすとジスカルドも狼の毛皮を洗い始めた。


「こういう汚れとか落とすのはどこの川でもいいってわけじゃないんだが、この皮は整備もされておらず街に流れる川でもないからいいが、街に流れるところでやると重罪だから注意しろよ」

「そんなのどこで区別するのよ、普通じゃわからないわよ?」

「例えば川辺にしっかり堤防があったり、そもそも地面から浮いた位置に水路を分けてたりするからわかるんだが、俺も駆け出しの頃は厳罰喰らっちまったからな、街に住んでる奴らなら常識かも知らんが俺は田舎育ちだから詳しくなかったんだよ」


彼は苦い昔話を語った。重罪と言っても死刑にされることはないものの、強制労働や街でE級依頼を1日10個ずつやらないといけなかったそうだ、それも期間月の間ずっとらしい。

 そんな話を聞きながら川辺を散策していると目的の薬草が見つかった。どうやらこの薬草は水辺に近いところに自生しているのだろう、その周辺にもいくつも群生地があった。


「お、薬草あったな。これはこの花弁が薬になるらしいから上の部分だけ、そして必要な個数だけを取るんだ。またここの森で取れるようにするために取り尽くさないようにな。もう一つの依頼の薬草はこいつの葉っぱだな」


彼は慣れたように8個ずつ摘み、残り2個ずつを自分で取るように促す。


「やっぱりその知識は厳罰で覚えた知識なのかしら」


意地悪のようにふふふと笑いながら言うと彼は豪快な笑顔でうるせぇよと返し2人で笑っていた。薬草をそれぞれの部位毎に依頼用の袋に入れて届けたら達成だ。


 外に用がある依頼は残るはゴブリン3匹の討伐だけとなった。


  皮と肉をしっかりと切り分け皮のほうは先ほど川で洗って干していたが、肉の方は血抜きの際に内臓を取り出して綺麗にしたがやはり込み上げてくる臭いというのは強烈だ。この臭いを嗅いだ後での食事は相当悲惨なものだろうと思考を巡らせていた。そんなことを知る由もない彼はウキウキで彼の胃袋を満たす肉へ期待を膨らませていた。

 ステーキのように切り出し、川辺の大きな石を使って焼いた狼の肉は少し血生臭く、そして美味しくはなかった。


「まぁこいつの肉はこんなもんだ、でも間違いなく栄養だからちゃんと食えよ」

「もちろんよ、私たちが奪った命だものね。あの子たちを食べて私の糧となって……私たちは生きているのね」

「深いこというが要は、命を頂くってこったな。美味いに越したことはないが食えるならちゃんと頂戴しないとな」


俺も朝食を食べていなかったため、食べたのだが2枚も食べたらお腹いっぱいにもなる。彼は6枚食べてお腹が膨れたようだが本当によく食べるものだ。しっかりと2匹分の可食部を食べ尽くすと、死骸を穴に埋めて埋葬した。


 朝食が終わると次はいよいよゴブリンを探しに行くことになるのだが、ゴブリンは東側の山沿いにいるのだという。今北西にいるここからだとかなり遠いのだが、街に一度依頼の品を納品してから出向くのも悪くはない。

 狼の討伐の証拠として毛皮を剥いでくれていたのだが、今回のは素材価値があるため毛皮にしたわけで、素材価値がない魔物であれば身体の一部を提出するというわけだ。まさにこれから討伐に向かうゴブリンは素材価値がないそうだ。しかし、毛皮というのを剥ぐのにもかなりの知識と技術がいるはずなのだが、冒険者というのはそういうものも身につけないとけないのだろう。

 よくよくゲームを思い出してみる。これまで魔物を討伐すれば自動的に素材が手に入っていたのだが現実ではそんな美味しい話があるわけがない。素材価値があるかどうかの品定めをする技術も必要になるし、それを綺麗に切り出す技術もどこかしらで身につける必要がある。本当にゲームというのは気楽で雰囲気だけ楽しめるものなのだなと良さを痛感した。

 街に入る際もギルド証を使えば本当に難なく入ることができ、冒険者ギルドへ依頼品を納品してきた。それからついで掃除が終わった部分の依頼書を提出するとその場で報酬が支払われた。

 ジスカルドは毛皮分の報酬を差し出してきたが、捌いてくれたのも彼なので受け取るのを断った。


「それから、森で私の足に当たりそうな草を踏み倒してくれていたでしょ。嬉しかった、ありがとう」


感謝を告げたとき、彼は顔を真っ赤にして恥ずかしがっていた。こんな男でも顔を真っ赤にすることもあるのかと笑ってやった。

 それから冒険者ギルドで彼は武器を預けていたようで、自慢していたハルバードをギルド職員から受け取っていた。彼はB級依頼書とC級依頼書2枚を手に持ち、そしてギルド職員から封筒を渡されていた。彼もしっかりと冒険者なのだから当然だろう。

 彼に率直に封筒の内容を尋ねたのだが、その封筒にあるものはギルドからの依頼で他人に口外してはならないものだという。B級依頼書は東の山を越えた先にある港街で詳細を聞くため今はおおよその事しかわからず、C級依頼はそのB級依頼を受けるための港街へ運搬依頼だった。


「俺は今日この街を立つんだ。ちょうどこれから東に行くだろ?そんでお前はゴブリン倒したらそのまま街に戻って俺はそのまま東に行くって感じだな」

「そう、なのね。それで港街へ行ったあとはB級依頼やるから帰ってこないのかしら」

「まっそんな落ち込むなって。俺と別れるの寂しいんだろうが、冒険者なんてのはそんなもんだ。しばらくは港街で依頼をこなして生活するさ」


実に冒険者らしい、気ままな生き方だな、と感動した。それがこの世界で冒険者として生きていくということなのだ。彼のずっしりとした大きな荷物を見たときら彼はこのまま行ってしまうのだという実感がして少しだけ心が締め付けられた。


 彼に連れられ辿り着いたのは人が全くいない検問のある商人用の門だった。門番に依頼書を見せるとそのまま通され馬車のところへ案内された。馬車の荷台にはパンパンに荷物が乗せられ、人が入れる場所はなさそうだ。1頭の馬が引く馬車にしては大きすぎるほどの荷台なのだが、この馬は足が遅い代わりにとても力が強くこれくらいの荷物は大丈夫らしい。彼に呼ばれ馬に挨拶をすると馬は元気よく鳴き、頭をこちらに差し出した。撫でてやれ、彼はそういい馬の額を撫でていた手を退け、俺に撫でる場所を明け渡した。スレイプニルよりは小さいが確かに力強さを感じる顔に安心して手を添え撫でる。目を細めた馬が少しだけ嬉しそうにしている気がした。


 かなり高い位置にあるダッシュボードにジスカルドの手を借り乗ると馬車は広大な山々に囲まれた大地を走り出した。

 こちらの門から見える景色は見渡す限りの小麦畑が広がり、少し高い丘には2基の風車が澄んだ空にそびえ立ち気持ち良さそうに全身で風を受けていた。北東には俺たちの街のあるホープタウンが大樹の枝に見えた。

 隣に座る彼は真っ直ぐに遠くに見える関所を捉えたまま馬を操っていた。まだ関所まで遠く色々とこの世界のことを聞くのには申し分のない長さがあった。

 冒険者というのは基本的に自分の所属する地方の冒険者ギルドを中心に立ち回る冒険者が多いそうだが、下級の冒険者はだいたい城郭都市セントラルガーデンを目指す人が多いそうだ。E級、D級の依頼というのは基本的に街単位で管理するもので地方であれば依頼数が極端に少なくなる。そのため依頼の数が圧倒的に多いセントラルでC級まで昇格して自由に冒険を始める人が多いのだそうだ。


「実はC級冒険者って一番多いんだぜ」


現C級冒険者の彼曰く、B級に上がってしまうとB級依頼が出れば参加なりしないといけなくなりその分武器やら防具などの装備もいいものを使ってより安全にしなければならないし、1日で終わらないものも少なくない。そのためB級依頼をこなすのにも費用がかさみ、負担が大きくなる。その点がかなり重くのしかかりB級に昇格しないのだそうだ。

 それにC級であれば少し背伸びしてB級依頼をこなすパーティへも参加できるため、無理する必要がないのだ。C級もあれば十分だと思う冒険者が多い中、彼はこれからB級に上がろうとしている。


「あなたはどうしてB級を目指しているの?」


思わずでた俺の質問に彼は少し不思議だな、という顔をした。


「馬鹿野郎。そりゃ誰だって憧れちまうんだ、A級冒険者ってのに。C級で6年だらだら日銭を稼いでた俺でもC級なんかで終わりたくねぇって野心があんのさ。それにな、C級冒険者の武器屋ってのよりA級冒険者ってほうが絶対人気でんだろ」


自分の将来を語る彼は活き活きとして、どこか楽しげだった。

 ふと俺は昔の自分を思い出した。毎日働いて、テキパキ仕事して。最初の頃の仕事の目標なんてものは些細なもので、目の前の仕事を定時までにこなせるようになりたい、だった。それがいつしか無事に達成されるようになり、自分の設計図で建つものが出てくると俺は夢を失っていた。恋人がいれば恋人との結婚、そして幸せな家庭を、なんて夢を抱けたのだろうが、そんな日が来ることはいよいよなかった。

 俺の今の夢はなんだろうか、ふと考えてみた。元の世界に戻る、この世界で強い冒険者になる、幸せな家庭を築く、どれもしっくり来ない。元の世界に戻った時に俺はこの世界に未練を残さずに去れるのだろうか、ギルドマスターのように死んで転生したとなれば完全に払拭できるものだが、歯痒い。しかし、元の世界への未練もある。親孝行もせず、親に孫を抱かせてやれてもいない。戻れるなら、戻りたいんだ。

 そして強い冒険者になるといってももうその評価は既にS級とつけられてしまい、目標は既に消失してしまっている。今こうやって地道にE級からやってはいるが、側から見ればただの茶番だ。それをやったところで自分の自己満でしかなく、他者からの評価は何も変わらないわけだ。

 そして、最後の目標は"ありえない"のだ。俺は結局元は男なわけで、幸せな家庭を築くとなれば男と結婚するということになる。中身が男の俺が男を好きになり男と結婚しなければならないということに、苦しさを感じた。

 ギルド"アーク"のメンバーが言っていた

『でもまぁ実際問題1日2日程度なら冗談で面白がれるけどさ、もしそのままだったらって思うと少しゾッとするね。外見が女で中身は男だろ?そういう特徴の人とかもいるけどさ、結構苦しいんだろうな。中身が男だけど男を好きになれなきゃおかしいって見られるんだろ?んで女らしく生きないといけない。なんかな…』

という言葉を思い出し、強く、深く、心に突き刺さる。


 どこかで俺は男に戻らなかった時、みんなの期待を裏切らなかった騙し続けられるという悦びはどこかに存在していた。しかし、男に"戻れなかった"今の現実に胸を強く締め付けられていた。



 暗い表情をしていたのかジスカルドに声をかけられ我に返った俺は彼の顔を眺めていた。俺はふともし自分が本当に女として生きていくのならば、と考え優しく親切な彼をそんな目線で見つめていた。しかし、恋心とは程遠く、友人以上の関係を想像することが出来なかった。結局俺は所詮男だから、男と付き合うとなるとどうしても条件が顔がいいなどのルックスばかりを考えてしまう。まだリンドウのほうがいいだの、ムクゲはそういう目で見れないだの。そして、目の前の彼をそんな尺度で見てしまって申し訳ない気持ちになっていた。


「おい、暗い顔してどうしたんだよ、大丈夫か?」


そう、心配して声をかける彼に不誠実にも俺は嘘を吐いた。


「ちょっと色々とね、故郷の姉は元気にしてるか不安になってしまって」

「ホームシックかぁ?まだ早ぇだろ、せめてC級に上がってからだな」


ダハハと豪快に笑う彼に愛想笑いをして返した。


 馬車は気がつけばもう関所の近くまで到着していた。この馬車の荷台に乗せている荷物の一部を下ろすのだが、この馬車自体は山越えをしないのだという。今は山越えをして港街へ行っているルートなのだが、将来的にその山の麓にトンネルを掘り安全にセントラルと港街の行き来を出来るようにしているのだそうだ。この荷物のほぼ全てはそのトンネル作業をしている人たちへの物資だそうだ。トンネル工事は冒険者の仕事でD級の依頼で作業を受けれるそうだ。報酬は破格で作業に参加した日数の2倍でC級に上がるための依頼達成数を25日でやり遂げることが出来、しかも50Sも貰えるのだという。中銀貨5枚もあればあの宿屋での生活も50日間も働かずに出来るのだ。D級に上がりたての冒険者はこういった工事に参加して達成数を増やしつつ、お金も貯めてC級依頼へと挑むのだそうだ。


 あの関所で荷下ろししたのち、ゴブリン退治へと向かうとのことだ。いよいよ、ゲーム定番の魔物の討伐だと意気込むのだった。


 セントラルの東門から伸びた街道は、山を切り拓いて東の盆地まで延長されていたが、その境界に関所があった。

 関所では、街の入り口同様にギルド証を提示し、門番に照会してもらった上で問題がなければ通行許可が下りるようだ。

 ジスカルドは、慣れた所作で腕輪を見せた。門番は、上等な軍服にも似た服を着ていて、役人らしい雰囲気の男だった。役人――そう思ったのは、彼が、この世界ではまだ一度も目撃していない"眼鏡"を掛けているからかもしれない。

 俺もジスカルドに習って指輪を示したところ、男は少し目を細め、考え込むように、口元を手で隠した。


「……えっと」


何かいけないのか、と俺が言う前に、ジスカルドが慌てたように割って入った。


「こいつはまだ駆け出しの冒険者でな。俺がちょっと面倒見てやってて、運搬依頼を教えてるとこなんだ、見逃してくれ」


唯ならぬ雰囲気に一瞬緊張したようだが、役人のような男はすぐに口角を上げた。


「……では――君、そこの君だ。付添人用の証明書を発行してあげなさい」


彼の部下であろう男が、その指示に返事して、建物の奥へ消えていった。


「ありがとうございます、モージ閣下」


うやうやしく一礼。

 閣下と呼ぶからには、よほどの高官であるのだろうが、いつもは砕けたイメージしかないジスカルドが畏まった態度を取るのが、少しばかりおかしかった。

 モージの部下が何やら筒を携えて戻ってくるのに、それほど時間はかからなかった。中身を確認したモージは頷いて、


「これを持っていれば、"D級未満"の冒険者でも、付添人がいる場合に限り、通行できる。紛失しないように」


差し出された書状を、ジスカルドは両手で受け取った。

 セントラル側に戻るときにも、その証明書が必要になるようだ。冒険者は自由に世界を探索できるものと思っていたが、ランクによる制限が設けられているらしい。

 話を続ける中で、ジスカルドが例の依頼書を取り出し、一帯のゴブリンに関する情報を尋ねたところ、モージは突然眉を上げ、それを取り上げてしまった。


「E級冒険者にゴブリン討伐だと? それも3体とは、そんな莫迦ばかなことが」

「……何か、問題が?」


ゴブリンといえば、大抵のゲームにおいて最低ランクのエネミーに位置づけられている。それがEランクの討伐対象として選ばれていることに、違和感はない。


「奴らは、群れる。厄介なことに知能もあって、群れの一匹を囮にして、獲物を釣るのだ。別大陸からの外来種という意味でも、生態系上の脅威と言える。だから、この緩衝地帯の外には逃さないようにしているのだ」


そこまで言って、モージは依頼書をこちらに返した。

 俺は、頭の中で情報を整理する。


「ゴブリンは、D級以上の冒険者しか入れない地域にしかいないのに、セントラルに依頼が回ってる……」

「あってはならないことだ」


――関所の両側には巨大な山地が広がっている。1500〜2000mほどと目算した。


「あれを越えたんでしょうか」

「いいやヒカリ、そいつはねぇ。ここらの山一帯はな、C級以上しか入れねぇんだ」


その意味は、分かる。山を縄張りにしている魔物はゴブリンよりも遥かに強力で、彼らが不埒ふらちな侵入者を見逃すはずはない。

 他に可能性があるとすれば、下。

 トンネルを掘れば、関所を迂回して平原に入っていける。


「なるほど、頭が回るよな」


同じ結論に達したらしいジスカルドが、俺の方を見て言った。


――駆け出しの冒険者よりも、連中が上手うわてというわけだ。


「早急に対処せねばならんな」


モージは眉間に皺を寄せ深く考え事を始めた。ジスカルドはそんな彼に、とりあえず俺たちで探してみるが他の可能性も考えておいてくれと言いゴブリン討伐に向かった。


 関所を越えた先も、街道は相変わらず真っ直ぐに整備されていたが、左右を山の麓からせり出してきた木立に囲まれていて、安全な旅を期待できそうにはなかった。


 ジスカルドはハルバードを馬車に置いたまま、使い慣れた手斧と短剣を持ち両側にある山の麓を目指して歩き始めた。

 彼から離れないように周囲を警戒しながら歩く。

 特に魔物と出くわすことなく山肌の見える麓に到着した。軽く見て回るが横穴らしきものはなく、地面にも穴は無さそうだ。


 山肌を辿り奥へと奥へと進みいつしか林に入っていた。木々がところどころ山肌を隠し視界が悪くなるほど進むと不自然に木々が山に倒れている箇所を見つけた。

 ジスカルドはそれに全く気が付かなかったようで、素通りしていたのだが何やら違和感があり気になった俺は近くでそれを観察するため近づくと洞窟になっていたのだった。

 木々を倒しあたかもただの倒木たちかと見せかけたカモフラージュされた入り口は割と高さがあり2mほどだろうか。少し頭上に気を遣いながらにはなるが中に入れそうだ。


「ねえ、もしかしたらこれがそうなんじゃない?」


奥を確認している彼に見つけたカモフラージュされている洞窟の入り口を指差した。

 何を指しているのかわかっていないようで彼は訝しげな表情でその指差す場所を凝視していた。


「こんなのよく見つけれたな、これはもしかしたらそうかも知れねぇ」


ようやくそれが入り口だと確認できた彼は武器を構えながら入るのだが灯りがなく何も見えないとすぐ引き返してきた。思っていた以上にE級であるゴブリン討伐に難航する2人だった。


「暗闇に目を慣らして見えるようになってから探索するのもいいがもしどこかで光が入るようだったら目がくらむしどうしたもんかね」


その言葉にピンときた俺はすぐさまチュニックの裾をちょうど良い長さに切るため彼に短剣を借りた。

 そのままだと不十分だったので何度か折り畳みながら彼の片眼に即席の眼帯をつけた。


「これじゃあ視界が遮られて余計に危ないだろ、何のためにつけたんだよ」

「昔、海賊が隠れ家の入り江と外を出入りするときに事前に眼帯して事前に暗闇に目を慣らしていたそうなの。それを思い出して眼帯作ってみたのだけどどう?あなたには後ろを警戒してもらうためにしばらくは今のままで入ってもらって入り口の光が見えなくなったら眼帯をずらして事前に暗闇に慣らした方の目を使う感じね。5分くらいとりあえず目を慣らしましょ」

「本当かよ?」


半信半疑の彼だったが、俺は実際にこれを実験したことがあった。間違いなくこういうところではこの手法が使えると確信していた。


 5分ほど目を慣らす時間を作り俺は洞窟の中で、彼には眼帯をして外でそれぞれコンディションを作った。俺の目が慣れてきた頃に彼を呼び、いよいよ奥へと足を踏み入れた。


 洞窟はかなり深く50mほど進んでもまだまだ奥に続いていた。この長さの洞窟を掘るとなると複数は必ずいる筈だ。用心しながら慎重に足を進める。後ろからの挟撃がとりあえずは無さそうなので彼に眼帯をずらしてもらい暗闇に慣れた目を出してもらう。


「お、これはすごいな。普通に見えるようになってやがる。まぁ片眼ってのが結局視界が悪いが、暗闇に慣れた目だとこんな光がない洞窟でも普通に見えるんだな」


小さく感動していた彼だが、どこか楽しそうな声色をしていた。そしてそこから少し進んだところに討伐対象であるゴブリンが並んで2匹。少し横に広く掘って休憩スペースにしているであろう場所で無防備に居眠りをしていた。


 今なら格好の的であるその2匹を指差し彼に居場所を知らせる。「手伝いはいるか?」と聞かれ少し考え小さく首を振った。


 これまでずっと甘えてばっかだったのだ、1人でもやれるところを見せてやろうではないか。

 俺は左手の中指を標的の片方に向け魔力を込める。落ち着いてやれば大丈夫だ、あの狼も一撃で仕留められるほどの威力はあるのだからと自分を落ち着け集中する。


――1――2――3ッッ


刻まれたルーン文字が浮かび上がり、次の瞬間には雷を発射し狙っていた標的に見事に命中するとそのまま隣の標的に伝播しまとめて攻撃することが出来た。狼を仕留めた際にも実感していたが、このルーンを使った雷の魔法は急襲するのにかなり分がいい。威力もかなり高く今のところ一撃で仕留め切れている。


 ゴブリンを討伐した証としてゴブリンの左耳をジルカルドが切り落としてくれた。俺がどうしても躊躇してしまっているのを見兼ねてのことだが。


「……本当にごめん。私が頼りないせいで」

「そのうち慣れるさ、気にすんな」


 まだ奥に続き先に進むのだが奥からはゴブリンらしき声が聞こえる。複数体いるようで、声が重なってこの洞窟内に反響していた。

 ゴブリンたちを目視出来るようになるまで、洞窟内では何かを壁に打ち付ける音や、すする音がこだまする。


 その音の発信源を探すように一本道の洞窟を慎重に進んだ。しかしその発信源を見つけるより前に不気味な音は身を潜めた。音がしなくなればしなくなるで先ほどの音はなんだったのかという疑問が湧き上がってくる。


 壁に何かを叩きつけるような音はもしかするとまだ洞窟を掘っている音で、それが止んだと言うことは作業が中断したのか、あるいは今日の分は終わってこちらに向かってきていると想定することもできる。警戒をより引き締め奥へと進み続けた。



 先ほど同様に横を広げた場所に到着した。そこには恐らく先ほどの音を発していたと思われる4匹のゴブリンを目視することが出来たのだが、彼らはどうやら"食事中"のようだ。


 それぞれが手に持つ食べ物にかじり付いていた。

 暗闇の中、少し遠くに見える彼らのもつそれらは今しがた狩猟した動物だろうか、手に持っているものがそれぞれヤシの実のようなものの30cmほどに切り分けられた肉だろうか。

 割と人間の原人のような文化的に生活しているのだなと感心していたのだが、ジスカルドの表情は険しい。気を張り、殺気を纏って武器を構えていた。

 さすがに4匹ともなれば気を引き締めなければならないのだろう。しかし先ほどまでのように雷魔法で仕留めるにはそれぞれの距離が開きすぎていて伝播出来そうにない。


 少し戻り彼と作戦を考える。まずは1匹は魔法でそのまま殺し、次の2匹目までなんとかこちらに来るまでに仕留めきれればジスカルドが前に出ている間に3匹目仕留めるという、とにかく相手の有利な場所で本格的な交戦を避け奇襲に徹することにした。


 特に今の彼らは食事中で無防備なのだから余計に成功しやすいと踏んでのことだ。


 手筈を整え彼も投げナイフを構え合図を取る。

 彼の合図と共に放たれた一閃が一番手前にいたゴブリンを仕留めた。


 しかしジスカルドは少し冷静さを欠いており、タイミングより遅く投げナイフを投げてしまい、ゴブリンに躱され2匹目の討伐とは行かなかった。


 先ほどから様子のおかしな彼に気がついていれば、と後悔するもまずは目の前の魔物に専念するように邪念を払い2匹目に絞る。

 ゴブリンたちはすぐさま体勢を整えすぐに攻撃に打って出る。2匹目の標的はヤシの実を抱えた奴に絞り狙いを定めるのだが、ヤシの実を投げて反撃してくる。


 俺は咄嗟に避けることも出来ずにヤシの実を身体で受け止めた。


――――その行動が誤った判断だった。


 2匹目に狙いを定めていた視線は今しがた投げられた"ヤシの実"の違和感に目を向け絶望の相形そうぎょうをしたソレと目が合ってしまったのだ。



 その瞬間、"ソレ"の恐怖が伝染し脳が恐怖に支配されてしまった。


 発動しようとしていた魔法は掻き消され慌てて再び左手の中指に魔力を灯そうとしても上手く魔力が練られず動揺した俺に"死"が歩み寄っていた。


 完全に恐怖に呑まれた俺を救い出したの烈々しい雄叫びだった。洞窟全体を揺らしているかのようなジスカルドの雄叫びは、その場を完全に制した。


 その怯んだ隙を見逃さず、手に持つ斧を俺を襲うゴブリンの頭に正確に投擲する。すぐさま、腰に刺している短剣で彼の目の前に飛び込んできたゴブリンの体を二つに引き裂いた。

 目の前で起こっていることを理解できないままゴブリンは次々と彼の餌食となる。最後の1匹は慌てて背を向け逃げ出すも彼の投げた短剣は容易く逃げるゴブリンの頭を裂き、壁に突き刺さった。



――死を感じるほどの脅威は僅か5秒の間に終結した。



鬼神のように殺戮した彼は大きな深呼吸を一度挟むとそこにはいつもの彼に戻っていた。


「いけねぇな。呑まれちまった」


そう言って笑う彼にそれまでに築いた確かな実力を見た。


 腰を抜かした俺に手を差し伸べ立ち上がらせてくれた彼は先ほどまでの鬼神とは別人だった。



 戦闘を終え冷静になったつもりの俺は腕に抱えた"彼女"と"離れ離れになった彼女"を拾い集め本体の側に並べた。彼女はおそらく意識があるうちに首と離されてしまったのだろう、その痛々しく訴える彼女の目を安らかに閉じてあげた。


 先ほどまで響いていた音というのは彼女を分割するために力任せに切断するための音だというのはすぐに理解できた。

 彼女の体はまだ死後硬直もしておらず柔らかいまま。その柔らかい四肢は食べられ本来より一回りコンパクトになってしまっていた。


 そんなあられもない姿と成り果てた彼女を大地に還すため祈りを唱える。


「此のものに安らかな祈りを。巡れ、再び受肉する其の時まで」


彼女の肉体は光に包まれ、そして霧散した。彼女は衣服を纏っておらず残ったのは腕につけていたギルド証だけだった。


 神聖なものを見るような眼差しで見守る彼は一言も発することなくその様子を眺めていた。

 ギルド証と彼女の所持していた荷物も回収する、そして本来の目的であるゴブリンの耳も。

 耳を回収しようとゴブリンに近づく彼を止めた。


「ジス、短剣を貸して。私がやる。私が、やらなきゃいけないんだ」


――それは直視出来なかった俺との決別のための儀式。


ゴブリンの耳に刃を突き立てる。彼のようにスムーズに切ることが出来ず、何度か刃を往復させ耳を切り離した。その手応えは間違いなく自分がこの世界の一部になったと自覚できるほどのものがあった。


 奥に進むと光が漏れており、外へと繋がっていた。恐らくこの通り道を使ってセントラルの平原へと行き来していたのだろう。

 ジスカルドはそこで漸く口を開いた。


「あれが侮った冒険者の末路だ、覚えておけ」


彼の冷たく言い放った言葉にはとても重みのあり、胃では到底消化出来そうにないものだった。

 もうこの穴が二度と使われることのない、そのために関所に報告して封鎖してもらう。



「御苦労であった。此度の働きの対価だ」


関所に着いた俺たちにモージは銀貨を1枚ずつ差し出した。ギルド証を照会してもらうと。どうやらC級冒険者だったそうだ。C級冒険者であろうと油断し侮れば待つ結末は死なのだと、それはきっとS級であっても変わらない事実なのだと胸に刻んだ。


 既にこの関所に届ける荷物は下ろし終えたようで引き続き次の荷物を届けるために東へ向かった。

 まだ日は高い。洞窟での冒険は些末さまつな出来事の一つでしかないのだ。


 次の関所がが終着点で、それまでに俺は彼から馬車の操縦の手解きを受けた。馬は賢く、操縦しているつもりだったが、どちらかと言えば乗せられていた気がした。


「沈む前に閣下の関所に戻るんだ。夜行性の魔物は強いからな」


 麓の関所へ到着すると次々と荷物が下ろされていく。運搬の依頼は依頼書にサインを貰いそれをギルドに提出して終わりだ。

 彼から最後の手解きを受けるとこれでお別れだと告げられる。気がつけば後ろには5人の仲間が彼の到着を待っていたようだ。

 彼らはジスカルドとパーティを組んでいる仲間で期日の今日までは自由行動の休暇だったようだ。親しげに話す彼らを見ているとふいに疎外感に襲われた。


 どこかでお互いにソロ同士でやっている仲間だと思っていた。突然、裏切られたこの仲間意識は一方的なもので、それを理解しているつもりだったが、得体の知れないその感情が胸を締め付けた。


 すぐに馬車に乗り帰路に就いた。この苦しさから早く抜け出したい、そんな気持ちで馬を走らせようとした。


「死ぬんじゃねぇぞ、駆け出し!」


彼の大きな声で振り返ると手を大きく振っていた。彼のその大きく振る腕には、見覚えのある可愛いレースのついた布切れが場違いのように巻き付けられてた。



――バカ……拾っていたなら返してくれてもいいじゃないの。


悪態を吐く俺の顔は笑顔で、涙を滴らせていた。



 モージのいる関所に着いたのは日が落ち、平原に宵闇が迫っていた。

 俺は付添人のために発行された証書をモージへ手渡した。


「云った筈だがな、付添人がいる場合に限る、と」


眼鏡を右手で持ち上げながら言う彼は何処か嬉しそうで口元は笑っていた。


「閣下、今回の賭けは私どもの勝ちですな」


 モージの部下たちは嬉しそうにして現れた。どうやら俺が時間内に帰ってくるかの賭けをしていたらしい。

 戻る馬車はモージと門番たち6人の乗客が乗り、街へと走り始めた。


「モージ様、私はそんなに愚鈍に見えますか?」


俺の質問に彼は独り言のように呟く。


「山越えをするものだと思っていた」

「私にはそれほどの実力は持ち合わせておりません」


俺の指輪を指し、

「気づいていないとでも?」

と得意げな顔をした。



 街に着く頃には夜の帳が下り、平原を見渡しても関所は暗闇で見えなくなっていた。

 彼らはこれからモージの"奢り"で飲むのだそうだ。誘われたのだが、まだ依頼を終わらせていないと言い断る俺にモージは、


「其れが終わり次第、来たれ噴水広場脇の酒場だ」


と言い残し街へと入っていく。彼の歩き姿は少しぎこちなく、ゆっくりと歩き去った。



 残り4つの依頼に着手する頃には街は少し賑やかで多くの明かりが灯された街へと風貌を変えていた。


 街の整備依頼はすぐに終わる。魔法を使い水でヘドロを洗い流せば作業時間より各所への移動時間の方が長いほどだ。



 今日1日で終わらせた依頼を全てギルドへ報告すると当直で1人のギルド員から依頼分の大銅貨を渡された。依頼の報酬全てで大銅貨10枚だ。

 俺とリンドウが出した結論である1人が1日生活するための金額として概算した金額と一致する。


 受け取った大銅貨はとても重く、そして渡された手には軽く収まった。


 それが俺の冒険者になった初めての日の対価の全てであった。

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