胎動する世界

第9話

 ユルズの元に来てから2週間が経ったが、俺はまだ一度も街へ戻っていない。今、彼らはどうしているのだろうか、無事に生活しているのだろうか、そんな心配を出来るほどまでに俺の精神状態は回復し、ユルズに修行や"生活の全て"を叩き込まれていた。


「ほら、また脚開いてる。しっかり閉じなさい。常に意識して生活していないとこの世界で生きられないわよ」

「いたっ!ちょっと叩かないでよ。ほら手形の跡がついてるじゃん」


 容赦なく叩かれた太腿ふとももに彼女の大きく繊細な手形が赤く浮き出てくる。それほど強くは叩かれたわけではなかったのだが、白い肌に浮き出る赤い手形はとても目立っていた。


「それから、お昼食べ終わったからまた魔法の訓練、ね。まだあなたは高速魔法はともかく、連続魔法は出来ていないから速く身につけないと、ね」

「ちょっと待って、その前にションベンに……」

「汚い、言葉、使わない」


 彼女の怒った顔は綺麗な顔を崩すことなく、目と口元だけで怒りを表す。それがなにより底知れない恐怖を感じさせた。


 こんな生活が始まったのは2週間前にヴェルが放出した魔力が全てあの泉に注がれたあの日から。世界のこれまで止まっていたものが動き出した。これまで食欲も湧かなければ喉も渇かず、肌も濡れなければ、排泄もなかった。

 そして、あの時まであったステータスのHPやSPが表示がなくなり、現実の世界と何一つ変わらなくなった。SP表示がなくなったことで自分があとどれくらいの魔法が撃てるのか、あるいはこの魔法のSPの消費はどれほどなのか何一つわからなくない。魔法をメインに戦闘するということに自信がなくなってしまった。だがそのような状態でも、ユルズは魔法を適切に扱う。そんな彼女に魔法訓練をお願いし、初日はとにかく魔法を、頭が痛くなり倒れるまで撃ちまくる。それで、自分の限界を知り、自身の魔力量もおおよそ知る事が出来た。

 それから、魔法には詠唱は必須ではないことを教わる。頭の中で思い描いた現象を正確にイメージして、それに見合うだけの魔力がピッタリと噛み合うか少しオーバーするくらいで、詠唱なしに魔法を行使することが出来ることが出来た。

 詠唱は頭の中で思い描く現象をイメージすることなく言霊ことだまの力を借りて必要な魔力を注ぐだけで良くなるため、基本的には詠唱の文言を教えて魔法を発動させる。その方が強くなっている実感を得られるため詠唱するのが基本的になっていた。

 しかし、隠密時や奇襲をするときなどは聴覚の優れた魔物に対してこの『無詠唱』を使うようにと彼女は言う。

 俺はこの想像力がとても豊かだったようで、ユルズも驚くほどの早さで習得した。これまで製図したものをより正確に思い浮かべることが出来ていたからだろうか。自分でもこの想像が容易に出来ていたことにそこまで驚くことはなかったが、素直に褒められると嬉しいものだ。出来のよいと思ってくれたユルズは〈連続魔法〉と〈高速魔法〉を指南してくれているのだが、こちらはかなり難儀だった。

 〈連続魔法〉は文字通り、連続して事象をイメージして発動させるのだが同一魔法は無詠唱でも詠唱でもどちらも簡単にできる。しかし、異なる属性のものを発動するのは詠唱では不可能。逆に無詠唱では出来るのだが、今のところ俺はできていない。

 そしてもう一つは〈高速魔法〉。こちらは詠唱するのなら完全に無意味となる、発動した魔法の速度を上げるというものだ。詠唱する場合はそもそも高速化させる文言を加えて詠唱すればいいため、使う必要はないのだが無詠唱の場合は違う。こっちは速いイメージをして放ったところでいつも通りになってしまう。原因としては無詠唱で発動させるための魔力を注いだ瞬間に発動してしまうため溜めを作って発動しなげればならない。こちらのほうは5発に1発は出来るのだが、それの精度を上げている。

 今はこれらの訓練を教わっているところだ。


 さて、この世界で俺が今一番大変なのは排泄関係だ。理由はいくつかあるが、まずいくら記憶を掘り起こしてもゲーム世界のデザインのままあるホープタウンにはトイレがなかった。ギルドハウスにもないため多分この街には存在しないのだろう。リーリアは普通の人間のはずなのだが、彼女はどこで用を足していたのだろうか。そう思いながらも俺は用を足すためにそこら辺の茂みでしゃがんでいた。


 そして、もうひとつは、――俺の身体は女のままであったことだ。



 もう2週間も経つというのにやはりまだ慣れない。それもそうだ、28年もの間、ずっと相棒を握りしめて射出角度や勢い、そして精度を上げてきたピストルは消失し、今や狙いも定めることも出来ない。

 女の体のままになって初めの頃、この歳になってユルズにトイレトレーニングを設けられて死ぬほど恥ずかしい思いをした。けれど彼女は一切笑うことなく真剣な表情を崩さずに熱心に指導してくれたおかげもあってか、今ではパンツを全部下ろすことなく少し下げるだけでトイレが出来るようになった。股を閉じたままするというのは男の頃には考えられなかったが、股を開いてしまうと膝の部分に下ろしたパンツが伸びきってしまいゆるゆるになってしまう。

 またこの世界のトイレはトイレットペーパーではなく、スポンジのような『海綿』というものを使い拭く。通常のスポンジと比べて少し硬かったりするのだが、慣れるとこれは結構簡単に使うことが出来るようになった。女性経験すらなかった俺は、異性の排泄など微塵も考えたことがなかったため本当に色々と苦労させられた。


 そろそろ戻らないとユルズが待っているだろうと思い用を済ませ立ち上がると、「ビリッ」と不吉な音が鳴る。どうやら、立ち上がる際に引っ掛かけてしまったようだ。スカートの破れた箇所はお尻の方。これまでに森で生活するなんてことはなかったため慣れていないのだが、もうこれでかれこれ6回目の引っ掛けだ。流石にユルズに怒られるだろうと思いながらも、どうしようもなくユルズに素直に破ってしまったことを告げに行った。


「もう、これで最後の一着よ」

「それなら破れたままでもいいかも、ボロボロになるまで使い潰して良くない?」


 大きな溜め息を吐きながらユルズはやれやれと首を振った。流石にそれはまずいのだろうか、と思っていたがそもそも、今着ている服もユルズのもので次々と彼女の服を破いていたのだ。ユルズはとりあえず俺に前の小さいキャラの時に着ていた服を使っていいと全て譲ってくれていたのだが、もうさすがに甘えすぎだったと反省した。


「あなたが、もう立ち直っているのなら、一度街に戻ってあなたの着るものを補充しにいきましょ」


 その言葉を聞いた瞬間に、今までギルドから離れて音信不通になっていたことや、みんなが心配になっていたこと、そしてみんなに申し訳ないと思っていること、全てが俺にのしかかる。でもこれ以上は流石に先送りにしすぎだ。――街に戻ることを決意した。


「そういえばユルズを街で見たことないけど、街を案内してあげようか?」

「ワタシは、よく街に行ってるわよ?」


 衝撃の事実。彼女は一体いつ街へ……と考えていると修行のときによく1時間ほどいなくなることがあり、思い当たる節しかなかった。


「なんで言ってくれなかったの?!」

「あなた、気にしていたから、言わないようにしてたのよ。」

「うう……」


 彼女の気遣いにとことん甘えていたのだと痛感させられた。ここまで俺は彼女を心配させていたのだ。それと同時にそこまで心配してくれているユルズに嬉しさもあった。


「今日はもう訓練は、もういいから、街に行きましょ」


 そう言って彼女は小屋から大きな鞄をふたつ取り出して片方を俺に渡す。これは取りに帰る服を入れるものであろう。ぱんぱんに入れれば10着以上は持って帰れそうな大きさだ。そして、ユルズと二人並んで歩き、街へ向かう。

 俺は173cmほどあるのだが、ユルズはそんな俺より少しだけ背が高く、胸は…‥同じくらいの巨乳に俺もなっていてなんだか姉妹のようになっていた。きっと俺は妹で、面倒見のいい姉がいて本当に良かったと嬉しくなって笑顔が溢れる。


 街に入るとユルズは長い金色の髪を束ね紐で縛る、そんな彼女のうなじには"戦乙女"のロゴがあった。それに驚いたのだが、「今更なの?」と笑う。

 街の様子はこれまでと大きく変わっていた。ひとつはそこかしこでポツポツと露店が立ち賑わっている。店主の見た目はゲーム内で見たこともない服を着た人が多い。

 そしてもう一つは、簡易的な建物ではあったが公衆便所が作られていたことだ。

 ユルズは露店で食料を買っておくから、服を取って来なさいと慣れたように露店巡りを始める。ユルズが俺に街を案内してもらうって言った方が正しかったのかも。

 ギルドハウスはあの日と変わらず豪邸のまま。まだ2週間しか離れていないのだからそうそう変わらないと思いつつも変わっていなかったことが嬉しかった。エントランスに入ると無精髭ぶしょうひげを生やした男性から声をかけられた。


「やあ、おかえりヒカリ。もう落ち着いたかい?」

「え、ええ。えっとあなたはどちら様、なのかしら。私を知っているようだったけど」

「これは、失礼。そういえば、僕の顔知らなかったよね、ヴォーデンだよ。ヒカリはしばらく離れていたから今の僕らの現状を説明したいんだけど、時間は大丈夫かい?」


 提案を素直に受け入れる。俺自身も何も知らないままでいることも嫌だったし、なによりまだ俺をギルドの一員として受け入れてくれている彼に素直に喜べたからだ。

 応接間に案内され、椅子に座らされる。ユルズから常に意識しろと怒られている脚をしっかりと閉じて彼の話に臨んだ。


 今ホープタウンにいる全ての転生者はギルド〈アーク〉に統一され、総勢は3000名を超えているという。そして、あまりにも大きな組織になったため3つのグループに分割、〈アース〉、〈キューリオス〉、そして〈ジュノン〉だ。〈ジュノン〉も〈キューリオス〉同様別の世界の人で、ガリルが色々と探ってくれているらしい。そしてそれぞれ代表を1名ずつ、副代表も1名ずつ選出したものが意思決定機関となっているようだ。

 今現在は生活基盤そのものを整えている最中で忙しくかけまっていたのが漸くひと段落つくということで、冒険者ギルドの話を聞きに行くとのことだった。


「冒険者ギルドの人となると、リーリアさん?」

「そうだね、彼女を頼ることになるんだけど、とっっっっっても困ったことになっていたんだけど、やっと光明が見えたところなんだよ、今まさに」

「とても困ったことってどういうことなの?」

「今ね、彼女はこの街にいないんだよね。まぁちょっと問題があったから帰ってしまったんだ。それで彼女か、彼女の代わりでもいいから連れて帰って来て欲しいんだ。あの機関がないと僕らもこの世界の足掛かりも何一つないから困っていたんだよね」

「ちょっとした問題でリーリアさんが帰ってしまったって……一体何をしたんですか!」


 俺は少し怒り気味になっていた。また彼女に何かしてしまったのかと、呆れている俺にヴォーデンは少し笑いながらことの経緯を説明してくれる。

 彼女はあの日、リーリアのもとにいつまでも帰ってこない俺をヴォーデンたちに聞きに来たそうだ。そして、俺が飛び出して行ったことを告げると"追い出した"と勘違いされ、リーリアが怒って帰ってしまったのだ。その日のうちにすぐ帰ってしまったのだが、そのときはまだ外に出られず、リーリアを追いかけることが出来なかったらしい。

 それからは一枚岩になるためにギルドの再編から生活基盤の安定をやっていたとのことだ。つまり、全面的に"俺が悪い"のだが、敢えて彼は私の責任でと最初から言わなかったことに優しさを感じた。


「いやー、はい、ごめんなさい。大変申し訳ございません。全ての責任は私が…‥取ります」

「まぁ、責任を取れとは微塵も思っていないんだけど、彼女を説得させれるのは君だけだからね。それに彼女もこの街を見限ったわけではないのは間違いないんだ。この街に商人が来たんだけど、どうやらリーリアさんの計いのようで、かなりの量の食料を販売してくれたんだ。そのお陰で誰一人餓死していないし、食料をみんなが得られているはずさ。

しかし、問題もあってね。3000人の食料が必要な中、お金になるものは僕ら〈アース〉出身の320人程度だけしか持っていない。つまり軍資金が底を突くのは明白なんだ。だから、本当に重要なことだから、頼んでもいいかな?」


 彼の切実な頼みは断れるはずがない。そもそもその事態を引き起こした張本人でもあるわけなのだから尚更だ。俺は二つ返事で承諾するしかなかった。そして、本格的に任務を3つ託された。


 一つ目は先ほど説明をしてもらった冒険者ギルドとの関係修復。リーリアとはもう面識もあり交流も深めつつあったため理想はリーリアの帰還を望んでいるとのことで、代わりはどうしてもダメだった時の代用策として用意しているとのこと。

 二つ目は口減しも出来る職人として働きたい人の受け入れ。3000人を養うのはとてもじゃないが厳しく仕事の斡旋によってメンバーがクエストをこなしても行き詰まる可能性もあるため早く手を打ちたいとのこと。口減しと言っても追い出すわけではなく、就業先で賃金が得られてそれで生活できるのであればありがたいが、ダメな場合は連れ戻す予定だそうだ。

 三つ目は生活水準の調査。1人の人間が1日生活するのにどれくらい働いて、どれくらいの身入りがあって、どれくらいの生活が送れるのかをかなり詳細に知りたいと。もし計算出来なければ実際に働いてくれるのもあり。あとは〈アース〉との生活とどれだけ違うか、どれだけ遅れているのか調べておいて欲しいとのこと。


 口減しという言葉を聞いた時は少し緊張をしたのだが、ここでの生活がそこまで逼迫ひっぱくしているのだろう。〈アース〉で生活していた人からそのような言葉を出さざるを得ない現状だということを理解して口を挟めなかった。

 任務の要件を頭に叩き込む。そして、シャルのことが気がかりだったので近況を聞いてみると、彼女は今絶賛仕事中らしい。現状やることが多くあるため奔走しているようだ。彼女には俺が帰って来たことを告げていいかと聞かれたので承諾した。本当は自分から会いに行きたかったのだがみんな忙しく、俺1人の我儘でこの街が手遅れになってはいけないと断念した。


「それから、今回はさすがに1人に全てを背負わせる気はないよ。君のことを知っている人に協力を仰ぐから準備が終わったらエントランスに集合するように伝えておくから。頼んだよ」


 ヴォーデンはそう言うと忙しいのか、すぐに応接間を出て行く。彼も疲労がかなり溜まっているのだろう、無理していることを悟られまいと毅然とした態度を取ってはいたが、椅子から立ち上がる際に僅かにふらついていた。

 かくいう俺も頑張らないとこの街が滅ぶかもしれない、そんな焦燥感に襲われて足が震える。

 まずはユルズにこのことを話すため、露店が出ていた場所を探す。彼女はすぐに見たかったが、誰かと並んで話をしている。俺以外の人と話しているところを見たことがなかったため新鮮なその光景に少し疎外感を感じた。彼女と話し込んでいたのはユルズよりさらに背の高く、白髪で紅瞳の男だ。その男になんだかユルズを取られるような気がして、醜い嫉妬心が芽生える。居ても立っても居られなくなった俺はユルズに飛びついて何故だかわからないがその男に敵対心を持ち、自分とユルズの関係は深いものだと知らしめたくなっていた。


「姉さん、探したよ。ちょっと相談したいことがあるんだけど、まだ話終わらない?」


 何故、姉さんと呼んだかはわからない。さっきこの街に来る際にそういうことを思っていたこともあったから思わず出てしまったのだろう。しかし、ユルズはそんな俺の言葉にこれまで見たこともない、泣きそうなほど嬉しそうな表情を見せる。その表情に困惑したが、すぐにいつも通りのユルズに戻っていた。


「件の妹さんか……というかまさかヒカリか? 帰って来ていたのか」

「そう、ワタシの大事な妹よ。知らなかったみたい、ね」


 彼は俺を知っていたが、やはり俺は面識がない。この流れはさっきのヴォーデンと同じギルドのメンバーで関わりがあるとすれば――ガリル。ヴォーデンといい、ガリルといい、あの日俺は逃げ出したのによくもまあ容姿を覚えているものだと少し感心した。


「ガリルさんですよね? あの日は逃げ出してごめんなさい。本当にご迷惑をお掛けしました」

「ああ、そうだ。よく僕だとわかったな、確かこの姿では一度も顔を合わせてないはずだ。それにしてもこんな美人だったとはな。俺は間違ってお前を男だとばかり思って疑っていた。すまなかった」


 彼はすんなり頭を下げ謝罪を述べる。しかしその行動がより俺を苦しめた。俺は何故だかわからないが、本当は男に戻るはずだったのが、女のままでいるだけで――本当に彼の推測は正しかったのだ。それが間違いになってしまっている。

 それに彼はシャルやヴォーデンを思っての行動で、あのような嫌な役を自ら進んでやったのだろう。何ひとつ責めることは出来なかった。それになにより打ち明けていないのは俺自身なのだから。


「い、いえ。大丈夫です、もう気にしていませんから。それに今一番気にしていることは姉さんとの関係のほうですけど」

「ユルズにはお前の近況を聞いていたんだ。お前が無事でいることとか、精神状態とか心配していたのでな。こうしてお前が元気でいると知れて本当に安心した」


 彼は淡々と言っていたが、その言葉を聞いた時は少しだけ嬉しく、ドキッとした。だが俺は先ほどヴォーデンから現状を聞いている。彼の心配は俺ではなくリーリアを連れ戻す計画に支障が出てしまうことなのだろう、と理解してしまった。彼は常に冷静に物事を考え行動する人で、冷酷な人でもある。そんな彼を少し突き放すよう嫌味を言ってしまった。


「心配しなくても大丈夫です。ヴォーデンさんから話を聞いているのでリーリアさんを連れて帰るようにお願いもされましたから。そちらもご心配なく」


 自分でも何故こんな事を言ってしまったのかわからなかったが、ガリルは俺の目をじっと見つめる。その彼の紅瞳に飲み込まれてしまいそうだった。


「リーリアを連れて帰って来たら、この前の話を続けようか。ヒカリがまた聞きたいと思っていれば、の話だがな」

「この前の話……? 何か話をしていましたっけ」

「メートル法だとかの話をしたときに興味を持ってくれていたのでな、もう忘れてしまったのならそれで終わりなんだが、どうやら〈キューリオス〉、〈ジュノン〉も同様にこの歪なメートル法を利用しているとのことで、その歴史を今現在調査中なんだがな」

「あ……ごめんなさい、その話は続き気になります。リーリアさんを連れて帰って来たときに聞かせてください」

「リーリアの話もまた必要になるのでな、仮説が立てられるくらいにはなったはずだからその時また話そう。それでは壮健でいてくれ」


 彼はユルズと俺に向けて軽く人差し指と中指を交差させた手をこちらに向けて立ち去って行く。相談を相変わらず事前に理解していたようで、ふたつの決まりを設けられる。そのいずれも大した事ない内容だ。そして最後には必ず無事で帰ってくる事、そういい彼女は俺を抱きしめた。彼女はずっと俺に優しくしてくれている。だから、俺もその優しさに応えたい、そう思った。


 ギルドハウスの自室で旅支度を始める。どれくらいの日数離れるのか検討もつかなかったが、とりあえず着替え3着と替えの下着を5着、そして回復薬を二つ鞄に入れた。他に何を持っていけばいいかわからないが、とりあえずそれだけあればいいだろうと自室を後にエントランスへ向かう。ヴォーデンがもう1人を手配してくれているはずなのだが、一体誰がそうなのだろうとわからずに周りをキョロキョロと見渡していると見覚えのある人が近寄ってくる。


「もしかして、ヒカリちゃん?」


 リンドウだった。彼は威厳ある歴戦の風格から若い見た目に戻って以来、顔を合わせていない。あのときの彼はひどく落ち込んでいたが今では少しは吹っ切れたのだろうか。


「あ、リンドウさん、お久しぶりです。お元気でしたか?」

「あ、うん、ボチボチ。とりあえず行こうか」

「あ、はい」


 ――会話が続かない。かなりの地獄な旅になりそうな嫌な予感がした。予感で済めばいいんだが、幸先から不安になってしまう状況だ。彼の荷物は登山家のような少し大きめの荷物を背負っておりかなり入念な準備をしていた。街の外に出る道へと向かったのだが、そのとき初めて俺はこの世界を目の当たりにする。


 〈ホープタウン〉は大樹の根で盛り上がった土地でおおよそ標高は1500〜2000mくらいの高さだろうか、昔学校の行事で登った山と同じくらいの高さ。地面は遥か遠く、眼下には大きく四角に囲まれた街がある。あれはおそらく城壁のような壁なのだろう、となると城郭都市といったところか。遠くからでもその存在感は一際あった。

 ここから麓まで降り、そこからあの都市までの距離は20kmほどだろうか、かなりの距離だ。恐らく休まずに歩いて下山し、そこから歩くことになるので半日以上は掛かってしまうのではないだろうか。

 少々、この世界を舐めていたと反省。今から出発しても日が暮れてしまうだろうと心配していたのだが、リンドウはそのために野営セットを用意してると背負っている大きな荷物をこちらに見せた。なるほど、その大掛かりな荷物はそのためだったのか。

 少し考え、俺は片道限りのショートカットを思いつき試してみたいとリンドウに提案した。


「あのね、まだ実践はしたことないんだけど。あの外に飛び出た枝の先から空を飛んで向かってみません? 行きの下りでしか使えないんですけどね」

「空飛ぶってどうやって飛ぶんだよ。俺は魔法使えねーぞ。だいたい行き当たりばったりってあぶねーじゃねーか」

「私が魔法を使って飛ぶからリンドウさんは私にしっかり捕まってください! 大丈夫、勝率はだいたい8割くらいあります」


 長距離の飛行は正直なところやってみないとわからないのだが短い距離ならちょっと実績はあるのだ。やるだけの価値はある。リンドウは8割と聞いて少し安心したのか乗る気になってくれていたので枝先までとりあえず移動し正確な方角を確認しながら準備を始めた。


「とりあえず俺はどうしたらいい?」

「えっと、申し訳ないですけど今から私にピッタリと抱きついて貰っててもいいですか? 重心がズレちゃうとバランス崩れちゃうので」

「え、え。いいの?」

「ぎゅーっと密着して絶対に離さないでくださいね。それじゃあ始めますよ」


 無詠唱ではまだ出来そうにないので詠唱を唱え下準備をする。


「暴風よ、我が魔力を以て力となれ。荒れ狂う風を身に纏て我が翼の風となれ」


 風の魔法が俺の頭からつま先まで風の暴風が包み込む。魔法の第一段階は終了しここから本番の力を使う。ユルズに爪に刻んで貰った文字を使う魔法、いや、魔術。特定の爪の文字を刻んだ部分の文字を詠唱すると爪の刻んだ文字が緑に光出す。


「正位置、〈ラド〉私たちを運んで。リンドウさん、一気に飛びますから絶対離さないでくださいね」


 ふわふわと身体が浮かび、前傾姿勢を取ったところで一気に射出される。感覚的な原理としてはアニメでよくある大砲の弾のように自分が飛んでいくという至ってシンプルな方法だ。しかしそれだけではなく自分の身体が移動しやすくなる"おまじない"の風魔法でなるべく重力に逆らうようにしてゆっくり落ちる。実は自分でなんとなく原理的に出来そうだと思って試してみたら何故か出来た、そんな方法だったので原理をしっかりと理解はしていない。

 発射は成功してあとは地面に落ちるまでにどれだけ近づけるか、そればかりは未知数だがやれるだけはやろう。スーパーマンのように飛ぶのだがここで問題が起きた。お互いに抱きついてリンドウが振り落とされないようにしていたのだが、いかんせん力がどんどん弱まっていく。

 まだ飛び始めて5分ほどしか経っていないのだが、目的地はまだ遥か遠く。必死に力を振り絞っても少しずつずり落ちていくリンドウに血の気が引いていく。このままでは飛ぶ速度に置いて行かれてリンドウと空中で分かれて大惨事になってしまう。力が入らなくなって来た腕をリンドウの背負っている荷物のショルダーストラップに腕を通してキッチリと固定する。そのおかげもあってか少しズレていたリンドウはそれ以降ズレ下がることなくホールド出来ていた。しかし、俺自身は別に気にしないし、気にしている場合でもないのだが――俺の大きな胸はリンドウの頭を挟み続けていた。窒息死だけはしないでくれと願いながらしばらくし、ようやく地上と城郭都市が両方見える位置まで来た。リンドウの俺を抱きしめる腕が弱まってきており、お互いに限界だと悟った俺は地面への着陸を優先し地上までの距離をどんどん狭めていく。


「リンドウさん……お願いします。あと10mで地面なんですけどこのままじゃ着陸出来なくて……」


 その言葉が聞こえて最後の力を振り絞るようにリンドウはしっかり俺を抱きしめる力を強くし、飛行機の着陸用の車輪のように足を地面に下ろした。

 着陸は見事なものだった。俺をしっかりとホールドしたまま、飛行機の車輪のように走り徐々に減速していく。彼が〈武・影適性〉がなければ成し得ていなかっただろう。リンドウ機長は無事に乗客俺1人を無事に空の旅から地面へと引き戻してくれた。


「さすがに……疲れたし、算段甘すぎて危険にさせてしまってごめんなさい」

「少しずつズレて来た時は本当に死ぬかと思った……でもまぁなんとかなったしもう歩いてなんとかなる距離まで来れたからプラスだ。本当に助かったけど次は二度とやらないかもな」


 そう言いながら笑う彼は、これを笑い話に切り替えてムードを崩さないように励んでくれた。しかし20分間も2人とも踏ん張り続けた反動でとてつもなく疲労が溜まりくたくたとなっていた。


「ご、ごめんなさい。ちょっと……疲れてしまって、少し休憩してからでもいいですかね」

「気が合うね、俺もそうしたかったところなんだよね」


 2人は笑いながら一時の休息をしたのだった。

 先ほどまで自分の発想でお互いに命の危機に陥っていたのだが。"吊り橋効果"というやつなのだろうか、それからお互い少しずつ話をするようになり、気が付けば打ち解けるようになっていた。マッチポンプのような気もするが気のせいだろう、多分。


「それにしても本当にあっという間にここまで来たなぁ。もう街まで5kmくらいか……いやそれより短いくらいだな。これは夕方までには街に入れそうだ」

「リンドウさんの野営の道具使ってみたかったですけど、残念でした。初めての冒険でちょっとズルしたみたいな気分ですけど、背に腹はかえられませんからね」

「そういえば、さすがにヒカリちゃんとは呼べないからヒカリさんに改めないとな。背が小さくてヒカリちゃんって感じでちょうどよかったのに、こんな美人さんにちゃん付けはね」

「あー、さすがにそうですよね。というか結構皆さんからヒカリちゃんって呼ばれてましたけど、そういう裏の事情があったんですね。まぁ私もさすがに今のこの見た目でちゃん付けは違和感はあります」


 気がつけば街に歩きながらそういう他愛のない話を始めるほどには打ち解けたようだった。

 街に着く前にリンドウは小さい袋を取り出しお金を数え始める。ゲーム時代ではゼニーという単位で、現実の通貨と近い体系をとっていたので、すごく親しみやすかった。けれど今、彼は見たこともない硬貨を扱っている。そしてそれは少しだけ複雑になっていると言う。

 リンドウたちは、ホープタウンで両替商が率先して旧貨を新貨に換金してくれていたため持っていたのだが、街へ来たのが今日だった俺はもちろん旧貨しか持っていない。それどころかその旧貨をここに持ってきていないのだ。どうしようかと慌てているとリンドウはギルドから資金貰ってるから大丈夫だと笑った。


 どうやらこの世界では白金貨、金貨、銀貨、銅貨と分かれている。

 例えば、旧貨幣の1,234,567,000zはこちらでは1金貨234銀貨567銅貨と言うふうに、ゲーム時代からすると大掛かりなデノミクスだ。

 10億ゼニーが1金貨となると確かに物価がどうなっているのかわからなくなってしまう。ましてや俺たちの世界のように、物流が発達していなければホープタウンに商品を持ち込むだけで相当な運送コストにもなる。かなり吹っ掛けられていてもおかしくないだろう。だからこそ街の生活水準を調べてこいと言っていたのは納得だ。

 そして1000銅貨で1銀貨というような1000枚で上位の貨幣1枚になる。そして白金貨だけは金貨100枚で1枚と説明されたが、白金貨をゼニー換算すると恐ろしい額で深く考えるのをやめた。


 街に向かって1時間ほど歩くと城郭都市の全容が見えて来た。ホープタウンの規模とは比べ物にならないほど大きく、しっかりと城壁の入り口には検問が設置され、そこにはゆっくりと進む待機列も見える。いよいよ異世界にいるんだという実感が唐突に込み上げ、足が速くなる俺をリンドウは「まるで子供だな」と笑った。


 待機列に並ぶも、ゆっくりとしか進まない。

 手持ち無沙汰となった俺は、リンドウとずっと会話をしていたのだが、1時間も会話をしていると会話も尽きてきて、お互いに静かになる。

 自分たちの順番も、あと6人が終わればいよいよだ。お互いに黙ったまま待っていたのだが、流石に暇だったので、これまであまり注視していなかったリンドウの顔を眺めていた。

 彼の今の容姿は、他の戻った人たちとそう年齢に大差はない。みんな25歳前後くらいなのだろう。リンドウは身体は細く、背は俺と並んでも俺より少し低い、170cmくらいだろうか。顔はただ整っていていかにもな好青年と言った具合だ。

 そう言えば街を見て回っていた時にも不思議とゲームのような、異世界のような感覚に陥ったのは容姿のことも関係していた。

 思い返してみると、露骨に不細工といった容姿をしたものはおらず、だいたい皆整っている。――整っていなかった人といえば商人くらいだろう。まるで美形な人だけのクローンで作ったような不気味さもそこにはあった。

 そのようなことをぼーっと眺めて考えているといると、漸く自分たちの番が来たようだ。リンドウも同様にぼーっとしていたようで、一向に前へと歩き出さない彼の肩に肩を当て意識をさまさせる。


「ほら、リンドウさん、私たちの番だよ」


 ハッとして彼は歩みを進めた。

 検問の人に色々と質問をされていた。おおよその内容はこの街に訪れた目的、滞在期間、滞在中の所在、といったまるで入国審査のような質問で異世界感が薄れてしまう。冒険者とかが少ない国なのだろうか、冒険者を想定したような質問がなかった。

 ホープタウンの冒険者ギルドが機能しておらず、この街の冒険者ギルドの利用のために来たと告げるとギルド証の提示を要求される。そんなものを持っていない俺もリンドウも困ってしまった。しかし、困ったのは検問の人も同じようで、奥にある取調室のような簡素な作りの部屋に案内された。中に入るとすぐに鍵をかけられてしまう。


「鍵かけられちゃったけど、どうしよっか。私〈解錠〉出来るから今すぐ出られるけど……」

「やめとけやめとけ、下手なことすると敵対されかねないから大人しく待とうか。それに多分だけどギルドの人を呼びにいってくれてるからさ、それでリーリアさんが来れば晴れて一つの任務は終わりって感じかな」


 それから、10分くらい音沙汰がない。

 ――流石に不安になってきた。それはリンドウも同じようで、先ほどから部屋を落ち着きなく歩き回っている。先ほどは理性的に「何もするな」と言っていたが、本心では本人も不安だったのが伝わってくると何故だか少しだけ心が落ち着いた。

 それからまたしばらくすると鍵をかけられた扉が開き、見知った顔の女性が姿を現す。彼女はかなり疲れた顔をしていて中の様子を恐る恐る窺う。……彼女のその疲労感のある顔にひどく罪悪感を覚え、飛び出さずにはいられなかった。


「リーリア! 大丈夫?!」


 勢い余ってそのまま飛びついてしまった俺を、リーリアは激しく抵抗して引き剥がそうとする。


「離しなさい! あなたたちに話すことはありません。リンドウさん、あなた計りましたね? 代役でも当てて騙すのかと思えば」

「リーリア、ごめんね。私のために、"利他の心"でそんな強硬手段取らせちゃって、本当にごめんね」


 咄嗟にリーリアと俺だけの秘密の合言葉のような言葉を投げかけた。

 彼女はその言葉を聞くと、俺の顔を見る間もなく強い抱擁を返す。彼女と過ごした時間はそこまで長くはない、それでも、俺に並々ならぬ愛着を持ってくれていることだけは間違いなく伝わった。

 大したこともしていない気もするのだが、一体どうしてなのだろうかと考えたが彼女の好意に水を差したくはない、今目の前にいる自分のために行動した彼女の抱擁をより強い抱擁で応えてあげた。


「リーリア、その方は知り合いのようだね。それならとりあえず私たちの個室に案内しようか」


 後から来た、ビジネスマンのように髪をオールバックに固めた男が扉のそばに立っていた。リーリアは「はい」と短く返事し、すぐに俺を抱き抱えて立ち上がる。そのリーリアの力の強さに驚きながらもリーリアはリンドウに外に出て付いてくるように手で合図を送った。


「それにしても驚きましたわ、ヒカリ様がとても美人でいらして……私の心を弄ばれた気分です」

「そ、そんなつもりはないの。ごめんなさい」

「それでもあの愛くるしいヒカリ様がまさかこんな美人な方になるとは、少し想像も出来ませんでしたわ。それに、あのとき仰っていたから私は荷物をまとめていたというのに」

「さすがに冗談よね? でも私、リーリアにまた会えて嬉しい。それでそういえばあの方はどちら様なの?」

「あの方は冒険者ギルドの創設者でギルドマスターです。今は冒険者ギルドの本部に案内していますの」


 ギルドの創設者と聞いていたが、おそらく年齢は30代と言ったところだろう。40歳まではいかないほどで明らかに見た目は若い。冒険者ギルドというのはまだ日が浅いのだろうか。

 城郭都市の内部の街並みは、ゲーム世界でよく取り扱われる中世の街といったところか。石造りの家屋が建ち並ぶ。ゲーマーたちにはお馴染みの街並みといったところか。

 しかし、そこかしこで見る建物の装飾などを見ると〈ホープタウン〉よりは精巧なものはない。また城郭都市の内部には水路だけでなく川も通っており、川には小さなはしけが移動していた。


 冒険者ギルド本部は城壁近くに建っており、見た目は大聖堂のような仰々しい佇まい。正面の広場ではサンドバッグのような形をしたものが並んでおり、それを的に訓練をしている人は多くはなかったがちらほらといた。

 そこで一際目立つ女の子が目に入る。彼女は自分の身長と変わらない丈の得物、少し見た限りだと素人でもわかるほどの粗悪な"マスケット銃"を扱い射撃をしていた。

 彼女の射撃は精度はあまり良くない。しかし、綺麗に当たっていないが威力はマスケット銃とは比べ物にならないほど高く、命中したところが抉れたように穴が開いた。さらに驚いのは、その抉れた部分は10秒ほど経つと修復し元に戻っていた。

 彼女がどれくらい訓練したのかわからないが、かなり疲労が溜まっていたようだった。


「さすがにあの疲れ具合だからマスケット銃の命中も精度も落ちても仕方ないね」

「あれはマスケット銃というのですか? 実は彼女以外の人が扱っているところを見たことがないものでして、詳しくは知らないのです」

「あら、そうなの? 私たちの世界だとマスケット銃は――さすがに古いけれど。銃というのは割とポピュラーな武器よ。私たちの国では禁止されている武器だけど、それでも知られてるくらいには、ね」

「禁止されている武器があるとは難儀な国ですわね。自分の得物くらい好きなものを扱いたいものでしょう?」

「んー、そうなんだけれど。私たちの国ってすごく平和な国で、戦闘なんてほとんどないのよ。だから私も武器を扱ったことはなかったの」


 そんな話をしていると、前を歩いていたはずのギルドマスターはいつの間にか俺たちの背後に立ち、話を聞いていた。


「武器を扱ったことがない……? 君の方もそうなのかね」

「そうですね。自分も武器の扱いはここ2週間ほどで訓練したくらいでからっきしです。それでもまあ軽い魔物くらいは倒せますけど」


 リンドウがギルドマスターの質問に答えると、ギルドマスターは少し考えたように唸る。ギルドマスターは少し訝しんで俺とリンドウを目線を送っていた。


「すまないが、先に君たち2人の実力を確認したいのだが、大丈夫かな?」

「はい、問題ありません」

「自分も問題ないです」


 俺とリンドウは彼の提案を快く承諾すると、入り口を右へ迂回し、もう一つの訓練所のような場所へ案内された。

 リーリアいわく、ここは冒険者ランクの等級検査をする場所であるらしい。そもそも等級検査を基本的に実施されることがないため、リーリア自身もギルドの職員になるまで知らなかったと言う。

 そのまま奥に置いてある木の的に、石材の的、鉄製のような的と並んでいる場所に案内された。


「ここはとりあえず壊せるラインを測るものでね、それによってその人の力を暫定的に測れるんだ。――試しに木材から順にやっていこう」


 ギルドマスターはそう言い、木材の的に手を置いて魔力を注ぐ。リンドウにこれを壊すようにと言うと彼は荷物から短弓を取り出し、すぐに射抜いた。狙いを定める時間も短かったが、それを射抜いて穴を開けたことも驚いた。しかしギルドマスターもリンドウも動じることなくすぐに石材へと移る。これもリンドウは容易たやすく射抜いた。


「さすがにこの程度だと話にならないか。ではこの鉄ではどうかな」


 そう言い彼は容赦なく鉄に膨大な魔力を注ぐ。かなりの魔力量だと察知できたのだが、それはリンドウも同様のようで、武器を少し大きな刃物『マチェーテ』に変え力を込めていた。

 ユルズとの訓練で他者の放出している魔力を見るというものがあった。込めている量で放出される色が少ない方から赤、橙、黄色、緑、青、そして紫と変化していくのだが的に注がれた魔力は橙。そして今リンドウが込めているのは黄緑。

 つまりリンドウの込めた魔力の方が高いため割れるだろうと安心して眺めることができた。想像通り、リンドウは一太刀で鉄の的を容易に斬り伏せる。

 これにはギルドマスターもリーリアも素直に拍手していたころから、この辺りは凄腕という扱いになるのだろう。


「やはり想像通り優秀なようだ。次も続けていいかな?」

「まだ全然余裕っす。これくらいまでなら〈ホープタウン〉で誰捕まえても出来ますからね」

「ほう……」


 リンドウは褒められたことにかなり上機嫌になり調子づいていた。おだてられて調子に乗る彼を見ていると若くてなんだか可愛い弟でも出来たような気分になり自然と笑みが浮かぶ。


「次は一筋縄ではいかないが、やってみてくれ。これは"オレイカルコス"と名付けられた――まぁ今風に言うと『オリハルコン』だ。さぁ本気でぶつかってみてくれたまえ」


 ギルドマスターは膨大な魔力を注ぎ込みその色が緑へと変わる。どうやら今回のはかなり本気らしいリンドウが注げる最大魔力がどれほどのものかわからないが、さっきまでの魔力では破れないことは明白だ。

 リンドウの魔力がマチェーテへと注がれる。彼の魔力黄緑色から緑に近い色へと変化するも黄緑色へと戻ったり、少し不安定だ。それを見守る俺にも緊張が走る。緑になるまで魔力を注げたところでリンドウは強力な一撃を入れる。同量の魔力と魔力が衝突すると一瞬発光するのだが、リンドウの一撃は確かに発光した。それは同量の魔力を注げているという証拠なのだが、刃が3cmほど斬り込んだところで止まってしまった。


「素晴らしい、間違いなくA級だ。君を心から歓迎するよ。2週間で素人からここまで到達するなんてね。さすがは〈エインフェリャル〉だ」

「リンドウ様、お見事でした。かなり上出来ですわ」


 大きな拍手とともに賞賛されたリンドウはかなりご満悦な様子で、心から喜んでいた。俺も彼が称賛を受けていることが自分のように嬉しい。


「ま、まぁ次はこれをしっかり斬れるくらいには強くなりたいです」


 リンドウを俺は誇らしく思った。みんなと同様に拍手していた俺に、親指を立てたハンドサインで心情を露わにしていた。

 その後、ギルドマスターに適性を聞かれ彼が〈武・影・癒適性〉であることを初めて知った。

 ゲーム時代では、ゲーム内マネーで適性を簡単に変えれていたため、あまり他人の適性というのは覚えたところで次会うと変わっていると言うのは珍しくはない。

 けれども今思えば、リンドウの適性を今まで一度も聞いたことがなかったのだ。


 そして――次は俺の番。

 ギルドマスターにワガママを一つだけお願いした。

 それは他の冒険者の魔法を使っているところが見たいと言うもので、ギルドマスターは少し渋ったが、了承してくれ広場で訓練してる子を連れてきてくれとリーリアに頼み呼びに行かせた。

 リーリアは「はい」と返事をし、速いスピードで移動をする。

 彼女が戻るまで約2分。

 戻ったリーリアが連れてきた少女は、ひどく不機嫌で今にも暴れ出しそうだった。少女は20歳にも満たないであろう見た目をしていて適性は〈武・魔・幻〉と、ゲーム時代であれば俺の使っていた〈賢者〉の席を奪っていた〈魔導師ウィザード〉だ。

 ウィザードは魔力に、闇エネルギーを少し混ぜて魔法の効力を引き上げる〈闇魔法〉を使える。十分な当て馬が連れてこられたな、と内心思っていた。

 そんな不機嫌な彼女を、ギルドマスターはあやすようにヨイショをして機嫌を取っているほどだ。かなりの実力者なのだろう。

 彼女の機嫌は少しだけよくなり、自分の背よりも長い杖に魔力を注ぎ詠唱を始める。リンドウも完全には壊せなかったオリハルコンの的だ。彼女はどこまでやれるのだろうと内心ワクワクしていた。


「混沌より賜りし力、絶望の力として顕現せよ、永遠に蝕む黒炎となり永劫の苦しみを、彼のものに与えたまへ。フレイムディザスター!!」


 轟轟と音を立てて燃え盛る黒炎が、オリハルコンの的の表面を徐々に溶かしていく。しかし魔力はリンドウ同様に安定しておらず、次第にオリハルコンに注がれた魔力の方が上回り変化はなくなった。けれども黒炎は、消えることなく延々と燃え続けている。

 ユルズとの修行を経て詠唱についてはそこそこ知識はある。しかし、これほどまでに強い魔力を注げる文言の詠唱は、只者ではない。

 それもリンドウと同等の力を持っていたため、彼女もA級冒険者のようだ。

 適当に見繕った訳ではなく、恐らく前もって彼女を当て馬に準備していたのであろう。

 ――このギルドマスターはガリル並に頭がいい人なのだと理解した。


 いよいよ俺の番なのだが、俺は少女のように杖を持っておらず見くびられているようだ。

 それもそうだ、魔法を行使するときに杖ほど大事なものはない。なにせ蛇口のようなもので魔力を絞る事もできれば、全力で出し続けることも可能にするものなのだから。

 しかし、俺はユルズから杖を持っていくことを禁止されていたため、杖なしでやらなければならない。そして、この侮られているというのはチャンスだ。〈ホープタウン〉全体の実力を顕示し、決して不条理な要求をできないと思わせるだけの力の差を見せつける。その目標のためにかなりの力を出しながらも、余裕であるように見せなければ。そういう願いを込め、右手の人差し指と薬指をピンと伸ばし詠唱する。


「ハガル」


 凄まじい速度で飛び出す氷の粒がオリハルコンの的の端に当たり一撃で的を抉り指1本がすっぽり収まる程度の穴を開けた。しかし、ギルドマスターと少女は特に言葉を発しない。――この程度ではダメなのか……。

 実際のところ恐らくこれが今の俺の限界のような気がしていた。もう破壊力的なものではこれ以上の魔力を練り込める魔法を持っていないため、正攻法ではない評価を受ける方法を模索する。

 とりあえず、あの〈闇魔法〉の黒炎を消す。それはオリハルコンの的に穴を開けるよりも少ない魔力で事足りる。

 あの魔力に練り込まれたレベルにまで魔力を練り込み次の手段を打ち出す。


「ラーグ」


 右手の中指を伸ばし指先から魔力を放出する。その放出した魔力がオリハルコンの的を包み込み、纏っていた黒炎を消火した。

 ギルドマスターと少女の2人が声を発したところでやっと肩の荷が下ろせ、ゆっくりと深呼吸をした。

 適性を聞かれて〈魔・幻・癒〉だと伝えると賢者様と同じと言われる。ちょっとだけ自分が選ばれた存在のような気がして嬉しくなった。


「この世界ではこの組み合わせの適性は珍しいの?」

「いいや、別に珍しくはないのだが――大成した人が少ない適性だ。唯一その適性で大成した人は賢者様くらいというわけだ」


 珍しくはないという言葉に少し落胆はするものの、ギルドマスターからは間違いなくS級に相応しいなと太鼓判を押され無事にS級の等級を頂けることとなった。

 そうして俺たちの実力を示し終わると改めて冒険者ギルドの本部の中へと案内される。

 外側の見た目が大聖堂に近いデザインだったのでてっきり中は天井の高いものを想像していたのだが、入ってすぐのエントランスと受付だけ天井が高くなっているだけ。奥は3階構造になっていて思ったよりギチギチに機能的な造りをしていた。

 入り口には多くの冒険者たちが集まっており、それぞれ等級別に分けられたエリアに、それぞれの等級の依頼書が張り出された掲示板に並んでいた。そして冒険者たちはそれぞれの依頼書を複数枚持ってそれぞれのパーティの待機する場所で吟味していた。


「あちらは一番人の多いC級ですね。C級からは基本的に複数人でこなすことが多いため場所を一番広くしてあるのです」


 立ち止まって眺めていると、リーリアは俺の頭の中の疑問に答えるように次々と説明をしてくれる。


「逆にあちらの人が全くいないE級やD級というのは雑用で、一番仕事の件数が多いのですが1人でやれるほどの内容なのであまり人は溜まらないから不人気なように見えて、実は一番こなされていますの」


 少し眺めていると、1人の人がE級の掲示板で立ち止まったかとすぐに思えば3枚ほど選び、出発した。なるほど、あのように容易く選んで始められるものなのだろう。人があまり残らない訳だ。


 ギルドマスターは俺とリーリアが打ち解けた関係であることを察していたようで、つもる話もあるだろうから2人の時間を設けてくれた。

 その間、リンドウとギルドマスターは3階にある執務室に入っていく。

 2人きりになった途端、リーリアはすぐに色々と根掘り葉掘りを聞いてくる。


「あの日、一体なにがありましたの? ヒカリ様がシャル様と一緒にどこかへ行かれてからしばらくして慌しかったのは存じておりますの。ヒカリ様の名前を呼ぶ輩が現れたかと思うと、その後は鎮まりまして。

その後、夜にお伺いしたら、ヒカリ様が出て行ったというんですもの。追い出したの間違いでしょうと、そこで早とちりしてしまったのです」

「えーっと、ね。うーん」


 説明を考えていなかった。どう説明すればいいか悩んでいたが、リーリアには正しく伝えようと説明を始める。


「私は、その。体は女なんだけど、心は男なの。それであの日、薬を飲んだらその男になると思っていたから慌ててしまって。それで薬を飲んだ時に、みんなから受け入れられてもらえなかったって勘違いして逃げ出しちゃったんだ。

私はどこかで――最後の最後までみんなを信じきれなかった」

「まぁ、そのようなことがあるのですね。でも私はひとつだけ思う事があるのですが。

――個ではなく群をどうやって信用すれば良いのでしょう?」


 少し暗い表情をして答えるその顔は、憂いを帯びて彼女の切長の目が、笑みにも泣いているようにも見えた。


「私は基本的に冒険者ギルドというものを信用しておりません。

所属している彼らは揉め事や悪事まですることがあります。いわゆる烏合の衆で到底信じれないのです。その日の稼ぎに毎日奔走し、目の前の欲にくらめば悪事もする。

そのような集団をどうやったら信用できるのでしょう?」

「でも、それって今リーリアは冒険者ギルドに所属している自分も含まれちゃうじゃない」

「そうですわね、もし私を客観視するのでしたら信用しません。けれど、何か行動で誠意を見せる個がいたら信用できるかも、と思いませんか?

私は冒険者ギルドの人を信用しておりませんが、ギルドマスターは信用しております。

あの人がここで働いてくれと願うから働いているだけです。だからヒカリ様、その言葉で自分を責めるのはおやめください。

"みんな"というものは信用してはなりません」

「でもこの前、その信用してるギルドマスターから逃げるみたいなこと言ってたじゃない」

「ええ、もしヒカリ様が手を取っていたら自分の利のために裏切りますわ。だから私がもし他者なら――自分を信じないと言ったのです」


 彼女は綺麗な笑顔を見せる。

 その瞳は嘘偽りなどないのだと、澄み切った眼差しで俺に語った。

 それから彼女はS級冒険者について語る。

 この世界では、今のところS級冒険者というのは存在しておらず、どういう扱いになるのかも不明なのだと。しかし、A級などの等級は結局のところ依頼書を規定通りの数をこなした証というものでしかないのだという。

となるととりあえず強さはA級を圧倒したからS級と言ってくれただけで、仕事ぶりに関しては底辺と何一つ変わらないわけだ。そこで俺はリーリアにあるワガママを提案した。


「私はS級とかA級とかよくわからないのだけど、E級から依頼をしっかりこなして、自分自身でしっかりS級だって名乗れるようにしたいから――E級の依頼からこなしても大丈夫かな?

一番下から自分で高みに登りたいの。」

「それはとても謙虚ですわね。もしS級から始められるのならB級やA級のクエストを少しこなすだけで楽な生活が待っているのに一番下から苦労したいだなんて。」

「その苦労があのウィザードの少女への誠実さじゃない? 彼女の頑張りをこの与えられた力で蹂躙じゅうりんしたいわけじゃないの。

しっかりと同じような苦労や経験をしてあの子と肩を並べても恥ずかしくないように、ね」

「わかりましたわ。ではいっぱい働いて貰うことにしますわね」


 そんな話をしていると、思ったより早く話はまとまったみたいでギルドマスターとリンドウが戻ってくる。そして彼らからご飯を食べに行こうと提案され4人で食べにいくこととなった。

 今はお昼の十五時だったのだが、十六時になると焼くだけの料理しか出なくなるため今のうちではないとスープやサラダは頼めなくなるのだそうだ。


 4人で街へ繰り出す。

 街の人たちはみな丁寧にギルドマスターに挨拶をしすれ違う。彼は慕われているのだろう、商人すらギルドマスターへサービスすると声を掛けてくるほどだった。

 商人に呼び止められている間、商品を眺めていると少し変わった単位の書き方がされている事に気がつく。――値段がよくわからない。

 フルーツ等の果物はおおよそ50C前後で、パンは大きさにもよるが標準サイズは30Cほどでフルーツはやはり数字が大きく高値であった。


「リーリア、ごめん私全然知らないんだけど、この50Cってどういう単位なの?」

「50Cというのは中銅貨5枚という意味ですわ。Cは銅貨。もしSであれば銀貨、Gであれば金貨ですわね。

 3つ数字が並んでいたら一番左が大銅貨、真ん中が中銅貨、そして一番右は小銅貨の必要枚数ですわ。Sであればそれが銀貨になるだけなので覚えるのは簡単ですのよ」


 なるほど。つまるところ大銅貨は100、中は10、小は1と普通通りの使い方でいいようだ。あまり深くは考えなくても良かったようで特に違和感なく馴染めそうで安心した。


 料理を食べる場所は酒場か宿屋が基本のようで、あとは屋台で買ってそこら辺の広場で食べるといった具合だそうだ。

 酒場に4人で入り、みな定食を頼む。

 定食は250Cで4人であれば1S。まだ一度も依頼を受けたことがないが、銀貨1枚を稼ぐのはどれほど大変なのかすら全く想像がつかない。

 あとで依頼書の報酬を見ておくべきだと思いながら定食を待っていた。するとギルドマスターもリーリアも貨幣袋を取り出し、中から大銅貨2枚と中銅貨6枚と小銅貨5枚を机の上に並べて積んだ。


「それは?どういうお金なの?」

「ああ、そういえば君たちはこの世界の常識を知らなかったね。今回頼んだのは定食で250Cなわけだが、10Cを追加すれば飲み物を追加してくれる。

これは朝とお昼限定で10C多く置くだけで、このお店では水を提供してくれる。そしてその運搬の作業をした人の報酬金を小銅貨5枚置いたわけだ。店主がもし運んできたらこの小銅貨5枚は店主のもので、給仕がそれをやったのなら給仕のものだね。とりあえず5C出しておけば誰も文句は言わないが10Cを中銅貨で出してしまうと、それはお水代で、報酬金をださないという意味になるから嫌われるよ。小銅貨10枚と多くはなるがそれで10Cを払うようにね」


 要するに、俺たちの国にはなかったが、チップみたいなものだろう。

 そう思い俺もそれに倣いお金を出そうとする、がそのとき俺は自分が新貨幣を持たない無一文だと思い出した。

 どうしようどうしようと慌てていると、リンドウが265Cを手渡し、彼も同様に貨幣を積み上げた。


「ごめーん! 後で返すから。ありがとう」

「いや、これはガリルさんから渡された活動資金だから。返す必要はないし、返すなら仕事で返すしかないよ」


 活動資金を受け取っていると言っていたことを忘れていた。

 なにはともあれ、しっかりとギルド員のことをしっかり考えてくれていて助かったと思いながらも、異世界での初めての冒険で食べれる食事を楽しみにした。


 給仕が慣れた手付きで2人分の料理を一度に運んでくる。

 それは見慣れた葉野菜のサラダにコンソメスープ、そしてハムとバゲット。

 そして料理を置いたと同時に260Cをぶら下げている小さな鞄に入れ、5Cを服のポケットへと入れ同様にまた2人分を持ってきた。料理が全て並んだところで、水4つをグラスで運んできて「ごゆっくり」と言って立ち去る。


 異世界の、初めての外食は4人で食べた賑やかな時間となった。

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