第8話

 森の入り口は前に訪れた時とは打って変わり木々の生い茂る森となっていた。

 以前、この森から出た際は、開けていたのだが今では茂みで覆われ同じ場所であることすらわからない。たった1日。その1日でここまで変わるものだろうか。

 ――まるでこの森は生きており、今も成長を続けている気さえした。

 そんな不気味な雰囲気のある森は、もしひとりで来ていたのならば、怖気付いて再び足を踏み入れる事は諦めていたであろう。しかし、今はスズシロも一緒だ。

 彼女に視線を向けると、自身の携える得物を入念に確認していた。彼女が扱うのは短剣を2本同時に扱う双剣。素振りをしてその射程や身体の調子を確認していた。


「やはり元の体と違い身体が少し重い。けれど手が長い分射程もありとても戦いやすそうだ。しかし魔法が使えず肉弾戦のみになる点だけが懸念点だな」


 彼女は1000年以上も戦争をしている世界出身と言っていただけあり、戦闘前の確認は入念だ。


「杖が折れちゃったから、私は何も持っていないけど大丈夫かなぁ。でも魔法は使えるから戦えないって訳ではないんだけど。スズシロの世界でもやっぱり魔法使う時は杖を扱うのが普通だった?」

「いや、私らの世界では特に杖にこだわる術師は少なかった。みな思い思いに手に馴染む魔具を使って戦っていて、私の1番の親友は水晶を使っておった」

「その魔具って何か簡単に代用する方法とかはない?」


 今更ではあるが、手ぶらでいることに不安になった俺は彼女に尋ねた。どうやら魔具というものはその辺のものでも作れなくはないそうだ。


「試しに作ってみては?」


 すぐそばにあった手頃な長さの木の枝を短剣で切り落とし手渡された。

 この枝に通常運用するレベルの魔力を流し、安定させる。そうすることで魔力が安定して一定の量の魔力を放出できるようになるため安定して同じ威力の魔法が出せるようになるそうだ。

 魔法を使う時にはSPを消費する。

 例えば、普段使うマジックアローは1、ファイアボールは3といった具合だ。ある程度目安はあり、それを無理矢理、多量の魔力を流してSP6のマジックアローや逆に魔力を減らしSP1しか消費しないファイアボールも撃ててしまう。

 それは魔法の詠唱で付与する性能だったり、想像によって変質するものであったり、と魔法はばらつきが多い。

 前者の、詠唱で付与する性能というのは例えば、『彼のものを』と詠唱に入れることで自分の認識している対象に完全に絞って魔法を行使できる。

 この場合は、おおよそ通常使うときより倍の魔力を消費し詠唱することになる。詠唱全てに意味があり、それを解読研究するのがこの世界での魔の学問であるようだ。――そう認識している。

 そして後者の、想像によって変質するというのは、こちらに来て初めての戦闘ですぐに使うことのできた通常の〈火の玉ファイアボール〉と変質させた〈火の球ファイアボール〉のようなものだ。

 こちらは大幅に変質させなければ、ほとんど魔力消費は同じだが、大幅に変える場合は魔力消費は増減する。何故だかわからないが、緑の巨人の洞窟で目覚めた時には、このような魔法の扱いを基礎知識として思い出せていた。

 この不思議な感覚は、もしかするとガリルがハッキリとは言わなかったが――そう示唆していた、本来の身体の持ち主の"感覚"なのだろう。

 自然と俺たちが〈ヴォルスパー語〉を話していたのはこの身体がその言語を母国語として扱っていたという証左なのであるのだ。


 今し方、スズシロの指導の下で作っている杖は、SP2まで消費する魔法は安定して撃てる魔具となった。これは身体の記憶にもないような、初めての体験だった。少々性能は低いものの初めてにしては十分だと自分を褒めてやりたい。


「出来たようでよかった。私らの技術はこちらでも同様なようで少し安心した」

「おかげさまで、初めてだけど失敗しなくてよかったよ。失敗してたらどうなるの?」

「魔具が壊れます……普通に爆ぜます。完成したとしてもそれより高負荷の魔力を流してしまうと同様なので注意してください。熟練の人だとその魔具の限界を見極めて極限まで高めれるそうですが、私もさすがにそこまでは出来ません」

「ちなみにスズシロの世界だと魔法使える人ってどれくらいいるの?」

「すべての人が魔法を使います」


 スズシロのいた〈キューリオス〉では、農民とか政治家たち含めて全ての人が魔法を扱えていたそうだ。

 それほど〈キューリオス〉では魔法が浸透していて身近なものなのだろう。しかしふと戦争をしているという点が気になった。

 〈アース〉では、技術の進歩により兵器の最高脅威である核兵器が開発され、それにより互いに牽制し合い平和を保っているのだ。

 しかし、〈キューリオス〉では違っていた。外なる世界から来る外敵――"天使"との戦争。

 それは人類共通の敵で各国は常に連携し、協力して手を取り合っているそうだ。


「現に、私はモクレン様とは違う国の人間なのだが、自国の当主の次には尊敬している。彼は常に力は自分より更に弱い人のために振るうものと。私もその考えには共感しているのだ」


 世界が違えば思想も違うのだろう。モクレンは正直なところ、そう言う話を聞いても胡散臭くて黒幕かと思ってしまうような人柄のようだ。


「"当代"って呼ばれていたけど、それは"当主"とは違うの?」

「当代というのは言うなればキューリオスの代表というところですね。各国の当主たちを束ねる存在が当代と呼ばれています。基本的には、当代の決断は絶対なのです」


 とても危うい制度だと、聞いている限りでは思ってしまう。当代が独裁者のような存在で、道を誤れば忽ち世界全体が危機に瀕するわけなのだが。しかし、絶対的な信頼を勝ち得ているのだけは理解できた。


 しばらく歩いていたのだが、魔物が1匹も出てこない。元々魔物が少ない森の可能性もあるのだが、彼女は違った感想を持っていた。


「ヒカリ様、ここの魔物は少々敏感で頭が回りますね。先ほどから私の殺気を感じているようで襲いかかってきません。基本的に自分より強い存在に対しては襲いかかってこないのですが、例外は必ずいます。しかしこれほどの数がいて例外がないとは――知能に近いものを持っているやもしれません」


 あなた殺気を飛ばしていたのね。

 俺はその殺気を一切感じれなかったのだが、その例外なのだろうか。今回の森探索の目的のひとつである自身の戦闘力とスズシロの実力を推し量りたいということを告げると、彼女は少し考え了承した。


「ここは少し草が高く、あまり戦闘するに適していません。目視できる範囲では……あちらの、地面が安定してる場所がいいでしょう。そこで殺気を解きますので、準備をしてください。危なくなったら助力いたしますので」


 指し示された場所は、ここからでは見えなかった。しかし先導され付いていくと確かに地面が見えるほどに草が減った場所へと出る。彼女にはあの距離でここが見えていたのだ。


「それでは、ヒカリ様。ご健闘を」


 彼女はそう言い残すと姿を消す。これは想定外だった。先ほどまで殺気を発していた人が消え、残ったのは獲物だけだと理解した魔物たちが次々と背後の茂みから姿を現す。その数およそ3体。

 魔物の種類は、四足歩行で、犬と熊の中間のような容姿をしていた。四肢が熊のように発達しているのだが、顔は犬のままだ。体長は1mほどあり大型犬ほどの大きさはあった。

 杖の性能的には〈ファイアボール〉は自力で撃たないといけないのだが、まずは杖の力を頼りに使える魔法を使う。囲まれないようにしなければ。

 ――先手必勝。


「〈魔法の矢マジックアロー〉」


 魔物たちの戦闘体勢が整う前に先頭に立つ魔物に魔法攻撃を開始する。杖から放たれた魔法の矢はおよそ時速100kmほどのかなりの速さで放たれ、魔物は避ける間もなく当たる。

 しかし、戦意喪失までは持っていけなかった。他の2匹がすぐさま連携して両サイドに飛びかかってくる。俺は、"慣れている"のか少し下がり、飛びかかってくる終着点をずらし双方が視界内に収まるようにして防御した。


「彼のものらの攻撃を、強固な壁にて守りたまへ。〈土壁ソイルウォール〉!」


 飛びついてくる2匹の魔物の前に、それぞれ頑丈な土壁がり上がる。それぞれの行く手を遮るが、発達した前脚を使いすぐさま土壁を叩き壊す。それを"俺は"想定済みだった。すぐに次にやることが"わかって"いるため、そのまま杖を持っていない左手を地面に当て次の詠唱を開始する。


「彼のものらをその強固により貫け、〈土の尖頭シャープネス〉」


 地面から細長い尖った土の柱がそれぞれ2匹の魔物の腹部に突き刺さり貫く。おびただしい量の血が地面へと注がれる。魔物たちはその柱から身を抜こうともがくが、逃れることが出来ずそのまま絶命した。

 残り1匹の魔物は、一瞬で仲間2匹が仕留められたせいか戦意を喪失し、そのまま森へ逃げていく。少し気が抜け、その場でへたり込んだところでスズシロから声をかけられた。


「お見事であるな、ヒカリ様。かなり戦いに慣れているようにお見受けするのですが、本当に戦闘経験はないのですか?」


 彼女の意見は尤もだ。――俺自身が一番驚いている。

 体に染みついたように次々と魔法を詠唱し見事に討伐する手際の良さ。自分自身を弱いかもと思っていたが、この体に染みついた感覚は間違いなく戦い慣れをしていた。


「私自身は、戦闘経験ないんだけどね。でも戦えそうで安心したよ」

「それほどの実力であれば1人でも旅が出来そうなほどですね」


 とスズシロはその討伐した2匹を見つめながら言った。壊された土壁の残った下半分が隠していたが、しっかり見ると土の柱はドリルのようで、先端は細いが根本に行けば行くほど太くなっている。魔物の自重でドンドンと根本まで深く刺さり、体の穴は直径10cmほどの、大きな穴になっていた。

 これほどまでの大穴を貫いてしまえば間違いなく死に至る。少し前までの俺はきっとこの死骸に少し罪悪感を覚えていたはずなのだが、今の俺はその死骸にはそんな思いは一切湧いてこず、ただその生命を慈しむ。


「ヒカリ様……一体何を……?」


 声をかけられ我に返ると、俺は死骸の頭を撫でていた。その無意識な行動に俺自身も少しだけ寒気を感じた。

 しかし、俺は心のどこかに、この殺した魔物たちの懸命に生きた生に、祈りを捧げたい気持ちがある。

 俺が殺さなかったら良いだけなのだが……この矛盾した偽善者のような気持ちを否定できずにいた。


「は、初めて見る魔物だったから少し気になって触感とか確かめてみてた」


 そう誤魔化しながらも、頭を撫でた際についた皮脂が手の中でベタベタと残り続ける。それはまるで自分の中にある"自分以外の感情"のように纏わりついて離れないもののようだった。

 俺自身はいつの間にか自分の体に順応し始めている。その筋肉に染みついた動きや感覚を少しずつ、自分のものにして強くなろうと決意した。


「スズシロたちの世界では魔物はやっぱりいるの? 殺した後はどうやって処理してた?」


 戦争していたと言うスズシロたちの文化に少し興味を持った。

 俺たちの世界には魔物はいないが、道端の動物の死骸は国の機関が回収し、焼却処分をするのが当たり前だ。しかし彼らの国はどうなのだろうかと。


「魔物はもちろんいましたよ。魔物はかつて突如として現れた魔王なる大陸から発生し、そこから全世界へと広まったとされています。まぁ……御伽話のようなもので事実はわかりませんが」


 彼女は興味無さそうに、そう説明を始めた。


「討伐した魔物の種類によっては、死骸から素材を回収し、ありがたく頂戴します。その残りを燃やして穴に埋めていましたね」


 頂戴する――つまり食べるのだろう。アニメや漫画では、魔物を食べるといった話は半々だ。彼女たちは食べる文化なのだと。


「しかし、私はこの魔物を知らず、何が素材になるのかすらわかりません。この肉も食べて良いものなのか違うのかもわからないため、この魔物は全て焼いて穴に埋めましょう」


 とても冷静に意見を述べるスズシロに、本当に違う世界の人間なのだと思い知らされた。


「この魔物は恐らくですが、皮は防具とかとしては需要はなさそうな柔らかさです。それに牙とかは知識がなければ無闇に触るのは避けた方がよいかと。素材回収するのは、ある程度専門的な知識を持つものの情報を聞いてからでよいかと」


 素材回収に関してはスズシロの言う通りなのかも知れない。それに俺も、この身体の記憶なのか、この魔物の牙は危ないと警告を発していた。

 それはスズシロも同様なのだろう。俺たちは魔物の死骸を穴に落とし、強い火の魔法を用いて焼却する。しかし、猛烈な悪臭が漂いやむなく焼却を断念し土葬にした。

 素材を安全に回収することも出来ないため、無意味な殺戮さつりくをしたくない。その意見にスズシロも同意していたので、これまでのように彼女に殺気を放ってもらい、魔物を寄せ付けないようにしながら街へ帰還することにした。


 しかし、いくら歩けども見知った道を見つけることができなく、スズシロはかなり焦っていた。感覚的には蛇行もせず直線的に動いていたはずなので来た道を戻れていると思えていたのだが――どうやら遭難したらしい。


「おかしい……一体どうなっているのだ、この森は。間違いなくこの方角で正しいはずなのだ」


 2人とも方向音痴でなければ、2人して同じ方向を帰り道として共通して認識していた。

 さすがにこれは……何かおかしなことになっているのではないか。

 ――突如として濃霧が立ち込める。

 慌ててスズシロの手を掴もうと彼女に向かって手を伸ばすが、濃霧はまるで生き物のように俺とスズシロの間に入り込む。俺は彼女を見失った。

 声による音を頼りにするため、大声でスズシロの名前を叫ぶも一向に返ってこない。それどころか、俺の声が反射しこだまの様に返ってくる。そのことが俺を余計に焦らせた。


 ――おかしい。すぐそこにいたはずだ。大股で四、五歩程度の距離しか離れていないのだから見失うはずがない。

 だんだんと気温が下がり、肌寒くなっていた。無闇に動くと余計に遭難する。そう思っていたのだが一向に改善がみられない様に、自分の考えが本当に正しいのか怪しくなり不安になった。

 そんなとき、濃霧の中に温かい光が朧げながらも霧の向こうに見える。ゆっくりと足を進め、灯りに少しずつ近づいていることに安心した。

 灯りの主は、木の洞の中にある焚き火だった。その焚き火と洞を――俺は知っている。それは初めて一夜を明かしたあの洞だ。

 中には転げて折れてしまった杖の一部が転がっており、それが間違いでないことを告げる。安堵で力が抜け、焚き火の前にへたり込んだ。

 しかし、この焚き火はいつから点いているのだろうか、また誰がつけた焚き火なのだろうか。そう疑問に思いながらも焚き火にあたっていると安堵が大きくなり、思考をやめた。


 安心したところで、どこか聞き覚えはあるが――馴染みがなく、それどころか違和感を感じる声が俺に向けられた。


「全く、本当に探したよ……。なかなか見つからなくて諦めかけてたよ? でも無事に見つかってよかった」


 やれやれと言った少しくたびれた声をかけた男は焚き火を挟んで向かい側に腰を下ろす。


「あなたは……誰なの?」


 そう問いかけた時、その男の周りを纏っていた霧が晴れはっきりと姿を現した。その姿を――俺は覚えている。

 しかし、"ソレ"が見えたと同時に恐怖心が湧き上がった。


 ――ドッペルゲンガー


 頭によぎった言葉。

 それは自分自身に瓜二つの姿で、それを見ると自分に不幸や不吉なことが起きると言われている。しかし、こうも言われている。

 それは瓜二つなんかではなく、全く違った容姿でも、自分と全く違う次元のものでも、"ソレ"が自分だと認識できてしまう存在。


「俺? 俺はヒカルだよって、なんか自分に自己紹介するみたいでなんか恥ずかしいんだけど……。ずっと一緒にいたのに急にどうしたんだよ?」

「ずっと一緒? 知らないよ! 俺の体を勝手に乗っ取って何が狙いなんだ?!」


 俺は狼狽うろたえた。そう目の前にいた"ソレ"は――俺自身だった。

 俺が俺自身と出会うなんて、普通に考えておかしなことだ。しかし、今の俺は『ヒカリ』になっている。

 最後に自分の容姿を確認したのはいつだろうか。精確にそれが自分の容姿なのか確証はない。しかし間違いなく目の前にいる男は、俺なのだと――本能的に理解している。


「ヒカリ本当にどうしたんだよ。間違いなく俺を見て自分だってわかってるんだろ? お前に挨拶に来たんだよ。何か俺だって証明出来るものを――そうだ、ヒカリお前の誕生日は◯月◯日で、このゲームを始めたのは親友に勧められたからで、本当は最初男キャラで作ってたじゃん」

「――どうしてそれを?」

「けどなんかゴリラっぽい男が出来て、その後親友と2人で――そのキャラを作ったんだ。お前を見ていると親友と一緒にネカフェで楽しんだあの日々を思い出せて……楽しかった」


 彼は遠い目をして、その過去を見るように少し目を閉じて思いを馳せていた。


「その後、親友と俺は毎週土日のどちらかで一緒に遊んでた。けど俺がそのままハマっちゃって、1人でやる時間も増えて、それから初のワールドボスイベントが来て。レベルが低いから雑魚処理やって貢献度稼いでたよな。そしたらその雑魚のインプに沈黙かけられ殺されそうになってたのを――シャルさんに助けられた。あのときから付き合いあるんだよなぁー……」

「……どういうことだ? どうしてそれを知ってる?」


 信じられないといった表情を見て、苦笑いをしながら"ソレ"は俺を見ていた。


「うーん、だから俺はお前なんだって。まぁ信じてくれなくてもいいんだ。本当にこれだけ言いたかったんだ。今までありがとう。俺、ずっと『ヒカリ』といれてよかったよ。すっごい楽しくて幸せだった。……なんか変な感じだな。自分なのに自分にこういうこと言うって。

最期に――お前の"その姿"が見たかっただけなんだ。

それじゃ――さよなら」


 そう言ってヒカルは立ち上がると、霧に包まれて消えていく。

 全部を信じたわけじゃないが、あれは間違いなく俺だと――本能的に理解した。

 きっと幻覚か何かの類ではあるのかもしれないけれど、ゲーム外のことまで知っていたから、信憑性が高く感じる。


 そして立て続けに霧から次の人影が現れた。

 それはいかにも魔導士――いや、真っ黒なローブに身を包み真っ黒な髪をし、いかにも『魔女』の格好をした背の低い女性。


「あなたがヒカリね、だいぶ見た目が変わっていて面影がないわねえ。ワタシはこっちの見た目の方が正統派っぽくて好きだけれど。面影がなくてちょっとやりにくいわね。ワタシはあなたに力を返しに来た、といってもワタシが半分育てたから授けに来た、のほうが個人的にしっくりくるわ」


 突如として現れた魔女に困惑しながらも、話をトントンと続けていく彼女。情報が次から次へと出されて頭の思考が停止しかける。


「さっそくあなたの力を見せてあげる。時間停止の魔法よ、と言ってもこれは今のあなただとギリギリ扱える魔法ね」


 足を勢いよく踏み鳴らす魔女だが、特に何も変わった気がしなかった。


「一体何をしてるの? 時間停止って言ってたけどそんなこと出来るわけない!」

「そうねえー。ここは霧が濃くて周りが見えないから何もわからないわねえ、それじゃあちょっとこっちに来て」


 そう言って魔女は途方もなく霧の中を歩く。ここは木の洞だったはずなのだが、いつの間にか完全に霧に包まれ自分が今どこを歩いているのか、足元すら見えない。そんな中、魔女の背中を見失わないように追いかける。


「待って、待ってよ。置いてかないで」


 そう言うと魔女は振り返り、俺がある程度近づくまで待ってくれる。また近づくとどんどん霧の奥へと進んでいき距離が空く。そうしながらも、しばらくついて行くと、そこにはスズシロと俺を助けてくれていた馬が泉のほとりで戦っている姿があった。

 俺はスズシロの名前を大声で叫ぶも、よく見ると両者とも身動き一つとっていなかった。


「ね、時間、止まっているでしょ。でももう、ちょっと限界。時間が動き出しちゃうから、あなたに全部返しちゃうわね。あの子、危ないからすぐに助けてあげて」


 魔女はまた足を踏み鳴らす。その瞬間、止まっていた2人の時間は動き出し戦い始める。最初こそ、スズシロも善戦していたが馬が想像以上に強く、次第に押され始める。


「早く時間を止めてあげて。でもあの守護者――スレイプニルは絶対に殺しちゃダメ。」


 魔女は冷静に言葉を放つ。


「時間よ……止まれ……止まってください、お願いします」


 いくら魔力込めて念じようが時間は止まる気配はない。そうしてるうちにスズシロはスレイプニルと呼ばれる馬の攻撃を受け、大きく吹き飛ばされた。


「こんな遠くから俺は、何やってるんだ!」


 時間停止が発動せず、物理的に止めに入るため急いで丘から滑り降りスズシロの元へと駆け寄ろうとする。しかし、スレイプニルは俺に気がつくとこっちに来るなと言わんばかりに威嚇し俺目掛けて突進し突き飛ばす。

 そしてスレイプニルは、スズシロに向き直りトドメを刺そうとする。俺はそれを阻止しようと雷の魔法を詠唱するが、間に合わず、スレイプニルの脚が倒れているスズシロの頭を踏み潰した。

 目の前の光景を信じれず、何かの間違いだと狼狽え、地面を力いっぱい叩いた。涙が大地に落ちる。どうしてこんなことに……。そんな俺に魔女は近づいて無慈悲にも言葉を放つ。

 

「少し遅かったわね、もう少し早く使えれば助けれたのに」


 魔女はいつの間にか、項垂うなだれている俺の前に立っていた。目の前に憎き仇がいる、その復讐心にかられた俺はすぐに立ち上がり魔女の羽織っているローブの胸ぐら掴んで魔女へ問い詰める。


「あんたがこんな意地悪をしなかったらスズシロを助けれたのになんでこんなことをするんだ」


 魔女は、やれやれといった顔をして答える。


「ワタシが、意地悪? 取り消して。あの子がやられたのはあなたのせい、人のせいにしないで。ワタシはむしろ人知れず殺されるのは可哀想だと憐れんで、時間を止めあなたを連れてきてあげたのに」

「なんで、時間の止め方を教えてくれなかった! なんで今は止めてくれてるのに――なんで……!」

「ワタシは時間を止めていないわ。そもそもその力をあなたに返してあげたから、もう――使えない。それと、スレイプニルを殺しちゃダメ。あの子はずっと守ってきたの。ワタシやあなたの帰還をずっと待って、待ち続けていたの。ずっと守りながら、だからあなたは早くあの子に伝えてあげて。ワタシたちは帰ってきたんだって」


 魔女は杖を取り出した。それはゲームの最終日にシャルから渡された〈世界樹の杖〉だった。なくなっていたと思ったらどうしてこんなところに。その杖を握った瞬間、あらゆる記憶が流れ込む。

 悠久の時の記憶が、全て頭の中に入ってきて自分が自分じゃなくなるような、誰かに体を乗っ取られる感覚。

 動かそうともしていない体が、カラクリ人形のように操られ、言葉まで発していた。


「今回の件は不問にしてあげる。ユルズ、あなたは勘違いしていただけだもの」


 俺の口は独りでに口を動かし、魔女に向かって言い放つ。


「まさか、魂はそっちに入れていたの。預かった魔力の中にあるのだとばかり思っていたわ。それにしても物質に魂を込めるなんて非合理的よ。破損したらどうするつもりだったのよ」


 驚きながらも本気で怒っているユルズに、俺の身体は笑顔で微笑みかけた。


「破損したらそのとき、あなたは一生その魔力の渦から抜け出せず朽ちるでしょうね」

「ヴェルはいつからそんな恐ろしい女になってしまったの。嘆かわしいわあ」

「あら、今は『ヒカリ』よ。うまく馴染んでいるのだから。さあ目覚めさせましょう。この世界の生命を循環させるの。ヒカルくん、聞いているのでしょう?」


 俺は何故か、何をしたら良いかすぐにわかっていた。

 呪文なんて仰々しくなくていい。

 ただ一言――これから起こす事象だけを考えればいい。


新生し再生せよリバース


 高密度の、目に見えるほどの大きな魔力の塊が泉へと注がれる。

 その魔法は俺には覚えがあった。大広場で大地を作り変えたあの魔法。それは街だけに留まらず、この森まで作り変えていた。

 そして今しがた放った魔力はきっとこの大地を作り変えるだろう。


 魔力の塊は少しずつ泉に注がれていくが、全てが注がれるまでかなり時間は掛かる。

 大量の魔力を放出したせいだろうか、俺の体の主導権はいつの間にか俺に戻って、魔女ユルズもスレイプニルもいつの間にか消えていた。

 残された俺は倒れているスズシロに急いで駆け寄るが――頭を潰され即死していた。

 もし俺がちゃんと時を止める魔法を使えていたら結末は変わっていたのだろうか。

 瞳から溢れた涙が戻らないように――その起こらなかったことに思いを巡らせるのは無意味なことだ。

 俺は、その死体をどうすればいいのか……不思議とわかっていた。


「どうかこのものに安らかな祈りを。巡れ、あるべき形に戻り再会せん」


 俺の詠唱により、スズシロの体は光の粒子となり風に吹かれ消えていった。


「ヴェルさん…スズシロはどうなるんですか?」


 俺はもう1人の自分に問いかける。


『スズシロさんはまだ転生できるから、すぐに転生して戻ってくるわ。次はきっと彼女の身体に合うものに入れてくれるはずだから』


 彼女は俺の口を動かして答えた。


「転生して戻ってくる? 身体に合うものに入れてくれる?」

『そう、転生。また記憶も全てあるまま、戻ってくるから。今はまだ、気にしなくて良いわよ。縁があればまた出会えるから』

 

 俺はその言葉を聞いて少し安心する。俺の中の彼女は、後者の質問には答えてくれず、そのまま続けて言う。


『それから、私は永い間魔力を維持して疲れてるから眠るわね。ただいま、私の一部だったヒカル』

「おかえり、ヴェルさん」


 俺はさきほどまでアルコールで酔っていたようなふわふわとした気分で思考が定まらなかった。

 ヴェルが眠ると言ってから少し時間が経ち、頭が段々と冴えて落ち着きを取り戻す。


 俺はそれからしばらく、何かに呼ばれるような、導かれるように歩みを進める。

 辿り着いたそこは、ゲームで最後まで入っていた温泉だった。

 あの時ここから旅立ったときのまま。もう来れないと思っていたあの始まりの地。まだ3日も経っていないのにひどく懐かしく感じる。


「あらぁ、あなたも来たのね?」


 先客に声をかけられ、見渡すとそこには先ほどまでいた魔女がいた。


「いつの間に……。さっきはごめんなさい」

「なぁに? 急にしおらしくなっちゃって。ワタシは気にしてないわぁ。元はワタシも悪いらしいからね。非合理的なことをされると理解できなくて困っちゃうのよ。次回があれば……ちゃんと伝えて欲しいものねぇ」


 ユルズのゆっくりとした喋り方に、どんどん飲まれていく。


「ごめんなさい。魔女さんが悪い人じゃないことはわかりましたから。それで、あの……なんで全裸なんですか……?」

「魔女さん、ねぇ。普通、温泉に入るのに全裸じゃなく服着てあなたは温泉に浸かるの?」


 彼女は背が低く、胸も小さい。あまり見ていても興奮するようなこともないのだが、何故だかバツの悪いものを見ている気分になり目を逸らした。


「ワタシはあなたたちのようにキャラネームで言うなら――ウロボロスなんだけど。もうそうやって名乗る気はないから……ユルズでいいわ」


 ウロボロス。どこかで見た名前なのだが、もう思い出せない。彼女はとても行儀よく、かけ湯をし静かに入浴を始めた。


「あなたも服を脱いでお入りなさい。今のあなたの服汚れてるからそのまま入られちゃうと温泉が汚れちゃうわ」


 ユルズが指を鳴らすと、俺の服が一瞬にして消える。本来消えないはずのインナーまでもが消えて完全な裸となっていた。俺は慌てて体を隠すように温泉に浸かって隠す。


「あら、随分と初々しいしいのねぇ。見ているこっちが恥ずかしくなっちゃうわぁ。まるで生娘みたいじゃない、ヴェル」

「私はヴェルじゃないよ、『ヒカリ』だよ」

「そう、記憶は引き継がなかったのね。それは良い心がけかも知れないわ、摩耗しなくて済むし」


 ユルズは少し疲れたように溜め息を吐いた。そのとき俺はユルズの顔をまじまじと見たが、言葉遣いからは到底考えられないような若い女の子の容姿をしていた。黒髪の長いロングヘアーに薄い赤色をした瞳、透き通るほど白く細い腕をしていた。


「ユルズは一体いくつくらいなんですか?」


 唐突に出たその言葉にユルズは少し悩んだあとに困った顔をする。


「ワタシは多分4000歳、くらい? なのかしら。と言ってもワタシも転生しちゃって、新しい記憶だと30歳くらい。魔力に記憶を引き継いでずっと継承してきているから1000年や2000年前の記憶も薄らと残ってはいるのよねぇ。それにしても、『ヒカリ』は可愛い顔をしているのね、お人形さんみたい」


 俺の顔を舐め回すようにじっくりと見るユルズに〈外見適性化薬〉を隅に落ちていた鞄から漁り取り出し見せる。


「これを使うと本来の外見に戻るみたいで、それまでの外見だけれどね」

「うーん、それは? ……なるほど。少し確認させてもらうわね」


 ユルズは右手で薬を触り、左手を軽く握ると両手が光り、一瞬で同じものが出来ていた。


「ユルズ、それはなに?! 一体何をしたの?」

「複製よ。仕組みは理解出来たからそのまま作ってみたの」


 ユルズは面白そうに薄笑いを浮かべる。黒髪に映える紅瞳は不気味なほどに三日月の目をし、怪しい企みをしているようだった。

 薬を触っていた右手を今度は自分の額に当て、額に当てたところが薄ら光を放つ。俺は呆然と何が起こっているのか分からず眺めることしか出来なかった。

 そしてユルズは額から右手を離すと、ニヤリと笑い左手に持った薬を一気に飲み干す。ユルズの体は光に包まれる。

 これは複製した外見適正化薬にも、本物と同様の効果があるということなのだろうか。そして光が収まるとそこには明らかに背の高く、美しく長い金髪の巨乳の女性がいた。



――――


 ユルズは金髪で巨乳のお姉さんになった。


「ユルズ……さん……?」

「なぁに?」


 目の前の女性はユルズで間違いないようだ。彼女は温泉から徐に立ち上がりそのしなやかな体躯を存分に見せびらかす。

 彼女は背が低かった少女の面影はなく、りのある豊満な体で背が高く、胸の上に乗っていた温泉の水はその肉体をつたい、大きなお尻で滴り落ち温泉へと再び注がれる。


「その姿は……? 一体どういうこと?!」

「何を言っているの? あなたが持っていた薬を、複製した物を飲んだのだから、外見適性化薬の効果に、決まっているでしょう」

「ええ?! ユルズってすっごいスタイルのいい女だったの?!」

「ワタシも、長いこと、この体を忘れていたから、ちょっと馴染みが薄いのよ、ね。でもこの身体は『今の』あなたには、刺激が強く感じちゃうのかしら? ね、ヒカルくん」


 ユルズはいたずらっぽくうふふと笑い、水を滴らせながら乳房や体に張り付いた長い髪をかき上げ、綺麗な母性溢れるオリーブの実をあらわにさせる。

 その美しい体に見惚れ、目が離すことを拒みその誘惑に釘付けにされてしまった。鼓動の早くなる俺に一歩、また一歩と山のような、迫り上がった胸をぷるん、ぷるんと揺らし近づいてくる。

 先ほどまで彼女の周りに纏わりついていた温泉の水が彼女の肉厚のある彼女の体を煌めかせていた。その大きな体の弾力と大きさの迫力に圧倒され温泉内で座ったまま後ずさってしまった。

 その様子に彼女は面白かったのか、そのむっちりとした胸の下に右腕を使って持ち上げながら左手はその妖艶な笑みを隠すように口元を半分覆っていた。


「どうして、あなた、離れていくの、かしらねぇ」


 後ずさる俺を獲物として認識したようなその瞳に、心臓が破裂しそうになっていた。彼女によっていつの間にか温泉の端の岩に背が当たり追い込まれている。

 彼女は獲物を追い込むと温泉のへりに乗り、膝をついて獲物を追いつめる豹のようにそろりそろりと四つん這いで近づく。彼女の歩みに対して蛇に睨まれた蛙、否、女豹に睨まれた童貞は一歩も動けずにすくんでいた。

 俺の鼻に彼女の吐息がかかり、次の瞬間には噛みつかれる。彼女の甘噛みはまるで神経毒が塗り込まれているようで、痛みではなく快感に変えられてしまっていた。

 動かなくなった俺を確認した彼女は、温泉へ再びゆっくりと入水にゅうすいし俺の体に自分の体が当てる。そして温泉の底に張り付いたままの俺の手を掴み上げ、俺の左手の神経毒を取り除くように掌を舌で舐め、掌の神経を過敏だと思うほどに敏感にさせ、彼女自身のありがたい膨らみに被せた。

 俺の指先の下の弾力のある胸に指の第一関節だけを動かし跳ね返ってくる弾力を堪能する。しかしその誘惑に抗うようにすぐに手を引いて誠実な男として演じようとする俺と、そのまま揉みしだきたくなる男としての俺がせめぎ合い、抗い難いものとなっていたのだった。

 ユルズはその様子に悪戯心に火をつけたようで双子の片割れの胸にも、俺のもう片方の手に握らせ、俺の動く指に合わせて小さく吐息の混ざる声で あ、あ、と喘いでみせる。興奮して俺の理性が隣の惑星へと飛び立ってしまった。

 それもそうだ。目の前にこんな絶世の美女がいて、その彼女が俺の指に呼応するかのように甘美な声を漏らす。童貞の俺にはその刺激は麻酔のように脳の思考が出来ないくらいに停止させてしまった。もっとこの声を聴きたい。思考が停止し本能的に彼女の胸をむさぼる。


「痛いわよ、ばぁか」


 ユルズの怒りのチョップが頭頂部に直撃し、俺は正気に戻った。

 興奮して力が抑えられなかったのだろう、彼女の白い肌にはくっきりと俺の手形が真っ赤に浮かび上がっていた。彼女は自身の胸をいたわるようにさする。


「全くもう、調子に乗りすぎ」

「ご、ごめんなさい!」


 慌てて謝った。そのとき初めてこの世界に来て男だと実感した瞬間だった。

 勃つものがなくとも俺は紛う事なき男だと――ハッキリとした自覚だった。そのときユルズの手が俺の胸へと伸びる。


「仕返し。よおく、堪能、してね」


 と俺の胸を揉み返してくる。

 正直くすぐったかった。そして段々強く揉んでくるユルズの手は、いよいよくすぐったさから引っ張られるような、そして肉を引きちぎられるような痛さになり思わず痛い、と手を振り払った。


「うふふ、今のヒカルに、灸を据えるのに、ピッタリ」


 悪戯な表情をみせる彼女は少しすっきりしていたような気がした。


「ご、ごめんって…。でも、そうだよね。痛いって身を持ってわかったよ」


 俺はとてつもなく反省して温泉に顔をうずめる。彼女は俺の隣に移動し、肩をくっつけながら耳元で小さな声で更に追い討ちをかけてくる。


「先ほどの、スズシロさんが無事と知って、現金なものね。すっかり忘れて、いやらしいことをする気分になっちゃって。励まそうとしたワタシの気持ちも、んでくれたら、ね」


でもそれはなんとなく、母親のような優しい声だった。


――――


 薬を飲んだユルズの美貌に目を奪われてぼーっと惚けてしまっていたが、温泉に浸かりしばらく、ふと冷静になり思考に耽る。


「ユルズ、そういえばさっきの外見適性化薬で好きな見た目にすることは出来たりしない?」

「無理かしら、ね。あれは、あくまでも、今あるヴェールを剥がすだけの、ものよ。ミラージュブレイク、なんですもの。中身までは、変えられない、わ」


 ユルズは理解しやすいものを例えに説明する。

 つまり――パソコンのデスクトップやソフトウェアとを入れてカスタマイズしたとして、そのパソコンを初期化してしまえば元に戻る。中身のパーツを入れ替えない限りは、同じものにしかならない、と。

 ユルズがまさかパソコンを例にしてくるとは意外だったが、理解しやすかった。


「それじゃあ、複製をいっぱい作ったりは出来ないの? 街にその薬を貰ってない人がいっぱいいるから欲しい人に渡せれば、って思ったんだけれど」

「追加で、来た人たちのこと、ね。あの人たちは、あなたが放出した魔力が、地に注ぎ終わればみんな戻ってしまうの。だから、時短のためだけには、作りたくない、わね」


 言っていることは尤もだ。

 もう完全に時間制限があることがわかっているなら、無理にお願いするこちら側がただの無意味なわがままになってしまう


「わがままなこと言ってごめんね」


 その彼女はその言葉受け取るように微笑みを返す。彼女は絵画の絵のように精巧で、とても美しく、見ていて見惚れてしまうほどだ。

 このような女性に好意を寄せられたのならどれほど幸せなのだろうか。そんなことを見惚れているうちに考えていた。


「なぁに? ワタシの顔を、そんなにずっと見つめちゃって。ヒカルは、ワタシのこと、好みなの、かしら?」


 よほど俺は見つめてしまっていたのだろう。彼女に気づかれしまっていた。慌てて顔を逸らし、話題を変える。


「そ、そういえばスズシロは転生してくるってヴェルさんが言ってたけど、どうなったのかわかる?」

「んー、多分だけど、ヴェルが言っているのなら……もしかしたら、あの魔力が大地に還ったら"戻って"くるのではない、かしら?」


 どうやら彼女も正確にはわかっていないようだ。彼女は言葉を断言することはなかったがヴェルには絶大な信頼があるようで、安心しきった表情をして話していた。

 ユルズとヴェルの関係性が気になったのだが、尋ねてみても「秘密」と妖艶な笑みで教えてもらえなかった。


 温泉から上がろうと立ち上がり、脱衣所に行くと服がないことに気がついた。そういえば温泉に入る際はユルズに服を消されたため返してもらわなければ。

 彼女のもとに行こうとしたときに気がついてしまった。これまではアンダーウェアを脱ぐことができないため気が付かなかったが、今俺はインナー装備もない裸の状態であった。


「え? えええ?!」


 思わず声を上げる。彼女はいつの間にか後ろに立ちくすくす笑っていた。彼女は手拭いのような布を取り出し、俺に身体をこれで"拭く"ように渡される。

 言われるがままに拭いて、見よう見真似でバスタオルを体に巻いた。そして俺の鞄に何故か入っていた下着のセットを彼女は取り出し、


「着替えの、下着。着てみたら?」


 と渡された。不器用ながらもすぐに着用してみせる。まぁやはり上は慣れず、ユルズに手伝って貰わなければ付けられないのだが。


「そのうち慣れるわ。ひと足先の、お試しみたいなものじゃない」


 ユルズは今度は上品に笑っていた。


「ユルズはさ、私が男だって知ってるんだよね?」

「あなたの為人ひととなりは知らないのだけれど、男の子だった、って言うのは最初から、知っているのよ、ワタシは。だから、揶揄からかっていたのに」


 ――最初から知っていた、という言葉は俺の気持ちを楽にしてくれた。下心ではあるが、少なくともミラージュブレイクを使用した後でも――きっと今と変わらずに接してくれるのではないか。

 なんとなく根拠はないのだがそういう安心感がそこにはあった。

 と下着がなかったことに気を取られ、今度は本題である服を返して欲しいと話を切り出すのだが。なんと、服もろとも"消失"させていたらしい。

 もう一々、ユルズのすることに驚いているとツッコミで疲れてしまいそうなので、大きな溜め息で全てを省略。

 服を用意してるから付いてきて、と温泉のすぐ横にある倉庫のような小さな小屋に案内される。

 最初に来た時にこんな建物あったのだろうか。あのときの記憶を掘り起こしてもあった気がしなかった。

 彼女は小屋に入ると、慣れたように蝋燭に向かって指を伸ばすと勝手に火が灯る。そうしていくつもの蝋燭に火を灯し明かりを確保した。この小屋はとても小さく、ユルズは天井に頭をぶつけないように屈みながら、引き出しからポンチョとミニスカートを取り出す。


「ワタシの戻る前の服、これなら今のあなたも、着れると思うから、着てみなさい」


 そのとき、この小屋が、元の小さな少女のときに作ったサイズのものだと理解した。その証拠に、明らかにこの小屋は今の彼女のサイズにあっていない。だが、俺の150cmサイズだと蝋燭の置いてある位置も、小屋の中も、不都合なく動き回れる。

 彼女はこれを自身で建てたのだろう。とてもすごい、と素直に思った。

 受け取った服を着ると少し大きかった。ミニスカートの方はさすがに着れるかと一蹴したが、その見た目で着れる最後の服かもしれないのだからと、その言葉にぐらつき、いよいよ俺も納得してスカートを履く。


 人生でミニスカートを初めて履いた。これまではインナー装備を着用していたからなのか、あまり感じなかったのだがショーツで履くと、よくすうすうするという感想を聞いていた通り、普通に歩くだけでスカートの中に風が入ってきてその感想は、すごく納得できる。

 ユルズは横で丈の短いワインレッドのローブに着替えていた。彼女も「これでおそろいよ」と丈が短いローブの裾を指で摘み同様の長さなのを見せると俺も文句は言えない。

 ユルズは街まで見送るというので、お言葉に甘えて案内してもらいながら隣に並びながら歩く。杖を温泉に忘れてきたことを今更ながら思い出し、取りに帰らないと、と戻ろうとする俺をユルズが引き止めた。あなたは明日またここに来るから大丈夫と。その言葉を不思議に思っていたが、ユルズがいうとなんだかそんな気がしてきたため俺も杖を取りに帰るのをやめた。

 かなり離れていた秘湯だったはずなのに10分も歩けば街の入り口まで辿り着いてしまう。もう少しだけユルズといたいと思っていたのだが、彼女の行きなさいという言葉でそれを諦めた。


「あなたは、また、明日来るのだから。また明日、ね」


 彼女はその言葉を残すと背を向け、森へと帰っていく。その背中に俺も


「また明日ね!おやすみなさい!」


 と元気よく返すとユルズは立ち止まるが、振り返ることはなく、ただ微笑んでいるような気がした。


 街へ帰りついたときには、日はとっくに沈んで薄暗い。冒険者ギルド酒場の前を通る際に時計を確認すると、二十一時を少し過ぎていた。

 スズシロはやはり広場にはいない。彼女は本当に帰ってくるのだろうか。戻ってきたとして、どこから記憶を覚えているのか、死を体験したため恐怖に飲まれてしまい廃人になってしまったら……と不安が頭を過ぎる。そんなネガティブな思考が頭の中を支配し、気が気でなくなりそうだった。

 しかしまだやるべき事がある。それも特大レベルに重要な事だ。

 ――シャルへ打ち明けなければ。

 さもなければ、明日には孤独な冒険者となってしまうだろう。いや、俺にはユルズがいる。

 その心の支えが、打ち明けようと思う気持ちを後押ししてくれているのだから。


 思い足取りでギルドハウスへと向かった。

 頭の中では、最悪なパターンを何度も何度も反芻させ、俺の心を蝕み続けている。

 シャルに軽蔑されたら、ギルドの他の人にも軽蔑されたら、アキネたちにも受け入れて貰えなかったら……。多くの最悪な結末を思い描く。それが俺の打ち明ける気持ちを半分以上喰らっていた。

 それでも俺は、振り絞る勇気で身体を動かす。右足、左足と泥濘ぬかるみに嵌った足を動かすように。左手を上げ、玄関の扉に手を掛ける。その手は激しく震えていた。

 ギルドハウスの玄関を開け、エントランスへと入る。中は酷く静かで、これからの嵐を物語っているようだった。

 今このギルドハウスの中は、薬を使った人しかいない。彼らも用事がなければ個室で寝ている事だろう。

 元の世界とは違い、今の俺たちには娯楽などない。寝る事が、今の俺たちの唯一の娯楽と言えるだろう。

 思い返せば、俺は結局何一つ他人のために奔走した事はなかった。全てどこかしら利己的な自分がいる。『ヒカリ』として何かしようとした。しかしそれは、自分自身の自己満足のためでしかない。

 その自分の利己心が俺の首を絞める。醜くおぞましい自分を窒息死させるほどに、息が出来なかった。


「ヒカリさん……? どうしました、こんな時間に……顔色すごく悪いですよ……」


 どこかで見たことのあるギルドメンバー。しかし今の俺には彼女が誰であるかなどに思考は働かせれない。シャルの居場所を尋ねると、彼女を無視して俺は応接間へと向かった。


 こんな時間にも関わらず、応接間では会議をしているような声が漏れ出す。彼らはこんな時にでも誰かの為に奔走しているのかと心が傷む。

 しかし中の声に耳を傾けると、違った内容を話していたのだった。


「メリルさんってそんな見た目だったんだ!」

「ボイスチャットの声の情報から、ある程度の頭蓋骨の形を想像していたが、やはり違うものだな」

「なんだよ、頭蓋骨って。相変わらず気持ち悪いやつだな」

「……それで、メリルさんは何て名乗るんですか? さすがに男でその名前は違和感ありますからね」


 中では薬を使ったお披露目会をしていた。

 今中に入るのは流石にまずい。振り絞った俺の勇気もためらい、醜い利己心と一時休戦していた。醜い悪魔の心は、そのまま聞き続けようとドアに当てた耳を離さないように説得する。

 聞いていなければタイミングなど計りようがないと、大義名分を掲げ振り絞る勇気に有無を言わさなかった。


「オオタ ミズアキの番やろうぜ。結婚式にまで出席したから、お楽しみなんてないからな。トリには役者不足だ」


 フルネームで呼ばれた彼は誰なのだろうか。そんな疑問も、今から喋る声を聞けばすぐにわかることだ。


「ヴォーデンと呼びたまえよ。まだもうちょっと格好つけていたいんだから。まぁ……結婚式に招待したのは紛れもなくこの僕だ。知ってて当然だよな」

「ミクちゃんと結婚するって聞いた時はびっくりしたけどよ。ネトゲ結婚って本当にあったんだなぁ」

「ミクちゃんの青いドレス綺麗だったよね」

「でしょ? アタシも頑張って綺麗になったんだよ」


 彼らは、本当に仲が良さそうだ。それこそ、こんな環境に居てもお互いを信頼し合えるであろう程に。


「まぁ、トリはガリルだろうな。結婚式の時すらビビったくらいだ」

「あれから2年だ。それだけの長い期間あれば容姿などいくらでも変わる」

「こんな無愛想なやつがあんな見た目してんだからなぁ」

「あれは2人の結婚式限定だ。普段であればもっと男らしくしている」


 凄く気になる話題だ。その話を最後まで聞きたいという俺の願いは、すぐに破られた。


「それよりミク。ヒカリからは何も話はなかったのか? あいつは多分男だぞ。それを明かさないようなやつを信用していいのか?」

「何も言われてないけどさ。いくらガリルの推測がよく当たるとか知らないけど、そうやって人を決めつけて疑うのは良くないよ!」


 俺を庇うシャルの声。その言葉に俺の心臓はキューッと掴まれたような気がした。


「僕もあの子は男かなって思うことは多々ある。師匠みたいな気持ちであの子と向き合ってきたけど、僕にも打ち明けてくれないから――僕の人間関係からは切り捨てようかなって思ってる。」

「ミズアキもそんなこと言わないで! アタシはヒカリちゃんを信じてるし、なによりアタシの魂が――あの子は女の子だって訴えてるから!

あの子が言わないのは、女の子だから別に言わなくていいってだけでしょ。あの子の口から出る言葉じゃないとアタシは信じないから」


 ミク……いやシャルの、俺を庇う声に俺の振り絞った勇気は完全に力を尽きて死んでしまった。こんな優しい人に打ち明けられなかったのか、こんな人を勝手に疑って言う勇気を持てなかったのか。

 俺の醜い利己心を叩きのめして……さっさと打ち上げればよかった。きゅっと締まり破裂しそうな心臓。――とてつもなく苦しい。


「あ、すみません、ヒカリさん! 応接間に人を近づけるなって厳重注意されていたんです。戻ってください!」


 廊下から突如として声が掛けられた。その声は応接間の中の人にも聞こえたのか、中から聞こえていた話し声も止み、こちらへ足音が近づいてくる。

 俺はギルドハウスから飛び出すように逃げ出した。

 この世界には、適性という異能が存在する。〈影適性〉の速さで追いかけられてしまったら逃げ切ることは絶対に出来ない。

 どこか、どこかに身を潜め、〈幻適性〉でやり過ごすんだ。思考を巡らせ〈幻適性〉で自分に光を吸収する膜を張り、急いで森の方へ走る。

 しかし森への入り口は、見えない壁によって阻まれ入ることが出来なくなっていた。


(嘘! どうして?! さっきここから街に入ったはずなのに!)


 ここで入れない森への侵入を粘り、誰かに見られるのはまずい。とにかくやり過ごす場所を。

 すぐ近くにある冒険者ギルド酒場の裏手――その薪小屋に身を潜める。迫ってきているかわからない追手に気が緩められず、見つからないことを祈りながらも……これまでの自分の行いを呪った。醜い利己心、力のない勇気。全てを恨み、憎み、呪い、そしてなにより、それを全て持った自分を殺したいほど憎んだ。

 俺はいつの間にか、涙が溢れ服を濡らしていく。嗚咽を必死に圧し殺すも漏れてしまい、見つかるかもしれないと必死に堪えようとするも余計に圧し殺すことが出来なくなる。

 もうこのまま、見つかって公開処刑でもなんでもしてくれ、そしてひと思いに殺してくれ。死ねばこの後悔と苦しみから解放されるのだから。


(ああ、死にたいと思う人はこういう気持ちなのか)


 でも、俺は弁解の余地もない。完全な自業自得で余計にそれが俺を苦しめる。俺は俺を殺したい、殺したくて仕方がない。弱く醜く悍ましい自分の存在を赦せなくて認めれなくて。

 けどきっと、自分を殺したところでこの醜さは変わらないんだ、バカは死んでも治らないのだから。俺の心臓が潰れそうなその瞬間、


「ヒカリさん?!」


 リーリアだ。彼女は俺を見つけると、何も言わずに駆け寄り泣いている俺を抱きしめてくれた。そうだ、彼女は冒険者ギルドの職員だ。ここにいても不思議ではない、失念していた。

 収まることを知らない涙と嗚咽。リーリアは抱きしめ続け、俺の頭を撫でてあやしてくれた。


「ごめんなさい、ごめんなさい。

私なんかが生まれてきてごめんなさい。

私なんかが生きててごめんなさい。

みんなに謝らなきゃいけないのに、謝れなくてごめんなさい。

死なせてしまってごめんなさい。ごめんなさい」


 自暴自棄になった俺を彼女はそれでもずっと抱きしめ続ける。ずっと離さずにいてくれたことで、少し心が落ち着き始めた時リーリアは耳元で俺に語りかけた。


「ギルドで何があったのかは存じておりませんが。私が今のあなたのように壊れそうになった時、あなたから繋ぎ止めて頂きました。

私は今のあなたのように壊れてしまう前に、あなたに助けて頂けましたので大事にはなりませんでしたが。

私はあなたの心が壊れてしまった後でしか寄り添うことが出来ず……遅くなって申し訳ありません」


 そう語る彼女の瞳にも涙が溢れる。でも俺は彼女に涙を流してもらうほど大層な人間でもないのだ。


「私は自分の利己心に溺れて大切な人を傷つけたんです……私は最低な人間なんです」

「いいえ――利己心に溺れたというのもきっと事実なのでしょう。それだけあなたが苦しんでいるのですから。

でもその自責の念に囚われているのは紛れもなく、あなたの思慮による苦しみなのでしょう?

そして、あなたは――利他の心もって私を救い出してくれたのも事実です。

全て心なんです。

人間なので持っていても当然ではありませんか。でも大切に思うのであれば、謝らないといけませんわね」


 リーリアは聖母かと思えるほどに優しかった。その優しさに漬け込んでいるようで苦しくなるが、リーリアはまた優しく諭してくれる。


「あらあら。それでしたら今の私も利己心に囚われて行動していますのよ。私はあなたに恩があり、少しだけ他の人より大切に思っております。

けど私だけあなたを大切に思って、あなたから大切に思われないなんて嫌だから。

だからこうして、あなたからの心を少し私に分けてもらおうとしていますのよ。私も醜いですわね」

「そんなことない!」


 と強く反論する俺にリーリアは微笑む。彼女の微笑みは可愛らしい妹を見つめるような優しい眼差しだった。


「そう言ってもらえると助かりますわ。でも利己心なのは紛れもない事実ですのよ、それに優しさを感じたと言うのなら利己心も捨てたものじゃありませんこと?

利己心は相手に優しさを分けることもできますのよ。さぁ、夜風は身体に悪いですから、酒場に入られて? もう閉店しているので宿泊客以外はいませんから」


 そういってリーリアは薪小屋からすぐの裏口へと案内して中へ迎えてくれる。裏口から入ってすぐは職員の控え室だ。簡素で家具はほとんどなく寝具もないが、ふかふかのソファーが用意されていた。


「こちらは〈アーク〉の皆様が用意してくださったの。どうぞお掛けになって」


 彼女は俺をソファーに座らせると、自らも隣に座り俺の肩を引き寄せ膝枕をする。


「心が苦しい時はたっぷりの優しさで包んで上げるのが一番ですのよ」


 彼女の手が俺の頭を撫でる。その優しさはとても懐かしい。

 ――最後にこの優しさに包まれたのはいつが最後だっただろうか。


「私はね、実は男なんだ。でも誰にも打ち明けられずに苦しかったの」


 俺は無意識に彼女に自分を吐露していた。彼女は何も言わず、あいもかわらずに俺の頭をゆっくりと撫で続けていた。その何も言わないことがとても不気味に思い、起き上がりリーリアに問い詰めてしまった。


「今こうやって撫でてるのが男なんだよ? 女だと思ってたら下心の多い男だと思ったら怖かったり気持ち悪かったりしないの?!」


 リーリアはその迫力に少し驚いたようだったが、細い目を変わらず笑顔のまま、俺を再び自らの膝に押し倒す。


「いいえ、別に。でもそうですね、男だと少し困ってしまいますわね。己の危険をかえりみず、受付で小さくなっている私を助け出してくれた方になりますもの。

恋慕してしまってもおかしくありませんこと? あなたが女性だったら、この恋心を諦めれたのですから。親しいものとしてそばにいれるのに、あなたが男の人だったら、私はあなたが――欲しくなってしまいますわ。

ギルドから逃げてあなたと逃避行なんてロマンスに、今度は心躍らせてしまうのかしら」


 彼女の最後の言葉だけは冗談だとわかったが、本心と言ったように感じた。

 彼女とは昨日会ったばかりで何を言っているのかと少しだけ笑ってしまったが、きっと王子様と出会ったシンデレラもそんな気持ちになったのだろう。

 ――それとも王子という肩書きにときめいてしまったのだろうか、そう冷静に考えていたつもりだったが彼女の撫でる手と泣き疲れたのもあってか俺は疲労と優しさに包まれて眠りに落ちた。


――――


 翌朝目が覚めると、外套を掛け布団代わりに被せて貰っていた。今の時刻は確かめようがないが、身体がまだ女のままだったので13時を過ぎていないことだけは間違いない。

 外はときどき騒がしくなったり止んだりを繰り返し、何事かと思っていると突如として裏口のドアが開けられる。

 そのドアの向こうには――シャルいた。


「あー……ヒカリちゃん。今日大事な日なのに今起きたでしょ」


 突然のシャルの来訪に慌てる。しかしシャルの方は時間がないようで強引に手を掴み、行くよと力強く俺を引っ張る。

 そのときリーリアとすれ違ったのだが、彼女は一言


「吉報を――あなたの口からお待ちしておりますわ」


 と投げかけ、彼女はそのまま裏口から冒険者ギルド酒場の裏口へと引っ込んだ。


 シャルに連れて行かれてる場所はもちろん、みんなの前で薬を使って元に戻るという催しをしている会場だろう。

 しかし、会場はなぜかずっとギルドのエントランスかと勝手に思っていたのだが、まさか〈大広場〉を使用していたとは想定外だった。それは――ギルドの限られた人だけでなくこの街全ての人に周知させるというもの。まさに公開処刑場だ。


「あと10人なのにヒカリちゃんがいなくてビックリしたよ! 最近ずっとお昼まで寝てること多かったからもしやと思って探して良かった。とりあえず寝癖とかは薬飲んだら消えるからそのままで!」


 そう言われ、いつの間にか〈大広場〉に設置されたステージの袖まで引っ張って来られていた。そのまま待機列に並ばせられる。列はステージに今上がっている人、その次に待っている人、そして俺の残り3人。

 シャルは俺を列に並ばせたあと、見知らぬ集団の方へ歩いていく。恐らく彼らがヴォーデンたちなのだ。俺はもう明かすなら今しかないと、少し離れたシャルと、その集団に聞こえるように叫ぶ。

 しかしその声は、ステージに上がる歓声でかき消された。そして俺の前に立つ男がステージへ上がる番。

 ――俺はもう言い訳をしたくない、だからもう一度めげずに叫ぶ。


「打ち明ける勇気が出なくて、今まで言い出せなくて、本当に、ごめんなさい。私は、今までみんなを騙してた」


 その言葉がしっかりヴォーデンやシャルに聞こえたようでみんなは俺の方を向いた。


「本当の私は、こんな小さくて可愛い女の子なんかじゃなくて、本当は――――」


 再びステージで大きい歓声が湧き上がる。俺の言葉は彼らに伝わったのか、歓声が先に掻き消したかわからない。

 しかし、シャルは俺の言葉を聞いても笑顔を崩さず、手を振っていた。


「ヒカリちゃん早くステージに来てよ! ほら早く」


 ステージでMCをしていたギルドメンバーから腕を掴まれ、無理矢理連れて行かれる。

 もしものためだったのだろう。ステージのMCは〈武適性〉持ちで、逃げたりしようものなら問答無用で押し倒され拘束出来る。

 俺には抵抗するための〈武適性〉もなければ逃げ切れるような〈影適性〉も持ち合わせていない。

 暴れてもびくともしない腕に持ち上げられ、俺はステージの中央まで連れて来られる。MCのテンションは最高潮。ハイテンションのマイクパフォーマンスを始める。


「そしてえええ、最後の大トリのギルドのアイドルのヒカリちゃんだぁぁぁぁぁ!

今舞台袖から抱っこさせてもらったがぁぁぁ小さくてキュートな彼女の正体やいかに!

それではヒカリちゃんに一言、頂きます!」


 観客の歓声が湧き上がる。

 そもそもギルドのアイドルなど名乗ったことすらないのだが、口八丁くちはっちょうに乗せられ湧き上がる観客も観客だ。

 そして、そんなMCからキューブ型の光沢のある鉱石を渡される、どうやらこれがマイクのようだ。MCからは小さく


「短い一言でいいよ。盛り上げるために性別は言わないでね。俺がさらにそこから盛り上げるから心配するな」


 と言われもうどうにでもなれ、と意を決した。


「私はみんなを騙してた。でももし許されるなら、いつまでもみんなと、ここに居たい。居させてください」


 俺は勢いのままに"外見適性化薬"を一気に飲み干した。

 飲み込んでほんの1〜2秒ほどで身体が発光を始める。

 俺自身も身体が見えないほどに発光しているため何が起こっているかわからずにいた。

 ――10秒ほどだろうか。光が収まり視界が高くなる。

 それもそうだ、俺は150cmのキャラから173cmほどにまで大きくなるのだから、23cm分、目の高さが上になる。

 光が収まると観客は静まり返り、MCも固まっていた。シャルの方を見ると彼女すら両手で口を抑えて驚いた表情をしていた。


 今まで女と信じていた人が――男に変わるのだ。

 今日ユルズのところに行くって昨日言っていたのだが、この公開処刑場から脱出出来なければ、その約束は果たせそうにない。

 そんなことを考えていた際に、ユルズの名前から恐ろしい事実を思い出してしまった。

 昨日下着が消えたので女物の下着を着用した。もちろん上もだ。そしてユルズにいわれるままポンチョとミニスカートを渡され――"着て"いる。

 つまり、俺は今、170cm越えの大の大人の男が女物の下着を着て、更にはミニスカートを履いた化け物。――その姿をこの街のすべての人間に見せつけてしまっているのだ。

 みんなが絶句したのは……とんでもないものを見せられたから。

 これは俺の望んでいた公開処刑とは違い、羞恥しゅうち公開処刑だ。俺は頭でそれを理解した瞬間にはステージから飛び降り全速力で走り森へと目指して逃げ出していた。


「ヒカリ、待て!」

「待ってヒカリちゃん!」

「どこに行くんだヒカリ!」


 後ろから怒号にも似た、制止を促す声。

 絶対に捕まってはならぬものだと本能的に理解した俺は、踏み出す足に力が入る。

 地面を大きく踏み鳴らしながら、彼らの制止を振り切り――別の意味でも無事に人生終了した俺は、みなぎる力を遺憾なく発揮して全てから遠かった。

 あれもこれも――ユルズのせいだ。そう思いかけた思考を吹き飛ばし、自業自得だと思い直す。

 森に入るとすぐに魔力を注いでいる泉のほとりまで辿り着いた。あとどれくらいで魔力が全て滴り落ちるのだろうか。

 しかしそれが――最後の一滴だった。


 最後の一滴が泉に注がれると、大地が大きく揺れる。地震はどんどんと強さを増し、いよいよ立っていられなくなり地面にしゃがみ込む。

 視界の奥で天を覆うほどの大きな大きな大樹が地面から顔を出し、止まることを知らずどんどんと上へと伸びていく。それは街などすっぽりと飲み込めるほどの――大きな大樹になった。

 揺れが収まると同時に"彼女"が森の奥からスレイプニルを引き連れて現れる。


「おかえりなさい、ヒカル」


 ユルズだけは、何一つ変わらずに俺を受け入れてくれた。

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