第7話

 騒がしい声に目が覚めた俺の目に飛び込んだ景色は、各所で焚き火を焚いて明るく――明るく盛り上がっている人々だった。

 SPを使い切ると意識が飛んでしまう。今回も同様に使い切ったのだろう。


「おはよーヒカリちゃん、だいぶゆっくり寝れた?」


 シャルはそばの焚き火に木をべながら言う。焚き火をあちらこちらで焚いているため明るくて気付くのが遅れたが空はもう夜になっていた。


「すみません。途中で倒れてしまって……どれくらい寝てしまっていました?」

「ざっと6時間くらいかな。SPは回復できた?」

「SPは…60ほどまで回復出来てますね。」

「もしかしたらこの世界ではSP0になるとある程度まで回復しないと目覚めないのかもね。気をつけてよー?」

「本当にすみませんでした!」

「謝られることなんて何もないよ。なんか上手く事が運んで、なんとかなったし! まぁヴォーデンはちょーっとだけ頭抱えてたけどね」


 それからシャルは立ち上がり、周りに向かって大声を出して語りかける。


「今回の功労者のヒカリちゃんが目覚めたよ! ヒカリちゃんのお話聞きたくない?」

「おー! 救世主のお目覚めだー!」


 シャルは俺に立つように促し手を差し伸べた。俺は立ち上がり周りを見渡すと、総勢は1000人以上。その人の数に気圧され、足がすくむ。


「えっと……私たちに場所を譲ってくれてありがとうございます……えっと……。何か良くないところがあったら……その、言ってくれると……改善します……」


 タジタジとしながらこれだけの人によく喋れたなと自分を少しだけ誇らしく思う。しかし座ろうとするとどこからか立ち上がり声を発する男の人がいた。


「俺はあなたに助けられたんだ。ゲームやってたらこんな事になっちまって、街も出られない。

ギルドには所属しているがギルドハウスなんて持ってなかったんだ。文句なんかねぇよ! だからもっとシャキッとしてくれよ! 女神様!」


 それに対してヒカリはそれまで以上に大きな声で言い返す。


「違います! 私はあなたたちを救ったわけでも、施しをしてるつもりなんて全くないんです! 私たちは救う救われる関係ではなく、同じこの大地を生きる仲間なんです!

私はまだ外見適正化薬を使ってないし、本当はこんな可愛くもない。だからもし適正化薬を使う日になったらここに立ってる私の姿は、幻想のように消えてしまう――。

ここで起こったこと、共に手を取り合ったこと、それを忘れないで。困った人を見かけたら、それは私だと思って手を差し伸べて――手を取り合ってください。

そうすれば……そうすればこんな状態からでも、きっとよくなると信じてるから!」


 俺はただ頭に浮かぶとめどない言葉を、無理矢理繋ぎ合わせる。そんな拙い言葉をみんなは、ただ静かに聞いてくれていた。

 言葉を言い終えると、小さな拍手が起こり、それは次々と伝播していき大きな拍手となる。これだけの人数の拍手はこの静かな夜の世界に轟き渡っただろう。照れ臭くて俺は顔を隠して座り込むことしかできなかった。

 でも――実際のところ『ヒカリ』は明後日には消えて……俺になってしまう。虚像でも誰かから誰かへの手を差し伸べる循環が起きれば、きっとそれはいいことなんだ。

 俺は、最後の最後まで『ヒカリ』をみんなの中に刻んで消えたい。だから最後の『ヒカリ』であるときまで生き続ける、そう決意した。


 それから俺はみんなが寝静まってる夜中、各焚き火台に薪をくべて回った。

 まだ1日しか路上生活をしていないだろうが、疲弊している人が散見された。あまり疲弊していなかったのは新しく来た人たちなのだろう。

 掛け布団になりそうなものはなかった。そのため、少しでも寒くないように焚き火を維持することしか俺には出来ない。

 そうやって全ての焚き火に、新しい薪を焚べて回っていたところ、聞き覚えのある威厳のある声がかけられた。


「ご機嫌取りのつもりか?」


 声の主を見ると、やはりムクゲだった。


「……違いますよ。それに胡麻擂ごますりだったら初めの方に来ますよ」

「それもそうだな、まぁ少し休んでいけ。これだけの焚き火台の数だ、少し休まんと身体が保たんぞ」

「……それじゃあお言葉に甘えて。実は少し身体がキツくて休憩したかったんですよね」


 そういって俺はなんとなくムクゲの隣に座る。特に深い意味はなかったがムクゲが向いている方向がみんなのいる方向だったため、その景色が俺も見えるように横に並んで座った。


「焚き火が眩しいな」

「……そうですか? でも暖かい火って見ていて心が休まりません?」

「そうだな、心休まる。我らはずっと戦争に明け暮れていてな。長いことこのような光景を見る事がなかった。焚き火だって敵に自分の位置を知らせてしまうから禁止していたのだ。こうやって暖かい火を見ながら安らげるのが、本当に異世界にいるんだと痛感させられる」


 彼らは紛争地に住んでいたのだろうか。リンドウとの駆け引きで戦闘初心者ではないのは、あの身のこなしから一目瞭然だった。


「あなたもしっかり休んでください。私はそろそろ他の人の薪を追加してまわりますから」


 そう言って立ち上がり、全ての焚き火に薪を追加してまわった。起きている人がいれば軽く会話をし、寝ている人たちのところでは静かに薪を焚べてまわる。一周するころには2時間ほどかかってしまっただろうか。シャルの元に戻ると彼女はゆっくり寛いでいた。


「ヒカリちゃんおかえりなさい、アタシら部屋があるけど、このままここで寝るよね?」

「私はもとよりそのつもりです! みんなを放って自分だけフカフカのベッドで寝れませんから……」

「じゃあさ、事後報告になっちゃうけどアタシとヒカリちゃんのベッドを、ヴォーデンとガリルに使わせてるんだけどよかった?」

「……え? あのお二人自分の部屋を持っていないんですか?」

「そそ。そもそもギルドでも個室を持ってた人なんて少数だよ」

「ええ?! あ、でも確かにヴォーデンさんも言ってましたね。セーフエリアは1エリアしか持てないって。マイハウス持つとそっちに登録しますよね」

「うん。マイハウスはサイズによってはシェア出来ちゃうしね。だからアタシもヴォーデンもガリルもそっちにホーム登録してたからね」

「他人に使われるのは少し抵抗ありますけど……さすがにマスターたちなら融通します!」

「ヒカリちゃんありがとね。相談もなしでごめんね」


 話が途切れたタイミングを見計らって背後から男性に声をかけられる。シャルと俺はびっくりして後ろを振り返るもそこには誰もいなかった。


「なに今の? イタズラかなにか?」


 シャルは見回しても痕跡がないためどうしたものかと俺の方を見る。

 確かゲーム時代にもこういった迷彩系のスキルはあったはずだ。魔物から見つからないように逃げたり、奇襲するために使う。これは『幻』の適性のもので幻覚を作り出したり、自分を見えなくするその類のものだ。これ系は同じ『幻』の適性持ちであれば、看破するのは容易い。

 相手の操作している魔力を掻き乱す魔力波を発生させる。他の人がびっくりしないように周囲1m程度にしか飛ばないように魔力を調整し発生させた。

 周りを見渡すといつの間にか後ろを向いた隙に前へと移動していたのだろう。すぐに見つける事ができたのだが、どうやらこの手の魔法は初めてだったようで魔力波を受けた男は意識を失っていた。


「見つけたんだけど、この人何がしたかったんだろう」


 とりあえずどういう意図であのようなイタズラをしてきたのかわからないため2人で拘束する、といっても拘束する道具もないのでうつ伏せにさせて後ろに手を回し2人でのしかかり手を抑える程度だった。すぐにその男は目を覚ました。


「いやぁぁぁぁ殺さないで! 殺さないでください!」

「人聞きの悪いことを言うな! あなたが先に仕掛けてきたんでしょ!」


 男に怒鳴りつける俺にシャルは笑っていた。そもそもシャルさんは薬使ってるから一番危ないのにどうしてそんなに無防備なんですかね、と苛立ちを覚えながらも男を落ち着かせ話を聞く。

 彼の名前はスズシロという。どうやら新しくきた人たちのようで薬を持たない人だったようだ。


「些かイタズラが過ぎたとは思うのだが、危害を加えるつもりは毛頭ないのだ。ただこの野営地を作り出したヒカリ様に興味があって、一度話したかっただけなのだ」


 どうやら俺へのお客さんだったようだ。スズシロの言葉を素直に信じ、シャルと共にのしかかって拘束していたのを解き、普通に座らせて会話を続ける。


「私と話したところで、そこら辺にいる普通の人ですけど一体何に興味がおありで?」

「そもそもヒカリ様たちは、この世界にもとからいた人ですよね? この世界についてお聞きしたいのですが」

「元からいたと言っても2日前からだよ。2日前に私はあの森の奥で目覚めたんだけど、たいした情報を持ってないよ」


 その話をした際にシャルが少し意味あり気に首を傾げた。シャルは指を数えながら2日前?とやはり首を傾げる。


「え、2日前でしょう? えっとほら、ミラージュブレイクの残り時間が38時間で、私がこっちきた時は確か84時間だったはずだから、46時間くらい経ってるわけだから2日前でよくない?」

「んー、アタシのときそんな時間長くなかった気がするけど。確かお昼くらいにこの世界に来て、残り時間72時間とかで使った気がするんだけど」


 シャルから明かされた衝撃の話に頭が混乱し始める。もしかしてそれぞれ時間がズレているのか。


「まぁどのみち、それくらいの日数しか経っていないからそこまで詳しくないんだよね」

「そうであったか。ときにおかしなことを聞いても良いだろうか。もし、こちらの世界に来た際に本来と違う性別であったものはおらんのか」


 今目の前にいる俺がまさにその例だよ、とは言い出せなかった。俺の身近な人だと誰かいただろうか、リンドウは渋い男から若い男で同一だし、ああ、そう言えば4人組の男の人たちがそうだった。


「私の知り合いというわけではないんだけど、4人組の男の人がいて、元は女の子だった人がいたよ。このミラージュブレイクっていう薬を飲むことで本来の容姿に戻れるようになっているみたい」


 スズシロに説明している横でシャルが頬を膨らまし、拗ねていた。自分でも何故忘れていたのかわからないが、そもそもシャルは男キャラだったことを今思い出した。


「アタシが一番身近な例えなのに、なんでそんな知り合いでもない人を例に出すかなー」

「もう本当にごめんなさい。シャルさんはそれに馴染み過ぎて、逆に男キャラだったこと忘れちゃってたんだよ」


 少し拗ねているシャルを他所に、スズシロは少しだけ希望が湧いたようだった。


「実はな、私は女なのだ。目覚めてからはずっと男でどうしようかと慌てていてな。その薬さえあれば私も戻れるのだな。少し私にその薬を見せては貰えないだろうか」


 スズシロは俺の薬を拝借しようと慎重に手を俺の持っている手に近づける。今更だが、もし自分の薬を他人に譲渡じょうとした場合、俺の身体はそのままに、飲んだ人の身体が戻るのだろうか。

 そんな都合のいいものなら誰か試してはいそうだが、口外されていないから俺が知らないだけの可能性もある。しかし試してみて、もし所持者が俺だから俺の身体が戻るとなれば……いやおかしくはない。

 この薬はそもそも、経口薬のようにみんな飲んではいるが実際は違う。なぜなら、リンドウは薬を飲んでいないにも関わらず元に戻ってしまっている。

 他人に飲ませても俺の身体が戻るのは明白ではなかろうか。考え込んでいる間スズシロは俺の指先を握っては離し、掴んでは離しを繰り返していたことが気になり視線を送る。

 シャルとスズシロはすごい感動していた。さっきから2人で私の左手に持っている薬を掴もうとすると一切掴めず、俺の手を掴んでいたわけだ。


「おお、初めて知った! これ他人の薬って触れないんだね。アタシの手がすり抜けてる」

「これはすごいですな。蜃気楼しんきろうのようだ。目の前にあるように見える薬に触れれぬとは」


 ――衝撃の事実。

 よかった、この事実は昼間に考えていたイジメが起こり得ない世界だと確信できた。杞憂であったことに安堵の息を漏らすと2人は不思議な顔をして俺の顔を見ていた。


外見適性化薬ミラージュブレイクとやらがない私たちは、そもそも期日までギルド内部へ入れないのだ。まぁ他の冒険者も同様であったため、そういう区別がされているのだと納得していたのだが。ヒカリ様は何故この様な場所に? 薬を飲んで今からでもギルドで寝た方がよかろう?」


 俺は黙ったまま、視線を2人のいない方へ向ける。スズシロの言っていることはもっともだ。

 普通に生活していたら、まず間違いなくそれは正論で"正しい"とされるものだと思う。でも俺はそれを拒み、さらには優遇されて自室があるのにも関わらずそれをせずにここにいる。そして、薬を飲んだ上でここにいるシャルもいる。俺は2人を納得させる言い訳を考えながらゆっくりと目を伏せたまま語りだす。


「私は、今の見た目がすごく気に入ってて、それを手放したくないだけかも。どんな罰であろうとこのキャラを手放してでも逃れたいものなんてない。

私は、自分のルックスがとても嫌いなんだよ。本当の私はこんな可愛くもないし、鏡ももう長いこと見てない。とても醜くてとてもじゃないけど自信がないの。

だからこの短い間、自信を持って『ヒカリ』として生きている最期の時間を悔いなく過ごしたくて。

――本物の私になって見向きもされなくなってもいい。ただそれだけのわがままなんだよね」


 シャルは少しだけ複雑そうな顔をして黙ったまま聞いていた。しかし逆にスズシロは、少し目を輝かせてこちらを見る。


「えっなに…?」

「ヒカリ様のその『今』を大事に懸命に生きている様を美しく思いました。私は以前、未来に不吉な事が起こるとわかり、更にそれが逃れられないものだと知ったとき、絶望し生きる糧を失いかけました。

不甲斐ない限りですが、今ヒカリ様はその苦難に直面しても今、懸命に生きることを諦めていないではありませんか。――私には少し眩しいほどの存在です」


 スズシロは正座したまま自身の緩く握る手に視線を落として俯いた。スズシロの身に何があったのかわからないが、スズシロの語るその重い言葉に、今自分がしてることが決して無駄ではないかもしれないと思えた。


「でも確かに、アタシもそういうのあったかも。やっても無駄だからもう諦めてやらない、みたいな。

やったところで余計に自分が傷ついて傷が深くなるだけかもって思ってやらなかったや。多分みんなこうやって諦めるだろうから、私だけが怠惰なわけじゃないって思えて簡単に諦められるんだよね。――現にここにそんな仲間いるし」


 シャルの言葉に対してスズシロは猫のように睨み威嚇していた。大の男がそんなことしていても可愛げはないがこれがもし本当に背の低い女の子がやっているのだとしたら、滑稽で可愛いなと思えた。


「それにしてもヒカリ様はすごいです。このような献身的な行動を出来るとは感服します。魔法を使ってこの場所を作り変えるのを一部始終見てましたが、あれほどの膨大な力を使えば自分への反動も相当なものでしょう」

「そんな献身的なことをしたつもりはないんだけど……でも反動かあ。目が覚めてから頭痛がずっと続いてることと身体がとにかく重たいことくらいかも。生命に別上はなさそうだよ」


 献身的、その言葉はどうしても喉につっかえて飲み込めない言葉だった。なにせその献身的と思われている行動の本心は、とてつもなく利己的で醜い自分の内面をひた隠しにするための隠蓑に過ぎないから。決して自分を褒めることはできそうになかった。




 翌日、目を覚ますとシャルの姿はなかった。先に起きて焚き火の追加でもしているのだろうか。そう思って周りを見渡すが彼女はいなかった。

 もう既に朝という時間ではなく、日は高く登っている。どうやらかなり長い時間眠ってしまっていたようだ。

 隣でまだ自分よりも寝坊しているスズシロを揺すり起こそうとしたが、全然起きる気配がない。仕方がないので、他にできる事を探すため、周りを見渡すと人が明らかに減っていた。

 もうみんな活動を始めているのだろう。しかし、ちらほらとまだ焚き火の周りで寛いでいる人もいた。


「おはようございます、ヒカリ様。如何されましたか?」


 漸く起きたスズシロだが、目覚めはかなりいいらしい。すぐに意識をハッキリとさせ、眠そうにする様子もなかった。


「シャルさんがどこ行ったか知らない?」

「私はぐっすり寝てしまっていたのでわかりません……」

「まあ、そうだよね。私もぐっすり寝てたから全然わからないし」


 他にシャルを目撃した人を探すため、〈大広場〉にまだ止まっている人たちに声をかけていく事にした。

 何ともチグハグなコンビと言うべきか。スズシロは背が高く、180cmほどの大男に分類される。一方俺は150cmを下回るキャラ。これではまるで兄と妹、或いは父と娘のように見えてしまうだろう。

 〈大広場〉に残っている人たちは皆、薬を所持していた。新しく来た人々は薬を持っていないため、〈ロード・オブ・レジェンド〉のプレイヤーたちというわけだ。


「もしかしたら、シャルさんたちは薬を持たない人たちを集めて何かしているのかも――」


 この状況で、どこかに行くとなれば冒険者ギルドの酒場かギルドハウスだろう。推測するのは簡単だった。行き先を一つずつ当たればすぐに行き着く。まずはここから見えている冒険者ギルド酒場へと向かった。


 スイングドアを静かに開け中へ入ると、やはりそこには〈アーク〉の仲間たちが忙しそうに働いている。しかし、昨日既に加入申請を済ませているはずなのだが、彼らは何をしているのだろうか。

 そんな疑問を抱えていたところに折良く、その答えを持った仲間が声をかけた。彼女――いや、彼と表現すべきだろうか。昨日――母性に目覚めたなどと冗談を言っていた彼だ。


「やあ、ヒカリちゃん。昨日はお疲れ! お陰でこっちも順調順調。今はガリルっちのお願いで全ての個人の情報を聞いて回ってるところさ」

「個人情報……? なんだか物騒ですね」

「いや、簡単な情報だよ。自己申告になっちまうけど、名前と性別――それと住んでいた国さ」

「何のためにそんな事を?」

「わっかんねぇよ、俺は馬鹿だからさ。わざわざ飼い主に、なんでフリスビー取って来なきゃいけないか……なんて尋く飼い犬なんていねぇだろ?」


 可愛らしい容姿で少し乱暴な言葉を使うその様子は、なんだか要らぬ性癖に目覚めさせてしまいそうになりそうだ。


「ところで……シャルさんは見かけませんでした?」

「ああ、それだそれ。シャルからヒカリちゃんが来たら、ハウスに来てって言わされてたんだわ。忘れたらドヤされるとこだった……」

「見事な忠犬ですね」

「よせやい、照れるわ」


 そんな彼との会話を終えたところで、低く重みのある声が俺の名を呼んだ。


「ヒカリよ、目覚めたか。ちょうど紹介したい人がおるのだ。こっちにツラを貸せい」

「おはようございます、ムクゲ様。今そちらに――」


 彼の座るテーブルへ向かうのだが、そこにはすらっとして背の高そうな、そしてどことなく気品が漂う男性が座っていた。


「こちらのお方が我ら〈キューリオス〉の当代――」

「モクレン様だ」とスズシロとムクゲは同時に彼の名を呼んだ。

 モクレンは軽く会釈をすると、俺らを席へと座らせる。


「お初ですね。私どもはあなた方の〈アース地球〉とも、この世界とも違う異世界人です。今後とも宜しくお願いします」


 ゲームの世界に入り込んだと思えば、今度は更に別の異世界と来た。なんだか、段々と現実味の薄れていく話に頭の理解は追い付かない。


「ガリル様に、詳しくは聞いてください。私はあなたと話がしたかっただけですので」

「私とお話……ですか?」

「ええ、ムクゲがあなたを気に入ったとのことで、傘下に加わる事になりました」


 モクレンのその言葉に、ムクゲは少し照れながら粗暴に笑う。照れ隠しなのだろうか、彼の笑い声は威圧するように重たい。


「なに、見事にお主はその言を実現してみせた。なれば、我らもお主の同志とし共に歩もうとな」

「ムクゲ様……本当にこちらの粗相の件は申し訳ありませんでした。これから、たくさんご迷惑をお掛けすると思いますが、宜しくお願いします」


 俺は握手のために右手を差し出す。しかし、この小さな身体ではムクゲの手の二回りも小さく、比べてしまえば赤子のようだった。しかし、彼はその手を同等の者と認めるように、侮る事なく丁重に握手をする。

 それは、間違いなく同志の握手だった。


 シャルの待つギルドハウスの入り口は人集りが出来ていた。どうやら冒険者ギルドの酒場以外でも、一人一人の情報を登録しているようだ。

 今し方、その登録を行なった人がゲーム同様の"仕様"が反映される。


「ヒカリ様、〈アーク〉へ正式に加入した人とそうでないもの、一体どこで見分けているのだ?」

「それは――この頸にあるロゴかな。多分私にもあると思う」


 俺は長い髪を持ち上げ、スズシロに自分の刻印されているであろう位置を見せながら説明した。


「この女性のマークがそれなのか?」


 やはり、同様に俺にも刻印がある。

 ギルド加入により、〈アーク〉のシンボルである兜を被った戦乙女のロゴのタトゥーがうなじに刻印される。

 どういう訳か、この世界もゲーム同様に、システムのように勝手に刻印されていた。

 ゲームではこれを非表示にすることが出来たため、こういうもので判断するものではなかったのだが、ここでは非表示に設定していた俺も、表示されているようだ。


「私もヒカリ様との同志になるのだから早く欲しいものだ」

「あれ、スズシロさんも加入してくれるんだ?」

「モクレン様も言っておったではないか、〈キューリオス〉の皆が、と」

「そういえばスズシロさんも薬もらってない人だから〈キューリオス〉ってとこの人だったんだね」

「ヒカリ様、私はここで刻印を貰うために並ぶから、その間にシャル様との用事を済ませてきて貰えないだろうか」


 俺はそこでスズシロと離れ、シャルのもとへと向かった。エントランスに入るとすぐに仕事をしている彼女を見つける。

 女性の集団を連れて、時折ギルドの中の説明を交えながら案内していた。


「あー! やっと起きたのね。このお寝坊ヒカリちゃん」


 彼女は案内していたが俺を見つけると、中断して俺に駆け寄って来る。


「おはよう、シャルさん。昨日はちょっと疲れが溜まってたのかも」

「まぁ、あれだけの事をしたしね。疲れて当然かな」


 頼れる女騎士と言った雰囲気なのだが、こうして話すと普通の可愛らしい女性だ。

 そんな話をしていると、先ほどまでシャルに案内されていた女性群がワラワラと集まっていた。


「紹介するね、この子たちは新しく入った薬を使った子たちだよ。これで私ら合わせたら22人! 案外多くて安心するよね」


 俺は彼女の話を聞きながら、俺を抜いた21人で計算をする。376人中、21人――5%ほどだ。思っていたよりも多い、それは確かにと彼女の話に納得していた。

 その内の1人が、俺たちの話に加わる。


「私ゲームではプリンって名前で……本名はハルナです。ヒカリさんも女性だったんですね!」


 彼女の嬉しそうな表情に、段々と俺は罪悪感が込み上げる。


(ここで、軽く男だってカミングアウト出来るようなメンタルだったら――どれだけ良かっただろうな)


 段々と女性扱いする人が増える事に心労が増えていた。嘘を貫く精神力って……きっと屈強な人間か、狂った人間なのだろうな、と心の底から思った。


「名乗る名前は好きに決めちゃっていいんじゃない? 早めに切り替えていかないと、みんなも混乱するだろうし」

「それっていいのかな? うちエリカって名前だけどゲームだとシャケって名前。これが名前として定着したら嫌だなって思ってたんで」

「いいと思うよ。今後付き合っていく名前だから自分が好きだって思えるやつじゃないと嫌じゃない?」


 俺自身もシャケちゃんと呼ぶのは――なかなかに遠慮したいものがある。もし彼女と仲良くなった際、街中で呼ぶ事にでもなれば魚屋が反応してしまいそうだ。 


「ヒカリさんは本名もヒカリってわけじゃないですよね……?」

「本名はヒカル。あんまり変わってないけど『ヒカリ』でいいかなって思ってた」

「可愛い名前ですね。ネカマの人とかってちらほらいましたけど、名前をそのまま使ってたら変ですもんね。ゴリラのような見た目の男で――アカリちゃんとかだとウケる」


 彼女たちはあまり悲壮感はなく、どこか少し楽しんでいるような雰囲気すらあった。そんな様子に少し安堵したのだが、シャルはどこか深刻そうな表情をして溜め息を吐く。


「何かあった?」


 シャルの耳元まで届かなかったが、口を近づけ小さな声で話しかける。その声に彼女は少し身を震わせた。


「び、ビックリした。いやね――みんなこれくらい明るかったらよかったなって……」

「ご、ごめん。他は何かあるの?」

「うん、最初の部屋の方はちょっと……ね。もし、良かったら様子見てきてくれないかなあ」


 言葉を濁し釈然としない言い方で耳打ちする彼女。そんな言い方だと気になってしまって見に行かない訳にはいかない。だが、スズシロを外で待たせてしまっては――いやまだ時間掛かるだろう。

 少し考え俺は見に行く事にした。


「その子たちは、ヒカリちゃんの部屋の隣にいるから。……よろしくね」


 俺に一体何が出来るのだろうか。これまでに落ち込んでいる人を励ますような経験は人並みにしかない。頭の中でデモンストレーションをやっていると、その部屋の前にすぐ着いてしまう。もう少し距離が長ければまだ色々考えれたが、そう都合良くはいかない。しかし、頼まれた以上は何かやらなければ、そんな使命感だけで扉の前に立った。


 ――コンコン。

 

 ――返事はない。ただ扉からは異様な空気が漏れ出ており、中を探るように耳を当て中の様子を確認する。鼻をすする音、小さな嗚咽。

 扉の向こうの音は止むことはなかった。

 意を決して、俺はゆっくりと静かにドアを開ける。少し開いたドアから中の様子を見ると4人の女の子たちが膝を抱え俯いていた。

 10人部屋と言われていたが、今は4人しか残っていないようだ。ドアの近くのベッドにいる子に話しかけるが、返事をしない。それどころか俺の存在そのものを無視するように何も反応してくれなかった。

 耳を澄ますと、部屋は嗚咽や啜る音だけでなく、各々が独り言をぶつぶつと呟いている。4人の声は、どこか不気味で近寄り難い。


「帰りたい」

「――なんでこんなことに」

「無理……生きていけない」


 彼女たちの言葉に真剣に耳を傾け、聞こえて来た言葉はそう言った内容だった。ネガティブな言葉を呟き続ける。それはまるでお経のように脳に響いた。

 この部屋に長く居続けてたら、俺は呪われるのではないか、そんな錯覚にすら陥りそうだ。

 俺は少しでも彼女たちのために何か出来ないか考え、一番近くにいたショートヘアの女の子の震える肩に手を置き声をかけた。


「ねぇ、少し私と話をしてくれない?」


 その問いかけに、彼女はおもむろに顔を上げる。見覚えのある顔をしていた。


「ヒカリさん。ボ、ボクヒカリさんに言われてこのギルドにちゃんと来ました。……ヒカリさん?」


 綺麗な顔をしたショートヘアの彼女は、ハッとしたように自己紹介をする。


「そうでしたね、あの時ボクはまだ薬使ってませんでした。アキネです。街の入り口で助けてもらった男キャラの」

「あのときの……それで、どうして落ち込んでいるの……?」

「――頑張ってみたんだけど、何もかもうまく行かなくて……。魔物に襲われて、死ぬ気で逃げて街まで来れたのに。あの魔物を今後倒すって思ったら怖くて……」


 彼女が出会った魔物がどれかはわからない。ただ、俺自身もなんとか1体倒すだけでやっとだった。その気持ちはわからなくはない。


「もしかしたら、〈クラフター〉ならって思ったけど……ゲームみたいに作れる訳じゃなくて」


 彼女は段々と悲しそうな声色に変わり始める。その瞳には再び涙を浮かべていた。


「――ボクなんかこの世界に不必要な役立たず」


 そう言って彼女は俯いた。


「そんなの――まだわからないよ」


 俺は彼女を励ます。しかし、その言葉は彼女だけに言ったものではない。それは回り回って自分を励ますように言っていた。


(魔物討伐で生計を立てる? そんなの俺だって不安だ。魔物は1体しか倒せていないし、かなり苦戦もした。

しかもあれは、単独だったからこそ出来たんだ。複数に囲まれていたら、きっと無事なんて言えない。

――本当に俺もこの世界で生きていけるのだろうか)


 多くの不安が頭の中に溢れ出す。楽観的に物事を見ていた俺は、しっかりと現実に向き合った上での悲観的な考えに何も言えなかった。

 でも、だからって何もしない訳にはいかない。今の俺は『ヒカリ』なんだ。面倒なことでも他人に手を差し伸べて共に手を取り合うような、そんなキャラ。この子たちみんなの俯く顔を上げさせる為に俺がすることは、この世界のたくさんの生き方を探して来てあげる事なんだ。


「私も、多分弱い人間だと……思う。モグラの魔物に苦戦して死にかけたし。それにアキネに言われるまで、この世界の生き方なんて考えてなかった」


 彼女は少しだけ頭を上げる。


「私なんかより真剣に考えてて偉いよ。なのに、そんなアキネが俯くなんて間違ってる。だから私がアキネたちが泣かなくていいように探すから……。たくさんの生き方見つけて来るから」


 いつの間にか俺は泣いていた。どこかで俺は現実世界の事を考えていた気がする。必死に頑張って働いても、必死に会社の事を考えて働いても、評価されない、認められないそんな嫌な現実を。

 いつの間にか俺たちの周りに他の3人も集まっていた。


「みんなの悩みも私に聞かせて。一緒に悩んで見つけたい」


 彼女たちの悩みは今はまだどうしようもない元の世界の事もある。けれどそれ以上に、この世界の不安がほとんどだった。

 元の世界の未練が少ないというのは、いい事なのか悪い事なのかわからない。てっきり、家族の事や友だちと離れてしまった事、そういう悩みが多いのだとばかり思っていた。しかし、いつ死ぬかもわからない世界だから怖がっていたのだ。

 気がつけば5人で元の世界の悪口を言っていた。

 給料が安いだとか、機械のように働いてる毎日でうんざりだとか、社会人になってから出会いがなくて恋愛とか全く出来なかった、だとかバカみたいな日常の悪口言う。

 でも、もうそれがないと嬉しいはずなのに……それが余計に寂しく感じて――元の世界のあれがよかった、これがよかった、こっちでも出来るのか、とたくさん話した。

 これから探していくんだ。

 楽しいこと、嫌なこと。魔物と戦うのは無理しなくて良い。俺自身も魔物と戦うことは危ないと痛感できたから――それを思い出させてくれた。


「絶対にたくさんの生き方を持って帰るから。だからみんなはこの〈アーク〉で待っていて。ギルドであれをやるって言ったら手伝ってあげて? 少なくとも私たちのギルドは、衣食住だけはあるはずだからさ。例えば、アキネさんはもし鍛治の修行ができる場所があれば学んでみたくない?」

「ボク、女だけど力足りるのかな。鍛治ってすごい力が要りそうだし」

「でも私たちには適性がある。アキネは〈武適性〉はある?」

「武魔幻の適性だよ。これでも魔法職だけどね。」

「でも武があれば、武がない男の人より力持ちなんだよ? だから男とか女とかきっと関係ないよ。ま、でも元の世界みたいに力仕事を男の人がやるってことはないからアキネが頑張んないとだけどね」


 みんなは愚痴を散々吐き捨てたお陰か顔は晴々としていた。

 そこにはコンビニで俺に笑顔で接客してくれた――アキネの姿に戻っていた。


「きっとあまり此処には戻ってこないと思う。けど、必ず連絡を寄越すから。絶対期待してて、私を信じて」


 きっとこれが彼女たちの中に『ヒカリ』を残せる一番いい方法だろう。明日には『ヒカリ』という幻想は消えてしまうのだから。

 部屋から出ると廊下にはシャルがいた。


「なんとかなったみたいでよかった」とホッとしていた。


「なんか元気戻ったみたい。多分みんな、大丈夫だよ」


 俺はシャルに力無く言う。このシャルともきっと明日にはこうやって話すことも少なくなるのだ。そう思うと少し物悲しく感じた。


「なんか、元気ない。ヒカリちゃんどうしたの?」

「アキネとは元の世界で会ったことある人だったんだ。あの子あんなに元気だったのに、こっちに来てさ、あそこまで落ち込んでるの見たら、ちょっとだけ心に来ちゃって」


 きっと彼女たちを立ち上がらせたとしてもあの輪には俺はいないんだろうな――と寂しさがこみ上げてきた。

 親友に乗せられて始めたネカマで居続けることに、心がどんどん崩れていく。本当の自分で居続けられないことがこんなに苦しいものだなんて思わなかった。


「シャルさん、私今日夜まで帰らなくても大丈夫?」

「えっと、仕事に関してはもちろん大丈夫だよ、どうしたの?」

「ちょっとスズシロさんと出掛けたいんだ。」

「出掛けるって……街の外には出られなくなってるよ?」


 そう言えば詳しく聞いていなかったが、ちらほら街から出られないと言っていた人がいたのはどういうことなのか、この際、きっちり聞いておくべきだ。


「なんかね、街の外に出ようとすると、こう……押し返されるんだよね。それについても解決しないといけないんだけど、ガリルとヴォーデンが言うには期日が来たら出られるみたいなこと言っててさ、信憑性が半々くらいらしいんだけど。ま、明日答え出るからそれまでにやれることをやって待ってる感じかな。」

「そういうことになってたんだ、知らなかった……。でも森の方は行けるんじゃない?」

「あー、森の方は行けるかも。森の方からは人が出てきてたし、でも無理しないようにね。危なくなったら逃げること!」


 シャルは少し強めに警告した。俺もなるべく戦わなくて良いものは戦いたくないし、死にたくもない。逃げることには大いに賛成だった。


「大丈夫、こう見えても逃げるのだけは慣れてるからさ。じゃあスズシロさんと行ってくるね」


 ギルドハウスを出るとスズシロはしっかりと刻印を貰っていた。結構長い時間だったから待たせていたかもと思ったが、列も長く刻印が浮き出るまでも時間があったため、俺を待つ時間は短かったそうだ。


「スズシロさんって戦闘経験結構ある感じ?」

「戦闘経験は……武器が持てるようになってから。キューリオスは1000年以上戦争している故、ほぼ皆、戦闘経験があるのではないでしょうか」


 〈キューリオス〉はどうやらかなり危険な国のよう。1000年間も戦争とは正気の沙汰とは思えない。

 俺たちの世界の歴史でも100年そこらが長い戦争だと言うのに1000年となると想像し難い。きっと開戦したころと今だと技術も変わりすぎて別物の戦争になっていそうだ。


「これから森でちょっと戦闘訓練したいから、付き合って欲しいです」

「承知した。私も魔法が使えない体になったので慣れねばと思っていたところなのでな、折が良い」


 肩を回しながら戦う準備を早々と始めるスズシロ。その隣で俺は使える魔法を思い出しながら2人で森の入り口へと向かった。

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