第6話

 応接間には、ソファーと机しかなかった。応接間と名乗るにはあまりにも質素で、果たしてここに客人を招き入れてもいいものか、と考えてしまう。

 ゲームだった頃は、シーズナルイベント限定の家具が、いつも並べられていた。


「家具が不足していまして、殺風景なのは申し訳ない。

”レディ”、こちらへどうぞ」


 ガリルは一人掛けソファーを引き、受付嬢をエスコートし、腰掛けさせる。


「”貴女きじょ”、お飲み物はいかが致しましょう。こちらでは紅茶とティーと珈琲をお出しできますが」

「ガリルさん、私はコーヒー牛乳がいいです!」


 俺は受付嬢が注文しやすいように率先そっせんして注文をする。


「ヒカリは”カフェオレ”だね。

お決まりになりましたら、お申し付けください、”御婦人”」

「私は、ティーをお願いします」

「ウーロン、ロースト、緑茶がありますが」

「ローストでお願いします」

「ロースト・ティーですね。承知いたしました」


 執事のように優雅な所作で、ガリルは応接間を出ていく。

 何かにつけて丁寧な人ではあるのだが、今回は特に言葉を選んでいるようで、それが少し面白かった。


「あの方は、一体?」

「ガリルさんは、副ギルド長です。ここで2番目に偉い……というか雑用する人、ですかね……?」

「ええええ?! 私、失礼なことを! すみません!」


 慌てた彼女をなだめるが、どうやら余計にパニックになったようだ。大丈夫です、と落ち着けているところに、ガリルが戻ってきた。


「”お嬢様”、いかがされましたか?」

「あっ、その、この度は、助けてくださってありがとうございました、副ギルド長様」


 彼女はすぐに立ち上がり、ぺこりと頭を下げて礼を述べた。


「助けたのは僕ではなく、ヒカリとリンドウですよ。そう畏まらないでください。

それから、”ほうじ茶”をお持ち致しました」


 ことりと置かれた白いカップから湯気を立てているのは、なるほど、どう見てもほうじ茶だった。


「……さっきはロースト・ティーって……」

「ヒカリは、カフェオレだったね」

「ええ、はい」


 ほうじ茶とロースト・ティー。コーヒー牛乳とカフェオレ。どちらも同じものではあるのだが、リーリアが疑問を持つ様子もないのは、妙な感じがした。この世界にも、ほうじ茶があるということか? いや、コーヒーだって……


「さて、落ち着いたところで、いくつか、というより、いくつも、質問したいことがあるのですが」

「私にわかる範囲で、全てお答えしますわ」


 カップを置いたリーリアの前に、ガリルも座った。


「ありがとう。では、まずお名前をお聞きしても?」

「リーリア、と申します」

「リーリアさん。あなたは、僕の言葉をハッキリと理解できているのですか?」

「……? それは、どういった意味でしょうか?」

「失礼しました。僕は遠方の出身で、海外の言葉は慣れないものですから、伝わっているかどうか気になりましてね。つまり、この……ナントカ語というのは」

「連邦国の共通語、『ヴォルスパー語』です。でも、とても達者ですね。異国の人だなんて信じられないくらい」

「恐れ入ります。ちなみにそのほうじ茶ですが、リーリアさんのご所望のものと、違いはありませんか?」

「はい。おいしいです」

「よく分かりました」


 ガリルは頷いてみせるが、俺には、彼が何を理解したのかいまいち分からなかった。


「次に、リーリアさん、あなたの身長を教えてください」

「身長、ですか? 163ですが……」

「単位は何ですか?」

「センチメートルですよ」

「興味深い。体重は?」

「……はい?」


 吹き出しそうになる俺の横で、リーリアが顔をこわばらせた。


「あなたの、体の重さです。今のは、伝わっていなかったのですね?」

「いや、そうではなく……分かりました。60です」

「ポンドですか?」

「……キログラムです。ヒカリさん、この質問は必要なんですか!?」

「えっ、私? その、これは、多分、おそらく」

「極めて重要でした」


 状況を理解していない俺は、それでもリーリアに助け舟を出そうとしたが、ガリルはノータイムで遮ってきた。黙っておけということだろうか。俺は気まずい顔で、味のしないコーヒー牛乳を喉に流し込むばかりである。

 当のガリルだけが、表情を変えないまま、質問を続ける。


「ちなみに、そのメートルとキログラムが、いつから使われ始めたか分かりますか?」

「……た、確か、200年ほど前です。それまで各地で統一されていなかった度量衡を、測算そくさんの賢者と呼ばれる偉大なお方が、新しく世界共通の単位として制定されたのです」

「素晴らしい。ついでに、暦についても教えてください。1年は何日で、今は何月の何日ですか?」

「一年は360日。今は収穫初月の47日です。まだ寒冷月まで時間があるので、皆様の分の食糧を心配していらっしゃったのでしたら、その分はなんとか間に合いそうです」


 冒険者ギルドの受付嬢として、こうした説明には慣れているのだろう。リーリアは一転、ホッとした様子で語った。

 地球とは異なる暦に、俺はなんとなくワクワクしたのだが、ガリルの方は、なにやら深刻そうな表情をしていた。


「ありがとうございます……次に、順序が逆になってしまいましたが、あなた自身のことについてもう少し聞かせてください。何らかの任務を帯びていたものと推察しますが」

「はい。ことの発端は、1ヶ月前に遡ります――」



 ――1ヶ月前、山の上に、忽然と街が現れた。それだけでも異常事態だが、更に不可思議なことに、街は無人だった。とはいえ、放置するわけにもいかない。リーリアは、所轄の冒険者ギルドのマスターに、街の管理を任された。

 常駐する必要はないために、これまで通り〈セントラル〉に住んでいたリーリアだが、あるとき”過去を司る賢者”が現れて、今日この日には、必ず街に来るよう伝えたという。

 その言葉通りにやってきた彼女が、例の〈天使の梯子〉を目撃し、慌てて山を登ってきたところ、街は嘘のようにごった返していた。

 仕事のために酒場を訪れた彼女は、元プレイヤーたちの行き場のない怒り、焦燥、絶望、そういったものを一斉にぶつけられることとなったのだった。


「皆さんの言葉はわかっているはずなのに、内容が理解できなくて、交流を諦めていたところでした」


 ログアウト。運営。地球時間。彼らは、〈冒険者ギルド受付嬢〉というNPCに話しかけているつもりだったのだ。

 ここが厳密には〈ロード・オブ・レジェンド〉の世界ではないという事実は、未知のモンスターと交戦した俺にとってさえ、いまだ許容しがたい。


「……みんな、悪気があるわけじゃない、と思う。

急な出来事だからさ、混乱してたんだよ。……悪く思わないでくれるといいな」

「大丈夫です! あそこから助け出してくれる人がいただけで、私は救われましたから!」


 そう言って、リーリアは俺の手を両手で握り、うるうるとした眼差しで見つめてきた。

 一方、ガリルの反応は冷ややかだ。


「リーリアさん、僕たちはこの薬を使わない限り、仮初の姿なんだ。僕は女かもしれないし、今手を握ってるヒカリが、明日は男になるかもしれないぞ。迂闊なことはしないほうが身のためだ」

「自分を救ってくれた人に、性別なんて関係ありません」

「一理ある。女が男に言い寄ることも、珍しくないのかな?」

「ええ」

「では――」

「――お邪魔するぜ、ガリルさん」


 ノックもせずに応接間に入ってきたリンドウは、ドラゴンでも狩ってきた帰りであるかのように、ボロボロの服を纏っている。あのプレイヤーたちと、一悶着あったのだろうか。


「この嬢ちゃんを、うちで匿えないか? あの酒場に置いてきちゃ、男がすたる」

「当ギルドとしては、構わない。だが、女性部屋は既に5人で使っている。

手狭になるが、リーリアさんがそれでもよければ」

「ぜひ、お願いします」

「歓迎する。その見返りに、というわけでもないが、彼女たちの面倒を見てくれるかな」

「構いません。みなさんのちょっとしたケアなら、仕事のうちに入りますから」

「ありがとう、君がいてくれてよかったよ。

ところでだが、もうすぐヴォーデンの指定した時刻だな。リーリアさん、君も来てくれ。僕たちという存在がよくわかるはずだから」

「はい」


 すっと立ち上がったガリルは、ドアマンのように扉を開け、その横に立った。よくよく様になっているものだ。リンドウが先に出て、リーリアが続く。

 俺は、律儀に最後までドアを押さえていたガリルに並んで歩き出した。


「さっきの質問は、どういう意味があったんですか?」

「まず、僕は婦人、レディ、貴女、令嬢と使い分けた。リーリアさんの反応からして、これらは全て、丁寧な女性の呼び方として認識されていた」

「それは、当たり前じゃないですか?」

「僕らの母国語ならね。ところが彼女は、僕らが使っているのはヴォルスパー語だという。この世界の言葉を、僕らも都合よく使えている」

「自動翻訳、みたいなものでしょうか」

「あるいは、この身体がヴォルスパー語を学習済みで、それを勝手に話しているのかも」

「いや、そんな……」


 反射的に否定したのは、ガリルの考えが不気味に思えたからだ。だが、ヒカリの身体が、本来の俺のものではないのは事実だ。運動能力は全く違うし、魔法の使い方も知っている。

 ゲームだからそういうものだ、と思っていたが、どこまでがゲームなのか、今はまだ判然としない状態なのだ。


「で、次に、単位に関してだが、こちらは明らかに不自然だ」

「そうなんですか? 普通のメートル法ですよね」

「ヤードポンド法、尺といった単位は人体を基準に作られている。今、僕とヒカリの距離はおおよそ1フィート」


 歩きながら、ガリルは学校で習ったような片腕だけの『前ならえ』をする。

 続けて、左手の人差し指と親指を伸ばした。


「そしてこれが1尺だ。このように、直感的な長さの単位がむしろ自然なんだ。ところでヒカリ、1mは何の単位だ? 発祥を言ってごらん」

「えっと、なんか北極と南極を結ぶ線から来てるんでしたっけ?」

「正確には、地球の赤道から北極までの、特定の国の場所を通る線を1000万分割した単位だ。今では、光が真空中を2億9979万2458分の1秒間に進む長さと定義されているがね。ピンとこないだろう」

「……確かに」


 この世界の文明に、そのような精密な測量が可能とは思えない。なんらかの魔法が関わっているとしても、地理的・天文的条件が地球と一致していなければ、計算が成り立たない。


「というか、ガリルさんは、そんなの全部覚えてるの…?」

「"身について"いるだけだ。次に、重さ1キログラムは?」

「1リットルの水の重さですよね」

「そうだ。その1リットルは、1000立方センチメートルの純水の体積だ。つまり、重量もメートル法の下で考案されている。自動翻訳の可能性も考えたが、リーリアさんの話からすると、SI単位をこちらに持ち込んだ者がいると考えるべきだろう」

「……測算の賢者」


 鳥肌が立った。

 俺は、ガリルという人がどちらかといえば苦手だった。チャットをしていても、何を考えているかよく分からなかったからだ。しかし、彼の淀みない推論に、一気に尊敬の念が湧き上がってきた。


「他にも、色々聞きたいです!」

「それは、次の機会に」




 廊下の先、吹き抜け付きの広いエントランスに、総勢120名ほどが集まっていた。街の総人口が376人だから、約3割の人が集まっていることになる。"アーク"は本当に大型のギルドなのだと、改めて実感する。ほとんど見知った仲だが、シャルの姿はなかった。


「諸君、偉そうに喋りたいから、少し乗ってくれたまえ!」


 教壇のような机の上に立つヴォーデンの開口一番、少し間抜けで調子のいい発言が飛び出した。呆気にとられたギルドメンバーたちだが、その後すぐに拍手と笑い声が上がる。


「よっ、マスター!」

「大統領!」

「むしろ神!」


 ガヤが収まるのを待って、ヴォーデンは話しはじめた。


「まぁ、ギルド員には通達していたと思うが、2日後、ミラージュブレイクが自動的に使われる。その日を我らの門出としたい。ネカマだろうが、ネナベだろうが、一切の遺恨を残すことを禁ずる!

当日以降、その手の騒ぎを起こさないよう、今日、明日中に、親しい仲の者には打ち明けることをおすすめする!

この意見に賛同し、薬を使った者から順に、ギルドハウスの個人部屋を無償で提供しよう。できれば、男部屋と女部屋でしっかり分けたいのでね。ただし、部屋数には限りがある。相部屋になることは、了承してくれ」


 ギルドハウスの個人部屋は、ハウジングエリアの個人宅と比較すれば圧倒的に安価だが、色々な面で自由が効かない。大抵の人は資金を貯めて、個人宅を所有する方を選ぶ。そのため、個室は6部屋程度しかなかったはずだ。そのうち1つは、俺の部屋だった。


「賛同出来なければ、すまないが、ギルドからの脱退を持って決意表明としてくれ。話は以上となる!」


 ヴォーデンの演説が終わると同時に、エントランスは騒然となった。

 率先してギルドをやめるという人もいれば、宿に困る生活から解放されるのであればと、賛成する人もいた。


 少し時間が経つと、ギルドハウスから出ていく人がちらほら出始めた。120人いたギルドメンバーは、80人ほどに減っていた。

 俺はといえばどっちつかずで、薬を今すぐに使いたくはないものの、ギルドを脱退した後でどうすればいいのか全く目処が立たないから、とりあえずハウスの中にいるのだった。


「さて。今ここにいる者に、真のギルドメンバーとしての相談がある。俺は、この街で困窮している他のプレイヤーを受け入れたい。

彼らは宿もなく、路上で生活せざるを得ない状況だ。放っておけば、きっと良くないことになる。それは、皆も分かっているだろう。ギルドとして彼らを受け入れるメリットは、俺が考えるよりも少ないかもしれない。逆に、想像のつく問題は多い。今でさえ道筋の見えない人間関係は、どうしたって変わっていく。ひょっとしたら、この感謝すべき80人を、無法地帯に送り込むことになるのかもしれない。

以上を踏まえて、はっきり言わせてもらう」



 ヴォーデンは少し間を空けて、また言葉を紡ぐ。台本など用意していないのだろう。ただ必死に、自分の想いを主張する。


「この世界でも、共に戦って欲しい」


 そうだ。

 ヴォーデンは、初心者や困っている人の力になるために”アーク”を立ち上げたと言っていた。こんな状態でも、その意思は変わらない。他人のために、出来ることをする人なのだ。


 俺も、そうしてもらった。

 初心者だった頃、たくさん躓いて、その度に立ち上がって、いっぱい恥をかいて、また立ち上がって、そして辿り着いたこのギルドで、また失敗した。

 それを、ギルドのみんなが立ち上がらせてくれた。

 後輩たちが躓いて転んだときには、俺たちが立ち上がらせた。

 それが、”アーク”に出来ることなのだ。


 ――だが。



俺は、カバンの中の薬瓶を見た。俺には、出来るのか?


「ヴォーデン! 大変なの!」


 ――扉を吹き飛ばすような勢いでハウスに入ってきた誰かが、叫んだ。

 シャルだった。


「遅刻については、一旦置いておこう。どうしたんだい?」


 シャルは、深呼吸を繰り返して息を整えると、大声で言った。


「新しい人たちが、1000人以上、増えた!」


 シャルの持ち帰った情報はギルドを混乱させた。

 多くの路上生活してる人たちを救おうと立ち上がったばかりなのに、数が倍以上に増えるとなると話は変わってくる。

 しかしまずは、ギルド長らが計画していた方法を始めた。


「シャル、君は何人か引き連れて引き続き部屋の増築を。ギルドの資産を全て食い尽くしていいからやれるだけのことはするんだ。

それと――ガリルはどこだ? 彼を見つけ次第、冒険者ギルド酒場に来るように伝えてくれ。僕は出るから頼んだよ」


 ヴォーデンらはすぐさま冒険者ギルド酒場へと出掛けていった。シャルも同様に、既に聞かされているであろう計画に着手する。彼女はギルド倉庫にある金庫を抱え、人を呼ぶ。


「〈武〉を持ってる人は寝具の運搬を! ない人はヒカリちゃんの指示の下で、必要な家具をお願いね」


 そう言って彼女は俺はウインクを投げた。その様は可憐な乙女そのもので――見惚れてしまう。

 ギルド倉庫には数多くの家具がある。定期的に行われる模様替えで不要となった家具や、季節ごとに開催されるイベントの報酬となっている家具などだ。その大半はシンプルな作りではなく、そのイベントを象徴するようなデザインで、機能的とは到底言えない。

 しかし、家具が何一つない部屋では、監獄あるいは拘置所などと揶揄やゆされてしまうだろう。

 そこで倉庫内にある無難な家具を選び、各部屋へと運ぶ。照明器具、カーペット、個人用収納BOXとして機能する木箱、そして1部屋毎に机と椅子、それにゴミ箱だ。


「誰かが指示出してないと動けないんで、ヒカリさんはここで指示に専念してください。俺らで運びますから!」


 仲間の1人がそう言うと、周りも同調するように頷いたり、声を出して賛同していた。そして俺は次々と指示を出してギルド倉庫から家具を運び出す。

 頭をフル回転させて、指示を出すと言うのは相当にカロリーの使う作業だ。

 ギルド倉庫の中の家具がドンドンと減って行き、いよいよ運搬に終わりが見えた。


「忙しそうだな。手伝いはいるか?」


 どこからか突然現れたガリルに、少し驚く。


「い、いえ、もう終わります。そういえば、ヴォーデンさんが酒場で待っていますよ」

「そうか――なら一言だけ。せめてお前の口から、シャルに打ち明けておいてくれ。

お前は――ネカマだろう?」


 彼の言葉に心臓が大きく脈打つ。


「……どうしてそう思うんですか?」

「ほぼ勘だ。お前は、女にしては――合理的過ぎた。ならば余計に、シャルに打ち明けないことが合理的でないこともわかっているはずだ」


 彼はそう言い残してギルドハウスから出て行った。

 俺は黙ったまま俯く。ただ彼にはバレていたのか言う恐怖心が、俺を蝕んでいった。

 残りわずかの運搬指示をしている間も、ガリルの言葉が頭に反芻する。

 ――シャルに、打ち明けなくては。それこそ、彼女との繋がりが脆く崩れ去ってしまうのだ。

 彼女との7年間の思い出が、俺をドンドンと追い詰め苦しめる。彼女に打ち明けても、きっと今の関係は続かない……そう思う。

 彼女は俺を同性だと思っているからこそ、繋がった縁なのではないか。だから俺によくしてくれていたんだ、と。

 薬を使いたくない理由は、結局自分のアバターが気に入っているのはもちろん、素の自分が嫌いだからだ。今、この容姿であるうちは、明るく社交的な"ヒカリ"で居られる。

 最後に自分と向き合ったのはいつだろうか。

 自分はどんな声をしていただろうか。素の自分の事がどんどんと思い出せなくなっていく。

 本当の自分を、シャルに受け入れて貰えないかもと思ったら怖くて言えなかった、なんてただの言い訳だ。でも相手も勝手に勘違いした方が悪い、とだって言える。

 でも――本当にそうなのだろうか。

 この醜悪な自分の心。このまま、この人たちと並んでいけるのか。彼らは今こうやって俺の指示の下、他人の為に何かをやろうとしている。

 けど、今の俺はどうだろうか。自分の保身の事をずっと考えている、嫌な人間だ。


「ヒカリちゃん、大丈夫? 疲れちゃったかな」


 シャルが俺を気遣って声を掛ける。こんなに気配りしてくれている人を、俺は今もあざむき続けてる。真実を吐露とろして楽になりたい、そう思いながらも、悪魔の心はどこかで都合のいい空想を求めていた。――俺だけ薬飲んでも戻らないようにならない。俺だけ選ばれた人間で特別な何かがあって、都合よく何か良くなる。

 そんな誰もが思うであろう、自分だけ特別な存在――おぞましい妄想が現実のものになればいいのに、という願望の実現をどこかで期待してしまっていた。


「ごめん、シャルさん。考え事しちゃってて、まだ全然働けるよ」

「そう、アタシは頭を使って考えることがあんまり得意じゃないから本当にヒカリちゃんいてよかったよ!」

「……あ、あのね、シャルさん。実は――」


 意を決してシャルに話を切り出そうとしたところで、家具を運搬してくれていたメンバーから声をかけられ話を遮られてしまう。


「ヒカリさん、言われたやつ各部屋に配置終わったっすよー。あとギルド倉庫にまだまだ絨毯じゅうたんが大量に余ってるんすよね。何でこんなに絨毯あるっす?」

「あー。ギルドメンバーの〈クラフター〉のレベリングでさ、少ない素材で経験値を稼ぐのに裁縫師だと絨毯って最効率なんだよね。鍛治師とかだと焚き火台だったりするんだけど、多分ゲーム開発側は家具とかそんな作らないって踏んで、破格の経験値に設定されてるんだと思う」

「あ、それうちも鍛治師しかしてないっすけど、焚き火台めっちゃ作ってレベル上げたっす」

「かなり余ってると思うけど、絨毯はもう大丈夫だから、あとは適当にシーズンイベント家具のデコレーション系をつけて部屋にしていこう」


 いつの間にか、シャルに打ち明けようとしていた気持ちは引っ込んでしまった。

 引き続き、最低限の機能を備えた部屋から、生活する部屋へしようとした矢先、ギルドハウスにヴォーデンと共に出かけたメンバーの1人が勢いよくドアを開ける。


「シャルさん! 冒険者ギルド酒場の方でトラブルです! 至急来てください」


 ただならぬ事があったようで、深刻な面持ちだった。彼によるとどうやら1000人という規模では到底なく、人で溢れ混乱しており収拾がつかなくなってしまっているようだ。

 これに対してヴォーデンは、新しく来た民族の長と思われる人たちらと、こちらのギルド長を全員を招集し事態の収束を目指して会議しているらしい。

 残ったメンバーではどうしようもないと助けを求めにきたようだ。


「ギルド長は、なんとしても危害を加える事なくこの事態を手段を問わず収拾し、あわよくば取り込めと仰ったのですが、どうも知恵が足らずいざこざが起きてしまいました。どうかご助力をお願いしたい。」

「いざこざって喧嘩みたいなこと始めちゃってるの?」

「申し訳ないことに、相手の挑発にリンドウが乗ってしまいまして。とにかくシャルさんならなんとか収拾出来ると思いましてね。」

「アタシもう女の姿になっちゃってるから威厳ないんだよねー。ヒカリちゃんも連れていっていいかな?」


 そういってシャルは俺を手招きをする。

 俺なんかが行ったところでなんの役に立つのかわからなかったが、メンバーのみんなも行ってらっしゃいと言った送り出す言葉をかけられたため、渋々とシャルと共に行くことにした。


 冒険者ギルド酒場へと〈大広場〉を突っ切って駆け足で向かう。

 〈大広場〉は先ほどまでとは比べものにならないほどの人だかりで溢れていた。少し前までならそこら辺の人が話していても気にならなかったが、これだけ大勢の人の小さな話し声が重なると、もはや騒音で、思考が回らなくなるほどだった。


 冒険者ギルド酒場の前では、リンドウと大柄な男が対峙していた。リンドウはその大柄な男に殴り掛かるも大柄な男は見事な盾さばきでリンドウの攻撃を完全にいなす。

 リンドウは短気になり、とうとう剣を抜き構えてしまった。相手の大柄な男は一瞬、剣を取り出したことに怯んだが、腰を下げ盾でしっかりカウンターを取ろうと構え直す。

 リンドウが取り乱して剣を構えたことは、さすがに言い逃れが出来ずにまずい。慌ててリンドウを止めるための魔法を詠唱した。


「我の魔力用いて顕現けんげんせよ。今のものを拘束せよ〈氷の枷〉アイスシャックル!」


 何故そのような畏まった詠唱をしたか自分でもわからなかった。

 魔法は発動し袈裟斬けさぎりの構えから飛びかかるリンドウの肩から指先まで一瞬にして氷漬けにする。リンドウは何が起こったかわからないまま身動きが取れず、大柄な男の盾にぶつかった。

 大柄な男も抜剣していたが、その剣でカウンターを取ることなく盾で勢いよくリンドウを突き飛ばす。

 物事はどうやら想像以上に悪い方向へと向かいつつあった。

 シャルはリンドウと大柄の男の間に立つ。俺は突き飛ばされたリンドウのもとへ駆け寄った。


「うちのものが粗相をしてすまないが、これはどういうことが起こってこうなったのか説明してもらえないだろうか」


 シャルはゲーム時のときのような、威厳のある態度で大柄な男に尋ねる。


「我の名はムクゲ。貴殿らの軍門に下れと申し出されてな。力のないものの軍門に下るのは最大の屈辱だ。故に、力試しで一撃を入れて見せよと提案したわけだが、まぁ結果はこの通りだ」

「軍門に下れというのはいささ齟齬そごがありすぎるように思えるのだが、大変失礼した」


 シャルは強気な態度を崩さない。その間、俺はリンドウに駆け寄った際に、パキッと不吉な音が鳴った。

 しかし、俺はそれを気にも止めずリンドウを抱き起こし怒鳴りつける。


「危害を加えるなと言われていたのになんで剣を抜くんだよ! こっちが剣を抜いちゃったらあっちが剣を抜いても文句言えないだろ!」

「だってあいつ、危害を加えるなって言われてるからって断ったのに、俺の剣程度だと危害どころか蚊に吸われたと一緒だって言うんだ。

悔しいだろ? 俺だってこっちに来て普通の人間じゃ手に入らない力手に入れてんだ。一矢報いてやろうと思ってな」

「バカなこと言うな! 私らは結局、戦闘経験皆無の平和な世界に生きてたんだから。力の奮い方を忘れたリンドウさんじゃないだろ? 弱きを助けるための力を無闇に振り回すな」


 リンドウに説教をかましている俺は、口調が崩れてしまっていたことにも気が付けなかった。

 しかし、そのとき急にリンドウの体が光り始める。何が起こっているのかわからなかったが、すぐにそれがミラージュブレイクを使用した人と同じ現象だと思い当たった。

 先ほどの不吉な音の正体はミラージュブレイクの入った容器が割れる音だったのだ。リンドウが光っている様子に、ムクゲとシャルも驚いたように眺めていた。俺は慌ててリンドウを隠そうとするも、リンドウは


「もういいんだやっちまったからな」と隠そうとした俺を手で払う。


 光が収まると、リンドウは渋い男から若々しい青年へと変わっていた。


「なんと面妖な、先ほどのは若造だったのか」


 と豪快に笑う。

 しかし俺にはもっと危惧するものがあった。それはミラージュブレイクが割れると使用したと見なされて元に戻ったという現象だ。

 この事が知られれば、俺たち同士で"イジメ"や"イタズラ"が始まるというのは簡単に想像できるものだ。強制的に割れば、相手を強制的に見破れる。また薬を人質にすることもでき、それで言うことを聞かせる人も出るだろう。この周りで薬を使っていない人はその"遊び"の対象にされてしまう。

 ――なんとしてもそれだけは阻止しなければ。

 しかし、俺たちのギルドの方針は薬使用者に部屋の優先権を与え、薬未使用者は放任する。

 ギルドの方針は盾には出来ない。ここの全員を取り押さえて緘口かんこう令したところで人は簡単に漏らしてしまう。――もうこれは諦めるしかないことなのか。

 とにかくまずは当初の目的を片付けてからだと、頭を切り替える。

 こうなれば自身の人生経験を頼りにやることは一つ。俺はリンドウを起こした後、石畳の地面に正座をし、頭を下げ平伏し見事な土下座をした。


「ムクゲ様、こちら側が粗相して剣を抜いてしまい申し訳ありません。ですが齟齬があり誤った意味で捉えさせてしまったことに対して弁明させていただけませんか」


 周りの人はギョッとし俺を見た。俺は今まさに奇異の目が向けられていると言うことだけは、周りを見なくても痛い視線でわかる。


「では一体どんな齟齬があったというのだ。今しがた我とそやつがやり合った。

つまりそいつの意思で、そういう意味だと言うことを証明したのではないか。我に一撃を加え、軍門に下らせる気でおったのだろう」

「こちらの非は間違いなくあります。しかし彼は間違った解釈をされているということを、一撃加えたのち訂正し、しっかりと話し合うつもりだったと思います。

功を焦り、短略的に解決しようとしてしまっていたのだと思います。彼は愚策に走りましたが、決して悪い人ではないんです。――だからどうか弁明を!」


 土下座を一切崩さず頭を下げ続ける俺に、ムクゲはどこかバツの悪そうな声色で


「良いだろう、顔を上げよ」と話を聞き入れてくれる態度を示した。

 頭を上げ、ムクゲを見上げると、周りの人々は笑い出す。どうやら俺は頭を地面に擦り付けていたため、おでこか顔に石の跡やらがついていたようだ。

 しかし、ここで俺が表情を崩しては意味がない。真剣な面持ちでムクゲと視線を合わせると、ムクゲ自身も一切笑わずにいてくれた。


「今、私たちは皆さんと同じくこの世界に来て右も左もわからずにいます。

そしてこの街は現在1000人以上の人がいる中で、無人の宿屋と私たちの所有している土地の建物とあと数件ほどしか寝泊まりできる場所がないのです。そこで私たちは、みんなで安らげる場所を作ろうとしているんです。私たちはその志に従ってくれる同志をギルドメンバーと呼び、そのギルドメンバーにあなたも入っていただけないかと言う話なのです。決して傘下に、あるいは軍門に下れというのではなく――手を取り合える同志になってほしいとお願いしているつもりなんです」


 ムクゲは黙ったまま俺の話を聞いてくれていた。ムクゲの後ろではまだ俺の情けない姿を見て笑っていた部下がいたが、ムクゲは振り返り睨みを効かせ黙らせる。


「ほう、しかしその大層な願いは、力のあるものが抱えるべきぞ。我の前ではそのような願いを全て潰して我が征服してやっても良いではないか。貴殿らの言うことは今まさに我らに征服しないでください、とただ懇願しておるだけにすぎん」

「その通りです。けれど、もしあなたがここを征服するというのなら私はこの命を賭してもあなたに抗い、あなたに私の心までは征服できないと証明しましょう。ただ私はあなたたちと手を取り合い、より素晴らしい未来が見たいのです。

――それはきっとあなた方の征服した未来より素晴らしくしてみせますよ」


 ムクゲは俺の懇願を聞き届けたあと、少し考え、そして彼の答えを述べた。


「ならばまずはお前が口先だけの詐欺師でない証拠を示してみせよ。その前提がなければ、我はお前を信用せん。口先だけの詐欺師であれば我自ら断ち切ってやろうぞ」


 そう言い放ち、ムクゲたちは立ち去る。

 ムクゲたちが立ち去ると周りに残された人は少なく、もしかしたら先ほどのリンドウの一件はあまり広まらないかもしれない、と少しだけ願望を込めて思った。

 リンドウは立ち上がると俯いたまま自分の両手を眺めていた。体が元に戻ってしまったのはやはりショックなのだろう。俺もその気持ちは痛いほどわかる。慰めるような気持ちでリンドウに歩み寄り背中をさする。


「俺ね、あの渋いキャラ気に入ってたんだ。俺のような若輩者が生意気なこと言うと格好がつかないけど、あの姿だったら格好がついてさ」

「で、でもリンドウさんはその姿でも、好青年で素敵ですよ」

「俺にとってはね、なりたい自分の見た目以外は全ておんなじさ。男キャラ使おうが女キャラ使おうが自分がなりたい見た目以外は全部どうでもよくって……あのキャラの見た目だけが自分だった」

「それは……でも遅かれ早かれみんな戻ってしまうんだから」


 そうは言うが、今の俺は正しく目の前のリンドウさんと同じ気持ちだ。


「ヒカリちゃんも同じだろ? その背の低く愛くるしい顔とスタイルのいい見た目でいつづけたいからその薬を使わずにいる」

「………うん」


 俺は自身の卑怯さに気づいた。今自分はそうじゃないからと、他人に合理的な言葉を並べて慰めている。俺だったら多分立ち直れないかもしれない。唐突に自分のアバターとお別れをするなんて。


「ごめん、最低なこと言ってた。私だってこの姿から戻りたくない。出来れば一生このままがいいって思ってる」


 リンドウは俯いた顔を俺に向けて俺の言葉をただ聞いていた。その目はどこか俺をさげすんでいて汚物を見るような、そんな眼差しに感じた。その空気を断ち切るようにシャルは言葉を発した。


「まっ、切り替えて、目の前のことをやろ?」


 シャルのその明るい言葉はリンドウには届かなかった。

 ただ、彼のアバターの容姿だったから聞き入れれた言葉でも、あの青年の姿だと、侮られ聞き入れられないこともあるだろう。

 そして、私たちの民族はそういう偉そうな言葉を話したのが、貫禄がないあの青年のものだったと発覚したならばたちまち槍玉に挙げられるかもしれない。そうならないように守るのが大人の俺たちなのにな、と嘲笑した。


 冒険者ギルド酒場の中は相変わらず人で溢れていた。そんな中でも〈アーク〉のメンバーが何人も受付に並びギルド加入の受付をしていた。一人一人丁寧に説明をして全く捌ききれていないようだった。


「今何人くらい加入受け付けたの?」

「40人くらいなんだけど、ちょっと困ったことがわかってね」


 シャルの質問に対して、俺のキャラに近い見た目の、背の低いゆるいカールヘアーの可愛い女の子が答える。


「どうやら、新しく増えた人って薬を持っていないみたいなのよー。それって強制的に部屋に入れないってことじゃなぁい?」

「あんた、ゲームのときは普通に喋ってたのに急に女っぽく喋るようになったわね、一体どうしたのよ」


 シャルはうんざりしたように言う。今すごい大事なこと話していたはずなのに、彼女は別の話題に切り替えてしまった。


「シャルのいじわる〜!母性に目覚めたのよ!」

「それ正気……?」

「男の子だって変身願望あるのよっ!」

「キモっ……」

「あ、それ傷ついたわ」


 俺も傷ついた。それにしても、かなり仲良さそうにシャルと話す受付をしている可愛い女の子は一体誰なのだろうか。


「そんなことあるんです……?」

「いやいや冗談だよ、マジにとんなって! 実際問題1日2日程度なら冗談で面白がれるけどさ、もし一生そのままだったらって思うと少しゾッとするね。外見が女で中身は男だろ? そういう特徴の人とかもいるけどさ、結構……苦しいんだろうな。中身が男だけど男を好きになれなきゃおかしいって見られるんだろ? んで女らしく生きないといけない、なんかな……」


 受付の可愛い女性の外見で言う。


「まぁさ、なんとなくだけど。この外見適性化薬を見たときに――ああ、俺この世界で生きていかないとなんだなって覚悟したんだよ」


 その言葉には重みがあった。重い空気を吹き飛ばすようにシャルは


「とりあえずさっさと受け入れ始めちゃおう」


 と明るく話す。しかし、この方法だと埒が明かない。そのため窓口してる4人を集めて俺は作戦会議を始める。


「ギルド長は無法地帯に送るって言ってましたよね? 多分ギルド長はその無法地帯を取り締まる方法を考えているはずです。私たちはとにかく薬をもらった人とそうでない人、もらった人の中で期日までに使わない人と今すぐ使える人にわけて問答無用に受け入れましょう」

「でもそれじゃあさっき言った問答無用に薬もらってる人は部屋から追い出しでしょ? なんの解決にもなってないよ」

「そこで、私がとにかく部屋から追い出しみたいな雰囲気じゃなくて、みんなで仲良くキャンプする人たちにするから!

ギルド倉庫に焚き火台とか死ぬほど余ってますし、倉庫には製材した木材も大量にあるのでそれで焚き火すればいいんですよ。絨毯もかなり余ってるのでレジャーシートみたいに外で使いましょ!」

「でもそんな横暴したらギルド長さすがに怒るでしょ、でたらめ過ぎよ。そんな勝手はさすがに許されないよ」

「それにもし想定されていなかったら、それこそ終わりだからさすがに無理に決まってるよ」

「今のやり方でとりあえず作業を早くしたほうが絶対怒られないのに、なんでわざわざ怒られそうなことをするのさ」


 みんなが及び腰になり始めてしまった。ただ俺は確かにヴォーデンがそこまで考えているのか不明だが、"手段は問わない"と言ったのだから俺はなんとか押し切りたかった。


「わかりました。なにか言われたら私がみんなを脅してその方法を押し切ったことにしてください。みんなが怒られそうになったら私が代わって怒られますから、思う存分私のせいにしてください!」

「じゃあアタシも一緒に怒られてあげるよ。ヒカリちゃんが脅したって『言う事を聞かなかったらいいだろ』って言われたらおしまいだから。アタシもその方法やれって命令したってことにしてね」


 これであれば、説明は薬もらった人たちだけにすればいい。口が回る人にその担当をお願いした。


 しかし、冒険者ギルド酒場内では入れる人数も限られる。そこで入り口の外で受付をすることにした。薬を持っている人は酒場の中で説明し、それ以外は全て〈大広場〉へ集める。

 〈大広場〉は、名前に恥じないほど広い。ゲームのイベントでは度々使用されるほどで、3000人ほどのプレイヤーが集まっても問題のなかったほどだ。

 そうして、俺は〈大広場〉で多くの人を待った。薬を持たない人は、手続き無しに次々と誘導されるお陰かすぐに人は増え出す。軽く見ても100人は超えている。しかし、それでも俺はまだ待ち続けた。もっと人が増えるのを――。


「そろそろかな。流石にこれ以上増えたら、身動き取れなくなっちゃうかな」


 体感では300人ほど。その人数に大声で呼びかけた。


「ここをキャンプ地とする! キャンプ用品を取りに行くから、ついてこーい!」


 その大声の呼び掛けはみんなに伝わったのだろうか、しかし俺の後ろにみんながついてくる。俺とシャルを先頭にし、大規模なデモのようにゾロゾロと連なって歩く様は、気分が高揚しワクワクした気持ちが抑えられない。ここでギルド〈アーク〉なんてプラカード作ってたら面白そうだと馬鹿げた考えをしながら、意味もなく大声で叫んだ。それに呼応するように後ろの集団も雄叫びを上げている。


 ギルドハウスに着くと、立ち止まり後ろを振り向いた。叫びは最高潮になり、俺も何度も大声で叫び返す。その声に、中で先ほどまで家具を整えてくれていた仲間たちが出てくる。


「な、何事っす? ってえええ?!」

「ギルド倉庫にある絨毯と焚き火台をぜーんぶ持って来て!」


 俺の指示にみんなは二つ返事で急いで取りに行く。


「これから地面に敷くシートと焚き火台を持ってくるから! みんなで使えー!」

「「「おー!」」」


 鼓膜が破れそうになるほどの強烈な返事に、臆する事なく俺は何度も何度も呼びかけ続けた。

 次々と奥から運ばれてくる家具は、俺の手元に来てはすぐに外の"新しい仲間たち"に渡していく。焚き火用の木材も別で持って来させ、次々と持ったものから〈大広場〉へと帰還させた。

 テンションが上がるあまり俺はギルドハウスの庭に置いてある庭具にも手を付ける。


「おらぁ! ここらの切り株の椅子なんかも持ってけー! 庭のやつ全部持ってくぞー!」


 叫び声は、街全体へと広がっていく。しかし、その叫び声と裏腹にどんどんシャルは声が細くなり、遂には泣き出しそうなほど弱気な顔になっていた。


「も、もうギルドの倉庫空だよ……ど、どうしよう……。こんなんじゃヴォーデンに怒られちゃうよ」

「いいって! それに一緒に怒られてくれるんでしょ?」


 満面の笑みでシャルを見るが、彼女は苦笑いして言う。


「ヒ、ヒカリちゃんが9割怒られてね……? ア、アタシは1割くらいがいいな……。ヴォーデン、怒ると怖いんだよう」

「もとよりそのつもりですから。だからシャルさんは胸を張って強気でいてください」


 流石の俺も、ギルド倉庫が空になるほどの出費は無罪放免とはいくまいと覚悟していた。しかし、今はそれ以上に底知れない高揚感が俺を包みこんだ。


 デモ行進をまた引き連れて大広場へ戻ってきたが、絨毯を敷いたところでこの石畳の硬さが緩和されることはなかった。


「マジかよ、こんなやばいところに寝ろって地獄じゃねぇか」

「こんなのキャンプじゃなくてみんなでホームレスしてるだけじゃねぇか、なんも変わらねえ」


 次々と野次が飛び出して非難が飛び交う。これに関しては俺の算段も少し甘かったと反省せざるを得なかった。

 これだけの人を動かしておいてこんな結末は許されない。ここで終われば間違いなくギルド長に怒られるどころでは済まないし、そして薬を使った後は――考えたくないな、と思考を停止させる。


「ど、どうするのヒカリちゃん。このままじゃみんな納得してもらえないよ……」


 シャルの怯えた声。彼女は俺にしがみついて身体を震わせる。怯える彼女の手に手を重ね、シャルのほうに顔を向ける。

 そのときの俺の表情は一体どんな顔をしていたのだろうか、わからない。しかし、その顔を見たシャルの震える手はいつ間にかおさまり、ぎゅうと、力が篭る。

 この石畳の大広場をキャンプ地に作り変えるんだ、なんとしても。俺の思考の中で景色が浮かべる。この石畳の床をふかふかの芝生や土に変えて、あの噴水は自然あふれる泉にしよう。木々は根が広がらないような木がいいな。生い茂りすぎるとキャンプ地じゃなくなるからほどよく生い茂り、絨毯を広げて寝そべるときっと心地の良いピクニックのように思えるような。夜には焚き火台がそこかしこで立ち上がり明るく、満点の星空を眺めながら寝るそんな光景が脳裏に浮かぶ。その想像を叶える為に――唱えるべき詠唱が自然と込み上げてくる。



「大地よ、大地の息吹よ。

我が生命と混ざり、野生の力を取り戻せ。

芽吹く草木よ、我が生命を吸い糧とせよ。

この地を作り変えるほどの、生命を取り戻せ。

我らと共に歩み、我らに恵みを」


 俺の高らかな詠唱と共に、〈大広場〉は強烈な光に包まれていく。俺の身体から緑色の光が溢れ、それを栄養とするように木々が吸い取る。

 どんどんと身体から力が抜けていく。しかしそれに伴って石畳の地面は裂け、大地が隆起し草が生え、木々が生え、噴水の水は地面に注がれ泉を作り出す。

 視界が滲み、気がつけば俺の服は自分の血で滲んでいた。どうやら鼻血が出ていたようだ、それでも地面に膝をつき、お構いなしに魔力を注ぎ込み続ける。地形が変わるほどの大きな力を消費している俺は意識も朦朧としていた。

 激しい頭痛に見舞われながらも、ただただここでみんなの野営が無事に行われ、楽しそうな笑顔で満ちたそんな光景を見るために。

 いよいよ足に力が入らなくなった。それでも俺は今度は、両手を地面につけ魔力をこれでもかと大地に流し込む。

 そんな中――誰かが俺の名前を叫んでいる気がした。もう目を開けるほどの体力もない。

 そのまま俺は地面に倒れ込む。地面が俺を飲み込むような感覚――大地に溶け込むような、大地と一体化していくような。



 俺、なんでここまでして、こんなことしてるんだろう。


 ネカマしてることすら打ち明けられない軟弱者で臆病者で、卑怯者なのに。

 こうやって誰かのために何かをしてその罪を滅ぼそうとしてるのかな。

 受け入れられなくても少しでもこうやって尽くした気になって、受け入れて貰えるように尽力してるつもりなのか。

 そんな気にもなったけど、これはもしかして、その罪に対する罰なのかもしれない。

 こうやって信頼してくれたシャルさんに明かせずに裏切ってしまっている罰。

 でも――本当はさっきギルドハウスで打ち明かそうとしたんだ、でも遮られて言えなかった。

 俺は悪くないじゃないか。

 言おうとした時に邪魔が入って本当はどこかでホッとした。

 言おうと思ったけど言うタイミングがなくなったという言い訳を貰えて――心底安心したのも事実だったんだ。

 だから――罰を与えられても仕方ないんだ。

 この罰はいつまで続くのだろうか。

 今思えば、薬を使わずにずっとこうやっている間、ずっと傷ついたからそれが罰でいいじゃあないか。

 薬を飲んでしまったらこの罰は消えるのかな。

 ――俺を誰か救ってくれないか。


 大地に取り込まれながら俺は大地に栄養を垂れ流し続けた。

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