第5話

 『希望の街ホープタウン』はゲーム開始時にスタートする場所でもあり、ユーザーが最も利用する街でもある。

 大きな機能としては、3つ。

 このゲーム最大規模の〈露店〉である〈大広場〉の存在。〈露店〉とは、ドロップアイテムや製作したアイテムをユーザー間で自由に取引する事が出来る機能だ。その露店を開ける場所は数に限りがある。そのため、初心者から熟練者まで集うこの街で出店するユーザーは数多くいた。

 次に〈クラフター生産職〉の拠点。このゲームの製作は工房でしか出来ない。鉱石を鉄にするための工房と、そこから鉄製品を作る工房等、数多くの工房が立ち並ぶ。そのため、多くの〈クラフター〉で賑わう街でもあった。

 そして、冒険者ギルド。そこでは日替わりで経験値や報酬が美味しい依頼、所謂いわゆる〈デイリークエスト〉が発行される場所だ。

 ログインしたら、ユーザーは大抵まずデイリークエストを受注してから自身の冒険を始める。

 言い出せばキリはないのだが、大きくはこの3つだ。他にも、プレイヤー同士で集まり結成する〈ギルド〉の拠点〈ギルドハウス〉を建設する事も出来る街の一つでもあった。

 多くの人が行き交う活気のある街だったはずなのだが――様子が違う。そこかしこで、人が道端で寝そべっていたり、人々が言い争っていたり、泣いていたりと活気があるとは到底言えない惨状だ。

 そんな悲惨な街に足を踏み入れる。道端に寝そべった人と目が合うも、一瞥いちべつすると彼らは興味なさそうに溜め息を吐く。彼らは手で俺を追い払うような仕草をする。……まともに話をする事も出来なさそうだ。

 そんな雰囲気には似つかわしくない、明るい声が、その場に響く。


「ヒカリちゃーん!」


 その声の主に方角を振り向く。そこには全く覚えのない女性キャラクターが大きく手を振り駆け寄ってくる。背は高く、胸はかなり大きく巨乳。薄ら水色がかった、長いサラサラな髪を靡かせる。 一目見て美人だ、と言う感想が口から飛び出しそうなほどだ。


「やっぱりヒカリちゃんだ。無事に街までこれたみたいで良かった……!」


 柔和な顔つきで彼女は言う。しかし、やはり見覚えはない。

 アニメやゲームに登場するような、頼れる女剣士といった風貌。そして服装も、俺のようなボロボロなローブなどではない。昔の西洋の軽装な甲冑を着用し、腰にはロングソードを携えていた。

 俺の後ろ姿で、ヒカリと声を掛けたのだ。多少知っている程度の仲ではなさそうだが。


「えっと、お姉さんはどちら様ですか?」


 俺の質問に彼女は苦笑いをして答える。


「そうだよね、なんか気付いてくれたら嬉しかったんだけどな……。

アタシはイケメンパラディンやってた……シャルだよ。びっくりした?」

「え……えええ?!」


 なんとあの美男子キャラ――シャルだった。どうしてこれで気付けと言えるのだろうか、不思議でならないほどに面影もない。


「一体何があったんですか……?!」

「あれ、届いてなかった? なんか薬みたいなやつを飲んだらこうなっちゃった!」

「こ、これ……もう飲んだんですか?!」


 鞄から〈ミラージュブレイク外見適性化薬〉を取り出す。彼女は「それそれ」と声高々に指差した。


「シャルさんそんな美人さんだったんですね! すっごい驚きです」

「そうでしょー。でもさっき自分を見た時に、アタシよりちょっと盛れてる……美化されてたんだよね」


 綺麗な顔を見事に使いこなし、可憐なウィンクをする。美化されているとは言っていたものの、ここまで美人だと元からそうだったようにすら思えた。

 しかし見れば見るほど、以前の面影など微塵も感じられないため、目の前の彼女が本当にシャルなのか怪しくすら思えてくる。そう疑う気持ちを押し留め、仲間がいる心強さに今は浸りたい。そう思った。


「私だけじゃなくて――本当に良かっ……」


 思わず出た本音。しかし、それは見方を変えれば、誰かも"道連れ"で良かったと捉えかねない。その失言に慌てて口を閉じた。


「アタシだけじゃないよ。――みんないる。だからさっきギルドメンバーを集めようって話をしたとこ」


 彼女はその失言に気が付いたのだろうか。それとも、そんな意味はないのだと汲み取ってくれたのだろうかと、不安になった。彼女は少し曇った表情のまま髪を手で弄りながら話を続ける。


「ギルドハウスに集まってもらってるんだけどさ、アタシはもう薬使っちゃってて……。なんか居づらい雰囲気だったんだよね」

「そう、だったんですね……」

「でもヒカリちゃんが居て良かったよ」


 あれだけリーダーシップのあったシャルでも、この状況は心細かったようだ。言葉を必死に紡ぎ出しながらも、少しだけ気落ちしているように見えた。無理もない。


「それにしても、私といたら何が良かったんです? 私かなり鈍臭いですし」

「いやヒカリちゃんも"同じ"女の子だから、なんか一緒に居やすいじゃん」


 彼女の"同じ"という言葉は、俺の喉を通らず飲み込めない異物のように詰まる。彼女と目を合わせることなく、小さく「うん」とうなずくことしかできなかった。


「でね、薬をまだ使ってない人は、みんなの前で使って本当の姿になってもらってから迎え入れるつもりらしいよ。

ヴォーデンは少なくとも、禍根かこんを残さずに……って言ってた」


 心臓がドクリと跳ねる。ネカマをやっている俺は、禍根を残さずということを到底信じられない。

 ただ、俺は貢ぎものとかを特別に貰ってない筈だ。俺のネカマには――被害者はいない。

 しかし、オンラインゲームではやはりそうやって貢がせるネカマってのはいるもので、騙された人間が騙した人間をそうそう許せるはずがない。


「どのみちさ、薬って期限来たら自動的に使われちゃうっぽいからさ。最後の日にやろうって」

「シャルさんは、さ。例えば私が男でも――ブサイクだったりしても平気なの?」


 俺の質問に、彼女は捉え難いと言った表情を見せた。


「アタシがそもそもネナベ……。他人にとやかく言えないんじゃないかな……?

それに――ずっと一緒にやってきた仲間だから、気にしない。……と思う」


 シャルは言葉に詰まりながら言う。それは彼女の本心かもしれない。しかしやっぱり断言出来ない彼女を見ていると、よりヒカリで居続けたいと願った。

 ヒカリで騙していた報復が怖かった。

 そしてなにより――今のこの関係が崩れてしまうことが最も怖かった。


「私は――最後までヒカリでいたいから薬を使うのは我慢することにするよ。

この見た目すごく気に入ってて好きだし、それにこの薬もさ……時間確認の時計にもなってちょっと便利なんだよ」


 そう笑って、はぐらかした。ずっと彼女を騙し続けることに、良心は痛み始め彼女の顔を直視することが出来そうになかった。


「とりま、みんなのいるギルドハウスに向かおっか。ちょっとここからだと遠いし歩きながら話そ」


 そう言ってシャルは、俺の手を握り先導するように歩き始める。緊張なのか、それとも興奮しているのか。ただ平静ではないことだけは、手汗の量で推し量ることができた。


「ヒカリちゃんは本当にザ・美少女って感じだしね。アタシももう少しイケメンで遊べばよかったな〜」

「何ですぐ使っちゃったの?」

「なんでだろう? 運営から届いたアイテムってすぐ使いたくならない?」

「私は残しちゃうかも……」

「運営からのアイテムが、かばん圧迫してるって言ってたもんね〜」

「シャルさんはお姉さんになってもすごい意地悪なこと言う……」

「――これが本当のアタシなんだもーん。なんか受け入れて貰えないかもって少し不安だったけど……よかった」


 彼女も不安だったのだろう、俺の手を握る手に力が入っている。彼女は俺に微笑む。本当に強い人だ、そう思った。

 しかし、男が女のフリをするのと、女が男のフリをするのではわけが違う。女の人がやってることなら、だいたいみんな許してしまうじゃないか、そう自分のネカマを打ち明けられない自分を必死に弁護する詭弁を、心の中で重ねていた。


「そんなことない。ゲームのときとイメージが違ってビックリしちゃったけど、シャルさんはシャルさんだもん。どんな容姿でも、私はきっと――変わらなかったよ」


 それは俺の本心だ。それだけは断言出来た。


「まだちょっと同一人物か疑わしいけど……ね」


 シャルは立ち止まりこちらを振り返るととても可愛らしくほっぺを膨らませる。


「ヒカリちゃんは最初の方なんて、インプに沈黙のデバフかけられて全力で逃げ回って――そこをアタシが助けてあげたんじゃん!」

「よく覚えてるね……もう7年前じゃんそれ……」

「初めてのダンジョンに誘って一緒に行ってあげたときなんて、タンクのアタシに回復を詠唱出来なくて殺されかけたし」

「その説は本当に……ごめんなさい」


「それから〜」とシャルはヒカリの赤裸々な失敗話を意気揚々に次々と挙げてくる。

 ――間違いない、この人はシャル本人だ。

 そう確信した頃には、自分の無様な話が並べられ恥ずかしさで一杯だった。


「でも成長して――それなりにはなんとかなってる……と思う」

「うん、ヒカリちゃんは強くなった。今では、本当に背中預けてもいいかもって思えるよ。ちょっとだけ、ね」

「ちょっとだけ……でもセブンスナイツの人にそう言って貰えると少しだけ自信が出てきたよ」

「ヒカリちゃんには頑張ってもらって、安心して背中を預けさせて欲しいかな!」

「頑張ります……!」


 シャルは話を切り替えるように手を叩く。そして、そのままお願いをするポーズに切り替わる。


「それでさ、ヒカリちゃんはギルドハウスに個室作ってたよね? 今日からしばらく一緒に使わせて欲しいなあ〜って、ダメ?」

「シャルさん〈ハウジング〉持ってなかった? なんで私の個室を……?」


 〈ハウジング〉とは、プレイヤーがゲーム内にあるハウジングエリアと呼ばれる区画の好きな土地を1つだけ購入し、そこに家を建てることができるシステムだ。多くのプレイヤーは世界の各地に挙って〈ハウジング〉をしていた。そのため、ギルドハウスに好き好んで作る人は少なかったと思う。

 俺はというと、そういうコンテンツにはあまり興味がなかったため、ギルドハウスの中の一室を自分の〈ハウジング〉として購入し使っていた。


「ハウジングエリアが存在してないんだよね……それで宿を取ろうにも、宿の部屋数少ないし」

「シャルさんが良ければ一緒でいいよ」

「ありがとー、とりあえず早くギルドハウスに行こ。確認出来てる人をリストにまとめてるみたいだからさ」


 少し歩くペースを上げてギルドハウスへ向かう二人。

 彼女の明るく振る舞っているのは、俺を不安にさせないためだろうか、それとも弱った心を露呈させない最大限の虚勢なのか――俺にはわからなかった。


 ギルド〈アーク〉の拠点は、街の角にある大きな豪邸だ。その風貌はゲームの時と何一つ変わらず、庭具や畑もそのままあった。

 扉を開けるとエントランスにはたくさんの人で溢れている。外の喧騒けんそうとは打って変わり、中は静かだ。


「ヒカリを見つけれたんだな。こんな状況だからパニックになってる人も少なくはない、よく来たね」


 ゲーム内と容姿が変わらないギルド長のヴォーデンが俺たちを見つけたようで、駆け寄って声を掛けてきてくれた。

 ヴォーデンとは3年ほど前に知り合い、シャルの紹介でギルドに加入させて貰った。

 それまでは〈セブンスナイツ〉というギルドで一緒にやっていたが、それを解体。そして〈セブンスナイツ〉のうち〈聖騎士パラディン〉のシャルと〈枢機卿カーディナル〉のガリルと〈預言者プロフェット〉のヴォーデンの三人で立ち上げたギルドだったそうだ。


「おそらく、これはゲームの不具合とかではない。皆々が共通していることは――サービス終了時刻までログインしていた人たちなんだ。

今の全プレイヤー数は376人。

これからデスゲームでもさせられるのかもしれないね。

――まぁつまり、何もわかっていない状況なんだ」


 彼はそこで、運営が最後に用意したアイテム、外見適性化薬には期限があることを利用しようと考えたようだ。

 それまでに、ネカマやネナベはみんなに告知したりする期間を設けて結束をはかるとのことだった。


「ネカマやネナベはネトゲでは珍しくない。でもそれを打ち明けるというのは、かなりの心意気が必要さ。だからそれを明かせる人は信頼できる人だと、そう思わないかい?」


 ヴォーデンのその言葉を、俺は受け止めることが出来なかった。なにせ俺は、――ネカマで隠そうとしているのだから。


「ネカマを黙ってる人は信用出来ないってことですか……?」

「そうさ。この生活がどれだけ続くかわからないこの緊急事態にすら、自分の保身に入るような人にこそ、さらけ出して貰う必要があるのさ。……少なくとも僕はそう思うね」

「それは……ギルド全員に強制させるんですか?」

「うちの方針に従って貰えないのなら、無理強いはしない。けど薬は時間がくれば自動的に使われてしまうだろう。

逆に、それまでの時間を利用して新たなコミュニティを形成するのもひとつの契機けいきさ。今のところは、その方針を受け入れてくれる人全員を、新たなギルドメンバーとして受け入れるつもりさ。

――去るのならば、その意思を尊重するつもりだよ」

「そうですか……。でも、それはそれで新しい仲間が増えるってことでもありますしね!」


 ヴォーデンに死刑宣告をされたような気分だ。心をきゅうっと締められる思いでいっぱいだった。今の俺のままでは、信頼の置けない自分勝手な人間として晒し上げられる。

 キャラクターではこんな可愛いアバターをしていても、実際の俺は、家からでずに仕事をしているため、全くと言っていいほど容姿は無頓着になっていた。髪も伸びっぱなしの正直言って小汚い見た目の男だ。

 本当の自分を晒すのは怖い。

 いっそその時間に逃げてしまって、他の街で元に戻り、新規の冒険者として戻ってきてもバレないのではないか。

 色々なことが頭の中を錯綜さくそうする。


「それにしてもヒカリ。君は汚いよ」

「え……?」


 ――俺の心を見透かされたようなそんな気がした。


「いったいどうしたらそんなボロボロになるんだ。装備も全壊してるじゃないか……。せっかく君の綺麗な容姿が台無しだよ、シャルなにか装備を分けてやれないのかい?」


 ……忘れていた。森での戦いで装備は修繕することも不可能なくらいに壊れている。

 最初に手に入れた武器の杖も戦闘で完全に折れてしまい、最後には松明として火をつけ完全に消失した。

 今やぼろぼろのローブ1枚を着てるだけの、浮浪者にも見えてしまう有様だ。


「アタシの装備だって、そもそも男物の服しかない中でやっと見つけた服なんだよ。男のアバターだったから胸が入らなかったのがほとんどだし」

「……あっ、そうだ。ここに来たのはギルドの私の個室を使いたかったんです。ゲームのままであれば、部屋にコスチュームいっぱい置いてあるはずなので。ちょっと部屋に戻りますね」


 早くヴォーデンのもとから離れたい一心で、突き放すように言葉を吐き急いで部屋に戻る。

 ゲームの時と作りは同じで、2階の部屋が並ぶ場所の手前から3番目の位置にあった。

 うちのギルドは人が多いものの、大半の人はお金を貯めて〈ハウジング〉を購入していたため、ギルドの個室を建てている人はごく少数だ。

 俺はさすがに家のレイアウトにまでネカマする自信がなく、ずっとギルドの個室を利用していた。ギルドの個室ならギルドメンバー以外立ち入れない。他人の部屋を覗くことは出来るのだが、ロックをかけていたのでその心配もなかった。


 部屋のレイアウトはゲームの時のまま変わっていない。

 このゲーム内の部屋は倉庫も兼ねていた。コスチュームの服や防具はクローゼット、回復薬は収納箱にと、それぞれ分けて保管するため、預けれる容量はかなり大きい。そのため、このゲームをやる上で〈ハウジング〉はほぼ必須の機能と言えるだろう。

 クローゼットを開け、着替えを取り出す。


「ぎゃあああああああ!!!!!!」


 限界まで保管していた防具や服が、雪崩を起こして押し寄せる。それもそうだ、クローゼットのサイズは一畳ほどの大きさしかない。そんな中に100枠分の服や防具を入れていたのだから、常識的に考えてそもそも入るはずがないのだ。

 叫び声を聞き駆けつけたヴォーデンとシャルは、その惨劇を目の当たりにして立ちすくんだ。服に飲まれた俺は動くことが出来ず、その重みで死にそうだ。

 なんとか助けてもらうために自分の位置を知らせる手を服の山の外へと突き出すとシャルはその手を掴み引き摺り出して助けてくれた。


「ギルドでは情報共有をおこなっていたのだけれど、ヒカリに伝え忘れていたよ」


 溜め息を吐きヴォーデンは首を横に振りやれやれとしながら説明を続ける。


「この世界では、ゲームのアイテムが全て実体化しているんだ。回復薬を30個とか当たり前のようにゲームでは所持できていたんだけどね、ここでは全て物となる。だから旅の荷物も全て持ち運べるような鞄に入れていかないといけなくなっているんだよね。だから大きなものの運搬は大変になって……まぁ完全に現実と同じだよ。」

「早く言ってください……。でもまさか服とか保管出来ないなんて……」

「それにしてもヒカリちゃんらしいね。服とかいっぱい買ってたもんね。鞄だけでなくまさか倉庫までパンパンなんて」

「どうしよう。とりあえず着替えの服は用意出来たけど…。コスチューム装備って概念残ってるのかな……」

「コスチューム装備はどうなるか不明だが。今僕たちの着ている服は、雨だろうがなんだろうか弾く。そういう素材なのかもしれないが、とにかく汚れがつかないだよね。それは今着てみることは出来るかい?」

「うん、そうしてみる」


 着替えはゲームの脱衣所のときのように一瞬で着替えるということも出来ないため、ボロボロのローブを脱ぎ始める。


「ちょっと、ヴォーデン部屋から出てけ! ヒカリちゃんもヴォーデンいるのに脱ぎ始めるなー!」

「「あっ!」」


 ヴォーデンは慌てて部屋から飛び出し、俺は体を隠す。


「ヒカリちゃんはちょっと緩すぎでしょ。年頃の女の子でしょ?! もっと気をつけて。あいつはああ見えてムッツリでやらしいんだから。」

「ご、ごめん! ちょっと動転してた! で、でもほら絶対に見えないようにするインナー装備あるし…ね?」

「まぁ確かにそうだけど、今はゲームと違ってリアルと同じように、着替えないといけないんだから、感覚的にさすがにわかるでしょ!」

「そ、そうだね、いや本当。シャルさんの言う通りだよ……」


 俺はこのとき、ゲームでネカマをするのと、リアルでの生活まで女性っぽく振る舞わないといけない事の難しさの差を痛感した。

 こういった行動ひとつで、ボロがいくらでもでてしまうものだ。コスチューム服に着替えた俺は自分の服に魔法で水滴を垂らしてみる。コスチューム装備とは防具の性能に関係なく見た目だけを変える装備アイテムなのだが。初期服のローブとは違い水を吸い普通の服と同じだった。


「あのローブと違って水に濡れるってことは……これって普通の服ってこと……」

「なんか言ってる事デタラメで面白いね。それにしてもその服着たヒカリちゃん可愛いね。目の保養になるよ〜」

「もー、シャルさんおじさんみたいなこと言う!」


 キャラを褒められて嬉しくなることはあったが、今はまるで自分が褒められてるみたいで嬉しく、気恥ずかしくなった。


「それにしてもヒカリちゃんはええ形の乳してますの〜! 女の子の理想的なスタイルしてるよね。ほら、アタシはこんなんだから……」

「いやいや、シャルさんこそスタイルいいじゃないですか。胸はデカくて形とかちょっとわからないけど羨ましい限りですよ。私のこれは――虚乳ですし、お別れするときを考えると虚しくなります……」

「あー、でもそういうこと考えると虚しいね……」

「胸は大きさと形より感度が大事だよ。あとはしっかり手に食いつくいい弾力感」

「形のいいおっぱいなんて自分ではわからないよね〜。お風呂場で鏡見てときどき考え込んじゃうよ……ね?」

「ヴォーデンさん?! さすがにデリカシーなさすぎですよ」


 シャルと二人で会話に弾んでいたのだが、いつの間にかヴォーデンが部屋に戻ってきていた。


「そんなことよりコスチューム服の性能はどうなってる? 特殊性能とか何かついてたりしない?」

「えっと普通に濡れたりする服みたいで、特殊効果とかはなにも発動してなさそうですね……」

「そうか、それはそれでいい情報だよ、ありがとう。ヒカリちゃんの胸は虚乳っと……」


 俺はキョトンとしながら部屋から出て行くヴォーデンを見ていた。


「ヴォーデンはヒカリちゃんには素を出しているんだね。あんまりヴォーデンと話してるのを見たことがなかったからびっくりしちゃったよ」

「そうなんですか? ギルド長はシャルさんが高難易度のダンジョンに行ってる間、私に戦闘の手解きしてもらってて、師匠でもあるんですよね」


 だから余計にヴォーデンの言った言葉が、ずっと胸を締め付けていた。ネカマを明かせないような人は信頼を置けない――。


 薬の効果は残り3日。

 それまでに俺は、決断を下さないといけない。


「それじゃ、アタシもここにしばらく住まわせて貰うから片付け手伝うね。……それにしてもこれだけの量、よく集めたわね。私も初期防具の鎧しかないから借りて着てもいい?」

「全然いいですよ。借りると言わずもらってください。ここに保管してるのはシーズン過ぎたものから私には似合わなかったものまであるので、気に入ったものがあれば普段着として着てくださいね!」

「ありがとう。それじゃあさっさとクローゼット整理しながらいい服見つけちゃうわね」


 シャルはセクシーな紅いドレスを見つける。それはワインレッドを基調とした重厚で気品に溢れた美しいドレスだった。


「これヒカリちゃんがアバター着せ替え専用のサブキャラがずっと着てたやつ……。すごい可愛くて似合ってたのに――もう見れないのね……」

「サブキャラにアクセスすることは出来ませんしね。それに私はあのキャラよりこのメインキャラの方が思い入れが強くて好きですから!」

「私も今のキャラのほうも好きだけど、サブキャラのほうがおっぱいすごく大きいよね? 背もあっちのほうが高いし」

「あーそれは……私のリアルの身長を反映させてますからね……」


 と少しだけ暗い表情をするヒカリ。

 もうどうせあのキャラは使えないし、消えてしまったから気にする必要はない。あのキャラは自分の作った初めての女キャラで、親友からも褒められすごく気に入っていた。それを失う喪失感は、少しだけ心にこたえた。


「あ、さっきの色違いの青いドレスある。こっちは私が貰ってもいい? あとこれも」


 次から次へといい服が見つかるシャルを見ながら、あと3日後にはどうせ俺は着れなくなるのだ。どうせならたくさん貰ってもらおうと俺からも色々と提案した。

 段々と片付けが捗らなくなりそうな雰囲気になり始めた時に、シャルは手を叩いて気持ちを切り替えさせる。


「まぁサクッと片付けちゃおう!」


 張り切って片付ける二人。服の山はまだまだなくならなさそうだ。


――――


「とりあえず片付いたし、休憩しましょ」


 シャルと俺は雪崩を起こした服の山を、一着一着畳んで重ねてクローゼットに今度は雪崩ないように丁寧に重ねていた。


「――そうですね。雪崩が起きた時は、もう終わった……て思ったんですけど、二人だと案外すんなりと片付きましたね。本当にありがとうございます!」

「いいのよ。ヒカリちゃんの部屋に住まわせて貰うから、多少のことは何でもするわよ」


 休憩する際に、小さいテーブルを囲いながら寛いでいた。

 この世界の不安なことから、元の世界のこと。たくさん話し合っていたら、結構な時間が過ぎていた。


「泥で汚れたり雨で体が濡れたりすることもないからなんか不思議な感覚なんですよね。この街に来るとき、魔物や緑色の体の巨人とかと戦闘したんです。そのとき土砂降りの中戦ってたんですけど全然塗れなかったし、今考えたら汗臭くもない!」


 シャルはあー、それね。というように何か知っているようで、俺に先ほどの水滴を出す魔法をお願いする。


「一応仮説みたいなんだけどね、あの薬飲んだ人はもうこっちの世界に身体が順応するみたいで、ほら。私の体は普通に濡れるし、髪だって、濡れるでしょ?」


 彼女の言う通り水の魔法部分に右手を通し濡れることや、長い髪の毛も通して濡れることを確認した。


「それにアタシは汗もかくし、もうこっちの世界が現実っぽく感じちゃってるんだよね。あ、さっきの仮説はガリルが言ってたやつだから、まだ詳しく聞きたかったら、あいつに聞いてね」


 そう言いながら、シャルは先ほど片付けながら見つけたデコルテの見える可愛らしい服に着替えており、机に突っ伏すようにだらけていた。胸元が開けており谷間がくっきりと見える。胸囲が大きいためか服を胸が押し、その結果谷間があらわになったと言った具合だ。


「シャルさん谷間見えてます……。まぁインナー装備があるから大丈夫ですけど、私にも警戒してくださいよ」

「あ、そうだった、これ言うの忘れてた。薬飲んだらインナー装備は普通に脱げるよー、ほら」


 シャルは少し胸元を開き、インナー装備が見えるようにした。それが現実と同じ布であり捲れることを示す。


「え?!じゃあ余計に危ないじゃないですか、気をつけてくださいよ?」


 ここでひとつの自分を気持ち悪く思っていたこの現象が解決するものだと知った。

 この薬を飲むまでは、本来の自分ではなく、アバターとしての自分だから変化が起きないようになっているということなのだろうか。自分の胸元を見るとやはり印刷されたように張り付いているインナーのままだった。


「それでさ、コスチュームを畳んでる時に、ブラとショーツもセットだったみたいだから全部分けて置いたよ。あ、そうだ、その話もしたかったんだった」


 シャルは話したかったことを思い出したようで手を叩く。


「アタシさ、下着この一着しかなくてさ、四、五着ほど貰いたいんだよね、だめかな?」


 先ほど、叩いて音を鳴らした手をそのまま合掌させたまま首を傾げて可愛らしくお願いする。


「女の子同士でも友だちの下着使い回すって気持ち悪くて無理だけど。まだ着てないわけだから、なんかいけそうでさ。ちょっとブラとか持ってくる」


 彼女は立ち上がり、先ほどのクローゼットを開け端の方に置いてあったブラとショーツのセットを机の上に並べる。正直なところ、そのシチュエーションというだけでドキドキして平常心を保てなくなりそうだ。


「一応ここに30セットあったんだよね。ゲームの時にコス着たらさ下着も変わってたじゃん。だからもしかしてと思って服の内側見たらしっかり中に挟まってた」


 彼女はショーツを摘み上げ、俺との間に広げてぶら下げる。


「問題はこっちでね。ブラがコルセットみたいなやつとか、チューブトップのが基本なんだけどさ。二着だけ、アタシらの世界で使ってた馴染みのワイヤーのやつあるんだけどさ。これちょうだい! サブキャラで着てたやつだからサイズ私に合うんだよね。

スポブラタイプもいいんだけど、持ち上げてる感あんまなくて。あと胸への圧迫がすごくて」


 俺は頭をパンクさせつつ、何を言われているのかわからないまま、モノではなく言葉だけでなんとなく意味を察しようとした。

 つまり、とりあえず現代で使われてるようなやつが二着しかなく、サイズもサブキャラの巨乳サイズで俺のキャラに合わないだろうからくれってことかな。

 チューブトップはわからないけど、コルセットなら聞いたことがある。スポブラもなんかわかる。


(元の世界でも使われているやつを、シャルさんにあげて、コルセット……と言うやつは自分が使うことにしよう。

コルセットってなんだっけ? あの窮屈きゅうくつなやつだっけ?

こういう時は秘技、――"アレ"取って作戦。

部屋を見渡し鏡を探す。そう言えば一度も自分の容姿を見ていなかったな。一度確認しておかなくちゃ)


 やることが全て浮かんだところで、いざ決行。


「ブラはシャルさんが使いたいやつ本当に好きに選んでいいよ。私は大丈夫だからさ。そういえば、私どんな見た目してるんだろう。鏡は――」


 そう言って俺は、少し不自然に鏡の前へ立つ。このゲームはプレイ中、ほぼ自分の容姿を見ることができない。――なるほど。

 少し忘れかけていたが、確かに可愛らしい容姿をしている。綺麗なブロンドヘアーに水色の瞳。ゆるいカールの掛かり、背も低い。胸はそこまで大きくはないが……ないわけではない。

 こんな子とパーティ組んでたら、俺でも多分鼻の下伸ばす。なんて俺のキャラ可愛いんだ。

 シャルが立ち上がりこちらへ歩いて来ようとする。危うく本来の作戦を忘れかけていた。


「あ、シャルさんごめん! ちょっと可愛い"コルセット"取って〜、ちょっと当てがってみる」


 これぞ、秘技、アレ取って作戦。これで間違いなく俺の手に届くのはコルセットになるわけだ。


「いいけど、どっちのコルセット?」


(どっち? どっちってなんだ?! 二種類あるのかよ。そんな前情報なかったぞ。どうなってるんですかシャルさん。この返しは最高に危険が危ないです)


「あ、両方とも! シャルさんの好みで――私に着せたいやつで」


 そうお願いすると、彼女は少し楽しそうに選んだ。

 じゃあまずこっちから、と楽しそうな顔をして持ってきた。受け取ったそのコルセットはまるで――"ボンテージ"のような見た目をしていた。


(ええ……これがコルセット? いや、でもこれはもしかしてシャルさん"アレ"取って作戦を巧みに攻略してきた? さすがセブンスナイツ、この作戦をこんな数秒で攻略してくるなんて、高難易度レイドクリアやってるだけはある……迂闊だった。相手の実力を測り間違えてしまっていたのだ――やられた。もうおしまいだ)


「ほら、試着させてあげるから服脱いで。アタシもつけたことないから興味あるんだよね」


 意地悪そうな顔をしているシャルを見て苦笑いをするが……これは渡りに船。

 もうどうにでもなれ、とワンピースを脱いでシャルに全てを委ねた。

 インナー装備の上から装着してもらう。コルセットは後ろ側に紐があり結んでくれていた。


「キツくない? 大丈夫そ?」

「うん大丈夫、ありがと」


 後ろから前へ来たシャルは、胸の谷間の少し下にある靴紐を通すような穴に紐を通して少しずつ縛っていく。


(なるほど、こうやって胸を固定していくのか)


 シャルは俺の胸の下側に手を入れ念入りに上へ上へと持ち上げ逃がしていく。次はわきの下から胸へと持ち上げる。最後に胸元の紐を縛れば装着完了だ。


「無事に着けれたね。案外簡単そうでこれなら別に日頃からつかっていいかも」

「でもシャルさん、これ後ろ側どうやって結べばいいの? 私これ一人で着れないかもしんない」

「そこはブラと同じように前で結んで、くるっと回して後ろに持ってけばいいんじゃない?」


(なるほど、わからん。でも言ってることの雰囲気だけはなんとなく……わかった)


 シャルは自分もコルセットの下着のセットも欲しがっていたので、快く承諾した。


「シャルさん、そういえばもうひとつのコルセットってなんだったの?」

「あ、こっちは服の上から着けるコルセットだよ。ワンピース着た上から着けるファションのやつ。割とそっちもあってコスプレしてる気分になれていいかなって」


 脱いだワンピースを着て、その上からコルセットを着ける。今度のコルセットは前側に紐があり前で縛れるやつだった。

 個人的にそれはかなり画期的で、ローブのときはとにかくバタバタと揺れるのがうんざりだったが、これだったらコルセットより下しか揺れなくなる。とても機能的で、実用的で、そしてなにより見た目のもよくなると。


「私、コルセットすっごい好きかもしれない。めっちゃ気に入った! すっごい可愛いし、どうどうシャルさん」

「すごい可愛い。アタシもコルセット欲しい!」

「じゃあ二人でコルセット宣伝だね」


 思わぬオシャレにテンションが上がり、何度も鏡の前でポーズをとり、自分のアバターの容姿にうっとりするのであった。


「そういえばシャルさんって何カップあるの?私の本当に入るか気になったんだけど」

「アタシは――85のGカップよ。見ての通り……そこまで細くないしね。ここまで大きくなるとどちらかというと不便なことも出始めて来るからほどほどがいいんじゃないの? 実際アタシはブラ紐の太さが可愛くなくて好きじゃなかったし」


 ケロッと言ってのけるシャルに俺はGの迫力に圧倒された。


(G…ジャイアントのG!それは大きいわ。男の人たちみんなシャルさんにメロメロになるね)


 こんな迫力の胸があれば男はたちまち虜となるであろう。

 胸の話で忘れていた。シャルもこの部屋で寝泊まりするということだったが、この部屋には大きなベッドがひとつしかない。


「それより、ベッドひとつしかないから寝る時どうするか考えないと」

「ヒカリちゃんが良ければ一緒のベッドで寝ましょ」

「え、さすがにそれは怖くない?! 私まだ薬使ってないから、本当は男かもしれないじゃん」

「あら、男の子だったのヒカリちゃん。襲われちゃうわ。襲われる前にアタシが襲っちゃいましょ」

「わっ、例えばの話! ちょっと本当に服を脱がそうとしないで! コルセットほどかないで、って胸触るなーっ!」


 暴れて抵抗しているうちに、俺の胸に伸ばしてくる彼女の手を振り払う。しかし内側から手を伸ばすと誤ってシャルの胸をしっかりと掴んでしまった。ずっしりと重量を感じる。手を押し返してくる弾力、張り共に逸品だった。

 一瞬、思考が停止し「わあ」と感嘆の声が出てしまう。


「ご、ごめん!掴んじゃった」


 俺は慌てて手を離したのだが、そもそも彼女から仕掛けてきた悪戯なのだから俺は本当に悪かったのか、と心の中で反抗していた。

 シャルは少しして、俺の胸から手を離し


「まぁ女の子同士でもちょっとやりすぎたね」


 と自身のインナーに手を突っ込み、胸の位置を調整していた。


 しばらく、――二人は沈黙し、気まずい空気が漂っていた。


――――


 鞄の中から"時計"を取り出し確認した。

 残り時刻は51時間――午前9時。

 使用期限は刻々と近づいては来ているがまだ実感は湧かない。もしみんなに黙ったままで、当日を迎えてしまったら……。

 禍根は残さないと言いながらも――俺とヴォーデンの師弟関係は崩れてしまうのだろう。

 そうなれば、俺は孤独にこの世界を旅することになるだろう。ネカマの意地を取るのか、それともみんなと協力することに専念し全てを明かしたほうがいいのか――。

 シャルに街を散歩してくると伝えると、あと3時間以内には戻ってくるように、と念を押された。


「3時間後に何かあるの?」

「ギルドメンバー全員をその時間までにギルドハウスに集めるようにってさ。アタシはいつも冒険者ギルドの酒場前で時間確認してるから、そこで確認してね」

「シャルさんはこれからどうするの?」

「ちょっとこの後、ギルドハウスの改築するみたい。ゲームシステムに干渉出来るうちに色々やるみたいだから、それを手伝う予定だよ」


 ゲームシステム。その言葉を聞くとやはり一気に現実味が薄れていく。ステータス画面もあるのだから……しかし、そこまであってゲーム世界と断定しないのは何故なのだろうか。


「戻ってきたら手伝うね。じゃあちょっと行ってきます。」

「いってらっしゃーい」


 ゲームではあれだけ活気の溢れた街だったのだが、今では荒廃した雰囲気の、さびれた街。

 出掛ける際に、部屋の倉庫に入れていた回復薬を3本ほど、保険のために持って出た。死にかけたことがあるため、保険は持っておいた方が精神的に楽になるからだ。

 冒険者ギルド酒場に近づくにつれ、喧騒は大きくなる。街の様子を見ていると、女の子がミラージュブレイクを飲む瞬間に立ち会う。女の子は数人の男に囲まれていた。数人の男は宴会のコールのように手拍子をしながら、飲め飲めと煽っている。女の子は躊躇ちゅうちょせずに豪快に一気に飲み干す。するとすぐに身体が真っ白に光り、収まった時そこには中肉中背の男がいた。

 彼らは、よく見ると皆同じ服装をしている。そういえば飲む前――女の子の姿のときもあの服を着ていた。

 体だけは変わり、服装はそのままといった具合に戻るようだ。


「あれ、ブルジーめっちゃ痩せてるやん? まぁ俺も0.1トンやったのに体型標準になってるし。願ったり叶ったりやわ」

「なかなか悪くない顔してんじゃん、男前だよ男前」

「……やっぱりみんな18〜22歳くらいでうすかね? みんな若くなっているでうす。」


 どうやらあの周囲にいたのは仲間たちだったようで、目の前の女の子が男になっても特段波が立っているような様子もなかった。


「おう、そこの見物人のお前も俺たちに見守られながら戻るか?」


 今しがた男に戻った人から声をかけられた。周囲の男の人たちも振り返り俺に目線を向ける。


「い、いや、私は大丈夫です。どうせ一人になるので」


 なんとなく自分の未来を予言するような言葉を吐いてしまったことを――後悔した。


「なんだネカマやっててそれ気にしてのか、でも大丈夫だ。俺らはお前のネカマしてきたこれまでを知らない。心機一転俺たちの仲間になるってのもありだぜ?」

「い、いえ、本当に大丈夫ですから。それに私は最後までこの姿を楽しみたいんです。それじゃあ失礼します」


 そういって立ち去ろうとする俺をまだ引き止める。こういうウザ絡みはあまり好きになれないのだが、相手は4人で分が悪い。素直に従い立ち止まった。


「俺はブルジマ、まぁみんなからはブルジーって呼ばれてる。それでこっちが……」

「めっちゃブルジー仕切るやん、俺はフィンレイって言うんやけど。まぁみんなからはケンイチって呼ばれてんで」

「デウスでうす。ちょっとごめんね、変なウザ絡みしちゃって。本当困ったらこのおじさんたち通報していいでうすからね?」

「ソウキです。みんなからはゆずって呼ばれてました。……まぁゲーム中の名前がそっちだったんで」


 一人ひとり自己紹介をしていく。悪い人たちではなさそうだ。彼らはこのゲームを一緒にしていた仲間なのだろう、その存在がとてつもなく羨ましく思えた。


「さっきはちょっと態度悪くてごめんなさい、私はヒカリです。皆さんは一緒にゲームで遊ばれてた仲間なんですね……仲良さそうで羨ましいです」

「もう別ゲーからやから10年以上の付き合いなるな。まぁなんかちょっと思い詰めた言い方やったから心配してな。なんか困ったらこの4人の誰かに声かけてな。もうみんな薬使った後やから見た目これ以上変わらへんと思うし。まぁ――ソウキ以外はまた太るかもしらんけど」


 関西弁で喋るケンイチはすごく気さくで、これがネットゲームならではの軽さなのだと思い出せ、ひどく懐かしく感じた。


 彼らと別れ、また街を歩き出す。彼らの存在は、少しだけ俺の気持ちを楽にさせてくれた。

 ネカマでも、受け入れてくれる人は確かに存在しているんだと。そんな希望が間違いなく存在していた。

 もし、俺が受け入れられなくても、新しいコミュニティで生きていけばいい。そう開き直ることはすぐに出来なくても、きっとそのうち出来るはず。

 悲観になりすぎないために、俺は少しでもポジティブに考えるようにした。

 そのとき、ふと森にいる馬のことを思い出した。もし――受け入れられなかったら森に籠ってあの馬と過ごすのもいいかもしれない。最初は悪い魔物かと思っていた馬も、仲良くなれる存在だった。

 ――なんだ、俺にはたくさん心の支えがあるじゃあないか。


 思い出したついでに、森の入り口へと足を運ぶ。今朝と何一つ変わらない森を眺めて少し思い耽っていると、奥からひとりの少年がボロボロで現れる。

 過酷な体験が頭によぎり見過ごせなかった。


「君、大丈夫?! 今すぐに助けるから」


 俺は鞄から回復薬を取り出し、少年に飲ませた。経口薬なのか塗布薬なのか、はっきりとわからなかったが、経口薬なのだと直感で判断する。

 回復薬はかなり即効性があり、すぐに傷が回復するだけでなく――ボロボロの服まで治してしまう。目の前の光景に言葉を失う俺に、少年は感謝の意を述べた。


「助かりました。ありがとうございます。ボク、運動神経がほとんどなくて苦戦しちゃいました……」

「あ、え、えっと。どういたしまして。私もボロボロになった身なのでよくわかります。無事で何よりです」

「ちょっと突拍子もないことを聞きますが……ここは異世界ですか?」


 その言葉にハッとする。この世界をどこかでゲームの中の世界と盲信しつつあった。しかし、確かにゲームに似た異世界という可能性もある。ガリルが断定しなかったのは、そう言うところなのだろうか。

 ゲーム世界だと盲信する理由のひとつとして、やはりこの街の存在が大きい。ゲームのときと変わらないギルドハウスの佇まいを見て尚更そう確信していた。


「わからないです……。けど今のところ私のしていたゲームと瓜二つなんです、この街が」


 彼の正面から退き、彼にこの街がしっかり見えるようにする。


「ホープタウン……このゲームって昨日サービス終了したはずじゃ……?」


 "昨日"という言葉に少し引っかかる。きっと記憶が混乱しているのだろう。それに時計として使っていたのは、もしかしたら俺含めて少数だったのかもしれない。彼に薬のことを尋ねると当然持っていた。


「ああ、これですね。ミラージュブレイクってアイテムはゲーム中に一度も見たことがなくて。それに第二の人生って書いてあったのでもしかしたら異世界転生したのかなって思っていたんです」

「この使用期限が時計のように使えて便利なんですよ。今の残り時間が……50時間って表示されてるので今が午前10時くらいですね」

「面白い使い方してますね。となると使用期限は、12時で48時間だから…明後日の12時までなんですね。理解です」


 彼もそうだが、先ほどのパーティも独特な言葉遣いをしていて、ネトゲ感を彷彿とさせる。今更だが、本当にみんなでここにいるんだ、という実感が湧き上がってくる。


「今は多くの人がここにいるみたいで。とりあえず自分の所属してるギルドハウスに身を寄せるのがいいと思います。私はギルド〈アーク〉に所属してるので、困ったら尋ねてください」

「〈アーク〉って……初心者から熟練の人が所属してる最大規模のギルドだった、あの?」

「ですです。まぁ大きくなった1番の要因はギルドの統合ですけどね。うちのギルドなら何か手助け出来ると思います」

「理解です、じゃあまずボクらのギルドハウス目指してみますね。ありがとです」


 少年は立ち上がり、自身のギルドハウスを目指して駆け足で向かい始めた。


「あ、私の名前はヒカリです! 困ったことがあればその名前で尋ねてください」

「あ、ボクはアキネです、理解です」


 彼はそのまま駆けて行き、見えなくなった。アキネって名前をどこかで聞いたことあったけど、どこからだろうかと考えていると突然声をかけられて思考が停止する。


「よう、嬢ちゃん。っと、こいつは間違いなくネカマの見た目だな。たぶらかした男から逃げないとなぁ、ヒカリちゃん?」


 不適な笑みを浮かべる男がそこにいた。身に覚えのない見た目の男に身構える。彼はもう薬を飲んで姿が戻った後なのか、誰だかわからない。

 たぶらかした男、というのも完全に身に覚えがないわけではない。少なくとも目の前の男は俺のことを呼んだ――そこが気になる。どうして、名前を?さっきの会話を聞いていたから?


「まぁ落ち着けよ。どうせ薬飲んでないやつには何も出来ないんだ。お前に危害を加えれない。俺は落ちぶれていくであろう人を見るのが好きなだけだ。今から楽しみだなぁ。その顔だよ、その反抗的な顔。その顔がどん底に落ちていくのを楽しみにしてるぜ」


 男は背を向けどこかへ行った。改めて、俺はネカマに対する侮蔑の目を痛感するのだった。周りの人はもしかしたら受け入れてくれるほどの器があるかもしれないと思えていたのだが。

 もしかしたらそれは俺の幻想だったのかもしれない。

 そんなロマンチックな出来事は妄想でしかないのかもしれない。

 そんな思考が頭を支配していく。

 俺は重たい足取りながら、シャルの言っていた冒険者ギルドの酒場の時計を見にいくことにした。

 薬の使用期限は1時間単位でしか書かれていないため残り1時間の表記であれば1時間59分から1時間0分までの59分の誤差があるはずなのだから確認しておくことに越したことはない。

 実際の時刻を確認するまで気が付かなかったことがあった。少し見落としていたことだった。現在の時刻は10時58分だった。

 残り時間は50時間。盲点だったのだ。なぜか薬の使用期限の0時間の表記を忘れていたのだ。つまり先ほどの子のように12時までという勘違いが起きてしまいがちだが、使用期限は13時だということを今時計を見て初めて気がついた。

 この差を利用して何か誤魔化せる方法はないか、と悪い心が俺の中で芽生え始めた。


 冒険者ギルドの酒場はとても騒がしく、中を覗くのもはばかられるほどの喧騒だった。しかし、現状を確認しないわけにはいかない。腹を括り、俺は酒場のスイングドアに手をかけ押し入る。

 中は人で溢れていた。彼らのイライラがひしひしと伝わってくる。周りを見渡すと足の踏み場もないほど人が所狭ところせましと地面にまで座っていた。

 受付のNPCの周りはより一層人だかりで溢れかえり、怒号が飛び交っている。


「早くログアウトさせろ!」

「今日は大事な取引があるんだ!」

「会社になんて言えばいいんだよ! なんとかしてくれ!」

「もういい加減帰してくれよ……頼むよ……」


 そんな叫びが響き渡っていた。どうやら彼らはNPCに怒りをぶつけているようだった。NPCの人は本物の人のように困惑してパニックになっていた。助けないと、と前へと人を掻き分けて進んでいると、ふと急に後ろから声を掛けられ、腕を掴まれる。


「なぁお嬢ちゃん、ちょっとあっちの席でお茶でもしようや」

「やめとけ、やめとけ。そんな容姿じゃまだ薬は使ってないんだろ? そういう美少女を作るやつは決まってキモデブな根暗オタクって相場は決まってる」

「それもそうだな! 童貞が好きそうな見た目してらぁ」

「ならお前は童貞だな!」


 そういって変な目で見てくる人たちにうんざりしながら声を荒げて怒鳴る。


「ふざけないで! 今はそれどころじゃないでしょ。あの人が困ってるんだから助けにいかないと」

「そうはいってもなNPCだぜ? さっきまでずっとわかりませんしか言わないようなやつだ、気にすんなよ」


 話にならない。腕を払いのけ受付の女性のもとへと駆け寄る。彼女は精神的に参っているようで両手で頭を押さえて地面に座り込んでいた。

 あれだけやたらと騒いでいるのに、カウンターを超えてこない辺り、少しだけ自分たちの民族性を感じた。間違いなく、自分と同じ人間なのだと。スムーズに彼女のもとへと駆け寄ることが出来た。


「あなた、大丈夫?! 立てる?」


 彼女は俺の顔を見ると、安心したように涙を流して泣き始めた。


「こ、怖かった、怖かったです……。助けてください……」

「もとよりそのつもりだよ、とりあえず立てるなら私と一緒に外へ出るから着いてきて」


 彼女の腕を掴み外へ出ようとする。しかし次々と人がそれを静止させようと掴みかかって来た。対抗するように俺も怒りに任せて声を荒げる。


「お前たちはこんな子を寄ってたかって何してるんだよ! この子もわからねぇんじゃしょうがないだろ! 泣かせてんじゃねーよ!」


 余程大きな声だったのか、少しだけ勢いが弱まった隙に外へ出た。スイングドアを抜けると、1人の男が俺たちの後ろに立ち、他の人をスイングドアで押し留めてくれた。


「この子の身柄はギルド〈アーク〉が預かる。事情を聞いておくから、みんなは頭冷やしてくんな」

「リンドウさん! 私どうしたらいい?!」

「とりあえず、ギルドハウスで俺とヒカリちゃんの客人として通してもらいな」


 リンドウはスイングドアを手で止めたまま俺たち二人を先に行かせる。

 俺たちのギルドはこの街の角にある。普通に向かうと結構な距離があるため、街の〈大広場〉を突っ切る形の最短距離で向かうことにした。

 〈大広場〉、ゲーム時代では綺麗な石造りの噴水がある広大な場所だ。よくプレイヤー同士が待ち合わせに使っていたり、かなり広いスペースなのでフリーマーケットのような大きな露店が並ぶことも多かった。

 しかし今ではそこかしこで人が座り込んだり、寝転がっていたりして、活気とは無縁だ。今はこの惨状を気にかけるよりもまずは彼女をギルドハウスへ案内することだけに注力した方が良さそうだと、頭を切り替え見て見ぬ振りをした。


 ギルドハウスに到着すると多くの人がエントランスで待機していた。そういえば、出掛ける前にシャルが12時頃に集合するようにって言われている。この人たちは早くから待機しているのだろう。そんな中、副ギルド長のガリルが俺たちを出迎える。


「ヒカリ、こちらの婦人はどなただ?」

「えっと、冒険者ギルド酒場の受付の人です。ちょっと訳アリで……。リンドウさんと私のお客さんということで応接間を借りていいですか?」

「リンドウが絡んでいるのか……。なるほど、わかった。僕もお話を聞かせてもらっても構いませんか、ご婦人」


 この人もなかなかに個性の強い人だ。受付の彼女は、恐縮しながらも頷くとガリルに応接間へと案内された。

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