◇49 才能欠乏




「理由、聞きたいかい? 聞きたいよねえ? もちろん知りたくて仕方がないよねえ? ――いいや、どっちだって良いんだ! 話させてくれよ! いいだろう? きっと分かってくれるさ! なんてったって君は彼の弟だ! 分からないはずがない! そんなことはありえない! 6年も待たせられてこっちは色々溜まっているんだ! さあ彼の作品のすばらしさについて語り合おうじゃないか!」


 それは呪詛というにはあまりに興奮がのっていて、人へ伝える言葉にしてはあまりに醜悪だった。


「初めて見てから彼の作品をずっと見ているが、あの凄さを上手く表現できる言葉が全く見つからない! 自分の中から溢れてくるパトス、外の世界から得られるインスピレーション、それらを全て使い尽くすより、彼の芸術を真似ることが最善の道だとすぐに分かった! それまで培ってきたプライドなんて一瞬で崩れ落ちるほどなんだ!」


 ――聞きたくもない。


「そんなんだったから模写だけでは満足できなくなっちゃってね。我慢できなくなったんだよ、6年前の今日に。これでも表現者の端くれだったからね、どうしても自分で作り上げたものを彼に評価してほしかった。……今となればわかる。あれは完全な早とちりだった。あの時の自分には彼の作品への研究が全く足りていなかったんだ。失敗の代償は大きかったよ。まさか彼が死んでしまうなんて。続けざまに与一まで大怪我を追って記憶と、彼と共有していた超感覚を失っている様子だったから……あのときは本当に心配したよ。目標を見失った気分だった。また自分から台無しにするわけにはいかない。だから待ち続けた。ひたすら研究して、分析して、待ち続けた」


 ――付き合う必要もない。


「春に君が彼女を僕の家に招いた時だ。遂にそこで何かが切れてしまった。だってしょうがないじゃないか。あんな姿を見せられたら運命を感じたって。アクシデントがあって習作を偶然君に見られて――絶望したよ。ああ、これでこの6年は無駄になってしまうかもしれない、ってね。だが殊の外物事は僕の思い通りに進んだ! 与一、君の超感覚が戻り始めたんだ。そこからは想像の通り、今日の作品のために練習を重ねていたってわけさ」


 ――目的はなんだ?


「それで、だ。君の記憶を試させてほしいんだ。今の君が鑑賞者にふさわしいのかどうか、ってことをね。君がしっかりと元の状態に戻るまで、6年間も待ったんだ。その仕上がりを試すぐらいの権利は、こちらにもあるはずだよね?」


 ――犯人は見つけた。もう目の前にいる。

 

 もう1つやることがあるだろう。頭に響くノイズとは裏腹に、一言だって聞き漏らしたりはしなかった。


「7月26日、何でこの日なのかわかるかい? ………………はい、おそい。こんなことも分からないようじゃあ心配だよ。君が持っている超感覚を疑ったことはないけど、これはその以前の問題だしなあ。今日という日の」


「描かれた日付だよ」


 持ったままになっていた携帯をもう一度ポケットへ突っ込む。

 子供じみた厭悪はすぐそばで鎌首をもたげている。

 そこには何も残っていない黒々とした濁流だけがあるのみで。こんなところに身を委ねたって何の利益もない。


 そんなことは関係ない。


「宗孝は描いた絵にタイトルを付けない。その代わり、絵を描いた紙の裏側に描き終わった日付を書くんだ。……僕が宗孝に貰った最初の絵。叔父さんが『構図』に執心しているあの絵が描かれたのは、7月26日だ」


 それは、明らかな作意で揃えられた、6年前の事件と同じ日付だ。

 

「そっか、よかった。流石に君が戻ってくれていないと今までの作品の人たちも浮かばれなくなっちゃうから」


 視界がくらくらする。どんな顔をしていればいいのか分からない。

 叔父さんが6年前の今日、加えて今、どれだけの運命を感じたのかなんて知らない。本気で言っているんだろう。


 単純なことは――三谷を殺したこいつが、笑っていていい道理がどこにある?


「あんた、傍に書いてある文字がどんな意味なのか、知ってるか?」

「……いや、「どうせ知らないんだろ?」


 聞かなくても分かる。


「ご丁寧に要らない点まで付け足しやがって。何も分からないで表面をなぞってるだけの奴には分からないんだろ」


 出来るだけの嘲笑と侮蔑を込めて嘯く。

 人のことを言えるような人間じゃないのは分かってる。


「昔、僕が宗孝に作らせたこのアカウント。今はあんたが持ってるんだろう?」


 携帯を再び取り出して、画面を見せつける。開いていたのは、いつかの日に深路から見せられた絵描きのアカウント。

 この場所に来るまでの間に気づいたことだった。


「6年前に宗孝が描いた作品、しばらく間をおいて更新され始めた、多分、あんたの作品。最初から最後まで全部見たよ」


 最初はそこに乗せられている絵を見ても全く気付かなかった。だけど、その理由は日記に書かれていた小さな子供の絵に感じた欠落と同じことだった。


「正直に言うよ、深路が微妙な差異と言っていたもの――僕には少しも違いが分からなかった。芸術性なんてもの、てんで理解できないんだよ。……才能ないからね」


 目の前の顔に、喜びと悲しみが浮かぶ。

 鑑賞者足りえるか、そんなに気になるか。


「だけど、『これ』をみたとき、分かったんだ」


 西白森の家からこの場所まで、肩掛けにして持っていた、小学生が使うような小さなバッグを足元に降ろす。筒状の『それ』は中には収まりきらず、ファスナーの金具に両側から挟まれていた。


「……何を言っているんだい?」


 隠し収納に入っていたもの。

 それは。


「見たことないわけないよな、これ」

「……そんな、どうして」


 僕が広げた『それ』を見た瞬間に、初めて叔父の顔から喜びの感情が消える。

 血の気が引き、手は打ち震え、唇は色味を失くす。僕の存在など忘れたかのように――自らの背負っていたリュックサックを開き、中身を辺りへと投げ捨て始めた。


 程なく、その手は止まる。


「……どうして?」


 同じ言葉をもう一度呟く。先ほどとは違う、驚きと混乱。


「やっぱり、それもあんたが持ってたんだね」


 叔父はリュックの中から取り出した、1枚の紙を手に持っていた。


 描かれている中身は、僕が広げているものとまったく同じ。

 散らばった四肢と、右腕と頭だけが残る体と、傍らの血文字――事件の『構図』そのものであり。津島宗孝が作品として仕上げ、僕に送ってくれた初めての作品であった。


 そして、初めての物的な証明でもある。


「……どうして、もう1枚あるんだ?」


 そりゃ驚くだろう。宗孝の部屋を、そこに飾られている全ての絵をさらって、研究したと言っているのだから。自分の手元にない絵など存在しないと思い、その中でも一番執着の強いであろう絵が、自分の知らない絵が、そこにあるのだから。


 裏に書かれた日付は『8月1日』。

 理由なんて簡単なこと。

 だが教えてやる必要は1ミリだってない。


「こんな僕に、僕にでも分かる、あんたと宗孝の作品の違い。それはまさしくナニカによるものだ。画面越しで見たって分からないんだよ。絵自体の優劣なんて、僕には分からないんだから。この絵、そしてあんたの持っているその絵もそう。宗孝はね、絵の上にナニカを重ねて描くんだ。だから僕にとってそれは、あまりにリアルで、あまりに現実感がない唯一無二のものだった」


 頭には宗孝の顔が浮かぶ。あの目を細めた特徴的な笑顔が僕を見ている。


「超感覚、か。そんな大それた名前を付けるほど、良いものじゃあないんだけどね。ただの『世界』さ。昔のことは知らないけど、少なくとも今の僕にとって、こんなものは」


 見渡した景色の中に、当たり前のようにナニカは蠢いている。もはやそれらを気に留めることは、無い。

 こんな酷い有様が、もとより僕の住む世界なのだから。それを受け入れて、ここに立っているのだから。


「おい! 聞こえているなら答えろ! どうしてお前がそんなものを持ってるんだ!」

「お望みの通り、こっちは批評してやっているってのに。――いいか、よく聞けよ? お前の作品なんてのは、僕にとって宗孝の作品に及ぶべくもない、猿真似の凡作だって言ってやってんだよ!」


 言い切った途端に、辺りの空気が変わる。いつの間にか太陽は雲に隠れ、影が辺りを包み込んでいた。

 肌で伝わる憤怒の香り。相対した顔は見たことがないほど紅潮し、握られた拳は痛いほどに強く、そして戦慄く。


 明らかに危険な状態だった。


「言わせておけばいい気になりやがってこの糞餓鬼が。誰がここまでテメエの面倒を見てきたと思ってるんだ。ああ、いいぜ。やはりテメエじゃ観賞役は務まらねえ、ってこった。もうお前に価値なんざねえんだ。お望み通りぶっ殺してやるよ!」


 絵を再びしまい込んで、先ほど足元に放り捨てたナイフを拾い上げる。

 血走ってぎょろついた視線が真っ直ぐこちらを捉えた。



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