◇48 裁断批評




「はあっ、はぁ、ふっ…………ん……なんか、久しぶりに、会った気がするよ。……最近ほとんど部屋から出ていなかったから」


 無言。

 

「……あそこにいるの、深路か。全く2人してこんなクソ早い時間からご苦労なことだよまったく」

 

 無言。軽口には反応を示さない。

 

「そんなに驚かなくてもいいだろう? そっちからしたらむしろ好都合なことなんじゃないのか?」


 吸って、吐く。その繰り返し。ぐちゃぐちゃに乱れた息を整えてから、口火を切る。声に安堵の色が残らないように。


 目の前の人物は動かない。いつもより角度の付いた笑顔を顔に張り付けながらこちらを見ている。僕を映しているその瞳に浮かんでいるのは驚きか、喜びか。

 気持ちが顔に出やすいタイプ、という言葉が初めて腑に落ちた気がした。



「どうして僕がここにいると思う? ――叔父さん」

「さあ? どうしてこんなところにいるんだい? 昨日も返ってこなかったし」


 

 正面。2メートル先。手袋をはめ、ジャージを着て全身黒づくめであっても見慣れたはずの顔。夏場の超炎天下において、全く適していないような服装。

 見たことのない別人のように感じるのは、きっと僕のせいだ。

 驚きがないと言ったら噓になる。それでも、僕が頭の中で思い描いた人物だった。


「……っ」


 逡巡。

 決して自分が今から話すことにではない。

 こちらに気づかず、奥にいる深路。彼女にも見届けてもらうべきなのではないか。そんな思考がよぎった。


 自分自身に腹が立つ。これは自分のエゴで、保護者が欲しいわけじゃない。

 拳は握りこんだまま、はっ、ともう一度だけ強く息を吐いた。


「……叔父さんに話したいことがあるんだ。少しだけ長くなるかもしれないけど、聞いてもらってもいいかな?」

「急いでいる――んだけど、何やら大事なことのようだし、構わないよ」

「ありがとう」


 あくまでもいつも通り。いつもの会話と何も変わらない。

 気を抜けば、目の前の人物の恰好が明らかに不審なもので、異様な雰囲気を身にまとっていることを忘れてしまいそうになるぐらいに。


「まず最初にね、お礼がいいたいんだ」

「お礼?」

「そう。僕ってさ、今まで自分の置かれている立場とか。そういうこと考えたことなかったんだ。目が覚めたら病院の天井で、自分の体に繋がれているはずの点滴とか見ても妙に現実感がなくてさ」


 もしかしたら夢の中にいるんじゃないか、って思ってたんだ。ずっと。


「それでいて過去のこともよく思い出せなくてさ。ふわふわした状態のまま今日まで生きてきたんだ」

「なんだか危なっかしい子だね」

「自分でもそう思うよ。今になるまで自分がどうしなきゃいけない、とか考えもしなかったんだ。ただ何となく生きて、何となく死ぬ。それでいいと思ってた」


 自分だけで閉じた世界は、いつ終わったって構わなかった。

 たとえ隕石が落ちてきても、僕自身特別なことは一切合切しなかっただろう。


「そんな僕が今日まで生きてこれたのは間違いなく叔父さんのおかげだ。家族の一人もいなくなった僕を家においてくれて、同じように接してくれたことに、どんな作意があったとしても、最初に感謝を僕は伝えたいんだ」

「……受け取っておくよ。それで? 本題はなんだい?」


 まるで話が読めない、と言わんばかりの相手へ、冷静に。


「叔父さん、6年前の事件って覚えてる?」

「ああ、この山で与一の友達の女の子が亡くなった事件のことでしょ? 勿論覚えているよ」

「じゃあ、最近起きている連続猟奇死体は?」

「……あー、ニュースでよくやってる奴ね。怖い事件だよね」


 ただ自分の感情のまま。


「犯人なんだろ、叔父さん」


 言葉を紡いだ。


「あー、与一のところにも警察が来たんだね。困っちゃうよね、身に覚えのない――」

「僕、思い出したんだ。過去のこと、自分のこと、宗孝のこと。死体の構図が何を意味しているのか。――あれは宗孝が僕に見せてくれた初めての絵なんだ。死体のそばに書かれている暗号文字までそっくりそのままね。今じゃ忘れていたのが信じられないぐらい鮮明に思い出せるよ。あの絵は僕にとっての宝物だったから」


 強度の足りない接着面を、何度も何度も縫い合わせるように。

 言葉で推理に針を入れて、糸で繋げていくように。


「事件の犯人はあの絵を見たことがあるのは間違いない。でも、一度家の中で失くしたとき以外は宗孝の部屋から動かしてない絵を見ることは普通ありえないんだ。だからその時点で犯人候補は両親か宗孝、偶に家へと出入りしていた叔父さんの3人しかいない」


「六年前の事件の時点で既にもう死んでいるから、両親はあり得ない。そして宗孝はね、これは僕にしかわからないんだけど、犯人じゃない理由があるんだ。宗孝は傍のあの文字を絶対に『血』では書かない。あの文字を書く材料は僕と宗孝の間では、1つだけと決まっているから」


「西白森の家にも行ったよ。ほとんどが僕の記憶のままになっていた中で、唯一変わっていた場所が宗孝の部屋だった。……もぬけの殻だったよ。整頓されて少ない家財道具から飾ってあった絵まで何にもなくなってた。それができる人も、一人だけしかいない」


 唾も、汗も、飛び散るぐらいにぶち撒けて、叔父さんは何も言わなかった。

 僕の知っている叔父さんだったら「怖いなあ、探偵ごっこかい?」なんておどけるはず。そのぐらい荒唐無稽なことを話しているはずだ。

 でも、何も言わない。

 この酷暑の中、浮き上がる汗を1つも落とさずに、ただ先ほどよりも角度の付いた笑みを浮かべながら、こちらを見つめている。


 口をついて出たのはここでも心の弱さだった。あれだけうるさく猛っていた自分の中の感情も、直接向き合ってしまえば萎えてしまっていた。


「決定的な証拠とかは……ホント何もない。否定するのであれば、否定してほし「そうかあ! そっかそっか! 血じゃないんだね。そういうの分かっちゃうんだもんね。……羨ましいなあ!」


 不意に遮った声が、場の空気を変えた。

 大きくないはずの声が不釣り合いに響き、大合唱すら一瞬止まったように錯覚した。


「否定することなんて、全くないよ。君の考えている通りだ。若い感性、いや、それが君たちのもつ超感覚ってやつなのかな? 全く恐ろしいねえ」


 目の前の男は薄ら笑いを浮かべて。本当に羨ましそうな顔をしていた。


 自信がなかったわけじゃなかった。むしろ確信があった。これしかないと思っていた。

 それでも、心のどこかでキッパリ否定してほしかったのだと。そう思う自分はどうしてもいた。


 ……ああ、クソ! 僕の目的を思い出せ!

 ここでの目的は深路を止めること、犯人を明らかにすること。だから後は警察を呼べば終わりだ。それ以上何か望みはない。


 だからお終いだ。もうこれで終わりなんだ。


 携帯をポケットから取り出す。汗で蒸れて画面に付いた蒸気を指で拭いて、1、1、0。画面を指で叩く。顔を上げて今一度叔父さんを正面から見――っ!?


 急速に汗が引く。背筋が凍り付く。


「ま、ここにいる時点で答え合わせは済んでいるようなものだからね。今更何か言う必要もないでしょ」


 歪悪に笑う眼窩の奥底に見えたのは、正真正銘の闇だった。



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