◇40 寒すぎた指先を




 ――ガチガチガチガチ。


 体の震えが止まらなかった。持っているはずの熱で皮膚だけが粒だって浮いていて、人体の大事な核を冷凍庫に放り込まれたように寒かった。

 ずっと真っ暗な部屋の中、今が朝なのか夜なのかさえも分からない。

 電気を付けず、カーテンも完全に閉まった暗闇。自室のベッドの上で、薄く頼りない夏用の掛け布団を頭から被って全身を掻き抱く。

 それでも自分が本当にこの場に存在しているのか分からない。


 ――お前が殺したんだろ。


 誰かがこちらを見ている。誰かが頭の奥から囁く。


「…………うるさいっ!」


 机の上の眼鏡を壁に叩きつける。


 ――石見に苛立っていたのだって、無意識に暴かれるのを恐れてたんだろ? ずっとあんな目で見られて、全部筒抜けだったんだよ。


「…………………………くそ…………くそくそクソッ!」


 手当たり次第に部屋のものに当たり散らす。枕を投げつける。布団を投げつける。鞄を投げる。教科書を投げる。服を。プリントを。携帯を。

 冷静だ。

 冷静なのだ。

 僕が阿呆で、阿呆で、阿呆で仕方なかっただけなのだ。


 否定できない。どうしようもない。

 どうしようもない。


 自業自得だ。これまでずっと流して生きてきた。本当に嫌なことからはいつも逃げてきた。

 そんな自分に、優しい人が足並みを合わせてくれていただけだった。


「……はぁ………………はぁ……………うっ」


 息を切らせ、物の散乱する部屋の中心に立ち尽くした。


 耳を塞いでいくらでも耐えることができてきたんだ、今まで。

 結局のところ、問題が帰結していたのは自分の主観世界だけだったから。

 

 叔父さんの話は、最後まで聞けなかった。

 どうやって聞けただろうか。あんなこと。


 ――三谷が死んでから、その姿を一度も見かけていなかったとしても。

 

 頭が痛かった。

 気持ちが悪かった。

 同じ言葉が、思考だけがぐるぐると円環する脳内では、ほんの少しの冷静な思考さえできやしない。


 殺したのか、殺していないのか。

 知っているのか、知らないのか。


 何も見ないように両手で顔を覆い、何も考えないように頭を締め付ける。

 もういい。

 もうたくさんだ。

 僕は何も知らない。

 僕はわるくない。


 (…………ぁ……?)


 両手の指の隙間から、仄かな明かりを感じた気がした。


 ゆっくり、ゆっくりと両手を顔から離していく。

 それは先ほど投げたスマホの液晶画面だった。


 ――そうだ。


 僕にはもう1人『友達』がいる。


 数週間ぶりの餌を見つけた獣のように、駆け寄り拾い上げる。

 無我夢中でメッセージアプリを起動する。


「……早く…………早くしろ……………」


 数瞬に苛立つ。

 だが余計なことを考え始める前にいつもの画面が立ち上がる。

 知り合いの数は前から変わらず5人だけ。その中から目当ての名前を探すことなんて造作も――あ?


 思考の空白。

 上から下へ、スクロールするまでもないのに。

 ……叔父さん。

 ……広夢。

 …………三谷。

 ……深路。

 後に残っているのは――眼鏡を買った企業の、公式アカウント。



 どうして。

 どうして『天笠』がいない?



 ついこの間にも話したはずだ。

 チャット欄にだってこの前の会話が残っているはず、はずなのに……どこにも見つからない。


「……いや意味がわからん……本気でわかんないって!」


 何度再起動しても。

 何回更新し直しても。


 いない。

 どこにもない。


 ――どれぐらいの時間そうしていたのだろう。


 あれだけ眩しく感じた液晶の光は、カーテンから差し込む光と混ざって拡散していた。


 そこでようやく分かった。

 もうどうしようもない『行き止まり』に、もう僕は着いていたのだ。


 言葉で表してしまえば、すとん、と落ち着いてくる気がした。

 熱を取り戻したのではなく、極寒の中であるはずのない熱を感じてしまうように。


 シーツのぐしゃぐしゃになったベッドの上に、膝を抱えてうずくまる。


 もうなにものこっていないのだから。


 こんなぼくは。

 いてもいなくても。

 いいのでは。

 ないだろうか?



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